机に描いたチョコ
ちらちらと雪が降った14日、バレンタインデー。
多くの生徒がどこか浮き足立つこのイベントに、私は初めてまともに参加した気がした。今までも義理でもらったり渡したりはしたけど、心持ちが違うとこんなにも変わるものだったんだ。
白状すると、楽しかった。
実は男の子にあげたも初めての経験だったりする。小松君に、筒井さんと作ったチョコを渡した。緊張したけれど、彼も少し顔を赤くしていたので、気恥ずかしいのは相手も同じかと、ちょっと安心した。
勢いで、もっと大胆なことをしてしまった。
14日は金曜日でもある。クーロン君と、週に一度の会話を交わす日。
1ヶ月以上続く文通は、もうけっこうな回数を重ねていた。机の縦一列が埋まりそうな勢いだった。
バレンタインの活気に当てられていたんだろう。私は、クーロン君にもチョコをあげたいと思った。
で、机にチョコの絵を描いた。
「へえ、うまいね」
お新ちゃんの冷やかすような言葉で、私はちょっと冷静さを取り戻した。よく考えてみれば、かなり恥ずかしいことをしていないだろうか。でも仕方ないじゃない。実物を机に入れておくわけにもいかないし、見知らぬ相手から食べ物をもらうのは怖いとも思う。
「絵に描いた餅……というか机に描いたチョコか。机上の空論もいいかも」
(意味が違うわよ)
言い返しつつも、やっぱり私は浮かれていたんだと思う。常に心が温かいような。地面から少しだけ浮き上がっているような。どこか懐かしい感覚がしていた。
そんなフワフワした状態も、不思議と、嫌ではなかった。
次の週には大掃除があった。終業式はまだ先だけど、2年生も終わりかと、感慨深い気持ちになる。周囲の環境ががらりと変わるなんて、想像もしていなかった。
「星埜」
と、小松君が声をかけてきた。ちょうどゴミ箱を運んでいる時で、彼は持つのを手伝ってくれた。一人では難儀していたから、ありがたかった。
「この前はチョコありがとな。美味しかった」
「よかった。筒井さんも喜ぶよ」
火曜日の光景が思い浮かんで、自然と柔らかい気持ちになる。男子の前で普通に笑っている自分。本当に、なんだか別人になってしまったみたいだ。
「弥生と買い出しに行ったんだって? あいつ、すげー喜んでた」
弥生とは、筒井さんのことだ。筒井弥生さん。前々から思っていたけど、
「小松君って、いつから筒井さんと仲いいの?」
「幼稚園からかな。家が近所でさ。
小学校は別だったけど、まあ、腐れ縁だよ」
「ふうん。でも羨ましいな。なんか親友って感じで」
「何言ってんだよ」
小松君は優しく笑った。
「星埜こそ、ずっと前から弥生と親しかったみたいに見えるぜ?」
それは予想外の評価だった。……ほう。
ずっと前から。
親しい。友人。
「……星埜、どこ見てんの」
「いや、ちょっと」
不自然に顔を背ける私を、小松君は不思議がっていた。だって仕方ないじゃない。両手はゴミ箱で塞がっているから、口元を隠すのが難しかったのだ。
用事を済ませて小松君と別れた後、案の定、待ちきれないといった感じでお新ちゃんが話しかけてきた。
「親友だって! 僕もそう思っていたんだ。良かったね!」
(やっぱり盗み聞いてたか)
そわそわしている気配は感じていた。
「あのさ、苺」
お新ちゃんは不意に優しい声で言った。
「苺は自分が変わった、って思ってるかもしれないけど、本当は違うと思うよ。君は、僕が死ぬ前は、明るい女の子だった。筒井さんのような子達と笑って、小松君のような男子とも普通に会話する。ごく普通の女の子だった」
「なによそれ」
「深い意味はないさ。僕も嬉しいんだ。苺が元に戻り始めて」
元に戻る? どういう意味よ、と笑おうとしたけど、できなかった。お新ちゃんの声には、言葉とは裏腹に、どこか寂しそうな響きが混じっていたから。
もし私が元に戻ったら。昔のように「普通」になったのなら。
あなたはどうなるの?
浮かんだ疑問を、私は慌てて飲み込んだ。聞いてはいけないような予感がしていた。




