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アリアドネ・フィルベルン

 あれから少しして医者がやってきて私の診察をしてくれた。

 医者の話によると、アリアドネは頭を打って生死の境をさまよっており数日中には死ぬ見立てであったこと。意識を取り戻して回復するのは奇跡であったということだった。

 幸いにも骨折はしておらず重度の打撲であり、一ヶ月ほどで回復するだろうということも知らされた。

 また、私の言動がアリアドネと違う点については頭を打ったことにより記憶が一部欠落したのだろうということで収まった。


「……暇だわ」


 意識を取り戻して、早2週間。

 頭と体の痛みはマシになったものの、部屋の外に出て歩き回ることは許可されていなかった。

 部屋から出ることができないものだから、私はとてつもなく暇を持て余している。


「話し相手でもいれば違うのでしょうけど、食事を運んでくるのと体を拭いてくれる以外で親はおろか使用人も来やしない。貴女、どれだけ下に見られてるのよ」


 問いかけたところでこの体の持ち主が答えるはずもない。

 恐らくだが、きっとバルコニーから転落して頭を打ったことが原因で死にかかって仮死状態にでもなったのかもしれない。

 そこになぜか私の魂が入り込んでしまった、のではないかというのが私の予想だ。

 殺された悪女が再び生き返ったなど、被害者からも遺族からも許されないものだろう。

 なぜ、生き返ってしまったのかという罪悪感から逃れたかった私はこの体の持ち主であるアリアドネのことに思考を向ける。


「使用人は必要最低限の世話しかしないけれど、べったりされるのも鬱陶しいからそこは良かったと言うべきなのかしらね」


 ゆっくりと体を起こしてベッドから立ち上がった私は高くなった視点で改めて部屋を見回した。


「本当に質素な部屋だこと……。病人のための部屋かと思ったら、この子の部屋だなんて。外に出られるようになったらある程度は整えないといけないわね」


 使用人とのちょっとした会話からここがアリアドネの部屋であることを聞いたのだ。

 今、視界に入っている家具はどれも私が生きていた時代に流行っていたデザインのものばかり。

 さすがに二十年後も流行っているわけがない。

 四大名家の家だからこそ、最新の流行の家具を揃えるものだというのにとてもそうは思えなかった。


「どうしてこんなに冷遇されているのか見当もつかないけれど、今日は医者も来ないし夕食までの間にこの子のことが分かる物を探してみましょうか」


 痛みもマシになったこのタイミングで私は取りあえず部屋の捜索をしてみようと考えていた。

 どうせ使用人がくることはないのだし、自分の部屋なのだから探しても何ら問題はない。


「さてと、じゃあまずは机の引き出しから探すのが基本よね」


 窓際にある使っていたであろう机に近寄る。

 一番上の引き出しには鍵穴があり、引いてみるが何かに引っかかり引き出せない。


「大事な物を入れているということでしょうね。まあ、この程度の鍵なら難なく開けられるから別に鍵なんていらないけれど」


 厳重なものであれば不可能だが、二十年前の机の引き出しの鍵など比較的簡単に開けられる。

 幸い机の上にペーパーナイフがある。

 鍵穴の一番奥まで差し込んで少しずつ力を入れる箇所を変えていくと、あるところで手に伝わる感触が変わった。

 慎重に作業を続けて行くと、カチリと解錠された小さな音が聞こえる。

 引き出してみると、今度は引っかかることなくスムーズに中身と対面することができた。


「……日記かしら? 鍵をしてあるから何かと思ったら、これだけ? けれど、これでこの子のことを知れそうね」


 日記らしきものには鍵はなく、分厚いそれを私は最初のページから読み進めていく。

 書き始めたのはアリアドネが六歳になってから。

 この日記は母方の祖母から誕生日プレゼントで貰ったものらしい。

 最初は日常のことを書いていたが徐々に家族の自分に対する態度に疑問を持ち始め、妹が物心ついたころから内容は悲しいものになっていった。


『十歳の誕生日にお父様から黄色のリボンをいただいた。セレネの後に渡されたのは嫌だったけれど、それでも初めてお父様から贈り物をいただけて嬉しい。お揃いのドレスをお願いしたら買ってくれるかな?』


『セレネが私のリボンを欲しがって、ダメだと言ったのに無理やり取って行ってしまった。大事な物だから返してと頼んだのにセレネが泣いてしまってお父様とお母様から怒られてしまった。あれは私の物なのにどうして? 姉だからってなんで我慢しなければならないの? いっつもセレネばかり優先して私は無視される……私なんて見てくれないんだわ』


『今日は久しぶりにアレスお兄様が学園から戻ってこられたけれど、セレネには沢山のお土産があったのに私にはなかった。ずっとセレネに話しかけて私の方は見向きもしない。話しかけても睨まれる。私が何をしたっていうの?』


「どうして私がセレネを虐めたことになっているの? ただ、我が儘ばかりはダメだって言っただけなのに……。親戚のお茶会でも他の令嬢達から責められてセレネより扱いが悪かった。誰も私の話なんて聞いてくれない」


『十二歳の誕生日だったのに、誰もお祝いしてくれなかった。私抜きで会話していてまるで私なんていないような世界が苦しい。使用人も私にだけ冷たい。あんなに嫌だった名前だけれど、私もアリアドネのような性格であれば良かったのに。何も言えない自分が情けない。アリアドネが羨ましい。悪女を尊敬するなんて言ったら怒られるだろうけど、それでも尊敬してしまう。彼女のように振る舞えたらどれだけ楽だろうか』


『こんなに苦しいのがこれからも続くなんて耐えられない。どうやったら家族は私を愛してくれるんだろうってずっと考えてた。でも、それは無意味なんだって気付いちゃった。気付いてから家族への憎しみが抑えきれない。今も家族が苦しめばいいのにという気持ちがどんどん溢れてくる。こんな家に生まれてこなければ良かった。もう疲れた。だから私は消えようと思う』


 これが最後のページに書かれていた言葉だった。

 十二歳の子供に対してあんまりな仕打ちに日記帳を持つ手に力が入る。

 アリアドネが感じていた悲痛な気持ちと過去の私がお父様に対して感じていた気持ちが重なる。


「貴女の気持ちが痛いほど分かるわ、アリアドネ……。愛されたかったのよね。認めて欲しかったのよね。ちゃんと目を合わせて欲しかったのよね」


 目頭が熱くなり、目を閉じて無言で私は日記帳を抱きしめた。

 まるで、もういないアリアドネを抱きしめるかのように……。

 彼女はもう一人の私だ。悪者になれなかったもう一人の私。

 きっと心の優しい少女だったのだろう。蔑ろにされても家族を愛して信じていた。そして疲れ果てて全てを諦めて恨んで人生を終わらせてしまった優しい子。


「確かに褒められたものではないけれど、それでも私のような人間を尊敬してくれてありがとう」


 私からは分からないし見えないけれど、どうか私の言葉が届いて欲しい。

 私が貴女を見ているし認めているんだということを……。


「……十二歳だものね。余所の大人に助けを求める術さえ思いつかないわよ」


 それでも誰か気付いてくれていたら、という思いがある。

 終わってからでは遅いことを私が一番よく理解しているからだ。


「こうして私が貴女の体に入ったのは偶然ではなかったのかもしれない。私なら貴女の恨みを晴らしてあげられるけど、きっと優しい貴女は恐ろしいと感じてしまうでしょうね。だから引っかき回すだけに留めておくわね。そうして貴女の評価をひっくり返して名誉を回復させるわ。それに……再びこうしてこの世界に戻ってきたのだもの、二十年前の責任を取らないと」


 それもアリアドネは望んでいないかもしれないが、私がそうしたいのだ。この子のために私は何かをしてあげたい。

 二十年前に私が犯した罪が一人の少女を救うことでゼロにならないことは分かっている。

 いや、何をしてもゼロになどならないだろう。他人の人生を狂わせた罪は許されるものではない。

 けれど、何かせずにはいられないのだ。許して欲しいわけではなく、悪女の名を消したいわけでもない。

 ただただ己の過ちを分かっているからこそ、その責任を取るべきなのだ。

 これは私にしかできないこと。私がやるべきことだ。

 だから、借り受けたこの体で罪滅ぼしをするのを許して欲しい。


「ごめんなさい、アリアドネ。貴女の体をお借りするわね」


 答える人間はいないが、それでも口に出さずにはいられなかった。

 ある意味、これはアリアドネ・フィルベルンとしてこれから歩いて行くのだという決意表明である。

 心が決まった私は、抱きしめていた日記帳を離してジッと見つめる。


「さすがにこの中身を他の人に読まれたくはないでしょうね。無神経にも軽い気持ちで読んでしまって本当にごめんなさい」


 ポツリと謝罪を口にして季節外れではあるが暖炉に火を付けて日記帳を投げ入れた。

 火が燃え移り、黒焦げになっていく日記帳の形が消えるまで私はずっと暖炉の中を眺めていた。


以降、週一更新となります。

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