表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
机上の時空論  作者: 御法 度
8/24

追憶

 

 私たちは場所を変えた。第二部の舞台は、何を隠そう、私の家なのだ。

 仕事でいつも両親がいない私の家は、二人でお菓子作りをするには最適だ。提案する時は勇気が必要だったけど、とても喜んでくれた筒井さんを見たら、よかったと思えた。

「でも本当によかったの?」

「大丈夫だよ。私だけだし」

「ふうん、一人っ子なんだ」

「まあ、ね。うん」

 お邪魔しまーす、と元気良く我が家に足を踏み入れた筒井さんは、しかし、一瞬怪訝そうな表情になった。わずかに鼻をひくつかせているようだった。

「どうしたの?」

 なにか不備があっただろうか。不安になって聞いたけど、筒井さんはすぐにいつも通りのスマイルで「なんでもないよ」と目をきゅっと細めた。

 だけど、やっぱりなにかおかしかった。チョコを作っている間も、はしゃぎながらも、どこか本気で楽しめずにいるような。なんだか変な空気が流れていた。いつもと違うシチュエーション、という理由だけではなかった。

「あのさ、もしかしたら」

 チョコを冷やしている間、筒井さんは唐突に、困ったような顔で切り出した。

「さっき私、嫌なこと聞いたかも」

「……ううん、いいよ。もうだいぶ前のことだから」

 そっか、気付いたんだ。私は自分の至らなさを恥じた。もう少しこちらから気を遣うべきだったかもしれない。

 筒井さんは鼻が利くようだ。さっき、玄関で嗅いだのは、微かに残るお線香の匂いだったんだろう。

「本当はね。兄がいたの」

 それだけで聡明な彼女は悟ったに違いない。押し黙ってしまった筒井さんに対して、私はそんなに悪い気分ではなかった。むしろ、彼女には知って欲しいと思った。兄のことを。

「私が小学生の時に。事故で」

 兄の最期を話そうと思った。

「今よりも少し暖かくなった、3月くらい。私は5年生の終わりだったんだけど、その時片思いの男の子がいたの」

「あら」

 筒井さんは目を丸くした。だけど茶化しはしなかった。

「不思議と、顔は思い出せないんだけどね……。とても好きだったのは覚えているのに。

 で、その子と遊びに行く機会があったんだけど、兄が後を着けていたのよ。当時兄は、私たちと同じ高2。信じられないよね」

「こんなに可愛い妹がいたら当然だよ」

 真顔で返されたのには面食らった。

「えっと、そんなことしてるもんだから、轢かれちゃった。トラックに」

 運転手の人も即死だったらしい。というか、先に心臓の発作で亡くなっていたそうだ。不運な事故だったと、何度も聞かされたけど、あの時のことは一生忘れないだろう。

 幾度となく思った。もし、兄が私たちを尾行したりなんかしなければ。もし、誰かが兄を通報して、警察にご厄介になっていれば。兄の帰りが電車一つ分だけでもずれていれば。

 あの事故の瞬間に、兄は居合わせなかった。絶対に、その方がよかったのに――。

「ごめんなさい、思い出させちゃって」

「いいんだって。むしろ、早めに言えてすっきりした」

 私は笑う。自分で言っておきながら、背筋に寒気が走った。いつからこんな芸当ができるようになったんだろう。

「それと、兄は作家だったんだ。兄の書いた小説がすごい好きで、私も兄みたいになりたいなってずっと思ってた」

「それって、まさか『星埜新』?」

「そうだよ」

「うわあ、すごい! 苺に勧められた雑誌に載ってて、気になったから今読んでるよ!

 そっか、苗字同じだもんね……」

「『カレイドスコープ』、読んでるんだ。私も大好きなの」

 SFのことを知りたいと言う筒井さんに、私は入門書のような本を渡していたのだ。そうか、確かに兄の作品も取り上げられていた。

 処女作にして、遺作。お兄ちゃんは生前、小さい私に様々なアイデアを語ってくれた。本当は、もっと多くの作品を残せたはずなのに。

「それでSFを好きになったの?」

「うん。……自分で小説を書いたりもした。でも全然ダメだった」

 お兄ちゃんに憧れて。近づきたくて。

 いや、それは贖罪だったのかもしれない。生き残ってしまった私が、生きていていい理由が欲しかったのかもしれない。

「兄の死は、歴史の損失よ。それに引き換え、私は、」

「そんなこと言わないで」

 不意に、筒井さんは泣きそうな声になった。

「寂しいよ。私、今の星埜さんのこと好きだよ」

 彼女は本当に良い人だ。私は笑ってありがとうを言った。


 そんな一幕がありながらも、チョコ作りはまずまず成功したと言えた。久しぶりの手作りながら、まともな出来だった

「私さ、筒井さんが話しかけて来てくれて、嬉しかった」

 駅まで送る道すがら、勇気を出してそう伝えると、筒井さんはとても複雑な顔をした。気まずそうな。

「ああ、もう。そんな純真なこと言われると心が痛むわ」

「え?」

「ううん、なんでもない。私も、思い切って星埜さんに声かけてよかった。こんなに仲良くなれるなんて思ってなかった。ありがとう」

 帰り道で、また一人になる。なんだか随分久しぶりのような気がした。

(ねえ、お新ちゃん)

 返事はない。いるのかいないのかも、はっきりとは分からない。でも私は、心の中で呼びかけ続ける。

(私って、ずるいよね)

 こんなにも優しい筒井さんに、私は、まだ隠し事をしている。本当のことは明かしていないのだ。

 さっき、無邪気に喜んでくれた彼女に申し訳ないと思う。上っ面だけで合わせている自分に、嫌気がさす。

 最低だ。

「人はみんなそうだよ」

 お新ちゃんがぼそりと呟いた。やっぱりいるじゃんか。

「肝心なことは、大事にしまっておく。そういうものさ」

「知ったような口きかないでよ」

 幻覚のくせに。

 だけど、それでも。痛みが和らいだのは確かだった。






評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ