6.黙認します
少し長いかもしれません
私は一度家に戻ることにした。表を歩くのに血塗れのままでは周りの迷惑だろうし、あの後鶯に、
「お前その怪我大丈夫?」
と言われて、今まで意識外にいた痛みが更に痛みを伴って激痛として戻ってきたため、一度家でちゃんと傷口を確認したかった。傷口が開いた上に、更に自分の爪で抉った感がある。
家の中に入り、引き出しからいつものパーカーと服を持って、洗面所の方に向かう。血溜まりに浸したんじゃないかってくらい血に濡れた看守服を脱ぐ。ずっとこれを着てたせいで麻痺していたが、血の匂いも相当濃い。この異世界境界地でこんなに血の匂いをつけて走り回って、変な魔物に目をつけられなかったのは奇跡か、それとも獲物として狙うには元気すぎたのか。
「……あーあー……ぃって……」
ぺり、と肌に貼り付いていた服を剥がすと、裂かれた肌と傷口が見える。ほんの薄くだが、猫の爪で引っ掻いたような跡がある。私の爪の跡だ。私の爪は、猫の爪のように先の方が湾曲しており、鉤爪のようになっている。服の上からだったのが幸いか、ほんの少し赤くなってる程度で済んだようだ。痛みが増したことに変わりはないが。開いた手のひらで傷口を押さえつけて、魔法を使う。
「キュア」
これは、ある世界で使われている回復魔法の呪文らしい。使い慣れてるから使ってるけど、別に『治れ』でもいい。何なら言葉にする必要もそんなに無い。ここは何でもありな世界だから、一つに限られていること自体あんまり無い。手のひらから淡く光が漏れ始め、傷口を覆って治していくのと同時に、痛みも和らいでいく。それを確認し小さく息を吐く。ふと、見上げた正面の鏡に映った自分と目が合う。濃いピンクの目、短い薄茶色の髪。以前の自分では想像しなかった姿。
「───」
そっと手を伸ばして、指先で触れた鏡は当然冷たい。吸い込んだ空気は当然気管を通って肺に入るから、息苦しくなんてない。目に光は通るから、目の前が暗いわけがない。あっちにいた時もここにいる時も、何ら変わりないのに、鏡に映る自分の姿は違う。黒髪の、長い髪を後ろで結わえたあの子は何処にも。
「……違う」
はぁ、息を吐いて首を振る。
違う。私は犬猫だ。
塞がった傷口を確認し、濡らしたタオルで軽く肌を拭いて服を着る。首を通して腕を通し、忘れないように黄色の宝石のネックレスを首に掛けて、パーカーの帽子を深く被ってマスクをする。よし、これでいい。やっぱりこの服が一番安心する。血塗れの看守服は後で洗うように風呂桶にお湯を貯めて放り込んで、ほんの少し薄暗い玄関の扉を潜って鍵をかけ、再び監獄区へと向かった。
監獄区に入り、真っ直ぐ縋さんの部屋へ向かい、扉をノックする。「どうぞ」という言葉に中に入れば、椅子にちょこんと座って自分のピンクの鎌を抱き締めている、蛍朱の姿があった。縋さんが外出許可を出したのだから、檻の中に入れておく必要はないと判断したのだろう。かと言って、一人ポツンと外に出しておくのは危険だと思い、縋さんが見ててくれたのだろうと予測する。縋さん含む他の看守も、蛍朱を信用したわけじゃないだろうし。そうするよね、普通。そんなことを考えていると、縋さんが僅かに顔を上げた。
「来たな。先程も言った通り、矢追蛍朱には外出許可を出す。早く連れて行け」
私と蛍朱を一瞥し、すぐに手元の資料に目を落とした。忙しいのだろう。縋さんが見守っている囚人は蛍朱だけではない。しかし、まぁ……縋さんのその反応に慣れていない蛍朱は、何とも申し訳無さそうに眉を下げて私を見た。先程より落ち着いた様子の蛍朱に、少し安堵する。連れ出しても大丈夫そうだ。
「蛍朱、これ着けて」
蛍朱の前まで進んで、青色の宝石のネックレスを渡す。よく分かっていないような顔をしつつも、蛍朱も自分の首にネックレスを掛けた。すんなり着けてくれて良かった。良かったけど、も少し警戒してくれていいんだよ……?
「行こう」
手を差し伸べれば、戸惑いつつも手を伸ばしてくれた。ゆっくりと蛍朱が立ち上がる。
「じゃ……失礼しましたー」
手を握り返して、蛍朱の手を引いて部屋の外に出た。縋さんは一切こちらを見ることは無かったが、忙しい時はいつもこんな感じなので気にすることはない。
私にとっては既に見慣れた監獄区の景色だが、やはり外から来たらしい蛍朱の目には珍しく映るらしい。手は繋いだまま、キョロキョロと周囲を見回している。異世界境界地に来て、自分のことで必死で、こんなにゆっくり周囲を見ることなんて無かっただろうし、折角外に出たのだから、こういう時くらいは蛍朱自身の興味の引かれるもので楽しんでほしいと思う……けど、監獄区から出たら、そうも言ってられないのかな。今の状況じゃそんなこと言えないのかもしれない。早く解決しなきゃね。
そのまま歩いていけば、漸く出口の魔法陣に着いた。何か……蛍朱が色々見られるようにゆっくり歩いたせいか、観光案内してる気分だった。友達連れて地元案内するって、こんな感じなんだろうか。知らないけど。
「ここから外に出るよ。その、離れないで……て、くれると有り難いです……」
「…………はい」
蛍朱の返事に頷き、魔法陣の上に乗る。
「広場へ」
そう呟けば、監獄区へ来た時と同じようにほんのりと魔法陣が発光し───瞬間、景色は四つの区域の線の交わる、中央広場へと変わる。一瞬、驚いたように周囲を見回した蛍朱だが、すぐに顔を俯かせ、私の手を握っている力を強めた……外が怖いのだろうか。そりゃまぁ、見知らぬ土地だろうし……でもそれ以上に、あのもう一人の蛍朱の存在が怖いのだろう。『待ってる』なんて言われたら、そりゃ怖いに決まってる。
「……ぁの、何かあったら言、ってね」
恐る恐るといった様子で、私の顔を見上げると迷うように口を開閉させる。聞いていいのか分からない、って感じだな。何か不安に思うことがあるなら、言ってほしい。隠されてると、もしかしたら動きにくくなるかもしれないし。どうしたの、と首を傾げてやんわりと続きを促す。左右に揺れていた瞳が決心したように私の目を捉え、そっと口を開く。
「……あの、誰ですか」
「………………ん?」
何を言われたのか、瞬時に理解出来なかった。顔を上げ、左右後ろ前方を素早く見た。その動きは完全に挙動不審だったが、そんなことはいい。え、まって、誰か居る?
「あっ、あのっ…………」
蛍朱がおどおどと私を指差す。
「……ん? あえっ、あ、え。あっ、私?」
私も自分を指差す。蛍朱がこくこくと頷いた。
「……名前、聞いてないの……?」
「は、はい」
「名前も知らない人に着いてきたの……?」
「はい……」
…………蛍朱、もう少し警戒心持ってくれていいんだよ?
素の蛍朱ってこんな感じなのかな。あんまりさせるつもり無いけど、一人歩きさせるの怖くなってきた。まぁでも確かに、どの場面でも名乗ってなかったな。鶯が檻の中で自分の名前を呼んだことはあっただろうけど、聞こえてなかったんだな。うん、私が悪かった。
「ぁー……犬猫、です……よろしく」
軽く息を吸って自分を指差してそう名乗った。けんびょう、と繰り返し、同じように蛍朱が自分自身を指差す。
「蛍朱です」
ほんの少し呆気にとられたが、頷いてよろしくねともう一度言った。
さて……どうしよう。外に連れ出すことに成功したものの、この後どう行動するかを考えていなかった。情報区……は、今行っても大丈夫だろうか。さっとポケットからスマホを取り出し、時間を確認する。お昼過ぎて……少しくらいだ。あんまり深くまで探さなければ少しは探索出来るかな。もう一人の蛍朱と会った場所にもう一度行ってみるか……? そこなら、何か見つかりそうだ。
「……蛍朱、もう一度情報区に行」
「け〜んびょっ!」
「うわっひょいッ」
突然、背後から肩を叩かれ、驚いて出た変な声と同時に後ろを振り返った。ほぼ黒に近い緑の髪、明るい緑色の目。燕尾服を身に纏い、ハット帽を被り、その片手にはステッキが握られている。道化師のような二人が立っていた。にこにこと愛想のいい笑顔を浮かべている。
「アモ、と、ネネか……」
「はい♪」「はい♪」
同時に返事をし、二人共自分の胸に手を添えて軽く頭を下げる。ほとんど同じ姿の二人。違いを挙げるとすれば、ネネの方が背が高く、アモの方が背が低い。髪はどちらも短髪ではあるものの、ネネの方は真っ直ぐな髪で、アモの方は所々髪が跳ねている。
「こんな所でお会いするなんて! 何日振りでしょう?」
「つい二日前に会ったと思う……」
所作、口調、態度。どれをとっても礼儀正しく愛想のいい、紳士のような人達に見える。が、
「おや、そうでしたね。お茶会の時でしたっけ」
「交流区一角のカフェで建物が半壊するまで暴れた時だよ」
大変な問題児である。
「おや失敬。しかしあれはお客がいけないのですよ。ねぇネネ」
「はいアモ。手品をお見せしたところ、お気に召さなかったのかテーブルを蹴飛ばすものでしたから、つい」
「でも、お店壊す必要、無かったよね」
「それは我々の匙加減ですから? ねぇ?」
「ふふふ。そうですよねぇ?」
「我々は道化師であり演者でありエンターテイナーですから? 楽しい方を取りますよねぇ?」
二人同時に顔を見合わせて、肩を竦めて楽しげに頬に笑みを深める。二人の顔を見、深く息を吸ってから盛大にため息を吐いた。全く、この二人は……と、服の裾を蛍朱に引かれた。蛍朱の方を見れば、困惑したように眉を下げ、ちらちらと私と、アモとネネの二人を見る。
「あの二人うっ」
「おや? おやおやぁ? 我々の知らない方ですねぇ」
二人のことを説明しようとした私を押し退けて、アモとネネの二人が蛍朱の前へ出る。ビクリと蛍朱の肩が揺れ、半歩後ろに下がったが、それを気に留める様子はない。息を合わせたように二人同時に、それこそ紳士的に、帽子を脱いで胸元に添えて軽く目を伏せて、恭しく頭を下げる。
「お初にお目にかかります。私、道化師のアモと申します。こっちは」
「ネネで御座います。どうぞお見知りおきを、お嬢さん」
「…………」
ぽかんと呆気にとられたように、真ん丸に開かれた目をゆっくりと私に向ける蛍朱。これ、どうしたらいいの? って顔で見てくる。すごく分かるよその気持ち。私もどうしたらいいか分からないから。私も初めてやられた時は動揺して思いっきり自分も頭下げたもん。それしか記憶にないもん。
私から良い助言が貰えないと分かったのか、暫く迷った末、ぎこちなく頭を下げ、
「……よろしくお願い、します」
と呟いた。
「……はい♪」「……はい♪」
くすりと笑って、アモとネネが背を正して帽子を被った。
「………ねぇ、アモネネ」
「あぁ、お嬢さん。お名前を教えていただいても?」
「……矢追、蛍朱です」
「蛍朱さん! 素敵なお名前ですねぇ。是非そう呼ばせて下さい」
「我々のことはアモとネネで単体で呼んでいただいても構いませんし、アモネネと呼んでいただいてもいいですよ」
「分かり、ました……?」
「…………」
無視された。面白いくらいに無視された。別にいいけどさ……
「ここ、異世界境界地は初めてですか?」
「…………多分……?」
「おや、そうなのですね! では我らがこの異世界境界地を案内致しましょう!」
「……ん?」
「妙案ですねアモ。そう致しましょう!」
「ちょッま待って」
蛍朱の背を押して歩き出そうとしている道化師二人の腕を慌てて掴む。なな何を勝手に連れ出そうとしてるんだこの二人は。
「待って待って、どっどこ行くの」
「何ですか犬猫。何処って、異世界境界地案内に決まってるではないですか」
「つ、連れてって良いなんて言ってない」
「あなたも一緒に着いてくればいいじゃありませんか」
何を言ってるんだみたいな顔をして首を傾げる道化師二人。何言ってるんだってこっちが聞きたいんだけど……
「異世界境界地に居るのなら、異世界境界地に慣れておいて悪いことはないでしょう? それともそれ以上の急用がありますか?」
「おやおやネネさん。もしかしたらただの犬猫の意地悪かもしれませんよ?」
「おやふふふ、嫉妬ですか?」
「嫉妬ですか犬猫?」
「もっと我々に構って欲しいのですか犬猫?」
「犬猫は可愛らしいですねぇふふふ」
「ああああもういいもういいもん勝手にしろもういいや知らない私知らないシラナイ」
早口にそう言ってパーカーのフードを鷲掴んで、揶揄う二人にくるりと背を向けて蹲る。アモとネネが微笑ましいとばかりにくすりと笑って、私の背中を擦る。
「拗ねないで下さい犬猫、悪かったですから」
「悪いって思ってないでしょ。今もすっごく楽しいんでしょ知ってるもん」
「はい♪」
「とっても楽しいです♪」
「いやー本当に犬猫は可愛いですねぇ…………そんな白い目で見ないで下さい♪」
……はーーーーーー…………もういいや。うん、もういい。アモとネネの言うことにも一理ある。もう一人の蛍朱を探すにしろ、襲われた時の対処法や手段を増やすにしろ、異世界境界地という場所に慣れなきゃ、大事なところで足掬われるかもしれないし。それに、あんまり駆け足だと蛍朱も疲れちゃうもんね。一日二日くらいは良いでしょ。怒られたらアモネネも道連れにしよう。それくらいの責任は押し付けさせてもらおう。
すっ、と立ち上がり、二人と一人の方を振り返る。
「……で、どこ、行くの」
「そうですねぇ、蛍朱さん、人の多い所は怖いですか?」
「えっ、と…………あんまり、得意では……」
「ふむ。では夢幻区か和様区か、情報区ですかね、ネネ」
「そうなりますねぇ。情報区は見て回って楽しいものではないと思いますので、和様区か夢幻区。今の時間帯で言えば、夢幻区の方が静かですよ、アモ」
「しかし、観光するのなら和様区がおすすめですよ犬猫」
「んえっ、あっ。うん…………何で……?」
「美味しいものが売ってるので」
「……あ、そう……じゃあ、和様区行こう」
「決まりですね♪」
「では早速向かいましょう♪」
さぁ、と、再び蛍朱の背中を押して和様区の方へと歩き出す。その後ろで、そっとスマホの画面を見る。カレンダーの、一週間後の日付にチェックが入っているのを確認する。そっとアモネネの二人の背中を見、小さく首を傾げた。
「……んー……まぁ、いっか」
軽く頭を掻いた。スマホの画面を閉じてポケットに放り込んで、未だおどおどしている蛍朱の後ろに着いて歩く。こちらを振り返った蛍朱は、押しの強い初対面の二人に連行されるのが怖いのか、戸惑いつつも縋るように、手を伸ばしてまた私の手を握った。それに返すように私もしっかりと手を握る。大丈夫だよ、別に取って食われるわけじゃない。これでもこの二人はいい人だから。これでも。
「……あの、もう一つ聞いても、いいですか……?」
「ん? なに……?」
歩き出してすぐに、真っ直ぐと私の目を覗いて、蛍朱が口を開く。何かあったのだろうか。
「何で、助けてくれるんですか……?」
その言葉に、口を噤む。思わず足を止め、じっと、その目を見返した。が、そっと目を逸らす。
「……興味持ったからだよ」
視線の合わせられない横目で蛍朱の顔を見る。何を考えているのか分からないような無表情で、私の顔を見つめている。と、暫しの沈黙の後、小さく「…………ふぅん……」と呟いて首を傾げた。
「……ほら、行こ」
蛍朱から目を逸らし、こちらを振り返って待っているアモとネネの方へ、少し早足に蛍朱の手を引いて進んだ。
『ある世界』というのは私の自創作内の世界観のつもりで書いてます。