狩猟大会④
黒い髪に切れ長の涼やかな目、二十年前よりも年齢を重ねて大人っぽくなっているが見間違えるはずがない。
「クロード……」
そう呟いた瞬間、彼は顔を顰めた。
しまったと瞬間的に思った。今の私はアリアドネ・フィルベルン。彼の姉ではない。
馴れ馴れしく名前を呼ぶなど失礼極まりないと気付いて慌てて口を開く。
「リーンフェルト侯爵」
「貴女はフィルベルン公爵家のアリ、アドネ嬢ですよね? 見つかって良かったです」
「そうです。……馬が興奮して走り出してしまったのですが、もしかして助けに来て下さったのでしょうか?」
「ええ。皇帝陛下から捜索するようにと命じられて探していたのです」
「陛下が……。ありがとうございます」
予想通りに事が運んだことに笑みが零れそうになりマズいと思って隠すように馬上から頭を下げると、クロードは表情を険しくさせた。
「供の者も居たはずなのに何をしていたのか……。何はともあれ怪我もなく無事で良かった」
「あの……ちょうど宝物探しの最中で護衛は居なかったもので……」
「それでも護衛は付けるべきです。あの家は何を考えているのか……」
フィルベルン公爵家のアリアドネへの対応の悪さをクロードも知っているようだ。
言葉に非常に棘がある。
「両親も何かの考えがあってのことでしょう。ところで大変申し訳ないのですが、広場まで連れて行っていただけると助かるのですが」
「当たり前です。一人で帰すなどできるはずがありません。見知らぬ森の中に入って怖かったことでしょう」
「怖かったですが、この子がいてくれたので落ち着けました」
そう言って私は乗っている馬を撫でた。
クロードは撫でている私を見て不思議そうな表情を浮かべている。
憐れんでいる様子でもない表情にどうして? と首を傾げる。
「アリアドネ嬢の進んできた方向に狼が居たのですが、見てないのですか?」
「狼? ああ……茂みから出てきたときにはすでに弱った状態でしたので、怖いというよりも驚いたという気持ちの方があったので、それほどではありませんでした」
「……ああ、そうでしたか。確かに倒れていましたね。途中で毒草でも食べていたのかもしれません。弱った状態で良かったです」
ええ、本当にと言いながら、私は確か二個投げてたことを思い出してどうするべきか考えていた。
一個食べていたとして、もう一個残っている。
だが、それを見つけたとしてもクロードの姉のアリアドネがこの少女の体に入ったと彼が果たして考えるか。
まあ、普通は考えないだろう。
精々憧れて勉強したのかもしれないくらいに考えるだけ。
いずれは明かすことも考えているが、少なくとも今ではない。
ならば余計なことは言わないでおいた方が賢明だ。
「ところで……」
何かを私に問いかけようとしていたクロードだったが、ふいに後ろを振り向くと彼が来た方向から馬に乗った男性が現れた。
目を隠すほどの長い前髪でメガネをかけた二十代前半くらいの若い男性。
「遅いぞ、ビル」
「申し訳ありません。途中で別の狼に遭遇してしまいまして……。あ、令嬢を見つけたのですね」
クロードが『ビル』と呼ぶこの青年。
風に揺れる彼の前髪から除く父親譲りの目の鋭さや会話から察するに彼がエリックで間違いないだろう。
クロードが来ることは予想していたが、まさかエリックにまで会えるとは思ってもいなかった。
「無事にな。だが、君がし損じた狼と遭遇したらしい。幸い弱った状態で現れてすぐに倒れたから何もなかったそうだが」
「え! それは申し訳ありません!」
「いえ、驚きましたけれど大丈夫です。怪我もありませんし、ビル卿のせいでもありませんもの」
「ビル、卿」
小声ではあったが、卿と呼ばれたことに彼は不快感を示した。
今の立場であればおかしくはないが、本来であれば彼がフィルベルン公爵。
自分から跡継ぎの座を奪った男の娘から卿と言われて引っかかりを覚えるのは、少なからず憎しみの感情を抱いている証拠ではないか。
爵位を取り戻そうとしている可能性が高くなった。
「タリス男爵とお呼びするべきでした。無知で申し訳ありません」
「あ、いえ……。名前をご存知とは思わず驚いてしまっただけです」
「お名前は存じております」
真っ直ぐにビル、いやエリックを見つめる。
その視線に耐えられなかったのか、彼は視線をクロードに向けた。
「自分がアリアドネ様を広場までお連れします」
「ああ、頼んだ。俺は狼の処理をしておこう」
「よろしくお願い致します」
馬上から頭を下げて、エリックが先導する形で私達はその場から離れる。
歩き出したところで後ろを向くとクロードは狼が倒れている場所に行こうとしているところであった。
(毒の知識があるとバレるでしょうけれど、それはそれで好都合だわ)
毒の専門家だったベルネット伯爵家はもうおらず、毒にもっとも詳しいのはクロードしかいない。
他にも勿論いるだろうが彼の知識には及ばないだろう。ならば、同程度かそれ以上の知識がある者がいれば、きっと皇帝は放っておかないと思う。
地位を確立させるなら、そこに私が入るのが一番手っ取り早い。
などと考えているとエリックから声をかけられた。
「いきなり馬が興奮しだしたのですか?」
「ええ。そうなのです。妹の護衛が降りるために私に手を伸ばしてきたときに急に暴れ出してしまって」
「護衛が……。ちなみに、その護衛は馬に触っていましたか?」
「……確か、右手を馬の腰かお尻あたりに置いていたような? 定かではないのですが……」
「なるほど……」
前を向いたエリックはボソリと「クズめ」と呟いたのを私は聞き逃さなかった。
私も心の底からそう思う。
そして、今ので彼の中で私は被害者だということが認識された。
「こういった事故は度々あるのですか?」
「いえ、馬に乗ったのは今日が初めてですので。私が下手で馬を興奮させてしまったのかもしれません」
「馬は優しい性格の動物ですので、それで興奮することはまずありません。ですのでアリアドネ様のせいでは決してありませんよ。それに初めてとは思えないくらいにお上手だと思います」
「そう仰っていただけて嬉しいです。上手に乗れたことを両親も褒めてくださるかしら? と思いましたけれど、このような騒ぎを起こしてしまったら怒られてしまいますね……」
「……褒められることは他にもあるでしょう」
エリックの問いに私は下を向き力なく首を振った。
「両親は滅多なことでは私を褒めてくださらないのです。きっと長女として期待してくださっているから求めるものが高いのでしょう。ですから、私はその両親の期待に応えたいのですが、中々上手く行かないものですね。あ、申し訳ありません。このような愚痴をお聞かせしてしまって……」
「いいえ。ここには俺とアリアドネ様しかおりませんから。ここだけの秘密にしておきますよ」
「ありがとうございます」
嬉しそうに見えるようにニコリと微笑みを浮かべる。
すると、同じようにエリックも微笑みを返してくれた。
「アリアドネ様は真面目で努力家なのですね。怠け者に見習ってほしいくらいです」
「私の努力など他の方に遠く及びません。もっと勉強をして両親に認めてもらって家族の一員になることが目標なので、まだまだです」
「認めてもらう必要などないと思いますけれどね」
「え?」
「ああ、独り言です。……そろそろ広場に出ますね。フィルベルン公爵家のテントまでお送りしますよ」
分かりやすく話を逸らされてしまったが、今の会話でエリックがフィルベルン公爵に対して良い感情を抱いていないことが分かった。
爵位を奪い返そうという気持ちがあるかまでは分からないが、公爵がクズであるという確証を持たせる種を蒔くのは成功したのではないだろうか。
最初はこのくらいで十分だ。思っていた以上に収穫はあった。
「もうここで大丈夫です。あとは一人で」
「いえ、テントまでお送りします。……それにしても四大名家の令嬢が森に迷いこんだというのに広場は静かですね」
「私のために騒ぎが大きくなるのを止めたのではないでしょうか?」
と、言うとエリックはそんなわけがあるか、とでもいうように軽く鼻で笑った。
まあ、私もそう思う。
話をしながら馬を歩かせて、私達はフィルベルン公爵家のテントの前までやってくる。
テントの前には騎士が二名しかおらず、彼らは馬から降りた私を見て眉を顰めた。
「セレネ様の馬に乗ってどこに行っていたのですか?」
「護衛から我が儘を言って無理に馬に乗ってどこかへ行ったと報告を受けていますよ」
事実を知っているエリックが文句を言おうとしていたが、私は手で制した。
納得いっていないように私を見てきたが、ここで彼が目立つのは良くない。
「お母様は中にいらっしゃる?」
「ええ。泣いてしまわれたセレネ様を慰めていらっしゃいます」
「では、セレネに馬を返しに来たと伝えて」
「お姉様!」
話が聞こえていたのか、テントの中からセレネが泣きべそをかきながら飛び出してきて私に抱きついてくる。
衝撃でこけそうになるが、馬から降りていたエリックが背中を支えてくれて事なきを得た。
「ごめんなさい! セレネが無理にお願いしたから!」
「良く見てセレネ。私は無事よ。怪我もしていないわ」
「ほ、本当に?」
「ええ」
一方後ろに下がったセレネは上から下まで私をジッと見て怪我がないことを確認すると更に泣いてしまった。
なぜだ。
「令嬢が人前で大きな声を上げて泣くものではないわ。いつもの貴女らしくないじゃないの」
「だって……。お母様も護衛もおかしいんだもん」
「セレネ」
咄嗟に私はセレネの言葉を遮った。
この子はフィルベルン公爵家が普通と違うことに気づき始めている。
今、それを口にすれば都合が悪くなった両親からそっぽを向かれる。溺愛されていた日常が消えることになってしまう。
最初は嫌いなタイプだと思っていたが、この子は姉を心配して自分のせいだと反省する心を持っていた。
両親の教育のせいでこうなっただけなのだ。ある意味彼女も被害者と言える。
中身が私になったアリアドネならともかく、溺愛されて育ったセレネがそのような対応をされて耐えられるわけがない。
気付いて反省して直そうと思うのであれば、力になってやりたい。そう思った。
だから、私は彼女を抱きしめて耳元で囁く。
「家がおかしいことを口にしては絶対にだめ。いつものように私に接しなさい」
「で、でも」
「私と同じ対応になる可能性があるわ。貴女のためなの。良い子だから言うことを聞いてちょうだい」
「……わかった」
「良い子ね」
納得はしていなさそうなセレネの頭を撫でて私は体を離した。
もう彼女は涙を流しておらず、気丈に振る舞おうとしている。
落ち着いたのを確認すると、私は付き添ってくれたエリックに向き直った。
「保護して下さりありがとうございました。いずれこのご恩は必ず……」
「いえ、これは事故ですから。アリアドネ様に怪我がなくて本当に良かったです。それでは」
礼をしてエリックは立ち去っていった。
姿が見えなくなった辺りで、テントからフィルベルン公爵夫人が怒りの形相で出てきて、それはもう好き勝手に私を罵り始める。
私は聞き流していたが、セレネは私の袖をギュッと握って公爵夫人から目を背けていた。




