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大阪を歩く犬2  作者: ぽちでわん
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城北公園

京街道歩きの途中、城北公園に寄り道した話。

街道途中の今市交差点で交差する道が城北公園通りだった。

公園のある西に歩きながら、寄り道をちょっと後悔した。暑い中だと1kmさえも遠く思えた。もうすっかり日は高くのぼっていて、つらかった。

地名は太子橋、大宮、中宮。

「太子橋」は聖徳太子からきているそうだ。聖徳太子が茨田堤視察のため、このあたりにもやってきたと伝わるのだって。

大宮は大宮八幡宮からきているらしかった。大宮八幡宮は源義経の創建と伝わる神社。中宮は大宮に比べて中宮かな。

聖徳太子に源義経に大宮に中宮に、街なかを歩いているだけなのにたいそうな話だった。

それからやっと城北公園に。着いてしまえば、寄り道して来てよかったと思った。緑がいっぱいで、涼しかった。


公園には大きな池があった。ウシガエルが一匹だけないていた。巨大なオリーブの木があった。

菖蒲園も有名みたいで、奥の方で有料にて公開中だった。フリーの園内にも少しだけ菖蒲が咲いていた。

「ねこを捨てるな 捨てるなねこを」「カラオケをしないでください」「マダニ注意」などの看板があった。

公園内の北側が上り坂になっていたので、上って行ってみた。ここは淀川の堤防なのかな。大きな菅原城北大橋が右手にあり、淀川を渡ると東淀川区豊里。

豊里も聖徳太子縁の地で、四天王寺を建てる地の候補の一つとして聖徳太子が視察に来たと伝わるらしい。地名の「豊里」も聖徳太子の別名、豊聡耳とよさとみみからきているんだって。


ここから見る淀川は、やけに川幅が広かった。どうやら「ワンド」が付属しているらしい。ワンドには釣り人が並んで腰かけていた。バス釣りスポットとしても有名なんだって。

ワンドはオランダの技師による治水工事によってつくられたものだそうだ。城北公園自体が明治時代に付け替えられた淀川の元の川原だったところらしい。

淀川は、このあたりで、今よりもっと大きく迂回していたそうだ。東淀川区と守口市の間を流れてくると、今はそのまま西に東淀川区と旭区(守口市の西隣)との境界を流れているけれど、元は旭区と守口市との境界をいったん南に流れていっていたのだって。逆巻いてよく洪水が発生していたそうだ。

付け替えることで洪水はましになったけれど、東淀川区の豊里などは耕地が川になり、川の北と南に分断されてしまったんだって。だからしばらくの間は川の南側も東淀川区豊里であったらしい。

大宮なる神社も川の底に沈むことになり、遷座したんだって。大宮はこの地をしばしば訪れていたという27代安閑天皇を祀った神社だそうだ。


堤防らしき高台の上には平和地蔵尊が祀られていた。その横には千人塚の碑。

第3回大阪大空襲(409機のB29がやって来たんだって)での目標地は都島、鶴橋駅、天王寺駅、および大阪陸軍造兵廠。視界が悪く、都島区あたりを集中爆撃、淀川両岸で機銃掃射。このあたりに避難してきていた人々を襲い、死体の山を築いたそうだ。

千数百人の遺体を荼毘に付し、ある人が「千人つか」と彫った石を置いたんだそうだ。

その黒い文字は手書きの感じだった。矢田の北向きの神社で見た碑を思い出させた。そこは被差別部落の人たちの神社だった。城北公園園内にも「差別をなくそう」の看板があった。


ここの地名は生江で、川原だったところ。元は荒生なぎといい、その「生」と「江」で生江となったんだとか。

河原は刑場でもあり、刑の執行を行ったのは、河原者とか呼ばれた河原に住む人々だった。河原者たちは牛馬の死体を扱うことを許されていたそうだ。他の人たちには許されていなかったから、牛馬が死ぬと河原者の人たちに引き渡された。

解体すると夥しい血が流れ、地にしみ込むと悪臭が消えないらしく、解体は川原で行われた。そのためもあって川の近くに住み、河原者とも呼ばれたのかな。

この頃、思う。人々がばたばたと死んでいったような古い時代には、牛馬の解体もなんていうことのないことだったんじゃないかな。死はすぐそばにあって、いつも囁きかけていた。人の死体も珍しくなくて、目にすることも多かっただろう。

自分たちもいつかはそうなる、自分たちとの差はそれほどない亡骸。

けれど人々は「栄華」なんてことを知った。

死がそんなに近いものだと思いたくなくなった。死体からは目を背け、死の囁きには耳を塞いだ。死は遠いものだと思いたかった。

ウジムシ、血の匂い、死体、それらを忌み嫌うようになった。そして平気で自分たちの前に死を晒す河原者たちをも、忌み嫌うようになったのじゃないかな。

解体の日、ひどい臭いがし、川には赤い血が流れ、首が転がっている。自分たちとは違うと思いたかった。そして差別が生まれていったのじゃあないかなあ。

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