4.どうしても欲しい
「どう思うよ犬猫」
「……んー…………」
蛍朱の檻の前で鶯と二人、顔を合わせて唸る。
「……殺さなきゃって、私のことだったのかな」
「あの反応見る限り、そーじゃねぇの?」
殺さなきゃって、思ったんです。蛍朱がそう言った時、蛍朱の意思の中に違うものが生まれたのが見えた。ただ、それをしっかりと読み取る前に、蛍朱が自分の鎌に手を掛けたのを見た鶯が、蛍朱が攻撃すると判断し慌てて私の腕を掴み檻の外へ放り出し、自分も出た後に鍵をかけた。つまり、しっかりと確認することが出来なかった。何の感情だったんだろう。何を考えたんだろう。何を思い浮かべたんだろう。あの真っ白でのっぺりとした思考の色を変えるような、何か。
「……ねぇ、もう一度───」
「駄目だ」
お話したいって私が続ける前に、鶯が私を指差してぴしゃりと言う。
「扉開けた瞬間に襲われたらどうする! 一応殺人犯なんだろアイツは。それにあんな反応見せたのに、今は入る前と同じく何の物音もしないのが却って不気味だしってかアイツ怖くないのかお前! 何考えてんのか全く読めないアイツが怖くないのか! お前!」
「いや別に……」
私は蛍朱の思考覗き見出来たから、本当に何も考えてないの知ってるし……
「怖いだろ。な? な?」
「ぉ、押し付けやめて下さィ……てか、鶯怖いの?」
「蛍朱は怖くねぇよ。どっちかと言うとお前が変なとこに首突っ込んで一人で自滅しそうで怖いの俺は」
鶯の言葉に、思わず口を閉じた。
「…………って言っとけばお前は黙るよな」
「最後のその言葉イラナイ」
自分の獣耳をそっと後ろへ伏せる。少しでもコイツ優しいなとか思ったのが馬鹿らしく思えた。私のその様子を見て、私が思ったことを読み取ったのかニヤニヤと笑みを浮かべている。じっとりと睨み返すと、「冗談だよ」と両手を頭の後ろに組んで楽しげに笑った。
「でも心配なのは本当。だってお前さ、前までこんなに人に興味持つ奴じゃなかっただろ」
蛍朱の檻の扉に背を預けてじっと私の目を覗く。
「何でこんなに蛍朱に執着すんのさ」
……少しの沈黙の後、ゆっくりと口を開く。
「………………から」
「ん? なんて?」
そう聞き返す鶯から目を逸らす。
「興味持ったから」
「大して質問の答えになっていないと思うのですが犬猫さん」
「いぃでしょ嘘じゃないもん……興味持ったから、だから、もう一度お話させて」
「駄目」
何で、そう耳を伏せて聞き返す私に面倒くさそうにひらひらと片手を振る。
「危ないからだ〜め。さっきの言動も意味分かんなかったし、檻に閉じ込めてこれ以上刺激しないで縋さんから次の指示を待ってた方が安全なの。脱獄七回も繰り返してりゃ、近いうちに何らかの処理受けんだろ」
「でも」
「でもじゃない。もう一度話したきゃそれなりに納得のいく理由を持ってこい、以上」
いってらっしゃ~いとでも言うように片手をひらひらと振り、これ以上は聞く耳を持たないとばかりに私に背を向けた。暫く、何か言い返せないかと色々考えてはみたものの、結局何も言えず、そのまま魔法陣の方へ戻り監獄区から外に出た。
中央広場の魔法陣の上から、上空の監獄区を見上げた。蛍朱と話すには、鶯と縋さんを説得できるような理由を探さなきゃならないらしい。そんなもの簡単に見つかるわけないと分かってるくせに……確かに、閉じ込めてた方が安全なのかもしれないけど。蛍朱の反応を見る限り、何か引っ掛かるものが無ければずっとあの人形みたいな状態なんだろうな。だから刺激しないでって言うのも、分かるけどさ。
「……んー」
ぐ、と背伸びをして小さく欠伸を漏らす。とりあえず、一度帰っていつものパーカーに着替えてこよう。看守服は着慣れないせいか、ちょっと窮屈に感じた。
中央広場を離れ、情報区の方へと足を向ける。勿論、来た時と同じように人混みを避け、どうせ着替えるから汚れても問題はないだろうと、さっさと人気のない暗い路地裏の方へ入っていく。やっぱり、人の気配のない、ひんやりとしていて少し怖いような空気が私には丁度いい。人が大勢いる方が私にとっては怖いしね。色んな人の思考が頭に流れ込んでくる通りより、誰の思考も流れてこない静かなここの方が───
───誰、の?
路地裏を暫く進んていた時だった。辺りは全くといっていい程人の気配なんて無くて、街の喧騒なんてものは遠く微かに聞こえるような場所。昼間なのに僅かに暗いこの路地裏で、“誰か”の思考が頭に流れてきた。カランと、小さな音。無意識に、ゆっくりとその音と思考の元へ目を向けた。夜の闇のような深い黒い青の長い髪、頭から生える触覚。細められた蛍の光のような綺麗な眼が、私の上方のビルから私を見下ろしていた。
「けい、す?」
にやりと口の端を吊り上げて不気味な笑みを浮かべた。違、う。蛍朱じゃない。そいつがこちらに飛び降りて着地するまで、私は呆気にとられて動けずにいた。そいつの手に握られていた……鉤爪と言えばいいのだろうか。長い緑の長い刃が四つ、爪のように並べてある武器が冷たく光を反射する。
「よぉ」
監獄区にいる蛍朱より、いくらか低い声で私に声を掛けてきた。
「お前のその服、看守だろ? 前に見たぜ。っひひ、丁度いいや、あっちの蛍朱は元気にやってるかァ?」
その言葉にはっとして、漸く体が動き、飛び退いて目の前のそいつから距離を取り、すぐに動けるように構えた。鈍くて危機感のない奴だと認識されたのか、何をするでもなく、そいつは余裕の表情を浮かべて鉤爪の刃同士を打ち合わせて楽しげに笑っている。
「いやー、蛍朱を捕まえて檻にぶち込んでくれたのは感謝するよ。予想外だったのはそのまま消滅してくれるわけじゃ無かったってェってこった。だから、仕方ねぇから何度か脱獄? の手助けして外に出してやってんだ」
そいつを観察する。口調は全く違うように思えるが、容姿は完全に、監獄区に居るはずの矢追蛍朱そのものだった。容姿で違うのは、通常目の白い部分が黒で染まっていること、顔の横、左頬にヒビが入ったように黒い線が引かれてあること。線が、というよりは、実際にヒビ割れているように思える。というのも、その黒いヒビから時折、黒い光が漏れているように見えるからだ。しかし、そいつ自体がそれを気にする様子は見えない。行動するのに支障はないということだろうか。
「んでも、私としては早めに処分しておきてぇからさァ、次に脱獄? した時にでも、私自らアイツのとこに出向いて仕留めておきたいんだよな」
思考は蛍朱のそれに似ているようで違う。監獄区の蛍朱からは見ることは出来なかった、色濃く見える殺意、嫉妬。苛立ち。楽しげに笑ってはいるが、純粋な楽ではない狂気の色。同じ姿を持つはずなのに全く違う。双子とか、そういった類の者とは違う種類の、得体の知れない、不気味な奴。
「んで」
打ち合わせて鳴らしていた鉤爪を持ち上げ、自身の顔の前へ翳す。
「お前は邪魔するタイプの奴か?」
不気味な笑みをそのままに、鋭く光る刃の隙間からその蛍の眼に敵意を込めて私を映した。息を呑む。
「ッ、縋さん、鶯……!」
そいつから目を逸らし、自分のポケットからスマホを取り出した。両手に持ち目の前に構え、再び前を見た時、既に、そいつはほんの数センチ近くまでに迫って来ていた。引き裂かれたような笑みを湛えて。咄嗟に後ろに引けば、そいつの後ろに引いてあった右手が振るわれ、鉤爪と共に私の額の前を引き裂いた。当たりはしなかったが、強引に避けたせいでそのままバランスを崩す。その体勢を整え直す前に、逆の手の左手の鉤爪が容赦なくスマホを持っていた両腕を引き裂いた。
「あぃ"ッ、っう……!」
手から離れたスマホは宙に投げ出され、ビルの壁にぶつかって大きな音を立てて地面に落ちた。
「仲間呼ぼうだなんてさせねぇよぉ? 残念だったなァ、マヌケ!」
もう一度振るわれた鉤爪を後ろに飛んで回避する。そのまま、もう一度距離を取るために更に後ろに飛ぶ。腕を交差させるようにして、手のひらで傷口を押さえる。深くはないが浅くもない。すぐに止血出来る怪我ではないと、現在進行形で腕を伝って落ちる血がそう主張している。剣、持てるか、これ。腕がじくじくと痛む。まともに振るえるかなんて分からないが、スマホは飛ばされたし、実質連絡手段が無いのだから、逃げるか立ち向かうしかなくなったな。そんなことを考えて、二度縦に振るわれた鉤爪を体を捻って避ける。三度目、下方から上方への縦の軌道で振るわれた鉤爪が、途中で方向を変えて丁度私の胴を真横に引き裂いた。
「っつ"!」
咄嗟に後ろへ身を引いて避けたが遅く、鉤爪が右の脇腹を引き裂いた。浅くはない。ぐらりと体勢が崩れ、近くの壁に体を打ち付けそのまま倒れた。
「んだよ、その程度か。つまんね」
大きく溜め息を吐いて、気怠そうに鉤爪についた血を振って落とすそいつを視界に入れ、腕を押さえていた片手を、先程引き裂かれた脇腹へ押し当てる。
「私の邪魔する程度の力も無さそうだな、お前。まぁお前がもし、今私を殺せてたとしても無駄だったけどなぁ」
冷たい靴音を響かせ、私の顔を覗き込むようにして屈む。
「監獄区の檻に期待してみたが無駄みたいだし。となったら私自らの手で消すしかないよなァ?」
……どういう意味だ。そう聞く前に、そいつが私の胸倉を掴んでそのままギリギリと背後の壁に私を押し付ける。痛い。
「私はアイツにしか殺せない。そんでその前に私はアイツを殺す。『矢追蛍朱』は私だ、紛い物はこの手で消してやる」
先程よりも深く、強く、殺意を込めてそう言った。
「ここまで教えてやったんだ。少しは私に使われてくれるよなぁ? お前にアイツへ言伝を頼むよォ。今言ったことと、私はお前が自ら私の元に来ることを待ってると。そして」
ぐ、と、最早狂気の中でさえも笑っていないその顔が、私の鼻先に寄せられる。
「矢追蛍朱は私だ。だから安心して、死ねと」
「っうッ!」
投げ飛ばすように手を放され、強く地面に体を打ち付けた。咳き込む私を放置して、ひらりと片手を振ってそいつは路地裏の奥へと消えていった。
足音も気配も、完全に消えた。静かに、大きく深呼吸をする。そして、
「っと」
少し勢いをつけて起き上がる。先程までの流血が嘘だったかのように止まり、浅くではあるが傷口が塞がっている。あいつの姿が隠れた辺りから、少しずつ回復魔法を使ったお陰だ。動くのに支障がないか確認し、未だ地面に転がるスマホを手に取り、画面をタップして『録画』を停止した。今撮影したばかりの動画を確認する。最初だけであまり映りが良いとは言えないが、しっかりとあいつ……先程まで相対していた矢追蛍朱のもう一人の姿がしっかりと映っているのを見て、思わずニヤけてしまった。
上手くいった
そう、鶯と縋さんを説得する理由が手に入ったのだ。正直、あいつの撮影に成功するかどうかは賭けだった。それでも仲間に連絡するより、スマホをカメラモードに切り替えて動画を撮る動作の方が早いだろうとそちらに賭けた。連絡するのも大差なかったかもしれないが、会話を聞かれたくないあいつがスマホを叩き斬る恐れがあった。あいつの口振りからして、そんなことしなかったかもしれないが。しかし、それでもいきなりスマホを出せばそれなりに怪しまれるだろうと、出す時にわざと二人の名前を口に出し、スマホを取り出した理由が『仲間に連絡するため』ということに絞らせる。そうすれば、スマホを斬られる可能性は下がるだろうと予測。そもそも、私がもう一人の蛍朱についての情報を欲しがっていたということをあいつは知らなかっただろうし、撮影するという行動自体、あいつの頭に無かっただろうから、その点では誘導しやすいと考えた。そうすればあの夜の蛍朱と同じく、スマホは弾かれるだけで破壊はされないだろうと思った。弾いたスマホの画面がどうだとか、そんなことを気にする奴じゃないだろうと、完全に憶測だったし賭けだったが。それでも、ほんの少し会話しただけだが、あいつの性格からあいつは初手、私に連絡手段が無くなったと絶望させるためにスマホを弾くだろうと予想した。予想通りスマホを弾かれ、その際に腕を負傷するのは覚悟していたが、脇腹をやられるのは予想してなくて流石に焦って、反撃に出るかどうか迷ってしまった。けどまぁ、マヌケな奴だと認識されたのならそれはそれで別に構わない。さっきは、自分の手の内がバレる前に早々に負けるつもりでいた。それでも、逃げるつもりは無かった。もし次に会う時があるのなら、それまで、私は仲間に連絡しようとして不意打ちを喰らいほんの一分程度でねじ伏せることのできるマヌケだと、そう思わせとこう。
「……さて、と」
服についた土埃を軽く払い、遥か上空の監獄区を見る。矢追蛍朱の話を閉じるのはまだ先だって言える材料は手に入った。
強運なのか、都合が良すぎるのか