5 天界《目的》
今日は師匠に連れられて天界のとある場所を訪れることになった。
そこは昔師匠が住んでいた場所だが、今は家もなく石碑だけが置かれているらしい。
「なんで急にそんなとこに連れて行こうと思ったんですか?」
「ちょうどいい頃かな〜って思ってね」
相変わらず本心がわからない言葉だが、師匠の誘いを断る理由がない俺はそのあとを追った。
この場所は入り江に浮かぶ小さな小山のようだ。見上げるほど高い山ではないが俺はこの山を今まで見た記憶がない。
「五年もいてなんで気がつかなかったんだろ? 何度もここらへんは通ってるはずなのに」
この天界という名の島は薬草の採取でほぼ歩き尽くしているはずだ。決してそこまで広い島ではない。
「ふふ。不思議でしょ。でもアルだって気がついてるんじゃない? だってはじめて出会ったあの場所がどこにあるかわからないでしょ?」
師匠の言うとおり、あの朱い屋敷はあの日以来見つけることができなかった。
そもそも天界なのに海に囲まれたりと不思議な場所なのだ。今更だったかもしれない。
それから入り江に浮かぶ小山を登った俺たちは、階段の先にある石碑まで辿り着いた。
そんなに高くはない山だが、遮るものがなく遠くまで見渡すことができる。
「綺麗な景色でしょ? 夜になると星に手が届きそうでお気に入りの場所なんだ」
師匠は背伸びをしながら楽しそうに周囲を歩いている。
だがそこから漂う気配はどことなく寂しそうでもあった。
「じゃあなんでここから今の家に移ったんですか?」
俺の言葉を背中で受け取った師匠は数秒黙ったあと、振り返って質問を返してきた。
「アルはよく今まで逃げ出さなかったね。辛くなかった?」
師匠は微かに笑っている。
きっと俺を褒めようとしたのだろう。
だがそう言われて師匠との五年間を思い返したが、俺はその言葉が正しいかわからなかった。
「……逃げましたよ?」
「……え?」
「だから、俺、逃げ出しましたよ?」
「……いつ?」
師匠は本当に覚えていないのか目を丸くして驚いている。
そして俺はその反応を見て溜め息を吐いた。
「特訓がはじまってわりとすぐですよ。三歳だったしそんなに遠くまで行けませんでしたけど」
「……あたし覚えてないよ? それに毎日一緒に特訓してたし……」
「ええ。師匠は隠れんぼの特訓だと思ってたみたいですが、俺は本気で逃げ出したんですよ。そしたらファイアボールの雨がそこら一帯に降ってきて丸焦げになって捕まったじゃないですか」
「……」
師匠は返事もせずに固まっている。
とりあえず俺は続きを話す。
「他にも島を囲むような馬鹿でかい竜巻を発生させて、どんどんそれを狭めて強制的に家まで戻らせたり、他にも」
「……うそ」
師匠はぷるぷると震えだすと俺に掴みかかってきた。
「うそうそうそ! うそよね!? うそって言って! ねえ、うそって言ってってば!」
師匠はなぜか必死になって俺を揺さぶる。
おかげて首がカクカクなって気持ち悪い。
これも特訓なのだろうか?
「うそじゃないですよ。でももうあきらめてます。だからうそでもいいです」
一応俺から『うそ』の言質をとった師匠は揺さぶりを止めてくれた。もう少し続けられていれば首がもげていたかもしれない。
「で、なんでそんなに必死なんですか?」
「いや、え? どうしよう。ここにきた意味がなくなっちゃったよ」
「? なんだったんですか?」
師匠は目を瞑って頭を抱えている。
いつもの師匠らしくない態度だ。
「……いや、本当はもっと大事な話がしたかったんだけど」
「それと逃げ出すのと関係があるんですか?」
「あるよ! おおありよ! でもそっか〜。アルは逃げ出したかったのか〜」
確かに逃げ出しはしていたが、師匠にそれを認識されるとなんだか腹がたってきた。
「別に今は逃げ出してないんだからいいじゃないですか。昔の話ですよ」
「でもな〜。逃げ出したかったのか〜」
「なんですか!? もう逃げ出しませんよ!」
俺の怒った態度を師匠はなぜか真剣に見つめてきた。照れるからほどほどにしてほしいのだが。
「なんで?」
「?」
「なんで今は逃げないの?」
「なんでって……なんでだろ?」
思わず師匠の質問に質問をかぶせる。
当然師匠はなにも答えず首を傾げている。
(逃げ出したのをやめた理由? そもそもなんで逃げ出したんだっけ?)
俺はこの天界で特訓がはじまったばかりの頃を久しぶりに思い返した。
確かにはじまってすぐの頃は辛いだけだった。なんせ目的がわからないのだ。世界を救うとは言ったものの、自分の命をかけてまでかと言われればそうでもない。
だというのに特訓はほぼほぼ命かけなのだ。
だから逃げ出した。
命が惜しいから。
(じゃあ、なんで逃げ出すのをやめたんだ? 逃げられないからあきらめただけか?)
でもそれは違うと言いきれる。
そしてその答えは目の前にいる。
「……師匠が、居てくれたからですかね」
「あたし?」
「はい。師匠はいつも、俺を信じてくれた……」
自分で口にだして納得した。
(そうか。俺はこのひとの期待に応えたくなったんだ)
俺は才能のない人間だ。
能力の素質を三つも手に入れたのに、一つも発動できずに嘆いていた。
それでも師匠は毎日特訓を続けた。あの頃は俺の気持ちを無視しているのだと思っていたが、今は違うとわかる。
師匠は少しも疑うことなく俺を信じてくれたんだ。過去のない俺にとってそれは唯一の支えと言ってもいい。
師匠に肯定されることで、俺は少ししずつ自分という存在を許せるようになった。
だから、俺は逃げ出すことをしなくなったんだ。
いつも全力で生きてきた俺はこういった内面的なことを考える事をしなくなった。
そういう意味ではここにきた意味というのはすでに十分かもしれない。
ただ、それを口にだして感謝するのは恥ずかしくてできそうにない。
「とにかくもう逃げませんよ。なんだってやりきってみせます。それで? ここにきた本当の意味はなんなんですか?」
最後はうやむやに言い放って誤魔化した。
そのうちちゃんとお礼を言おう。
そんな俺の様子を見た師匠は少しだけ笑ってみせた。なんでもお見通しなのかもしれない。
そして表情を改めるとゆっくりと口を開いた。
「アルは、なんで世界を救おうと思ったの?」
またも唐突な質問に俺はすぐに答えることができない。それをわかっていて師匠は続ける。
「世界を救うって、なにかな? 知らない人のために命をかけること? 知らない人を幸せにすること?」
師匠が続けて話す言葉を聞いても俺はその答えがわからない。
「世界を救うって、難しいね」
「……師匠の力なら、救えるんじゃないんですか?」
返事に困った俺は思ったことをそのまま口にしたが、師匠の寂しそうな表情を見て後悔した。
「……そうね。それができればよかったのに」
師匠は優しいひとだ。
人々が苦しむのを指をくわえて眺めているようなひとじゃない。
それなのに俺はそんなことを考えもせずに言葉を投げかけてしまった。
「……すみません。そんなつもりじゃなかったんです」
「ふふ。わかってるよ。ありがとうね」
師匠は気を取り直したように笑った。
それでもその笑顔はいつもの笑顔とは違って見えた。
「今日は、意味があってここに来たんですね?」
「うん。アルがこれからどう生きるかを考えなくちゃと思ってね」
「俺が、どう生きるか……」
生まれ変わってからひたすら特訓だけをしてきた俺は、地上に降りてからのことを考える余裕を持たなかった。
ただそれが、なぜこのタイミングだったのかはわからない。
「強くなるじゃ駄目ってことですか?」
俺の問いかけに師匠は首を横に振った。
「強くなるのは別にいいことよ。強くなるってことはそれだけ選択肢が増えるってことだから。だけど、目的のない強さは、いつか自分を傷つけるわ」
「強さが、自分を?」
師匠は背を向けると海に向かって両手を広げた。
「だからね、アルがいつか目的を持てたらいいなって思ってね。確かに世界を救うってのは素晴らしいことよ。でもね、他にも目的があってもいいと思うの。世界一強くなりたいでもいいし、お金持ちになりたいでもいい。なんなら愛するひとを護りたいでもいいと思うわ」
そして師匠は両手を降ろしてポツリと呟いた。
「その結果、アルがこの世界を愛して……救世主になってくれたらいいな」
「師匠は……」
俺は喉まで出かかった言葉を呑み込んだ。
俺の未来を心配してくれている師匠に今聞くことではない。
「俺は、その目的を見つけられますかね?」
振り返った師匠は俺の隣まで歩み寄ると、頭に手を置いて海を指差した。
「きっとここにそれはないわ。だからね、地上に降りたらたくさん旅をしなさい。アルが生きていく大陸は世界から見れば小さな島かもしれない。でもそのなかで、きっとアルにとって大切ななにかが見つかるはずよ」
「大陸を、旅する」
五年後に待つ世界を俺は知らない。
それでも今日、俺は最初の目的を見つけた気がした。
目的を探すための旅をする。
いつ見つかるかもわからない旅ではあるが、意識しなかった未来に薄っすらと光が射したように思えた。
「わかりました。でも旅をする以上、弱くちゃ駄目ですよね?」
「うん。弱いのは駄目」
「じゃあここでの生活は変わらないですね」
「うん。とっても強くしてあげる」
「師匠を越えるくらいに?」
「それは無理だろうね」
見上げた師匠の顔はいつもの笑顔に戻っていた。それを見ただけで俺は嬉しくなる。
だから、少しだけ魔がさした。
「隙あり!」
「アルっ!」
「ぐばっ」
俺は真横に立つ師匠のみぞおちを目掛けて拳を放った。
しかし師匠は俺の頭に置いていた手に力を入れると、そのまま地面に俺の顔を叩きつけた。
そして地面にめり込んだ俺の頭は、押さえつけた手に集まる魔力を感じとった。だが地面に頭が刺さっている俺にはもはやどうすることもできない。
「インパルっあ、やば!」
バガガガガガーーーーン
師匠の放った風魔法によって俺は意識を失った。ただ衝撃波が大地を裂き、地下深くまでめり込む感覚を俺は知った。
その帰り道、師匠は意識を失った俺を背負って家まで連れて帰ってくれた。本当は途中で目が覚めていたけど、俺は師匠の背中の温もりを感じるために静かに寝息をたてていた。