先制攻撃
書庫で情報収集を終えると、すでに外は薄暗くなっていた。
「食事はどうするのかしら? いつもなら部屋に持ってきていたけれど、部屋の外に出る許可が出たのだから食堂に行っても問題はないわよね?」
家族から蔑ろにされているとはいえ、さすがに食事の席がないということはありえないだろう。
使用人達も必要最低限の世話はしているし、突然食堂に行ったとしても一食分くらいすぐに用意できるはずだ。
「学園に行ってる兄も帰ってきているみたいだし、顔を確認しておきたいわね」
先ほどのことをセレネから告げ口されていれば、きっと叱責が飛んでくる。
アリアドネにとっては単身で敵地に赴く気持ちだろうが、私は違う。
「まずは軽く挨拶でもして差し上げましょうか」
ニヤリと笑った私は食堂へと足を進めた。
途中で数人の使用人とすれ違ったが、反応は様々であった。
横目で見て無視する者、こちらを一切見ずに無視する者、驚いた様子で食堂方面へと向かう者。
食堂の正しい場所は分からなかったため、その内の一人に食堂まで案内するように命じると自分で行ってくれと返された。
なので、立ち去ろうとする彼女の腕を掴み動きを止めて強めに案内しろと口にすると、嫌々というか渋々といったように案内された。
「……こちらです」
忙しいのに何なのよ、という彼女の言葉を無視して私は食堂のドアを開ける。
さすが公爵家。食堂の広さも豪華さもベルネット伯爵家と段違いだ。
どうやら私が一番に来たようで他の家族の姿はない。
(さて、どこに座ろうかしら?)
思案していると、食堂にいた執事がある場所のイスを引いて待っていた。
そこが私の席らしい。
椅子に腰掛けるとすぐに食事が運ばれてくる。
目の前に置かれた野菜の切れ端で作ったようなスープを見た私はすぐに顔色を変えた。
「……これは何かしら?」
「アリアドネ様のお食事でございます」
「ふざけているの? これのどこが食事なのよ。医者からはもうほぼほぼ完治したと言われているのに病人食を出すなんてどうかしているわ」
「何を仰っているのですか? アリアドネ様のお食事はいつもこのようにしておりましたし、それに関して今まで何も仰っていなかったではありませんか。それにそのように強い口調でお話しされることもなかったと思いますが、一体どうされたのです?」
私の言葉に執事は狼狽えている。
確かにアリアドネは気が弱く優しい性格だったから、私の口調はさぞや違和感があるだろう。
それはそれとしても仮にも公爵令嬢にこの食事はありえない。
こんな扱いをされていい子では決してない。
けれど、アリアドネにとってはこれが日常だった……、と思うと言いようのない怒りがこみ上げてくる。
「家族と同じ料理を持ってきなさい」
「ですが、旦那様より仰せつかっておりますので」
「何を騒いでいる」
ちょうど良いところに来てくれた、と私は食堂に入ってきた屋敷の主であるフィルベルン公爵に視線を向ける。
ムスッとして機嫌が悪そうな彼は私を一瞥すると執事と目を合わせた。
私を言い負かせられる相手が来たことにどこかホッとした様子の執事はすぐさま口を開く。
「それが……アリアドネ様が食事を皆様と同じ物に変更しろと仰いまして」
「なんて贅沢な……。食事が出てくるだけでもありがたいというのに」
「私はフィルベルン公爵家の娘でしょう。食事が出てくるのは当たり前のことだし、家族間で差があるのはおかしいじゃありませんか。それにしても、育ち盛りの子供にこんな貧相な食事を与えるのが公爵家の育て方なのでしょうか?」
「なっ!? 何だ! その言い方は!」
「それとも私はこの家の娘ではなく、養女なのでしょうか? だから他の兄妹と差別しているのですか?」
アリアドネの見た目からいって養女なのはありえない。
分かっていて、相手を挑発する言葉を敢えて選択する。
意外と単純な性格なのか、公爵は下に見ている娘から反撃されて分かりやすく表情をゆがませている。
「お、お前は! いっそ血が繋がってなかった方がどれほど良かったかと何度考えたことか! 大体、自分が何をしてきたか反省もなく生意気なことを!」
「何をしたのでしょう? 詳しく教えてくださいませ」
「セレネを虐めているだろうが! 今日だってあの子に酷いことを言って泣かせたじゃないか! どうして妹を可愛がってやれない!?」
「妹を虐めていたから差別していると? ならばなぜ私が妹を虐めていると思われるのですか? その原因はどこにあるとお思いですか?」
「自分よりも優秀なあの子が妬ましくて仕方がないからだろう!」
「馬鹿馬鹿しい」
あまりの理由に呆れかえって吐き捨てた。
人に責任を押しつけるのが大人のやり方か。
悪女の私でも自分を省みることができたというのに、情けない人だ。
「馬鹿馬鹿しい、だと?」
「ええ。そう口にしました。まず、妹に嫉妬しているから私を叱りつけるという対処がそもそも間違っています。お父様とお母様がすべきだったのは姉として私を立てて心に余裕を持たせることではなかったのですか?」
「そんなことをすればお前は調子に乗ってセレネを虐めるだろう!」
「そう言って責任を私に押しつけておりますが、結局は妹と私を平等に扱わないから起こることでしょう。つまり、お二人の躾が間違っているという結論になりますね。あと最後に言っておきますが、私はセレネを虐めておりません。一般常識の注意をしただけです」
なぜ大の大人に私がここまで言わなければならないのだ。
四大名家の息子として育てられたのなら知らなくても気付きそうなものなのに。
「話をすり替えるな! お前こそ親に責任を押しつけているだろう。大体一般常識の注意じゃないからセレネが泣いているんじゃないのか!? 妹を泣かす姉に対して扱いに差が出るのは当然のことだ」
「それはセレネが甘やかされて育てられた上に泣き虫なだけです。同い年の令嬢を見て差があるとは思わないのですか? このままの性格で本当に社交界デビューさせられると思っていますか? もう少し世間というものを教えるべきだと思いますが?」
「あの子はお前より傷つきやすい繊細な子なんだ。まだ十一歳のあの子に耐えられるはずがない。それにセレネには帝国一の教師をつけている。お前が出しゃばる必要などない」
あの子、もう十一歳だったのか。精神年齢は五歳程度じゃなかろうか。
繊細とは言っても、それでも教育の仕方はあるだろうに甘やかすのが愛情だとでも思っているのだろうか。
それにしても教師を付けていてアレだとは……。もう生まれついての我が儘娘ということになるのだが?
「これは差別ではなく必要な区別だ。お前が改心しない限り対応を変えることはない」
「つまり、食事の違いや部屋の家具のこと、使用人達の態度も含めて……ということでしょうか?」
「当たり前だ」
「それだと納得がいきませんのよ」
「納得?」
何を言い出すんだとでもいうような目で公爵は私を見てくる。
家族から蔑ろにされている理由が『妹を虐めていた』だけだと納得できないほどの差別なのだ。
日記にもセレネが物心つく前から家族の自分に対する扱いに疑問を持っていた様子が書かれていたから、妹を虐めていたから今の扱いになったとは考えられない。
むしろ生まれたときから嫌われていたと考えられるし、その理由もある。
「納得できないのは妹を虐めていただけでこのような差別を受けることについてです。それ以前から私の扱いに疑問を持っていました。ですが、今考えて納得する理由に思い至りました。セレネを虐めていた……それは後付けの理由でしかありません。私に『アリアドネ』という名前を付けたことから分かるように、生まれたときから私を嫌っているのでしょう?」
私の言葉に公爵がハッと息を呑む。
二十年経っていたとしても稀代の悪女と同じ名前を付けることは普通の人間ならしない。
現に貴族名鑑には同じ名前は見当たらなかった。
よって、生まれたときから嫌われていたと考えるのが一番自然だ。
血の繋がりがあることは先ほどの公爵の言葉から確認済み。母親ゆずりの髪色だから父親の愛人の娘ということはないだろう。正真正銘の実の娘であることは確かだ。
だとするなら、ここまで嫌われる理由が分からない。
「ただ生まれただけの私に何の責任があるというのですか?」
「…………お、お前を産んだせいで、妻は体調を大きく崩して生死の境をさまよった。その記憶が精神的な苦痛を私達に与えて当時を思い出させるのだから、お前の責任だろう!」
また随分と突っ込みどころの多い返答ではないか。そんな理由で私が黙ると思ったら大間違いだ。
「その割りには私とセレネは年子ですよね? 生死の境をさまよったというのにお母様の体を気遣うことすらしなかったとは……。精神的苦痛から回復するのが随分とお早いのですね」
痛いところを突かれたのか堪忍袋の緒が切れた様子の公爵は大きく手を振りかぶった。
叩かれてアリアドネの顔に傷を付けるわけにはいかない。
公爵の手が頬に当たる前に私はお辞儀をするようにテーブルに顔を近づけた。
後頭部の上で公爵の手が空振りし風を切る音が聞こえる。
顔を上げて少し後ろを見てみると、体勢を崩した彼は私の座っている椅子の背もたれにもたれかかっていた。
無様なことこの上ない。
「なおも叩こうとするのであれば、叩かれた顔のまま街に買い物に出かけますわね」
「なに、を」
「腫れた頬を隠しもせず出歩いて、知り合いに会ってどうしたのか聞かれたら『アリアドネ』という名前をどうして付けたのかと聞いたら叩かれた、とお答えしましょうか」
「家の名前に泥を塗るつもりか!?」
「泥を塗られるのは家ではなく、お父様だけですわ」
恥をかくのは公爵だけで、私は完全な被害者だ。
ここで私に手を出したら自分に被害がくるということを認識させなければいけない。
第一声が家の名前に泥を塗るのか、ということは自分の行動が恥ずべきことだという自覚があり大層プライドが高いと思われる。
プライドの高い人間のコントロールなどいともたやすい。
公爵はこれで大丈夫だなと思い、私は執事に向かって口を開く。
「ということで、家族と同じ食事を持ってきなさい」
どうすればいいのか分からない様子の執事は公爵に視線を向けるが、彼は一言「……そうしろ」とだけ言って自分の席に移動した。
彼はこれで終わらせたつもりだろうが、私はここで終わらせる気は一切ない。
「お父様、部屋の模様替えがしたいので明日街に買い物に出かけますわね。あとドレスも」
「…………勝手にしろ」
「ありがとうございます」
満面の笑みを浮かべて感謝の言葉を述べると公爵はそんな私の笑顔を不気味そうに見ていた。
少しして私の料理が運ばれてきたと同じタイミングで食堂に家族がやってくる。
彼らは私の食事が自分達と同じなことに首を傾げていたが、公爵が咳払いしたことで特に話題に出すこともなく各々食事を始めた。
途中で普通に食事をして同じ料理を食べている私を不思議に思ったセレネが口を開く。
「お父様。どうしてお姉様のお食事が私達と同じなのですか? 今日の書庫のことを聞いたでしょう?」
「その通りです。セレネを泣かせたというのに、罰を与えないなんて……」
「またセレネを泣かせたのですか!? あれだけ言われているのにどうして学習しないんだ……」
口々に文句を言っているが、公爵はばつが悪そうな表情を浮かべて無言でステーキを食べている。
理由を作ろうと時間稼ぎをしているのだろう。精々頑張っていただきたいものだ。
「おい」
「何か?」
公爵の生き写しのような青年が仏頂面で私を見ている。
顔と身長から言って、彼が兄のアレス。学園に通っているということは十五、六くらいだろうか。
「食事が同じだからといって調子にのるなよ。お前がフィルベルン公爵家の汚点であることは変わらないんだからな」
「汚点であろうがなかろうが、同じ料理を食べることは至極当たり前のことです。今までが間違っていたのですから」
「なっ! 言い返してきた……。何でそんなことを。頭を打って性格が変わったのか? ……いや、だがお前が公爵令嬢らしからぬ行動や言動をしてきたことは変わりないじゃないか。相応しい教養も身につけていない奴が僕たちと同じ扱いを受けるなんて納得できない」
「相応しい、と仰るなら公爵家の令嬢としての扱いをしていただきたいところですね。それすらせずにこちらに負担を強いるだけでは教養など身につくはずがございません」
真っ直ぐに前を見据えてきっぱりと言い放つと、全員が全員面白いくらいに動揺し出した。
アリアドネは自分を責めるだけで、誰かを責めるような言動をしたことはないのだろう。
(おいとかお前とか……この人達、一度もアリアドネを名前で呼んでないわね)
本当にどうしてここまで見下されなければならないのか不思議に思う。
こんな環境で育ってきたなら、生前のアリアドネの性格になるのも当然である。
「これまでとは違い、私は私の権利をしっかりと主張していきます。もちろん主張するだけではなく公爵令嬢としての振る舞いを忘れず、相応しい人間になりましょう」
「……そうなることを願おう」
「父上!」
「あなた!」
「静かにしなさい! 食事が不味くなるだろう。どうせ、一過性のものに過ぎない。すぐにいつものあいつに戻る。そうしたら、全て元に戻す」
さすがに一家の長の声とだけあって、公爵夫人もアレスも口を閉ざした。
セレネだけは納得していない様子だが、雰囲気を察してか特に口出しすることもない。
その後はシーンと静まりかえったお蔭で私は快適な夕食を楽しむことができたのだった。