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大阪を歩く犬2  作者: ぽちでわん
24/44

西高野街道を河内長野まで

そして満を持して西高野街道の続きを歩きに行った。

もう5月になり、日差しもきついくらいの日々もあった。けれど少しましだった日。

西高野街道も残すところ千代田から河内長野まで。千代田までに西高野街道に合流してくる中高野街道や下高野街道も既に歩いたから、千代田から河内長野までを歩いたら、あとは河内長野で合流してくる東高野街道を歩いて高野山に向かうだけ。


南海本線千代田駅で電車を降りると、西の西友を目印に歩いていった。西友を越えて、次の信号を左折して、南下するのが西高野街道。

けれどその前に、そのまままっすぐ行くとすぐらしい寺ヶ池公園へ行ってみることにした。坂をぐんぐん登っていくと、貴望ヶ丘交差点の右手に寺ヶ池公園が現れた。

入っていってみると大きな公園だった。しばらく奥に進んでみたけれど、公園の中にある寺ヶ池の周りを歩くだけでも相当ありそうで、途中でやっぱり引き返した。

池の北側では、池のほぼ全景が見えた。一緒に遠くの山々も見えて、素敵だった。

江戸時代初め、新田開発のために、みんなで小さな池だったのを大きくしたそうだ。かなり大勢でがんばったのだろう大きさだった。石川からの水を池に貯め、下の水田に水を流したんだって。「どんな干ばつでも水が枯れたことがない」深い池だそうだ。

12月にはイルミネーションも行われているらしい。PLの花火もよく見えるから、当日はすごい人出になるんだそうだ。

池の周遊路から階段を下りていくと、そこから見上げた池の周遊路の風景も素敵だった。

「⇒千代田駅」の道標があり、その反対には「⇒下里・天野山」と書かれてあった。寺ヶ池公園を西に行くと、この間天野街道で歩いた堺カントリークラブあたりのようだった。

またゆっくり来てみたいな、と思いながら西友に戻った。

歩いていて、坂は多いけれど、住みやすそうなところだなあと思った。歩道側の信号もすぐ変わる。散歩していると、押しボタン式なのに相当待たないと青にならないような信号も多いから、これはポイントが高い。電気屋さんなんかもレトロで昭和っぽい。おじいさんもおばあさんも元気そう。

前に千代田にやってきた時にも寄ったパン屋さん「トリーゴ」も昭和な感じの下町っぽいお店で、どんどんこんなお店が閉まっていく中、生き残れているっていいところだなあと思った。値段も外観も昭和なパン屋さんで、90円のパンとかも普通にある。

そんな暮らしやすいのだろう千代田は、すっかり住宅街だ。


そして西友の近くの信号を曲がって西高野街道へ。いきなり変な匂いがして、近くの工場からの匂いかな? あたり一帯はNTN金剛製作所なる軸受の工場だった。昭和15年、鉄道に近い田舎ってことで移転してきたんだそうだ。当時は人口がこんなにも増える前で、このあたりもまだ田んぼだらけの田舎だったのだろうなあ。

匂いは残念だったけれど、街道は素敵だった。まっすぐ山に向かうかのような南に向かう一本道。古い感じもある。風鈴がどこかから鳴っていて、それがすごく似合っていた。さっき行った寺ヶ池方面にお墓が見えた。


しばらく行くと、晴明塚が現れた。ただ「晴明塚」と書かれていて、後ろには大きな石がお地蔵さんとして祀られていた。安倍晴明の経典(占いの書物)が埋められているとか言われているところだそうだ。

高野山詣でをする天皇ご一行の中に安倍晴明がいたそうだ。占いで天気も予報していたのだけれど、このあたりで「雨が降るな」とつぶやく老人に出会った。晴明の経典による占いとは違っていたのだけれど、翌日、本当ににわか雨が降った。

帰りに晴明は老人になぜ雨が降ると分かったか訊ねたのだって。「なあに、雨が降る前にはできものがむずむずするんですわい」

晴明は、経典に何の意味があるかとその場で燃やしてしまったらしい。それを村人たちが埋めたんだって。その後、ここで占うと、よく当たると言われたそうだ。


このあたりから坂を下っていくので、前方に山がよく見えた。右には丘(多分、寺ヶ池公園)。

ここまでの高台のあたりには、なにかただものではない感じが漂っていた。ここの集落を作った人々のただならぬ古さみたいなものが。

北側の千代田駅周辺は、比較的新しい町のようだった。寺ヶ池が作られたことでうまれた集落だったのかも。そしてこの原町あたりからが古くからの集落みたい。それを肌が感じていた。


外環を過ぎ、しばらく進むと、「原町十三仏」のある「旧阿弥陀寺石造物群」が現れた。小さな祠に十三仏。十三仏って一枚の石に十三の仏が彫られているもので、それぞれの仏は十三回忌までの仏なのだって。

このあたりも古そうなのに、高台のあたりとは雰囲気が違っているのはなんだろう。高台あたりの雰囲気がそれくらい普通じゃなかった気がした。


瓦工場のかなり古い、素敵な建物が現れた。紡績工場ではこれくらい古いものをよく見るけれど、瓦工場なんて初めてだ。「山中製瓦所」とあった。今も「山中窯業」として存続しているみたい。

このあたりは由緒のありそうなところなのに、昭和な感じのスナックや工場もあって、その感じがなんだか面白かった。

東に見える山の上の方に、多重塔や寺院の屋根らしきものが見えていた。後で調べると、願昭寺かな?


車道(国道310号線)に出たら、横切って続きを歩いた。寺元記念病院の裏側の道へ。

310号線は西高野街道歩きでたびたび現れた道だった。別名西高野街道で、歩きの西高野街道のそばを走っているみたい。地名は「古野町」だった。「原」とか「古野」とか、素敵な名前のつけ方だな。古市あたりの「野」「岡」なんかと感性が同じ。名付けたのが類似した氏族だったとかかな?


途中の交差点に石碑が立っていて、行ってみると「膳所藩代官所跡」だった。説明はなく、碑が立っているだけだった。膳所ぜぜ藩って、滋賀県の藩なのだって。

このあたりは、説明には乏しいけれど、ところどころにちょっとしたこういう見所があって、飽きなかった。お地蔵さんもちょくちょく現れた。それぞれになんだか物語がありそうなお地蔵さんたちだった。

西高野街道の九里石がここらにあるはずだったのだけれど、見つけられなかった。そうしたら、街道沿いから移動してしまっていて、寺元記念病院の表側の道を歩いていったところの行者堂にあるんだって。見つけられないわけね。


道が右にカーブして、いきなり急坂で下っていった。カートを引いているおばあさんたちが、毎度のことだけどしんどいわって顔で上ってくる。

道は商店街に入り、昭和の香りの商店街を歩いていくと、河内長野駅前だった。高野街道の新しい碑などがあって、このあたりが東高野街道と西高野街道との合流点ですと立派な説明版も置かれていた。

気づかずにいたので、「金剛山に登山に行くときにバスに乗る駅」という認識だったのだけれど、「高野に通じる町」でもあったのね。


近くに長野町があった。元は河内国錦織郡だったそうだ。渡来人が多く住んでいたらしい。錦織部なる錦を織る職能部民たちが住んでいたのだろうところ。

古墳時代、天皇の特注品はたいてい渡来人の人たちに作ってもらっていたみたい。メイドインチャイナに近い渡来人たちの作るものがトレンドだったんだろう。都のそばには錦織部(絹織物をつくる)、衣縫部(それから服を縫う)、笠縫部、鍛治かぬち部、陶作部、玉作部、鞍作部などが住んでいて、集団で生産していたみたい。

その後、錦織部の人たちがここ、河内長野に住むようになったのかな。

信州に有名な長野があるから「河内長野市」と名づけられているけれど、信州の長野よりこちらの長野のほうが先にあったと聞いたことがある。

あと、藤井寺の国府あたりもかつて長野と呼ばれていたところ。単に「長細い野」で「長野」だっただけで、互いに関係はないのかな??


信州長野は善光寺の寺内町として発展したらしいのだけれど、その善光寺を開いた(644年)のが本田善光さんだと言われている。古墳時代から飛鳥時代に生きた人。

仏教に反対だった物部氏が海に投げ捨てた仏像(百済王からもたらされたもの)を本田善光さんが難波津で拾い、それを任地に持って帰って開いたのが善光寺だというふうに言われている。

以前に散歩で行った「小山善光寺」は、信州に戻る前の善光さんが仏像を持って立ち寄り、当地の法師と三日三晩念仏を唱えたら仏像が2体になったので、その片方を本像として法師が寺をたてた、というところだった。元祖・善光寺であるらしい。

場所は藤井寺の誉田だったあたり。後にか、百済王族の子孫の葛井さんが住んでいた。


そして、百済最後の王の息子の一人が善光さん(601~687)。

滅びそうな百済王国だったから、息子たちは日本にいたそうだ。兄は百済に戻って戦い、戦死。

前に桑津街道を歩いた時に通った、渡来人の多かった生野区の舎利尊勝寺には、かつてこの善光さんが祀られていたとも言われているのだって。百済尼寺だったのじゃないかとも言われている。

百済から日本にやってきた人たちにとって、善光さんは特別な人だったのじゃないかな。

滅亡しようとしている祖国、百済。都のそばに住んでいた百済から亡命してきて部民となった人々にとっても、王になって欲しかった皇子だったのかな。

本田善光さんの実体についても諸説あるみたいだ。まだ苗字のなかった時代なのに本田だし。本田は誉田ホムタだったのかもしれないな・・・。

誉田、長野、百済・・・ミステリアスな話だなあ。

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