10.足元はまだ見えないままで
んー配信楽しかったーっと。今し方推しの配信を見終えたところ。やっぱ癒しは大事だね。日々の嫌なこと忘れさせてくれる推しは天才だと思うよ。うん。特別ストレス抱えてないけど。
現在時刻は22時59分。私、犬猫は自宅を出て、情報区の一角にある、異世界境界地大図書館へと訪れていた。流石にこのままおやすみなさいは三人に悪いと思った故の行動だ。異世界境界地大図書館には、この世界と世界の線の交わる世界の情報と本等の書物を全て集め、保管している場所だ。洋館と呼んでも違和感がない建物で、情報区で一番……いや、異世界境界地で一番大きな建物である。監獄区の縋さんの部屋で見せてもらった報告書なんかも、この大図書館に保管されていたものだ。世界というものが生まれたその時から存在すると言われているらしく、建物は清潔感があり、真新しくは無いがボロボロではない。
古いとも新しいとも言えない、ただ何となく懐かしく趣のある建物。その窓から、明かりが漏れている。他のビル群とは少し違う、温かいようで怪しげな明かり。それを横目に、大図書館入り口である、巨人でも使うのかって大きさの扉に手を掛け、中に入る。この扉も、見た目よりは重くない。一日中、いつでも誰でも自由に出入りができ、中の本を読むことができる。報告書……記録書も読める。読めるものの制限は無いが、外に持ち出すことは出来ないため、報告書として特別に監獄区で扱うものはそれの写しだ。
大図書館内部。視界を埋め尽くす本の山。たまにハルピュイアという人型の鳥が居る時もあるが、今は居ないらしい。それを抜きにしても、照明と棚、机と椅子以外のほとんどが本、本、本。外見よりも広く、天井も高い。その天井近くまでびっしりな本の山。奥の見えない先まで本の山。壮観な眺めだろう。すごいと言うか、若干近寄り難い雰囲気。ここに全てがあると言われると畏怖の念さえ覚える。
「えぇっと……昔ってどれくらい昔なんだ……」
本棚の背表紙をなぞり、目的の本を探す。縋さんの言っていた、昔起きた、もう一人の誰かが存在するという事件についてだ。出来れば蛍朱についても知っておきたい。のだが……色とりどりの本の背表紙、天井まである本棚と奥の見えない本の列。は……果てしない……。
「何かお探しかな」
「ひょえっ」
突如後ろから聞こえてきた声に飛び上がる。変な声出してしまった。その勢いのまま振り返ると、レモン色の短髪に、黒いフードを被った青年が立っていた。
「る、ルル……さん」
その紫色の目が細められ、柔らかく笑みを浮かべる。
「こんばんは、犬猫」
ルル・ガディ。何代目かは知らないけど、この異世界境界地大図書館の司書さんだ。見た目年齢は二十代前半だけど、実年齢はもっともっと上だと思う。そもそも、元ハルピュイアだと言われているルルに、人間の年齢は当てはめられないだろうし。人当たりが良く、明るく優しい人。圧と情報量に押し潰されそうになるこの図書館内の雰囲気を緩和するような性格と振る舞いで、比較的話しかけやすい人物だ。まぁ私はコミュ障なので話しかけやすいかどうかはあんまり関係ないんだけど。
「こんな夜中にどうしたのかな?」
「ぅぁ、えっとぉ……ですね……」
「何か探してるならお手伝いするよ」
にこり、笑って首を傾げる。月明かりみたいな優しい声だった。その声に流され、目線は合わせられないまま口を開く。人の目を見て話す? 難しいですね。
「や、矢追蛍朱についての本とぉ……前、に? あったっていうぅ、誰かのもう一人? があわ、現れたって時の……記事……? 記録……? が、ない、かなぁって……」
「あぁ、そんな事件あったね〜。ちょっと待ってね」
「…………ハイ」
そう言ってルルは柔らかく笑う。優しい顔で笑う。滅茶苦茶吃った死にたいとか思っている間にも、ルルは近くの脚立を登って本棚に並んでいる本の背表紙を指先でなぞる。そこから抜き取った三冊ほどの本を抱え、近くの机に置いてこちらを振り返る。
「多分この辺が読みやすいんじゃないかな? あとこっちは矢追蛍朱の記録書ね」
「……おぉ〜……」
こんな短時間で選べるものなのかと感心しつつ、本の方へと歩み寄る。
「もっと詳しく知りたかったら言ってね。探してみるから」
「ん……分かりました、ぁりがとうございます」
そうお礼を言うと、どういたしましてと微笑んで近くの椅子に座った。
……さて、と椅子に座り、ルルの選んでくれた本へと手を伸ばす。まずは……蛍朱の記録書から読んでいこう。あの時はあんまり詳しく読めなかったし。始めに読むとしたら、やはり身内殺しのところからだろうか。
本の後ろの方が一番最近のはずだとページを捲る。予想通り、一番最後のページには異世界境界地に来て私が檻の外に出したとこまでしっかり書いてあった。が、
「……何だこれ」
読んでいて、文章や話の続け方に違和感を覚えた。『再び檻に収容された』の後に『情報区から中央広場まで移動し、隠密行動を続けている』になるんだ。『檻の中で正暫しの? 情報区裏路地にて看守誰かの声った』なんて、明らかにきちんと記録されていない部分もある。
「……えー……」
それなりに覚悟していたものの、実際にバグを目の当たりにすると、じんわりと恐怖心とやらが沸いてくる。世界の根源に潜む、規模が大きく計り知れない闇を覗いたようなものだ。まともに足を踏み入れたら、そのまま呑まれるような気さえする。まぁ、私はその闇に住まう住人の一人なのでやめるつもりはないです。蛍朱助けないとだからね。その蛍朱放ったらかしにしてるの私だけどね。
てか、こんなあからさまにバグが起きてるとか、もしかしたら私がバグだと言う以前からこの記録書を読んでいた縋さんは、何らかのバグが起きてるって知ってたんじゃないのか? じゃあ、何で、蛍朱のこと放置したんだろう。誰よりもこの世界を愛していると言われる程のあの人が、何で……
……本のページを捲り、遡っていく。蛍朱が16歳であり、その16歳の時、何の前触れもなく、矢追蛍朱は家族を殺した。その後、身内である親戚や友人、果てには仲が良かった近所の住民やそのペットですらをその手で殺めた。警察は蛍朱の捕縛を試みるも、蛍朱が実際に姿を現したのは数回程でほとんど姿を現さず、しかしそれでも確実に殺害を繰り返す矢追蛍朱は、半ば都市伝説のように語られるようになった。古い古民家で矢追蛍朱が殺したと推測される老夫婦の死体を残し、それを最後に姿をくらました。その後、異世界境界地に迷い込み……
「……ん?」
あれ? 最後に殺したこの老夫婦って、誰だろう。見返してみる。他の殺した人たちは、全員名前と蛍朱とどんな関係であったかしっかりと書いてある。それは必ず蛍朱の身内であることも。しかし最後の老夫婦は、名前と『他人である矢追蛍朱を哀れに思い、匿った』等と短く書いてあり、仲の良い関係であった、という類いの文は見当たらない。それどころか、『他人である』、とまで。明らかに親しい間柄じゃないはずだ。
ここに来て、『身内だけを殺した』という記録に矛盾が生じた。おかしいと思い何度も読み返していると、どうやら、この老夫婦だけではないことが分かった。数人、蛍朱の身内なんかじゃない人間が、蛍朱によって殺されている。必ず何度かは蛍朱と接触はしているものの、どれも他人とある。これもバグか? いやでも、記録書には起きてないことは記録されない。それこそ、書き換えなければ……全員、もう一人の蛍朱が殺したのだろうか。でも、何だ、この違和感。そう仮定して、じゃあ何で、もう一人の蛍朱は身内以外も殺した? あいつの思考をちゃんと覗き見たわけじゃないから、もしかしたら興味本位で他人も殺すのかもしれない。けど、何だろう。あいつ、そんなことするのか、な……?
「……んー……?」
分からないことが増えてしまった。そっと記録書を閉じ、今度は以前起きたという事件についての本を開く。もしかしたら、こっちに糸口があるかもしれない。ページを捲る。
……ある日突然、誰かと瓜二つの存在が現れるという事件があった。しかしそれはお粗末なもので、それらは全て真っ黒い影のようなものだった。話せもせず、ふらふらと彷徨うだけ。触れることは出来るが本人に害はなく、触れられたもう一人の存在も無反応だった。念の為、縋さん率いる看守がその真っ黒い影を捕縛したが、どうすべきか話し合っている間に、それらは形を失くして消えていったという。しかし、記録書は、その真っ黒い影のようなものが行動したことをしっかりと記録していた。二人も同じ存在がいて、同じ二人が行動して、変な文字列として記録される、バグが起きた。しかしそれらは二日程で収まり、記録書も元通り書き換えられ、記録を始め、特に害は無かったため、偶然的なバグとして処理された。
ほぼ、縋さんから聞いたことと同じことが書いてあった。読み返しても、あの事件は誰かの魔法が作り出した失敗作が偶然異世界境界地内に広まってしまったとか、新たな世界の生まれる予兆だとか、黒幕は看守だとか、憶測でしかない話ばっかりで的を得ないため、そっと本を閉じた。
「犬猫は仕事熱心だね」
「ぅん?」
ぐ、と伸びをしていると、離れてこちらを見守っていたルルから声を掛けられた。
「記録書なんて監獄区でも読めただろうし、わざわざこんな夜中に図書館に来ることなんてないでしょ? 真面目なんだなって思」
「いやいやそんなことないです不真面目です縋さんに報告サボってるしさっきまで仕事サボって配信見てたし私が真面目なんて本当に真面目な人に失礼ですハイ」
「え、そう……?」
言葉を遮って真顔かつ早口で言う私に、困惑気味に言葉を漏らすルル。
「ハイ。良い子は寝る時間に寝てないですし」
「いや、これ言うのもなんだけど、良い子は寝る時間を守らなきゃいけない年齢でもないでしょ……?」
「それもそうですねぇー……」
ルルから目を逸らし、机の上に置かれてある本を撫でる。
「私ちゃんと働いてないんで、こういう時くらいはちゃんと働けよって感じです」
本当。昔に比べれば全然働いてない。昔だってそんな働ける人間でも無かった。それでも、いい子でいようって頑張ってたあの頃よりは堕落したななんて感傷に浸ってしまう。
「……」
ふいにルルが椅子から立ち上がり、ゆっくりとこちらに歩み寄ると、そっと私の頭に手を乗せ……優しく撫でる。
「…………ん?」
え、なに? どしたの。
「頑張ってる子の頭は撫でておこうと思って」
「…………??」
更に首を傾げる私に柔らかく笑いかける。
「僕は頑張ってると思うよ」
「……??? はぁ……」
曖昧な返事をする。何なんだろう……と思ってるうちに手を離し、にこりと笑って先程座っていた椅子へと戻っていった……え? 本当に何……?
更に問おうかと思ったが、小声で聞こえた「愛玩動物って可愛いよね」の言葉に考えるのをやめた。撫でたかっただけなんじゃ……いや、考えるのやめよう。
「……ん? この本、は……」
ルルが選んでくれた本を手に取り、首を傾げる。表紙や題名を見る限り、あの事件のことでも、蛍朱のことでもない。えぇと、世界の……バグ?
「あぁそれね」
首を傾げていると、ルルが再びこちらへ歩み寄り、横から覗き込む。
「あの事件に関連してそうな話があったなーと思って」
「関連……?」
「うん」
ルルが手を伸ばし、パラパラと本のページを捲る。暫く捲った後、手を止めて「これだよ」と指を差す。
「……ドッペルゲンガー?」
「に、類似したバグだね」
……世界に誰か一人が創られた時、そのもう一人が創られてしまう時がある。そのもう一人は影と呼ばれ、通常であれば本体がその世界に生まれた時点でその影は消滅する。しかし稀に、その影も共に生まれてきてしまうことがある。ただし、その影という存在は本体よりも脆く、意思や精神、肉体は曖昧で、生まれてきたとしても少しの時間のみ存在し、その後に消滅する。言わば
「世界に見捨てられた存在……」
それらが生きるには、
「もう一人の自分……」
本体を
「殺して、成り代わること……」
……もしくは───
「…………」
パタン。読んでいた本を閉じ、大きく息を吐く。世界に見捨てられた存在、か。その言葉が、嫌に頭に残ってしまった。
……とんでもないことに首突っ込んだ気がする。まぁ、今更だし、今更引かないけどさ。蛍朱のことは何とかするしかない。この本の内容から察するに、あの時襲ってきた鉤爪を持った蛍朱は、蛍朱のもう一人……影で、自分がこの世界に存在するために本体である蛍朱を殺して成り代わろうとしている。そこまでは分かった。分かったのだが……
先の事件では、影は二日程で消えたと書いてあった。蛍朱が監獄区に収容されてから、二日以上なんてとっくに経っているはずだ。もしあの時の現象もこれと同じなら、二日以上経過しているはずの影の蛍朱は、何故未だに存在していられる? それに、私が見た影の蛍朱は真っ黒なんかじゃない。少し違いはあったものの、本物そっくりで蛍朱と同じ容姿をしていた。明らかに事件の時とは違うように思える。あの事件と関連しているのならば尚更、何故あの時と違うんだ。あれは偶発的なバグじゃなかった?
そしてもう一つ。影の蛍朱が言っていた、「私はアイツにしか殺せない」という台詞。影という存在は脆いという話だった。何故、本人以外殺せない? 本で読んだ限り、本人でなければ消滅させられない等とは書かれていない……消滅、出来ないのか……? だとしたら、何が原因で、そうなってるんだろう。殺そうという意思は強く感じる。だから、成り代わろうとしている。そこは間違いないはず。意思が強すぎると自然消滅出来なくなるのか? 怨霊みたいな……そんな存在に変化する、のか? でも、アイツにしか、本人にしか消せないってどういう……
……まだまだ調べる必要がありそうだ。
「ルル」
「うん?」
「影について、もう少し知りたい」
「分かったよ、探してみるね」
そう言って本棚の方に戻っていくルルに、小さく頭を下げる。普段いつ寝てるのか知らないけど、こんな夜中に私の用事に付き合わせてしまっているのが申し訳ない。別に一緒に居て欲しいとも言ってないけど……ルルの性格上、こういう、普通はこんな時間にこんなところに来ないでしょって時間に来た私が心配なんだろう。そういう純粋で真っ直ぐな優しさがむず痒くて、慣れなくて、私にとっては少し居心地が悪くて……こんなことを思ってしまうのがすごく申し訳なくて。そばに居なくてもいいよって言うのも、何か違う気がして言えない。いつか慣れることが出来たら、図書館に来ることも多くなるんだろうけど、今は少し難しい。
「犬猫、この本でどうかな?」
「ん、ありがとうございます」
笑顔を向けるルルに、小さく頭を下げて本を受け取る。とりあえず、今は本を読んで少しでも早く蛍朱の件を解決できるよう努めるしかない。どの本の内容がどう使えるか分からないけど。本の表紙を見、ページを捲った。
影が世界に存在し続ける原因、影が作られる原因、影を消すには、影が存在し続けるには、影の作り方……ルルが持ってきてくれた本を片っ端から読み漁っている間に、段々と眠気に襲われ始めてうとうととしていた。と、スマホから着信音が鳴り、はっとしてポケットからスマホを取り出す。画面に映った時刻は朝の4時46分。こんな朝早くに誰だと思えば、画面には『ネネ』の二文字が。こんな朝早くに何だろ。
「……はい、犬猫です」
時間見てなかったけど、もう朝か。眠い。電話に出る。
『犬猫!』
欠伸混じりに、何、と聞こうとして止めた。電話口から聞こえる焦ったような声に、嫌な予感がした。そして、
『蛍朱が逃げました!!』
それは、見事に当たってしまった。
まだ10話目って……もしかして進行遅い……!?
思えばやっと一日くらい経過してるんですねこの話。私が覚えている限り、この一日でキャラが10人も出てきているんですね。多い多い。まだまだ新キャラが出てくる予定ですが、今回の主要キャラは蛍朱と犬猫ともう一人の蛍朱です。アモ、ネネ、縋はサポートとしてちょくちょく出てきます。よろしくお願いします。
そして次回は戦闘が出来そうです。
余談ですが、8話目と9話目と10話目のタイトル繋げて読めそうなことに気付きました。10話目は意図してそうしましたが8話目と9話目は偶然ですね! ええ!!! 次は続けないです多分!!!




