8 天界《証明》
バランの背中に乗って轟音と衝撃のもとに走る。その方向では幾度となく瞬間的な光が放たれていた。
(能力の気配がしない?)
そこに近づくにつれ俺は不思議に思った。
これは稽古の度合いを越えた戦いだ。その証拠にまだかなり離れたこの場でも、衝撃によって大地がひび割れている。
なのに魔力や地脈から引き出された力の気配がまったくしない。
もしこれだけの戦いを生身の肉体だけでやっているのであれば、俺はふたりの実力を大きく見誤っているかもしれない。
到底修行によって埋められる実力差ではない。人生を掛けても、ふたりに追いつける気がしない。
(いや、今はそんな事はどうでもいい。とにかく師匠のもとへ)
進むにつれて迫ってくる衝撃は体の内部まで響くようになってきた。胸の傷口が痛み、わずかに顔をしかめていたその時、急に襲ってくる衝撃がなくなった。
「これは、結界? バランがやったのか?」
バランの前方には透き通るような壁ができていた。衝撃がくる度にその壁はバランの毛と同じ銀色の輝きを放っている。
「ありがとう」
俺の声を聞いたバランは一度鼻持ち上げ、光のもとに走り続けた。
そして光のもとに駆けつけた時、俺は驚きで声を失った。
(なんで……師匠が)
俺の知っている師匠は、いつも太陽のように美しい髪を輝かせ、その表情は見る者を幸せに導くように笑っていた。
強く美しい彼女は俺の自慢の師匠なのだ。
なのに目の前にいる師匠の髪は赤く血に濡れ、一切の輝きを放てずにいる。息は荒く、その全身は自身の血で赤く染まっていた。
一方相対する剣鬼には傷ひとつない。身にまとう服は斬撃によってところどころ破れはしているが、それは師匠の攻撃を紙一重で躱している証拠だ。
その姿を見た俺はバランから飛び降りた。
傷が痛んだ事すら気にならない。そのまま師匠のももに駆けつけようとしたが、バランの角に遮られる。
「バラン!」
俺は思わず邪魔をするなと叫ぼうとしたが、バランの瞳を見て口を紡いだ。
(信じろと、言っているのか?)
バランに促されて再び師匠を見る。
全身傷だらけで赤く染まっているが、その目は戦意を失っているようには見えない。
もし、師匠が俺の為に体を張っているのなら今すぐに止めに入りたい。
だが、師匠が戦う真意も理解できずに止めに入ることなどできない。
俺にできるのは歯を食いしばって師匠の勇姿を目に焼きつける事だけだった。
それからふたりは何度も斬り合うが、師匠の剣は剣鬼に届かない。既に俺の目ではふたりの剣筋を捉える事はできないが、刃が交われば衝撃によって空間が歪むのがわかる。
その衝撃によってふたりの剣は弾かれているはずなのに、なぜか師匠だけが傷ついていく。それでも師匠は退くことなく戦い続けた。
以前、剣鬼の剣が見えないと嘆いていた俺に、師匠は剣だけで剣鬼に敵う者はこの世界にいないと言っていた。
だが今の師匠は能力を使わず、剣だけで剣鬼に挑んでいる。剣鬼もそれに応じて能力を使っていない。
互いに退くことのない戦いは、俺の想像を遥かに超えていった。
ギィィ――ン
長い打ち合いの末、ふたりはどちらともなく間合いをとった。
既に周囲の地形は原型を留めていない。
俺もバランの結界がなければこの場に留まることはできなかっただろう。
そして剣鬼は師匠の背を見守る俺に一度視線を向けたあとに語りだした。
「弟子が弟子なら師も師だ。間違いに気づくのが遅すぎる。そしてそれを正そうとしないなど、ただの無謀だ」
師匠の闘気は消えていないものの、頭は下がり、肩で息をしている。表情は見えないが気力だけで立っているのがわかる。
しかし師匠は剣鬼の言葉に反応して不敵に笑いだした。
「ふふ。それは今のあたしにとっては褒め言葉ね」
その声はこの戦場では相応しくないほどに、いつもの口調だった。
「お前はそれで導いているつもりか? 努力すれば報われると本気で思っているのか?」
「あんただって血の滲むような努力を積み重ねたでしょ。時には無謀な戦いだってやった。あたし達はそれを知ってるよ」
その言葉に少し眉を寄せた剣鬼だったが、ひと呼吸置いて返事をした。
「それは俺に才覚があったからだ。そしてその使い方も分かっていたからだ。だが今のお前は違う。俺に勝てる方法を持っていながら最も無謀な戦い方で挑んだ。貴様の誇る困難に立ち向かう努力がなんだと言うのだ。そこに意味など見いだせるものか」
剣鬼は怒気を含め叱責した。
確かに剣鬼の言う通り、これは無謀な戦い方と言える。
しかし俺はそれだけではないと信じている。
師匠は突拍子もないことや無茶な修行を平気な顔で要求してくるが、後先を考えない無謀を教えるような人じゃない。
いつも生きることの大切さを俺がわかるように説いてくれる。
だから、一方的にも見えるこの戦いにもきっと意味があるはずだ。
そして師匠は俺の期待通り、力強く答えてくれた。
「意味ならあるよ。あたしは言葉にするのが下手だから、上手く伝わらなかったかもしれないけど、アルはきっと、受け取ってくれる」
師匠は振り返って俺を見た。
その表情は優しく、強い意志を放っていた。
「弟子が頑張る姿を見て、悪い気がするわけないでしょ。そして知ったの。アルのおかげであたしは師匠をやれてるんだって。だからね、これは師匠の意地よ。あんたがあたしの弟子が間違えてるって言うのなら、あたしがそれを否定する! 師匠として証明して、弟子が正しかったことにしてみせる!!」
言い放った師匠は背を真っ直ぐに伸ばし、上を向いた。
構えなどしていない。
もはや闘気も殺気も放たれていない。
その姿はここが戦場だと忘れるほどの佇まいだった。
しかしそれを見た剣鬼は何を感じただろうか?
静かな師匠とは対象的に、剣鬼は爆発したかのように真っ赤なオーラを発した。
「アマラ……貴様も俺を愚弄する気かっ!!」
師匠の姿を見た剣鬼は歯を剥き出しにして怒りの表情を浮かべている。まるで射殺さんばかりの殺気だ。
だが師匠が怯むことはない。
「アル。よく見ておきなさい。あなたが受け取ったのはそれだけじゃないはずよ」
それだけ言うと師匠の体は薄く輝きはじめた。
その光は色を変え、時には混じり合うように輝いている。
それはいつもの輝きとは異なるものだったが、惹きつけられるように美しかった。
相対する剣鬼は普段見せない構えをとった。
右足を大きく後ろに引き、上半身を捻じり、剣の切っ先を後方に向けた。
それは両手持ちによる横薙の構えだが、明らかにとどめを刺すものだった。
その証拠に剣鬼の体からは深紅の荒ぶるオーラが立ち上がっている。
「師匠……」
もうやめてくれと言いたかった。
笑っている師匠が好きだったから、これ以上傷つくのを見たくなかった。
だが止められないこともわかっていた。
師匠が命をかけて何かを教えようとしてくれていることがわかっていたから。
「師匠――!!」
俺のいくつもの願いを込めた叫びに合わせ、剣鬼は飛び出した。
蹴り飛ばした衝撃で地面は砂塵を舞い上げ、剣鬼のオーラが残像のように揺らめく。
師匠の眼前で踏み込まれた左足によって地面はひび割れ、それだけで衝撃波を生んだ。
さらに剣鬼の赤い残像が踏み込んだ剣鬼に追いつき重なる。
そして、剣鬼は剣を水平に薙いだ。
その斬撃は間合いなど関係ないと言わんばかりに空間を切り裂いた。
バランは衝撃に備えて前方に幾重にも結界を張ったが、斬撃によって結界はガラスのように砕け散っていく。
一枚、また一枚と結界は砕け、いよいよ最後の一枚になった時、バランはひときわ大きな声をあげた。
おそらく最後の結界に更に力を込めたのだろう。バランの体が銀色に強く光ると、最後の結界も同じく強く光った。
剣鬼の斬撃は最後の結界に少しずつひびを入れながら振動を伝えてきたが、銀色の輝きに包まれるようにして収まった。
しかし俺にはそれを気にする余裕などなかった。なぜなら俺の眼前には、剣鬼が迫っているように見えたからだ。
(これは……師匠の目線!?)
ゆっくりと剣鬼の剣が放たれるのが見える。剣鬼の右腰から放たれた剣は、師匠の左腹を目指して弧を描いている。
それに対して師匠は、武器を持っていない左手を差し出した。
そっと、剣に触れるように。
俺に見えたのはここまでだった。
視界が戻った俺の目にはふたりの姿がちゃんと映っていた。
しかしその姿はこの戦いで初めて目にする光景だった。
俺の目には、剣鬼の背後をとり、そっと首に剣を添える師匠が映っている。
そこには先程までの重圧はなく、語り合うような静かな雰囲気が漂っていた。
こうして天界の戦争は一夜にして終わった。決着がついたふたりを照らすように、太陽が昇ろうとしていた。
それから師匠は力尽きて倒れようとしたが、剣鬼が師匠を支えた。
それを見て俺とバランはふたりの側に駆けつけたが、剣鬼の殺気は既に静まりかえっている。
「相変わらず何を考えているかわん。昔から無茶ばかりするやつだったが……今回は一段と酷かったな」
そう言った剣鬼の表情はどこか清々しくもあるようで、俺に初めて見せるものだった。
「最後に師匠がやったのは何だったんですか?」
俺の問いに剣鬼はしばらく黙っていたが、師匠を俺に預けながら答えた。
「その問いには俺は答えられん。わかるわからないではない。導く者と紡ぐ者でなければ意味がない」
導く者はきっと師匠の事だ。
であれば、紡ぐ者はきっと俺の事。
そう思った時、俺は大きな意志を託された気がした。
それが何かはわからない。
だが、それが師匠の願いのように感じた。
俺は眠ったままの師匠を強く抱きしめる。
託されたのならば俺はその想いに応えたい。そんな俺の様子を見て剣鬼は朝日に目をやった。
「俺は長い事、己だけを信じてきた。それが間違っているとは思っていない。しかし、お前達を見て、少し羨ましくなった」
剣鬼はしばらく朝日を眺めたのち、こちらに向き直った。
「お前の声を聞かず悪かった。お前さえよければ、また稽古を続けさせてくれ」
あの剣鬼が威圧をかける事もなく、真正面から俺と向き合ってくれている。
今までの稽古も真剣ではあったが、どこか退屈そうな雰囲気を醸し出していた。俺自身もその気配に圧され、ちゃんと剣鬼の目を見れていなかったのかもしれない。
改めて向き合った剣鬼は真っ直ぐに俺を見ている。そこに濁りはなく、俺の芯を見透かすような澄んだ目だった。
きっと今日からが本当の弟子入りだ。
遠回りだったかもしれないが、他人に認めてもらうということはそれほど大変なのかもしれない。もっともそのために師匠が体を張ってくれたのだが。
そして俺は剣鬼に手を差し出した。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
そう言って剣鬼と、熱い握手を交わした。
剣鬼と別れたあと、眠ったままの師匠とバランに乗って家を目指した。俺に支えられた師匠は心地よさそうに寝息をたてている。
修行が終わるまであと五年もあるなんて言ってたけど、もう五年しかないのかもしれない。
師匠にはさっきの事も聞きたいし、これからもたくさん修行をつけてもらいたい。
それに、もっときちんとお礼を言わなくてはいけない。
改めて師匠の偉大さを知った俺はそんな事を考えた。そして師匠とのこれからのことを思い描き、思わず笑った。
「はやく元気になって下さいね」
しかし、この日から俺が旅立つまでの五年間、師匠が目覚めることはなかった。