表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
大阪を歩く犬2  作者: ぽちでわん
7/44

大阪城公園

そろそろ難波大道を歩いてみようと思った。

大道という地名が残っていたりする難波大道、他にもなにか残っていないか、どんなところを通るのか、歩いてみよう。

難波大道は昔、都だったという難波宮から南に向かう道なので、難波宮跡公園からスタート。

難波には古くは応神天皇や仁徳天皇も宮をおいていたと記紀(古事記や日本書紀)には書かれているけれどその所在は不明で、大阪じゃなく九州だって説もある。

大阪だとすると、その頃、今の難波は海の底だったらしくて、難波宮は上町台地のあたりにあったとされている。

その後、大化の改新の頃にも難波に宮が置かれ、天武天皇の頃には副都が置かれた。それも記紀には書かれていたけれど、所在は不明だった。

戦後、山根さんって考古学者が難波宮を探して大阪城の近くを調査。今の徳川埋蔵金みたいな感じだったのかな。そんなものあるものか、と笑う人もいたみたい。

日本は神の国だ、天皇は神の系譜だって、戦前の日本は初代神武天皇のこととかも学校で教えていたそうだ。天照大御神あまてらすおおみかみから続く神の系統が天皇家で、高千穂からやって来たその子孫が神武天皇だと。

けれど第二次世界大戦で大敗して、神の国だなんてでっちあげだったんだ、と、記紀に書かれているあらゆることにも疑いがもたれたのだって。難波が宮に置かれたとか、そんなことも絵空事じゃないのかと。

けれど山根さんは宮跡を発見。それは平安京や平城京よりも前の大化の改新の頃や、天武天皇の頃の宮の跡だった。建物でいっぱいのところなので、発掘も研究もまだ途中だけれど、朱雀門とかもある立派な宮だったことも判明。その後の聖武天皇の時の宮の跡もみつかったそうだ。

朱雀門からは南にまっすぐ立派な大道がのびていて、その跡が大和川の南あたりでも見つかった。幅15m以上。突き固めてつくられていて、排水などのために両脇に側溝も設けられていたそうだ。


大化の改新の前は、蘇我氏の天下だった。少年だった聖徳太子も参加したという物部守屋との戦いに勝利して、蘇我入鹿が我が物顔だったんだとか。

そこで立ち上がったのが当時の天皇の息子の中大兄皇子と中臣鎌足。

天皇は女性の皇極天皇で、聖徳太子のいとこの孫にあたる人。

中大兄皇子と中臣鎌足は乙巳の変と呼ばれるクーデターを決行。中大兄皇子は母である皇極天皇の目の前で蘇我入鹿を殺害。クーデターは成功し、蘇我氏は力を失った。

皇極天皇は退位して、次はその弟が孝徳天皇として即位。645年、長柄豊崎宮なる難波宮に遷都。中大兄皇子主導で大化の改新が行われた。叔父の孝徳天皇は飾りだったのか、政治の実権は中大兄皇子が握っていたみたい。

この頃、百済や新羅が人質としていろんな人を送ってきていた。その玄関口でもあったのが難波津。今では神戸に洋館が建ち並んでいるように、彼らが住んだ摂津や河内には百済風、新羅風のものが多く見られた時代だったのだろうな。

中大兄皇子らはそのうち飛鳥に戻り、孝徳天皇の死後、655年に飛鳥に遷都。645年から655年にかけて難波が首都だったのね。

その後、683年に天武天皇が難波宮を副都とするけれど、686年に全焼。記紀に記載されている通り、難波宮跡からはこのときのものと思われる焼けた跡もみつかっているそうだ。

それから744年、聖武天皇の時、リニューアルした難波宮を再び副都とした。副都を任されたのは朝廷直轄の摂津職という役職。

この頃には百済が滅亡して、百済から亡命者が多数やって来ている。

793年、摂津職を廃して国府をおき、摂津難波は一地方都市になった。


山根さんが見つけた難波宮の跡は、難波宮跡公園になっている。

大阪城公園のすぐ南西にあって、ついでだから大阪城公園にまず行った。梅の見頃だったから。

今では大阪城公園の地図が頭にできているけれど、当時は全く分からなくて、うろうろしながら城内にある梅園へ行った。

梅園に向かって坂を上る途中、玉造口があった。大阪城の出入り口の1つで、枡形になっていたのだって。ここから大阪城を南に出ていくと玉造。玉作の人々が住んでいたというところね。

今では広々とした道になっていて、そこを中国の人たちがぞろぞろと歩いていた。

コロナ前だったから、欧米の人々や韓国の人々、日本の人々と、あとはたくさんの中国の人たちがいて、バス乗り場のほうにはフルーツ売り場もあったくらいだった。生のフルーツを安全に食べられるっていうので中国の人たちに好評で、当時は道頓堀あたりでもよくフルーツが売られていた。しかもいちご1パック千円とかで。


梅園は、せっかく上った高台をまた下っていったところにあった。下る前の高台から梅園を見ると、白やピンクで夢の里山みたいにきれいだった。

高台には「蓮如上人袈裟がけの松」があった。枯れた松らしい木の根元のあたりがちょっと残っているだけだった。この時はまだ蓮如のこともほぼ何も知らなくて、この根元だけ残った松がなんだってこんな御大層に、とか思っていた。

蓮如は室町時代の終わり頃、このあたりに大坂御坊を建てて住んでいた人だ。

鎌倉時代、親鸞が起こした浄土真宗はその後廃れ、子孫だった蓮如は本願寺を継いでいたけれどまあ言えば落ちぶれていた。ついには本願寺も比叡山によって壊され、放浪。大阪(当時は大坂と書いた)は生玉の生國魂神社の隣に大坂御坊を建てて住んだそうだ。

生國魂神社も坐摩神社と同じで秀吉の大阪城築城に際して移転させられたけれど、元は大阪城あたりにあったと思われるのだって。けれど実のところは所在不明。「袈裟がけ松」も伝承だけなのかもしれなかった。

蓮如が大坂にやって来たのは室町時代、応仁の乱の頃のことで、当時、あたりは虎狼の住処だったとかよく言われている。けれど虎狼って、粗野で信仰心の無い人々のことを言っているだけかもしれないと思う。生國魂神社や坐摩神社に近く、坐摩神社周辺には渡辺党もいたのだろうし、本当に虎狼の住むような田舎でもなかったのじゃないかな。

それとも環濠集落ばかりだった時代で、環濠の外は夜になると実際に虎狼がうろついていたのかな。

その後、大坂御坊は石山本願寺と呼ばれるようになった。そして大坂は寺内町として大きくなっていった。

蓮如の子孫の顕如が住職のとき、お寺も1つの共和国のようだったという戦国時代、石山本願寺は織田信長にも引けをとらない強さを誇った。

坊主も刀をとって僧兵となり、木津などに砦を築き、顕如の義兄は武田信玄。奥さん同士が姉妹だったそうだ。


梅園には梅がいっぱいで、人出も多かった。この頃はまだほとんど外国の人には知られていなくて、「大阪城公園でここが一番日本人が多いところや~」と言っているおじさんがいた。

広いところに様々な梅が咲いていた。わたしはなにも知らなかったのだけれど、梅は品種によって咲く時期に一か月以上も差があったりするので、すべての品種の満開を見ようとすると、何度も通わなければいけないみたい。

毎年何度も通って詳しくなったらしきおじさんが、いろんな人に声をかけてうんちくを語っていたりした。

わたしたちもその後、何度か通っていろんなものを見た。珍しい鳥、ジョウビタキ。1つの梅の木に赤い花と白い花が咲いていたりする。

一度は鷹を見た。バサバサッと音がして振り返って見ると、鷹が舞い降りてくるところだった。そして一瞬後にはもう飛び立っていた。一羽でではなく。すぐそばだったので駆けていくと、なにもなかったみたいな道に、たくさんの羽が散らばり、白い羽毛も舞っていた。周りに人はいたけれど、梅を見ていて、誰も気づいてはいなかった。

大阪城公園には鳩対策にか鷹匠が鷹と一緒に出張に来ているそうだ。鷹が仕事をした・・・のだろう。


大阪城公園には大阪城があって、内濠に外濠に、その周辺もかなり広くが公園として残されている。

けれどそこを出て行けばかなりの市街地で、西側には上町筋を挟んで府庁なんかのビルが建ち並んでいた。上町筋を南下していくと馬場町ばんばちょう交差点。

もう少し行くとビル群の中に藁ぶきの高床式倉庫が現れる。新しい10階建てビルの歴史博物館があり、周辺が公園になっていて、そこに高床式倉庫が復元されている。このあたりで5世紀頃の16棟の倉庫が並んでいた跡が見つかっているのだ。

5世紀と言ったら仁徳天皇の頃かな。難波に宮をもっていた仁徳天皇の頃、難波津だったのだろうこのあたりに倉庫群があって、船が行き来し、荷物を保管していたのかな。

法円坂交差点があって、ここで中央大通り(下を地下鉄中央線が走っている東西に走る大通り)を越えると難波宮跡公園。

このあたりに5世紀から宮がおかれていたかもしれず、少なくとも大型倉庫群が建ち並ぶ港があり、7世紀には確かに宮がおかれていて、後には近くに蓮如が石山本願寺を創建。織田信長にも負けない強さをほこった。

戦っても勝敗がつかず、同盟を結んで石山本願寺は織田信長に引き渡された。本能寺の変の後、豊臣秀吉の所領になって、秀吉が大阪城を築城。息子がそこで家康によって消されることになるなんて思いもしなかっただろうなあ。

息子・秀頼とその母の淀君は大坂夏の陣で亡くなり、豊臣家は滅亡。徳川は豊臣の大阪城を埋めてその上に新しい城を築いた。

そして今はビル群の建ち並ぶ市街地だ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ