15.明朝鬼ごっこ
「……てめぇ、何で、この場所が分かった」
「……んー、勘?」
「はぁ?」
「……ごめん、えっと、目印付けた」
ん、と自分の腕をちょんちょんと指差す。もう一人の蛍朱は首を傾げていたが、はっとして自分の腕へと目をやる。もう一人の蛍朱の腕に、ぽうっと小さな黄色の明かりが灯った。
「目印……というか、追尾? ってぇ、言うのかな……? 印を付けた相手を追いかけて探してくれる、やつ……それを、あの時、腕掴んでぶん投げた時に、付けた」
「あの時ぃ……?」
目を細め、私を睨みつける。
「つくづく姑息なマネしやがる。犬みてぇに嗅ぎ付けてきやがって、今度は何の用だてめぇ……あぁ!?」
「い、犬じゃねーし……」
少し不機嫌そうに耳を伏せる。
「……じゃ、なくて。さっきも言ったけど、私、もう一度図書館に行ってみたんだ。まだもう一人の蛍朱……あなたについて理解できてないことがあるんじゃないかな、ぁ……て」
「……で?」
「ルルさんに手伝ってもらって、調べ、直したよ。でもやっぱり、核心をつけるようなものはなく、って。どうしよ、かなって。それで……思いついたんだけど」
「だから?」
もう一人の蛍朱が、苛立っていくのが伝わってくる。
「あぁー……。うん、つまり、さ」
少し離れた、鉤爪を装着し終えたもう一人の蛍朱の前に屈んだ。瓦礫に背を預けたままのもう一人の蛍朱と、真っ直ぐ目が合う。暗闇に囲まれた、蛍の目。
「あなたから直接聞けばいいんじゃないか、って」
私の言葉で、もう一人の蛍朱がみるみるうちに怒りから呆れたような、驚いたような顔になっていく。
「はぁ? ば……っかじゃねえの?」
「いやっ、えっとね、もっと詳しく? 言うと、時間をかけて、一緒に居られたら、あなたのことも、分かるんじゃ、ないかなって……」
彼女の目には、私はどんなに間抜けな人間に映っているのだろう。今まで敵対していた相手がこれから仲良くしましょって。馬鹿なことを言っているのは十分分かっている。
「……はぁ……んで。私が、分かった、そンならじゃあ一緒にいてやる……ってぇ? 言うと思ってんのかよ? ぁあ?」
「うん、ぅん……それは、分かってる……でも、あなたを捕まえる。そして、知りたいんだ。強引なのは……分かってる」
「ほーお……私を捕まえる、ねぇ……」
ニタニタと、薄ら笑いを浮かべている。出来るわけがない、それを心の底から信じている。そんな顔だった。しかし、気紛れに興が乗ったのか、このまま居座られては気が休まらないと判断したのか、ゆっくりと立ち上がるとその鉤爪を構えた。
「やれるもんならやってみろよ! 犬っころのマヌケェェッ!!」
地面を蹴った。怪我を負っているとはいえ、やはり早い。これは蛍朱も同じだったな、と、片手を地面に付きながら考えていた。鉤爪の刃が鼻先を掠める寸前、地面を蹴り飛ばし上空へと逃げた。振りかぶった鉤爪が地面を大きく穿つ。顔を上げたもう一人の蛍朱と目が合う。地面を削りながら鉤爪を引き抜き、転がっている小さな瓦礫諸共を吹き飛ばすかのように大きく上に振り上げた。バラバラと石やら何やらが吹き飛んでくるが、タイミング的に遅く、私には軽く石が掠めた程度だった。身を捻り、もう一人の蛍朱の背後へ着地。しかし、それはもう一人の蛍朱も読んでいるだろう。
「うらぁァッ!!」
体を捻り、無理矢理足の位置を変え、逆の手で突く。私はそれを小さく避けるとその腕を掴み、思い切りこちらに引っ張った。しかし、これも予測されていたのか、もう一人の蛍朱は足を踏ん張り、抵抗する。ならば、それでいい。私から、行く。
「っ!?」
踏み出す。掴んでいるのとは逆の手で、もう一人の蛍朱の頬に触れた。まるで殺意とは程遠い、しかし優しさとも程遠いような、それは震えた声だった。
「教えて」
もう一人の蛍朱の、見開いた目。そこに映るは私の目。
「あなたのこと」
もう一人の蛍朱の思考に、潜る。
「ッ! てぇ、めぇッ!!」
「ぅわっ!」
足を蹴られ、思わず視線を外した瞬間、私が掴んでいた手を掴むと勢いに任せて体を捻ってぶん投げられ、振りほどかれてしまった。ぶん投げられた私は思った以上に勢いよく吹き飛び、思い切り瓦礫の壁に体を打ち付けた。
「ぃ……てて……」
顔を上げると、もう一人の蛍朱は嫌悪感を露わにこちらを睨んでいた。
「マジでフザケんじゃねぇ……!! 他人の頭ン中に土足で踏み込むなんて、ヒジョーシキにも程があんだろォ!!」
「ぅ……それは、そう……ごめん……」
怒りで肩を震わせるもう一人の蛍朱はまるで威嚇をするようにそう吠え、ギリギリと歯を擦り合わせたかと思うと、くるりと背を向けて瓦礫の山に飛び乗った。振り返り、鉤爪を振るってこちらへ向けた。
もう構うな。
もう一人の蛍朱は何も言わなかったが、その行動と目からは、そういった意図が読み取れた。……ここで放っておいてあげた方がいいのかもしれない。私がやってることは、もう一人の蛍朱の言う通りヒジョーシキなんだろう。けど……。私は結構、執念深いんだろうな。
「はーぁッ!?」
立ち上がり、思い切り駆け出す。もう一人の蛍朱の、少し間抜けな声が聞こえた。曲げられないことも、私にもある。前方を見据える。あの夜、蛍朱から逃げるために越えた壁は3m。それよりも低いはずの瓦礫の山は、見た目よりも高く、遠く見えた。届くのかも分からないそれを、それでも私はそれを越えなきゃならないだろう。
「は、ぁッ!」
駆け出した形そのまま、上に飛び上がった。もう一人の蛍朱のその向こう、ビルの屋上から丸い月が見えた。真っ直ぐ、もう一人の蛍朱へ手を伸ばした。……しかし、
「……マァジで、ざけんじゃねぇ!!」
もう一人の蛍朱が体を捻り、隣の天井の崩れたビルへと飛び移った。私の手が空を切った。見上げれば、もう一人の蛍朱はそのままビルの中へと消えていく。私は瓦礫に足をつき、少々足を取られつつももう一人の蛍朱を追いかけて隣のビルに飛び移った。
攻撃されると思っていた。瓦礫からビルの中までは完全な死角になっていたからだ。だから身構えた。しかし、緑の鉤爪はこちらに差し出されることは無かった。ビルの一番奥、割れた壁の隙間からもう一人の蛍朱が身を乗り出していた。
「へ、あッ! 待っ」
目を見開き、駆け出したのも遅く、もう一人の蛍朱は大きく飛び上がって外へ飛び出した。慌てて壁の隙間に手を付き覗き込むと、すぐ手前のビルの壁に鉤爪を擦り付けながら下に降りるもう一人の蛍朱の姿があった。良かった……落ちてない。いや、もう一人の蛍朱のことだから、そう簡単に死なないだろうけど。しかしそれもほんの少しのこと。すぐに隙間に足をかけ、飛ぼうとして体が止まった。もう一人の蛍朱と同じように、手前のビルに飛べばいいと最初は思った。しかし、そのビルはなんと言うか……非常階段も見当たらないし、窓やらの出っ張りがほぼない。つまり、飛び移ったとて降りる方法がない。私も何か武器を作り出して、もう一人の蛍朱のように降りられれば良いのだろうが、生憎そんなものは思いつかない。となると、他のビルや建物に飛び移っていくしかないが、それでは遠回りになってしまう。ビルの近くの建物は、この位置この場所、足場や角度から考えて早く行くのは難しく思った。ほんの少し遅れるだけなのかもしれないが、それではもう一人の蛍朱に逃げられてしまう気がする……。居場所が分かるとはいえ、この機会を逃すわけにはいかない。
「…………6m、ってとこかぁ……」
真下。大通りに近いのか、ここの下の道路は広い。その上ゴミが少ない。そして、猫が無事に着地できるギリギリの高さであるとされる。
「……っし」
ビルの、壊れた壁に足をかけた。もう一人の蛍朱は、あともう少しで地面へと足をつける。息を吸い、大きく吐いて───
「ふっ!」
体から力を抜いて、空中に身を投げた。ほんの僅かな無重力。後、体は垂直に落ちていく。唸る風音を聞きながら。ほんの数秒で表される瞬間、体を捻り、体で風を受け、地面を視界に捉え、足を地面へ向ける。足が地面に触れ、人一人分が落ちたときよりも遥かに小さな音と共に、両足を地面へと落とした。両手で体を支えるように地面に着けた時、ふわりと、土埃が舞ったのが見えた。顔を上げると、すでに向かい側に立っていたもう一人の蛍朱が心底呆れたような、面倒くさそうな顔をしているのが見えた。あ、今こいつ気持ち悪いって思われた。
しかし鬼ごっこは終わらない。すぐさま駆け出したのは、もう一人の蛍朱も私も同じだった。
道路を右に左に曲がりながら、置いてあったゴミ箱やら袋をこちらに投げ飛ばしてくる。その度、上に飛んで電柱や街灯の柱を蹴り、なるべく最短の距離でもう一人の蛍朱に近づく。
「おらよォッ!」
「ぅわっ!」
丁度ビルとビルの間に入った時、軽く飛び上がったもう一人の蛍朱の踵が振り下ろされた。咄嗟のことに膝を曲げ、両腕を上で交差させて防いだ。その腕の隙間から、にやりと笑う顔が見えた。
「うっ」
踵を私の腕に引っ掛け、そのまま駆けるように蹴ることで上空に飛び、ビルの屋上から伸びていたパイプを掴んだ。体勢を崩してしまい、両膝をついた。急いで上を見上げたが、その速さはやはり伊達ではない。パイプと窓の縁を掴み、壁を蹴ってあっという間に屋上までよじ登る。
「また上かよ……」
また上に登って追いかけても良かったが、機動力はあちらが上のようだ。ならば……と、獣の両耳をピンと立て、逃げる足音を捉える。そのままビルの隙間を縫うようにして、屋上のもう一人の蛍朱と同じように駆け出す。上からこちらは見えているだろうか。いや、それはどちらでもいい。少し前方を走るもう一人の蛍朱の音を拾い、ぐにゃぐにゃと曲がりながら駆けていく。もう一人の蛍朱も、私を撒くために無理な方向へと上を越えていく。薄暗い路地裏を壁にぶつかりながら追いかける私と、月明かりを背に屋上を飛び越えていくもう一人の蛍朱。それは何かの映画のワンシーンのように思えてくる。
丁度、もう一人の蛍朱がビルの間を飛び越える際、緑の鉤爪が月に照らされ、美しくきらめいた。蛍のような瞳が、嘲笑うかのようにこちらを見たのが分かった。……煽ってくれるじゃん。段々楽しくなってきたのはどちらも同じのようだ。
少し上がった息を整えるために大きく息を吸った。
一瞬だけ、もう一人の蛍朱の位置を確認すれば、少し方向とは逸れた方へと走り出す。もう一人の蛍朱が屋上を飛び越える。その先であるビルの非常階段を駆け上がり、飛び乗り、もう一人の蛍朱のいる屋上へと飛び出した。しかし、遥か先のもう一人の蛍朱はひょいとすでにその先へと飛び出していた。追いかけ、もう一人の蛍朱の斜め前へと飛び出した。少しだけ屋上が低い。が、もう一人の蛍朱が目星をつけているビルへは近い。屋上を蹴っ飛ばし、もう一人の蛍朱の真横に飛び出した。嫌な顔をしたもう一人の蛍朱と目が合った。しかし、もう一人の蛍朱はするりとビルから飛び降り、路地裏へと着地する。思わず足を止めた私などお構いなしに角を曲がり、もう一つ角を曲がればビルの屋上からは死角である。焦ってビルの屋上を飛び越え、足音を耳に同じように飛び降りた先では、ニヤニヤと笑った顔のもう一人の蛍朱が窓の縁に足をかけ、屋上に登る所だった。そのままするすると登って行ってしまった。
「ん、なっ……そっちだって姑息なことするじゃん……っ」
息が上がっていることも忘れ、また下から音を拾いながら駆け出そうとし、止まる。何故かもう一人の蛍朱が動かないのだ。何かあったのかと耳を澄ませてみても、もう一人の蛍朱以外の音は拾えない。一体どうしたんだ……と少しばかり焦っていると、もう一人の蛍朱の駆け出す音が聞こえた。と思った。慌ててそちらへ走り出した瞬間、タンッと軽い音と共に、走り出したのと反対側へともう一人の蛍朱が飛んでいった。きっと、駆け出す音はただの引っ掛けで、姿が直接見えていない私に対してのブラフだったんだ。こんな簡単なことに引っ掛かるなんて。意外と余裕ないんだな、私。少々足をもつれさせ、慌ててもう一人の蛍朱を追いかける。
ぐにゃぐにゃと曲がりながら考える。私に余裕はあんまり残っていない。体力的な意味でも、精神的な意味でも。だから、次のチャンスでどうにかする。そうしなければ、また延長戦だ。それもかなり不利な。
「す……ぅ……っ」
大きく息を吸い、駆け出す。今、もう一人の蛍朱は上にいる。先程は私が上に登った時、どう行動するか読めなかったけれど、次はある程度読める。もう一度、上に行く。
ガンっ! 勢いよく壁を蹴り、パイプに手をかけて近くのビルへ登った。遅れを取るが、上に行けなければどうしようもない。次に高いところへ、その次の高所へ。飛び移り、よじ登る。もう一人の蛍朱を視界に捉えた時、こちらを振り返ったもう一人の蛍朱は余裕の表情を見せていた。この先は大通り。人は少ないだろうが、紛れられたら追いにくい。これが最後だ。片手を突き出し、その先に炎の玉を作り出す。炎は明るくなり始めた空を赤く染め上げた。
「行けッ!」
ボシュッ、という音を立て、空気を燃やしながらもう一人の蛍朱の行先、足元へと飛んでいった。だが、
「キヒヒっ!」
もう一人の蛍朱が、振り向いて笑った。疲労のためだったのだろうか。それとも、焦りか。運だろうか。もう一人の蛍朱は軽々と炎の玉を飛び越え、隣のビルへと飛び移った。
そのまま、もう一人の蛍朱は逃げきれるはずだった。大通りはすぐそこだった。しかし───
ふわりと、もう一人の蛍朱の予期しなかった感触が体に伝わった。
「蛍朱!」
何が起きたのか。混乱した様子のもう一人の蛍朱が振り返ると、そこには本物の矢追蛍朱が自分を抱き締め、尻餅をついている。
「……つか、まえた」
4つのホタルの目がお互いを捉えた。
元々、この鬼ごっこは私と蛍朱、もう一人の蛍朱の二対一だったのだ。私が追いかけ回し、私が合図……例えば炎の魔法を使う。そうしたら、タイミングを見計らって本命の蛍朱が捕まえる。私があまりにもしつこく、そしてヒジョーシキだったせいなのか、もう一人の蛍朱は本物の蛍朱を知覚できなかったようだ。運が良かった。し、大体作戦通りにいったと思う。
「ん、しょ……っと」
「……なんで」
「ん……?」
息を切らしながら私も二人の元へ行くと、もう一人の蛍朱が呆然としたまま独り言のように言葉を零す。
「……んー……そぅ、だなぁ……。もう一人の蛍朱を捕まえるって、私が言ったらさ……と、いうより、図書館行ったってぇ、言ったでしょ……? 調べ物してたら、蛍朱から……『私も手伝いたい』……って」
もう一人の蛍朱の唖然とする顔を見て、私も困ったような顔をする。
「わ、私もよくは知らない……け、蛍朱の中で、何か変わったことがあったんじゃナイカナ……」
もう一人の蛍朱が、じっとりと蛍朱を見る。
「……お前、何のつもりで」
「いかりちゃん」
「…………はぁっ?」
唐突に蛍朱から出てきた単語に、もう一人の蛍朱だけでなく私までもがぽかんとする。い、いかりちゃん?
「『怒』って書いて、いかりちゃん」
「は、はぁ……」
「よろしくね、いかりちゃん」
「は、はぁッ!!?」
真顔で表情一つ変えないものの、蛍朱は至極真面目な眼差しでもう一人の蛍朱を見つめている。もう一人の蛍朱が困惑しているのは、思考を覗くまでもない。すごく分かる。
「とりあえず、私と一緒にお団子食べるの」
「だ、はぁっ!? 食わねぇよ!!? フザケンナ! 頭沸いちまったのか!!?」
「ふざけてない。わいてない。すごく真面目」
……自分だけ蚊帳の外な気がして、私はこの会話に入ることはしなかったけど……。
『もう一人の蛍朱の言いたかったことを、知りたいんです。助けてください、犬猫さん。私が……どうすればいいのか、教えて……』
……蛍朱の中の、何か、か。
吹いてきた風が、今も騒いでいる二人の髪を撫でた。遠くで、薄く太陽が登り始めている。
お久し振りです皆様!!!
全く筆が進みませんでした。しかし今回は犬猫ともう一人の蛍朱の鬼ごっこが書けて大満足です。