目覚め
目の前が真っ暗になってどれくらい経っただろうか。
未だに暗いままではあったが、私の意識は徐々に覚醒していく。
そうして今自分はどこかに寝かされていると認識したとたんに猛烈な頭の痛み、次いで体の至るところからの鈍痛が襲ってくる。
ものすごく体が重くて思うように動かせない。
いつもより呼吸がしにくいが、それでも息苦しさから抜け出そうと力を振り絞って大きく息を吸い込んだ。
「……っ!?」
すると私の体が動いたからか、ここにいるだろう第三者が何かにぶつかるような音が聞こえた。
てっきり私しかいないと思ったからこちらも驚いた。
「ア、アリアドネ、様……?」
非常に困惑している女性の声が聞こえた。目覚めることのない人間が目覚めた、みたいな言い方である。
声を出すのも億劫だが、意識を取り戻したことを伝えなければならない。
あれから一体どうなっているのか少しばかりの不安もありながら目を開けた。
最初に私の目に飛び込んできたのは見たことのない天井。
頭を支える柔らかいものと体に触っている布の感触で自分がベッドに寝ていることを理解する。
痛みで頭を動かすのは億劫だったので、目だけを声がした方へ向けるとメイド姿の若い女性が目を見開いてこちらを凝視していた。
……相手の反応を気にしている場合では無い。まずは現状把握が先だ。
「ど、どれくらい経ったの……?」
「え? あ、あの……」
「どれくらい」
「あの……一週間ほど」
質問にすぐに答えなかったことに苛立ちがこみ上げてくるが、そんなことは今は問題ではない。
ずいぶんと長く感じていたが、まだ一週間しか経っていないのか。
死んだと思ったけれど、一命は取り留めたらしい。
でも、倒れたときの状況を考えれば頭と体中の痛みがあるのはどこかおかしい。
衝撃の後に胸の痛みが一番先にあったということは、刺されでもしたはずである。
なのに、その痛みが今はない。
それにこの部屋もだ。ここはベルネット家の屋敷ではないし、王城にもこんな部屋はなかったはずだ。
あのメイドにも見覚えはない。どこか腑に落ちない嫌な感じを覚える。
「だ、旦那様と奥様を呼んで来なくちゃ!」
一人であれやこれや考えて現状把握もまだできていないというのに、唯一情報を聞き出せそうなメイドは慌てて部屋を出て行ってしまった。
(それにしても、奥様? お母様は大分前に亡くなったはずなのに。もしかしてお父様は再婚でもしたのかしら?)
毒殺事件の主犯の親で自分の身を守るのに精一杯だろうに随分と神経が図太いようだ。
本当に自分のことしか考えていなかったのだな、あの人は。
信じていた自分が空しくなって私は乾いた笑いを零す。
そうこうしている間に扉の前が騒がしくなり、すぐに乱暴に扉が開かれる。
病人なのだから静かに入ってきなさいよ……と呆れるしかない。
「本当に意識が戻っている……なんて面倒な」
「死んでくれると思っていたのにどうして……」
声の感じからして、部屋に入ってきたのは男性と女性。
部屋に入ってきて早々になんとも酷い言葉ではないか。まるで死んで欲しかったような言い方である。
まあ、皇族や貴族を毒殺した人間なのだからその反応も当たり前といえば当たり前か。
それにしても、お父様達を呼びに行くと言っていたのに誰を連れてきたのだろうか。
明らかに今の声はお父様の声ではない。それに女性の声もどこかで聞いたことはあったような気もするが、パッと思い浮かばない。
というよりも、男性の声にも聞き覚えがある。
分からない気持ち悪さと好奇心が勝った私は痛む頭を無理に動かして入り口の方へ向けた。
「………………だれ?」
いや、本当に誰?
帝国の貴族にこんな人がいただろうか。
貴族の名前と顔を網羅している私が知らないなんてあり得ない。
「何を仰っているのですか。こちらはお嬢様のご両親ではありませんか」
「……は?」
両親!?
待ちなさいよ! 私のお父様はこんなに細身で渋みと清潔感のある男性ではないし、お母様はもっと派手なお顔をしていたわよ!
何より、私の髪色とまったく違うじゃない!
これは何の冗談なのか。
衝撃過ぎて考えがまとまらない。
「……どうやら、頭を打った衝撃のせいで混乱しているように見えるな」
「ずっと寝ていてくれれば良いものを……」
「全くだ。しかし、目覚めたのであれば気が進まないが医者を呼ばねばなるまい。……本当に面倒ばかりかける娘だ」
「人の気を引くために怪我をするなんて本当に家の恥だわ。けれど、呼ばないとあれこれ周りから言われてしまうでしょうし……ちょっと貴女、医者を呼んできてちょうだい」
命じられ、二人に頭を下げたメイドが部屋を出て行く。
残った両親という存在は私に嫌悪感をむき出しにした眼差しを向けて一瞥すると足早にその場から立ち去ってしまった。
静かになるから考えをまとめるにはちょうどいい。頭を打ったかは覚えていないが混乱はしている。
しているが、それでもあの二人が私に対して好意的でないことは分かる。
好意的ではないというか、忌み嫌っていると言った方が正しい。
私のやったことを考えればそれは当然ではあるのだが、それにしては嫌い方が軽いような気もする。
何より、あの二人は私の両親ではない。
では誰なのか。
クロードの悪友でもある、あの第二皇子の策か。いや違う。あの腹黒がこんな生ぬるい策を使うはずがない。
それは他の人であっても同じだ。罪を犯した罰としても、同胞を切るための策としても、私が毒殺してしまった家族の報復としても軽すぎる。
単純に何かの悪戯や驚かせるためのちょっとした性質の悪い冗談程度のものでしかない。
何かがおかしい。
この違和感の正体はなんなのか気になった私は、部屋から得られる情報はないかと視線を動かした。
茶色系でまとめられた部屋には必要最低限の家具しか置かれておらず、とてつもなく質素である。
ただの病人を寝かせておくだけの部屋としか思えない。
新聞や何かが書かれた紙があればと思ったが、そういった類いの物は置かれていなさそうだ。
「分かるのは倒れてから一週間経っているということだけで何も分からないじゃないの」
はぁ……とため息を吐いて脱力したまま私は窓から外を見ようと痛む頭を動かした。
「痛っ。……換気のためにも窓くらい開けておいてちょうだい、よ」
外の景色を見ていた私は、ふと窓に映った自分の姿を見て目を瞠った。
そこに映っていたのは明らかに私では無い誰かであったからだ。
「なんなのよこれ」
反射して映っているのはゆるいウェーブを描いた輝きを失っているピンクブロンドの髪、そして生気を失った薄い水色の瞳をした少女。
そう少女だ。見た目は十代前半もしくはもっと下ぐらいのまだ幼さの残る女の子。
寝込んでいたからか不健康そうで、やや痩せ気味ではあるものの整った顔立ちをしている。
「……何を冷静に分析してるのよ。そんなことより、どうして私の顔が違うの。なんでこんな子供になってるのよ。あり得ないでしょう。どう考えてもおかしいわよ」
意識は確かに私なのに、窓に映る顔は私ではない。
正気だと思っているけれど頭がおかしくなっているのだろうか。
「どういうことか聞こうにもさっき全員部屋を出て行ったから聞けないし……。もう……他に何か分かる物は置いてないわけ?」
とにかく他の物を見つけて今の混乱を落ち着かせたい。
焦った気持ちでもう少し部屋を観察してみる。
ぐるりと周囲を目で追うと壁に掛けられた盾が目に入った。
そこに描かれている紋章は帝国で知らぬ者はいない家のもの。
あれは確か……アラヴェラ帝国の四大名家のひとつ、フィルベルン公爵家の紋章。
素直に考えれば、ここはフィルベルン公爵の屋敷ということを示している。
「……そういえば、あの二人の顔を見たことがあると思ったらフィルベルン公爵家の三男とカペラ伯爵令嬢の顔に似ていたような……」
でも、あの二つの家が皇帝派に属していたとはいえ婚姻を結んだなどという話は聞いたことがない。
加えてあの二人と同じ顔をした人物に心当たりがないのだ。
まるで彼らが年を重ねた姿と言った方がしっくりくる。
「もしかして、年を取ってる? まさか、でもそんなことって……」
頭に浮かんだ『もしも』を私は否定する。
現実的に考えて起こり得ないことだ。
いっそ夢だと思いたいが頭と体の痛みがそうはさせてくれない。
紛れもなくこれは現実なのだと突きつけてくる。
(だとしたら私の予想が合ってるかどうか確かめてみましょうか)
痛みに耐えて腕を動かした私は枕元に置いてあったベルを取り、何度か鳴らす。
だが、待てども誰もやって来ない。
あまりの扱いの悪さに苛立ちを隠せない私はベルを持ったまま、近くにあった水の入ったガラスの瓶に遠慮無く叩きつける。
鈍い音が鳴り、床に落ちた水瓶が割れる音を聞きながら私はどこかスッキリとしていた。
さすがにこの音は無視できなかったようで、遠くから廊下を走る足音が聞こえてきた。
ガチャリと扉が開くと、先ほどとは別のメイドが怒り顔のまま入室してくる。
「うるさい! あっ何割ってるんですか!? 仕事が増えるじゃありませんか!」
「貴女の方がうるさいのだけれど。使用人の分際で何様のつもりなのかしら? そもそも最初のベルで来てれば割る必要もなかったのだけれど?」
「は? えっ?」
「まあ、そんなことはどうでもいいわ。ところで今って帝国暦何年なの?」
「……なんって生意気な……! あんたなんて」
「帝国暦何年なの? 聞かれたことだけに答えなさいよ。それともよほど耳が遠いのかしら? その若さでだなんて可哀想に」
「失礼ね、聞こえてます!」
「じゃあ答えられるでしょう? それとも私の言ってることが理解できないとか?」
旦那様奥様と言ってる人達が娘だと言っていたのだから今の私は使用人より上の立場の人間だというのに、この失礼極まりないメイドは何なんだ。
立場を全く分かってない。今だって憎らしげに私を見ている。
「早く答えて」
「…………帝国暦百六十四年」
「百六十四!? 百四十四ではなく!?」
嫌な予想というのはどうしてこんなにも当たるのだろう。時は経っていそうとは思っていてもさすがに二十年も過ぎてるなんて誰が思うというのか。
「頭を打っておかしくなったみたいですね。あーそれもそうか。元からおかしかったですもんね。じゃなかったらバルコニーから落ちたりしませんもの」
衝撃で言葉が出てこない私に構わず、メイドは私がバルコニーから落ちたなどと口にした。
私の最後の記憶と全然違う。私はバルコニーから落ちてなどいない。
この人は何の話をしているのか。どうして私がここにいるのだろうか。私は一体誰なのか。
その疑問に答えてもらうべく、私は不安に思いながらも口を開いた。
「では、アリアドネ……ベル、ネットを知っている?」
「当たり前じゃありませんか。アリアドネ・ベルネットを知らない帝国人はいませんよ。二十年前に刺殺された皇族と貴族殺しの大罪人、稀代の悪女じゃありませんか」
「じゃ、あ……私は……」
「本当に頭がおかしくなったんですか? 貴女はフィルベルン公爵家の長女、アリアドネ・フィルベルン様ですよ。一体何なんですかまったく。人を呼ぶのに水瓶を割るなんて。……はぁ、これ私が片付けるのぉ?」
ブツクサと文句を言っているメイドの声が遠くに聞こえる。
彼女の言っていることが事実だとするなら、私はとっくに死んでいて悪女として語り継がれているということ。
そうか、あの背中の衝撃と胸の痛みはやはり刺されていたのだな。
やっと謎がとけた。私はあの場で殺されたのだな。
ヘリング侯爵の手の者か、殺された者の怨恨か、はたまた貴族派の仕業か。
だが、今更犯人捜しをしたところで無意味だ。すでに私が死んで二十年も経っているそうだから。
死後二十年も経っていることが事実かどうかは分からないが、それでも確かなことはある。
体の痛みを感じるということはこれが夢ではなく現実であるということ。
そして私がアリアドネ・フィルベルン公爵令嬢の体に入ってしまったということだ。