帝国の現在
あれから更に二週間経ち、青あざはまだ残っているもののようやく屋敷内を出歩ける許可が下りた。
「やっと今の帝国の情勢を調べられるわ……。一ヶ月本当に長かったわ。長かったけれど……」
そう言って私は窓の外に視線を向ける。
ずっと部屋にいる状態で一ヶ月。アリアドネの日記に書かれた言葉を何度も思い返していた。
「家族や使用人から無視、というか見てもくれないってのが良く分かった一ヶ月だったわね」
日記には両親、それに兄とおそらく妹のことが書かれていた。
少なくとも三人兄妹の五人家族のはずなのに、誰も彼女を心配して顔を見に来ようともしない。
それだけで、彼女が家族から下に見られていたというのが分かる。
初日に見た彼女の両親の顔からして、どちらかの浮気によって生まれた子供でないことは明らかなほど、この子は二人に良く似ていた。
髪色は母親、目は父親譲りといったところだろうか。
だからこそ、ここまで無下に扱われていることが不思議でならない。
「日記を読む限りでは頭が悪いようには思えないし、貴族としての一般常識から外れているわけでもなさそうだし……。この子に何か問題があるとは思えないのよね」
片方の言い分しか見ていないから断定はできないが、現時点では本人にどうしようもないことで何かがあったとしか思えない。
「そもそも争いごとが苦手のようだし……。なんて……ここで一人で考えていても無意味でしょうね。ひとまず書庫にでも行ってみようかしら。貴族名鑑ぐらいあるでしょう」
家族のことはさておき、私が最初にやるべきは今の帝国の情勢を知ることだ。
二十年も経っていれば大分様変わりしていることだろう。
私の死後、クロードがどうなったのかも気になる。お父様は……ずる賢いから上手く逃げたような気もするがさほどもう興味も無い。
「さすがに出入り禁止にまではなってないと思うから目当ての物を探しに行きましょうか」
部屋からでて歩いていれば誰かと遭遇するだろうし、この屋敷が私の記憶の中のフィルベルン公爵家の屋敷と同じであれば部屋の配置は覚えている。
そこまで不安を感じることなく私は部屋を後にした。
部屋を出てまず廊下の窓から階下を眺め、自分の記憶と照らし合わせる。
植えられている樹木と花には見覚えがあるし、屋敷の作りもなんとなく記憶にある。
飾られている調度品の違いはあれど、おそらく同じ屋敷であるという結論に至った。
「で、あれば書庫はこの階の北側にあるわね」
二十年前の毒殺事件で亡くなった先代のフィルベルン公爵とは派閥は違ったが、元々皇帝の弟ということもあって、派閥に関係なく貴族と交流があった。
ということで、屋敷に招待されたことが何度かあったのだ。
確か大変な読書家でいつも書庫の本のことを自慢していたのを覚えている。
「三つ目の部屋だとか言ってたわよね。……あ、当たりだわ」
昔の記憶を頼りにここだろうという部屋の扉を開けると沢山の本棚が置かれており、その全てにぎっちりと本が収納されている。
背表紙を見る限り、内容別に分類されているようだ。
これなら目当ての本を見つけるのに時間はかからない。
「さて……帝国の歴史が書かれている本の辺りに置いてありそうだけれど。……これはシールス王国関連の棚、これはハイベルグ王国関連の棚、これはラカン公国関連の棚。なんだかどんどん帝国から距離が離れていってるような気が……。あっ、あったわ」
一番上にアラヴェラ帝国関連の本が二段に渡って収納されているのを見つけた。
そして目当てであった貴族名鑑は真ん中辺りにあった。
近くから脚立を持ってきた私は落ちないように慎重に登り、貴族名鑑を手に取る。
どうせ読んだら元に戻すのだから、ここで読めばいい。
決して降りる手間と戻す手間が面倒くさかったからではない。
「発行されたのは去年だから、まあ最新といってもいいわね。……どうなってるか確認しましょうか」
表紙をめくり、最初のページに書かれていたのは大凡予想していた通りの人物。
皇帝ヘリオス・レオ・アラヴェラ。
予想通り過ぎて特に驚きもしない。やはり腹黒第二皇子が継承争いを制して玉座に座ったのか。
あの後結婚して皇子と皇女の父親となったようだ。
ということは、彼に付き従って一番の側近、相棒とも言われていたクロードが今も貴族として帝国にいる可能性が高い。
ベルネット伯爵家は貴族派だったけれど、家の反対を押し切って皇帝派に進んで味方したクロード。
彼の先を読む能力は高かったのだな。
「クロード……クロード……クロード……あった。え? 家名が違う?」
指でひとつひとつ名前を探していた私の目には『クロード・アクィラ・リーンフェルト
』という文字が映っていた。
リーンフェルト侯爵家は皇帝派で四大名家のうちのひとつ。
他の貴族のところにもクロードという名前は書かれておらず、リーンフェルト侯爵家のクロードのみ。
書かれている生年も年齢もおかしなところはない。
ついでに探してみたがベルネット伯爵家の名前もない。つまり二十年前に取り潰されたということだ。
当然ながらお父様の名前もない。
ここから示されるのは、クロードが婿養子になったか養子になったかのどちらかだ。
先代のリーンフェルト侯爵は独身で子供はいなかった。しかも高齢。
二十年前の毒殺事件では被害を受けていなかったはず。
不思議に思いながら読み進めていくと、リーンフェルト侯爵家はクロードの下に私も名前と存在を知っている男性の名前と知らない女性の名前、その下に十一歳のテオドールという少年の名前が書かれていた。
「没年が二人の名前のところに書かれているってことは亡くなっているのね。この男性は確かリーンフェルト侯爵家の遠縁の子供だったはず。女性と年齢が近いことを考えれば、この男女が夫婦と見るのが妥当ね。クロードの妻だったらクロードの隣に名前が書かれていないとおかしいもの」
記載がないということはクロードは結婚していないということだ。
確か、この故人の遠縁の男性は病弱で侯爵の仕事ができるような状態ではなかった。
だから代わりにクロードを当主において、その男性の子供に後を継がせようとしているのではないだろうか。
つまりクロードは中継ぎ当主、と考えるのが妥当である。
ヘリオス殿下、いやヘリオス陛下にとってクロードは一番信頼の置ける部下であり親友という立ち位置だった。
頭の回転が速く柔軟な考えを持ち、武勇にも優れいくつもの戦いにその力を遺憾なく発揮してきた。
その彼をあの腹黒皇帝が逃がすわけがない。
「生きているのが分かっただけでも良かったと思うべきなのでしょうけれど、まさか四大名家の人間になっていたなんて……。出世したものだわ」
まるで姉として仲の良い弟の現在を喜ぶかのような言葉を発したことに自分で驚く。
生前はあれだけ憎み恨んでいたというのに、随分と勝手なものだと自嘲する。
けれど、生きているのが分かっただけでも良かったとも思う。
悪女の弟としてきっとクロードは白い目で見られてきたことだろう。
そんなことに傷つくような柔な精神はしていないだろうが、私は心のどこかで自分のせいで彼を苦しめてしまったのでは? ……という気持ちを持っていた。
だから、彼の行いが正当に評価されて地位を与えられたことにホッとしたのだ。
「四大名家のひとつとなれば、面と向かってあれこれ言う相手もいないだろうし、皇帝はクロードを守ったということかしら?」
いけ好かない皇子ではあったが、彼にも私の後始末をさせてしまった。
敵対していたとはいえ素直に感謝と謝罪の気持ちが自然と出てくる。
だが、感傷に浸っている暇はない。まだ見ておきたいことがあるのだ。
(今後の計画の要だし、どこにいるのかしら?)
貴族名鑑を見ながら、私はある人物達の名前を探していく。
割とすぐに目的の人物達の名前を発見し、そこの家名を見てニンマリと笑みを浮かべた。
「これなら問題なさそうね。……さて、気になっていたことも知れたし、後はサッと名鑑を見て部屋に戻ろうかしら」
ペラペラと流し読みをしていると、大部分の貴族派の貴族は家が取り潰されたり当主が変わっており、貴族派のリーダーであったヘリング侯爵家も記載されていなかった。
また皇族は皇帝一家だけとなっており、皇族に一番近い血筋はフィルベルン公爵家のみとなっている。
二十年前の毒殺事件で大分皇族と貴族の数は減っているようだ。
(毒殺事件をきっかけに大きく国が動いたということかしら。貴族派を壊滅に追い込めたことは国にとって良いことだともいえるけれど。でも、それを私が起こしてしまった……)
そうして読んでいくといつの間にかフィルベルン公爵家のページになっていた。
日記に書かれていた通り、両親と兄、妹の五人家族で合っていたようだ。
また、父親の名前はニコラス。やはり彼がフィルベルン公爵の三男だった。
長男、次男の影に隠れ、公爵家の名前を盾に大きな顔をしていたが大した功績も残していなかったと記憶している。
毒殺事件で彼の父親の公爵と長男、次男が毒殺され、彼が後を継いだ形だろう。
長男には息子が一人おり、普通は彼が後を継ぐはずだが毒殺事件のゴタゴタでニコラスが奪ったのかもしれない。
それにしても、だ。
「アリアドネ・フィルベルン。どうしてこの子は『ルプス』が付いていないのかしら? 皇帝の直系と四大名家の当主家族は間に家門の別名が入るはずなのに」
「それはお姉様がフィルベルン公爵家の一員として認められていないからよ」
突然現れた第三者の声に私は体をびくつかせた。
恐る恐る下を見ると、銀に近い金髪にアンバーの瞳をしたアリアドネの顔とどこか似ている少女が侍女を引き連れて生意気そうな顔をして突っ立っていた。
屋敷にいて侍女を侍らせているアリアドネより年下の少女。
彼女が妹のセレネで間違いないだろう。
可愛らしい顔立ちではあるが、愛されているからか自信たっぷりな様が鼻につく。
この世で周りの人間の愛情は全て自分のものと信じて疑わない、そういった態度である。
ハッキリいって私の嫌いなタイプの人間だ。
「ちょっと、どうして降りてこないの? セレネが来たんだから降りて挨拶するべきでしょう。頭を打って寝込んでたっていうけど、打ち所が悪くてそれも忘れちゃったの?」
礼儀を求めるなら妹の貴女が姉の私にするべきなのでは?
大体、姉に対する言葉遣いが全くなっていない。
クロードですら、礼儀正しく接してくれていたというのに。
「何で何も言わないのよ! セレネのことバカにしてるんでしょ!」
まったくもってその通り。
話したところで会話にならなさそうだし、バカと話なんてしたくない。
「バルコニーから落ちて少しは静かになったのかと思ったのに、全然変わってないじゃない! 生意気!」
生意気なのは貴女でしょうに。
何なの、この生き物? 同じ人間? 子供の頃の私だって相手に対する礼儀くらいわきまえていたわ。
人格者で優秀なことで知られていた先代のフィルベルン公爵と嫡男達の血縁とは思えない。
「どうせ、また礼儀がなってないとか口が悪いとか貴族令嬢らしく静かにしなさいとか言うんでしょ!? お父様もお母様も何も言わないのに、どうしてお姉様にそんなこと言われなきゃいけないのよ!」
もう開いた口が塞がらない。
フィルベルン公爵夫妻は子供の教育を完全に間違えている。
このまま修正せずに社交界にデビューさせるつもりなのだろうか。
もしくは大人になれば落ち着くとでも思っているのだろうか。
礼儀やマナーなんて子供の頃から学んでおかないと短期間で身につくものではないというのに。
「それともリボンのことまだ根に持ってるの? セレネが欲しくなっちゃったんだから仕方ないのに、いつまでも言うなんてお姉様なのに心が狭すぎるわ」
アリアドネは初めての贈り物にあれだけはしゃいで日記に書いていたのに、それを奪っておいてなんて言い草だ。
我が儘で生意気なセレネの言葉につい我慢ができなくて大人げなくジロリと彼女を睨みつけた。
高所からの睨みが余計に怖かったのか、彼女は急に怯えて涙目になっている。
「お姉様が怒った……。セレネ何もしてないのに……。リボン返してって、セレネには似合ってないってバカにした……。貴族令嬢に見えないって意地悪言った……」
「セレネ様は立派なご令嬢でございます」
「そうです。根暗で陰湿なアリアドネ様の言うことなど真に受けてはいけません。セレネ様が正しいのですから。旦那様に今のことをお知らせすべきです」
「そうよね……セレネが正しいんだもんね。お姉様が間違ってるんだから怒ってもらわないといけないよね?」
「その通りです。早く旦那様の元に参りましょう。いつまでもここにいては陰気が移ってしまいます」
「……うん!」
そう言ってセレネはキッと私を睨みつけてきた。
「学園から帰ってきてるお兄様にも言うから! お姉様は後ですっごく怒られることになるんだからね!」
恐怖からは脱したのか、侍女の言葉にすっかり気分を良くしたセレネは父親と兄に告げ口するためにさっさと書庫から出て行った。
嵐のような今の時間を思い返して私はため息を吐き出す。
そしてひとつ言わせて欲しい。
私、一言も発していないのだけれど???