3 天界《死神》
「全部の能力……でもそれじゃあ発動できずに人生を終えてしまうんじゃ」
俺は当然の疑問を投げかけた。
それに対し美女は穏やかな笑顔で答えてくれる。
「でも、わたし、さっき三つの能力を使いましたよね? だから不可能ではありませんよ」
今まで思考の渦に飲まれていた俺には、その言葉がとても希望に満ち溢れているように感じた。そしてそれを肯定するように美女は微笑んでいる。
確かにこの美女は、三つの能力を使ってみせた。
最初の強化の時には赤く光り、魔法を使う時には青く光った。付与の瞬間は見ていないが、気がついた時には緑色に薄っすら輝いていた。
だから、できるのだ。
無理に一つに絞る必要はなかったのだ。
「そうか。あきらめる事ばかり考えていた」
ぽつりと呟いた俺の肩に、美女がそっと手を置いた。
思わず顔を上げた俺の目の前には、慈悲深い女神様がいらっしゃいました。
「あなたはさっき、この世界を救うと言いましたよね?」
女神様は俺の眼を見つめながらそう仰言った。その瞳はまるで俺の心を読んでいるようだ。
その瞳に導かれて俺は改めて自分の心と向き合った。
そうだ。
俺は決めたじゃないか。
俺はこの世界を救うんだと。
そして女神様はそんな俺を信じてくれている。それならば俺はこの慈悲深い女神様の期待に応えたい。
俺は自分と向き合ったあと、女神様の目を見ながら返事をした。
「はい。俺は三つの能力を使って必ずこの世界を救います」
自然と口から出ていた。
気負いもない。
そしてこの言葉こそが俺の本心なのだと少し嬉しくなった。
「それは、とても辛い道のりです。あなたは前の人生で一生懸命に生きられました。今度はのんびり暮らしてもいいのですよ?」
女神様は俺を思いやってくれる。
なんと慈悲深い。
こんなひとが心配してくれるというのならば、辛い道のりがなんだというのだ。
俺の心は更に熱く燃える。
「乗り越えてみせます! 必ず、この世界を救ってみせます!」
俺は高らかに宣言した。
気持ちいい!
これぞ主人公じゃないか!?
「あなたは強い人ね。わかりました。わたしはあなたをずっと見守っているわ。さぁ、その気持ちを伝えるのよ。三つの能力を望みなさい!」
「はい! 女神様!」
盛り上がったふたりは男に向き直った。
当然男は苦笑いだったはずだが、主人公している俺には思いやりの笑顔に見えた。
「……ほんとうにいいの?」
男は今までで一番人間らしい口調で尋ねてきたが、俺は「任せて下さい!」とトンチンカンな返事をした。
男はそれから何度か考えなおすように言ってくれたが、俺の意思は変わらなかった。むしろ反対されればされるほど頑固になった。
最後の救いとも知らずに。
「わかりました。それでは三つの能力を魂に刻みましょう。それと見た目は今の姿と変わりますが、多少は融通がききますよ。あと年齢も」
なるほど。
そこまで選ばしてもらえるのか。
今の自分が何歳でどんな顔かはわからないが、目に映る前髪は黒かな?
ちらりと女神様を見た。
女神様の髪は太陽のように美しく輝いている。
あそこまでとは言わないが少し憧れる。控えめな金髪くらいなら真似しても許されるだろうか?
「控えめでいいので、やや金髪に」
俺は男に言ったあと、伺うように女神様を見た。女神様は少し驚いた顔をしたあと、優しく微笑んだ。
癒やされる……。
「あたしとお揃いね。それで提案なんだけど、あたしのもとで修練を積まない?」
女神様は少しはにかみながら提案してきた。頬を紅くし、もじもじとしている。
はっきり言って凄まじい破壊力だ。
「しゅ、修行をしてくれるんですか?」
少し噛んだ。
恥ずかしい。
しかし女神様自ら修行を行ってくれるのは願ったり叶ったりだ。なんせ女神様は三つの能力を使いこなす事ができるのだから。
しかも修行と言う事は女神様と一緒に暮らすという事ではないのか!?
やはり俺はこの世界の主人公なのか!?
俺はひとり浮かれていた。
浮かれすぎてこの女神様が死神であった事を忘れていた。
そして俺は三歳に生まれ変わる事になった。これから十年間女神様のもとで修行をし、それから地上に降り立つ話になった。
知らなかったがここは天界らしい。
女神様がそう言ったから、俺はただ頷くだけだったが。
「それでは君の魂に色を刻み、肉体を再構築します」
男は一度大きく息を吐いたあと、先程とは異なっな雰囲気を纏って両手を俺にかざした。
その姿があまりにも神々しく、息をすることすら忘れて魅入ってしまった。
どこからともなく吹く風。
そしてゆっくりと俺の足元には大きな魔法陣が現れた。
その魔法陣は例えようのない様々な色を放ちながら天を突く。強烈な光のはずなのに眩しくはない。
その光が少しずつ自分の中に染み込んでくるのがわかる。
暖かく優しい光。
なぜかはわからないが、その光が自分を救ってくれるように感じた。
不安も、嘆きも洗い流されていく。
(俺は生まれ変わるんだ)
噛みしめるように心で呟いた。
そんな俺を見て男は呟く。
「君たちを、信じてみるよ」
◇◇◇◇
「気分はどうだい?」
光に包まれたのは数秒間だったのだろうが、明らかな変化がある。
まず目線が違う。
なぜなら俺は男や美女を見上げるように上を向いているからだ。
視界に入る前髪は先程の白から金髪に変わっている。が、少し控えめ過ぎたかな?
白っぽさが目立つ金髪だ。少し残念な気もするがそのうち慣れるだろう。
手足を動かして確認してみる。痛みはない。
ジャンプをしてみるが浮いてすらいない。
特別な体はもらえなかったようだ。
あとは気になった事を口にしてみる。
「女神様との修行ならすぐに能力を使えるようになるかな?」
体の内側を意識してみるが、能力がどういったものなのかわからない。
だがあせる必要はない。今から女神様にゆっくり教えてもらえるのだし。
そんなことを考えながら何気なく言っただけだが、男からの返事がない。
不思議に思って顔を上げると男は目を逸した。
?
なんだ?
今まであんなに誠実でなんにでも答えてくれたのに、その横顔は呆れているように見える。
俺はそのまま男からの説明を待ったがなにも言ってこない。
えっ!?
あやしくない!?
さっきまで主人公していて熱くなっていたが、急に熱が冷めたのがわかった。
俺は何か間違えたのかもしれない。
しばらくして男は大袈裟な溜め息を吐いて話しだした。
「先ほど二つの能力を持つと、発動できるようになるまでかなりの時間がかかると言いましたよね?」
男の口調は優しいが声色は全然優しくない。
嫌な汗が背中を流れる。
俺は都合の悪い部分を無視してしまったのかもしれない。
「……はい……確かに聞きました。だから二つの能力を持つと、普通の半分くらいの速度でしか成長できないのかな〜と、思ってます」
「……それで?」
男の声からついに優しさが消えた。
不安に押しつぶされて目眩すら感じる。
それでも俺は確かめなければいけない。
この不安な真実を。
「だから、三つの能力があるのなら、三倍の努力が必要なのかな〜と、思って……ます」
俺は貰った知識にある内容を話したが、男の表情を見て語尾は自信なさげに小さくなった。
男は憐れむような目で見てくる。
いや、その顔はダメだ。やめて。
待て、溜め息を吐くな。やめて。
タスケテクダサイ。
「あなたに与えた知識は大陸での一般知識と言いましたよね? 決して真実ではないとも。その証拠にあなたの知識に私たちはいましたか? この天界の情報はありましたか?」
もはや嫌な汗は全身から流れていた。
確かに知識を与えられたあとも、男の言う通りここがどいう場所で彼らが何者かは知らない。
それなのに、俺はなぜか女神様を信じきってしまったのだ。
「そして先ほどの答えですが、三倍などではすみません。そもそも二つの能力持ちの時点で三倍ほどの努力が必要です」
俺の精神はガリガリと削られていた。
これ以上ひどい情報は受け入れたくないと本能が叫んでいる。
それでも俺は絞るように声に出した。
「じゃ、じゃあ、ご、ろく倍……ですか?」
俺の質問に男は首を振った。
横に!
「十倍以上は必要ですね」
「!?」
俺はこの瞬間世界を救う事をあきらめた。
きっと能力を発動できる日なんてこない。
俺はこれこら色なしや能なしと言われて惨めに生きるのだろう。
なぜ俺の第ニの人生はこんなハードモードになったのか?
何を間違えたのか?
そんな無意味な事を考えた。
しかし考える間でもなかった。
だって答えは俺の隣に立っているのだから。
「ん?」
女はさっきと同じ笑顔を俺に向けてくる。
しかし今は女神に見えない。
いや、そもそもこいつは女神ではない。一体こいつはなんなんだ?
「……なんで?」
まるで別れを告げられた男のように、喉からは女々しい言葉しか出てこなかった。
だがこんな言葉しかでてこない。怒鳴りつける気力すらない。
「なんでって、頑張って乗り越えるんでしょ?」
女は悪気もなく言った。
まるで背中を押してあげたことを感謝しなさいと言わんばかりに笑っている。
確かに俺は世界を救う為に困難を乗り越えると言った。
それは事実ではあるのだが。
「でも、これじゃぁ……」
(……あんまりだ)
だがその言葉は続かなかった。
いくら騙されたとはいえ、憧れたのは事実であり、選んでしまったのは自分だ。
女は本当に背中を押しただけなのかもしれない。
ただ、少しは救いがほしいと思ってしまう。
「ふふ。だからあたしが修行してあげるのよ。それに十年もあるだもの。普通の人の百周分の特別な訓練をしてあげる。つまり特訓だわ」
そう言って女はまた笑った。
この女が笑う度に間違った方にいっているのにはもう気づいた。さらっと『普通の人の百周分』とか言ってるが、それをたった十年でやるつもりか?
多分まともな修行ではない。
そもそもこの女がまともではない。
それでも、女の話に耳を貸さずにはいられない。
だって俺には他の選択肢はもうないのだから。能力をあきらめるにしろ、三歳児が魔物のいる世界に放り出されて生きていけるはずがない。だからダメ元で女の特訓に付き合うしかないのだ。
とはいえ、何かにむけて頑張りたいという気持ちも嘘じゃない。逆にここまで追い込まれれば必死になれるかもしれない。
少しずつ、俯いていた気持ちが持ち上がる。
まだあきらめるには早すぎる。
十年間脇目も振らずに修行すれば、三つの能力を使いこなせるようになるかもしれない。
可能性はゼロではないのだ。
(だったら……やるか)
俺は大きな溜め息をひとつ吐き、後ろめたい気持ちを断ち切った。
不安はあるが、今は前を向こうと自分に言い聞かせる。それだけで少し心が軽くなったのが感じられた。
結局最後までこの女の筋書き通りになってしまったが、悪い人ではないはずだ。
信じてはいないが、今はこの人の能力に頼ろう。
「わかりました。あまり納得はできていませんが、あなたが三つの能力を使えるのは事実です。十年間お世話になります」
「うんうん。素直な事はいいことだよ〜。それからあたしのことは師匠と呼ぶといいわ。そして君は……そうね、アルなんてどうかしら? うん! どこにでもいるただのアルね!」
そう言って女、あらため師匠は三歳児になった俺の頭をポンポンと叩いた。
そっと見上げた師匠にどこか母性を感じたのは秘密だ。だから、俺はその名をすんなり受けいれた。
ただ、名前の由来について質問をして後悔する。
「響きがいいじゃない? それにアルって、気合も入るし」
響きはまだしも名前に気合を求める意味がわからなかった。
その瞬間までは。
わからないままキョトンとしている俺に対して師匠は一歩下がると、右足を後ろに大きく振って、ひときわいい笑顔をした。
「とりあえず軽くいくよ〜」
師匠はそう言うと、俺の意思を確認せずに右足を勢いよく放った。
「アルっ!」
「ぐぼっ!?」
俺の名前とインパクトの瞬間が重なるように、師匠のつま先は無防備な俺のみぞおちにめり込んだ。
しかし師匠の蹴りはそれでは飽き足らず、俺をはるか後方まで蹴り飛ばした。
まるでボールのように宙を飛びながら俺は涙目で思う。やっぱりこの人についていくのは間違いだと。
気合は俺が使うものではなく、師匠が使うためだったのだ。そして師匠は軽くと言っていたが、三歳児に軽くもなにもあるものか。
こうして俺の修行は始まった。
この天界で十年間。
女神様との憧れの生活などどこにもなかった。