1.脱獄ホープ
いきなり始まりいきなり終わります。「誰やこいつ」「何があったん?」等々の要素がたっぷりありますご了承下さい。
情報区、夜23時41分。そろそろ真夜中になる。看守で見回りを任されていた私、犬猫は今日も薄暗い路地裏を歩いている。と言っても、もうほとんど見て回ったし、見回りしてるの私だけじゃないし、少し歩き疲れたし……等々の理由をつけて今冷たいビルの壁に背中を預けてスマホを弄っている。スマホの明かりが自分の輪郭と腕を照らすくらいの明るさが丁度良い。安心するってよりか、程よく現実を忘れられる気がして休憩には向いてるというか。あと何か、自分の周りが暗いとそれに守られてますって感じが。根暗だって? うるせー言ってろ言ってろ。私はこのくらいが丁度良いんですー放っといて下さーい。
話を戻そう。今はスマホを弄っている。んで推しと会話中。喋ってないけどね。どっちかって言うとリプとかコメントとかいう、あれ。直接喋るとかコミュ障には難易度高いです。無理。他愛ない会話で、次の何日に配信するんですよーって推しが言うから、次の配信見に行きますねって打って送った時、「ヴー」という音と共にスマホが震え、画面に『代変 縋さん』の文字と電話マークが映る。そのマークをスライドし、電話に出る。
「今推しとお話してたんですけど」
『第一声がそれか犬猫貴様』
自分の上司にあたる縋さんの不機嫌そうな声が聞こえた。通話越しに、何やら慌ただしい誰かの声が聞こえる。
『矢追蛍朱が逃げた』
寄りかかっていた壁から起き上がる。
「またすか」
『まただ。どんなに檻を厳重にしても逃げられる』
〝また〟蛍朱が逃げた。蛍朱が逃げたのはこれで七回目くらいか。
『今回は情報区に逃げたらしい。お前情報区見回りだろ。見つけ次第拘束してくれ』
「……はい、分かりましたー、見掛けたら追い───」
カタン。自分の上方から小さな物音がした。画面から目を離し、そっと、上を見た。
夜の闇に溶け込むような深い黒い青の長い髪、頭から生える触覚、そして───キラリと冷たく光る、ピンクの鎌。蛍の光のような綺麗な、それでいて何も捉えぬ虚ろな眼が、自分の上方のビルの屋上から、私を見下ろしていた。
『犬猫?』
縋さんの声に、はっとして画面を一瞬だけ見た、ほんの一瞬。再び見上げた時には、蛍朱はこちらへ飛び降りるところだった。自分から約3m 程の間隔を空けた地点に、物音一つと立てずに舞い下りる───薄刃鎌の死神、そう、誰かが言ったのを思い出す。
ガンッ!
蛍朱が鎌を振るった。その鎌の柄の部分が丁度、自分の手とスマホの端を殴った。投げ出されたスマホから縋さんがこちらに呼び掛ける声と鈍く痺れる左手。ようやく状況を理解し、踵を返して蛍朱とは反対の方向へ駆け出した。当然、蛍朱も同時に駆け出した。
暗い路地裏冷たい空気、固い地面を蹴って前へ前へと走る。曲がり角に手を当て、勢いを殺さぬように曲がるのと同時に、蛍朱の姿を横目に捉えた。意外なことに、蛍朱は真後ろではなく、上へ移動し、建物の出っ張りの上を器用に跳んでこちらを追いかけてきていた。が、一つ後ろのビルの上を駆けていき、姿を消した。何がしたいんだ、あの子。ふと前を見れば自分の正面の真っ直ぐな道と、曲がり角一つ───の、自分の正面の道の上へ、蛍朱が舞い下りた。
「っ!?」
回り込まれた。簡潔に言えばそうなる。ブレーキを掛け、一つ手前の曲がり角を強引に曲がる。体を壁に打ち付けながら、なんとか体勢を整えるのと蛍朱がまた後ろを追いかけてくるのが同時だった。その蛍朱と言えば、また壁を蹴って跳んで上の方向へと向かう。また回り込むつもりだろう。この先の曲がり角は……いくつだ。スマホがあれば便利だったものの、先程捨て置いてきてしまった。拾う余裕などなかったとしても、それは悔やまれる。今視界に写っている曲がり角は四つ。手前右と左、その一つ奥に右、一番奥に右、一番奥真っ直ぐは行き止まり。上方を見る。蛍朱は今右側の建物の上を伝ってきている。右から攻撃を仕掛け、左へ追い込むつもりだと推測。そうすると、どちらにせよ、右に逃げることは出来ない。追い込まれることを覚悟で、左へ逃げる。蛍朱が何のために追いかけてきているのか……実は、先程から考えているのだが、しっくりとくる答えが見つからないのだ。勿論、蛍朱は監獄区の住民。そこに囚われる理由は───
ガンッ!
一番手前の右の曲がり角の道を、蛍朱の鎌が穿った。完全に下に降りてきた蛍朱を見て、目を見開く。手前で仕留めるつもりだった? だとしても、今のタイミングでは自分は丁度曲がり角に差し掛かるところで、そっちに逃げたとしても当たらなかった。かといって、その先の曲がり角を目指す余裕はない。直ぐ様に、蛍朱が鎌を振り上げるのを視界に捉えた。
ガッ!
自分が一瞬前にいた地面を刃が穿つ。左に曲がる。次の曲がり角は左に一つ。そこを曲がるか、真っ直ぐ突き抜けるかの二択。どっちにしろ、蛍朱はまだ後ろに……いない? 先程まで後ろにいた蛍朱の姿がない。今ので諦めてどこかへ行った? そんなことが───
「!?」
───あるわけがなかった。自分の丁度真上を通り過ぎる蛍朱。恐ろしいほどに足が速い。あっという間に自分の上を通り過ぎ、前方真っ直ぐの道の上に立ち塞がった。
「ふッ!」
強く壁に体を打ち付け、その反動のまま勢いを殺さず左へ曲がった。その先は……行き止まりだった。行き止まり。前方の無機質な壁と後方を追い掛けてくる蛍朱───これ、詰みじゃね? いや、まだ、まだだ。確実に距離を縮めてくる蛍朱を横目で確認し、前方を見る。壁まで後5m。その地点。急停止するように両足を揃え、膝を曲げ体を屈める。そして、
「っふぅ!」
バネのように膝を伸ばし足で地面を大きく蹴った。走ってきた勢いを残し、その勢いのまま目の前の壁……3m 程の建物の上へと大きく飛び上がった。ふわりと体が宙に浮いた感覚。出来る限り大きく伸ばした手の先が、建物の縁を掴んだ。ちらりと見えた蛍朱の顔に、先程にはなかった焦りの色が見えた。が、すぐに配管やら壁を蹴って追いかけようとしている。この状態で何かをされたら、抵抗なんて出来るわけがない。もう片手を上げ、必死に縁にしがみつき、足で壁を蹴って這いずるようにして上へ登った。よし、ここからは、
「私の番」
……に、しなきゃいけない。このまま逃げても先程の繰り返し。繰り返すといってもこうやって上に逃げられると蛍朱も分かっている。次は、次こそは本当に無い。前へ駆け出すのと同時に、登ってきた蛍朱を視界に捉える。
ちょっと覗き見させてね
彼女の思考を、読み取る。伝わる強い焦り。一番初めからあった。次に私が何処に逃げてどう行動するかの大体の予測、そして、蛍朱のこの先の作戦。しっかり覗いちゃえば全部お見通し。それを踏まえた上で動く。まず、下には降りない。上を飛び回って動いていた方が、ある程度蛍朱の動きを制限できるのと同時に、自分の逃げる方向が先程よりも増える。だから、蛍朱は私を下に降ろしたいのだ。今走っている建物より高い建物に移動して、こちらの動きを牽制している。が、私にはもう効かない。どの方向にどう動くのか。それが分かった上で、自分が蛍朱の動きを分かって動いてることがバレないように動く。だから、ある程度は蛍朱に動かされることにする。
次の建物に跳び移ったタイミングで、蛍朱はこちらに飛び掛かってきた。飛び掛かって、攻撃をせず牽制し、私の逃げる方向を絞る。そう、逃げる方向であって、私が攻撃できる方向ではない。
「!」
飛び出した蛍朱の斜め前へと突き進んだ。蛍朱が大きく目を見開く。自分の片手に魔力を集め、淡く光を帯びた剣を作り出して握る。目を細め、蛍朱を目前に捉えた。
「にゃーお」
ガンッ!
自分が作り出した剣の刃と蛍朱の刃が勢いよくぶつかった。剣に力を込め、まだ体勢の整っていない蛍朱をそのまま押した。蛍朱がよろめく。このままじゃ押し切られると思ったのか、蛍朱が後ろに身を引いた。ここで逃がせば次は分からない。ここで押し切る。剣とは逆の手を、蛍朱の方に向けた。
「フラッシュ」
自分の手の前に光の球体が現れ、刹那、大きく膨らみ周囲一帯を眩い光が覆った。それが薄れた先、腕で目を覆って立ち止まる、蛍朱。直ぐ様剣を投げ出し、勢いのまま蛍朱の方へ突っ込んだ。蛍朱の身体を抱き締めるように腕を回しがっちりと掴み、そのまま、押し倒す。
「っ!」
カラン、と鎌が蛍朱の手を離れ、その場に落ちた。自分の手を離れた剣は光の粒となって消えていく。
「……捕、まえ……た」
息が上がる。立ち止まったことで、先程まで感じなかった疲労が一気に押し寄せてくる。主に酷使した足に重い熱がありそれが疲労として伝わってくる。痛いというより、重い。とりあえず、一段落はしたはずだ。息を整えながら、蛍朱の顔を見る。不思議なことに、蛍朱はピクリとも動かない。蛍朱の真っ白な思考がぼんやりとあるだけ。虚ろだった目に少しずつ焦点というものが現れ、光の通った眼は、蛍のような淡い綺麗な色をしている。と、突然。
「っ!!」
身動き一つしなかったのが嘘のように、素早く腕を伸ばし私の肩を掴む。それに驚いてしまって、少し後退った私は強引に押し倒される。結構力強い。
「助けてください……!」
私が何かする前に、蛍朱は私の目を見てそう言った。聞き間違えだと思った。どう考えても、助けてくださいは私の方だろう……私の方だよね?
「私はッ!」
「ちょッ……」
蛍朱が更に強く私の肩を掴んだ。
「私は何もしていない……!」
…………え?
私の思考が停止する。何を……というより、何の話?
「私は、何もしてないの……ッ」
震えた声で、綺麗な眼がさらに水面のように揺れて、眉を下げてそう続ける。自分を強く掴んだ蛍朱の手は微かに震え出した。
「……あの、何のは」
「違う、私は、私は何も………………」
何の話? そう聞くつもりだった。しかし、私の言葉を遮った蛍朱。錯乱状態、それが一番当てはまる。蛍朱の肩を掴み、もう一度聞き返す。
「待って、最初から話して……何の話……?」
「……私は、何もしてないんです……誰も、殺し、て…………?」
蛍朱の目が、困惑するように揺れた。
「私、は……何も……? 何もして……? ないの……?」
「……?」
自分の肩を掴んでいた手の力がゆっくりと抜けていく。顔は段々と俯いていき、光の通った眼は先程のように虚ろになっていく。表情も、少しずつ無になっていくようだった。
「私、は、何も……何も、してない、の……? 私、が、私は……何、か、した……? 私が、何か、した、の……? 私が、やった……?」
私がやったの? そうぶつぶつとうわ言のように呟き続ける蛍朱の肩を揺らそうとしたその時。
「捕まえたぞ蛍朱!」
後ろから蛍朱の肩を掴み、腕と体を押さえつける、同僚の鶯の姿があった。その他数名が同じく、人形のように動かなくなった蛍朱を拘束していく。
「鶯……? 何で、ここが分かったの」
「お前のスマホの位置情報と通話越しに聞こえた音からその場に蛍朱がいることを予測しそこから半径2km 内を捜索中上空にて発光が確認されたため直ちにここに急行した……って、この全て縋さんの指示だけど、当たって良かったわ……つうかここまで当たると少し怖いっつうか……」
まぁいいや、怪我はない? そう聞かれ、無い、と答える。
「んじゃ良かった。あ、これ、お前のスマホな。拾っといた」
鶯がポケットから私のスマホを取り出した。それを受け取る。
「じゃ、俺はもう監獄区に戻るから。お疲れ様ー」
「……うん」
そう言って踵を返し、落ちていた鎌を拾い上げ、拘束した蛍朱を引き連れて看守たちは去っていく。
「……」
深い黒い青の夜空を眺め、体を起こしゆっくりと立ち上がった。何とも言えない、生温い風が、私の頬を撫でた夜中23時47分。
次回、蛍朱について
【一言メモ】
犬猫は猫の耳に犬の尻尾。人と会話するのが苦手。