筒井弥生
「ところでさ」
お昼休みはいつも、一人でコンビニの惣菜を食べる。話しかけてくるのはお新ちゃんだけ。今日は割り箸で煮豆と格闘する日だ。
クラスでは多くの「島」ができて賑やかだけど、一人で食べている子は私の他にもいるから、別に変ではないと思う。たぶん。
「どうしてクーロン君なの? あの机の君」
(『クークロ』の主人公からもらったのよ)
いつものことだけど、周りに人がいるので心の中だけで返す。家には両親とも寄り付かなくて私しかいないから、誰にも気兼ねせずに会話できるんだけど。
「えっと、クーロン博士だっけ」
(そう。きっかけになった本だし、「机上の空論」にもかかっているの)
「『君』付けってことは、男の子だと思っているの? 思春期だね~」
(うるさい)
兄も昔からこうだった。自分は小説を書くのに集中して、色恋沙汰とは無縁。そのくせ、人の恋愛話にはすぐに食いつく。私に初めて好きな人が出来た時だって、散々冷やかしてきた。
そんなことよりも。目下の問題は、次はどの本をチョイスするかということだった。これが結構センスが問われる。相手にすぐ分かっても面白くないし、何の変哲もない一文では伝わらない。その本の特徴を表しているような文を選ぶのは骨が折れるのだ。
はて。いい本はないものか。
と、そこへ。
「星埜さん」
一瞬、反応が遅れた。お新ちゃんがそんな呼び方をするわけがないし、しかもその声は女子のものだったから。
……ああ、実際に話しかけられたんだ。人から。
げほ、ごほ。
「星埜さん!?」
豆がのどに詰まってしまった。
落ち着いてから、涙目で女の子を見る。筒井弥生さんだった。長い黒髪の清楚な見た目に反して、とても快活な人。華やかなグループに属していそうな女子だ。そして、隣には男の子もいた。
「お、カップルかな?」
またそうやって冷やかすんだから。
(そうかも。でも)
どうして、私なんかに。
「星埜さん、今日が節分だから煮豆にしたの? ちょっとうける」
本当に楽しそうに笑った筒井さんと、隣の男子(こちらは小松君)は、周りの席を移動させ私の机とくっつけて「島」を作りあげてしまった。
「私たちさ、一度ちゃんと話してみたかったんだよね、星埜さんと。ね、京二?」
言うなり、ずっと黙り込んでいた相方の背中をばしんと叩いた。「お、おう」とあいまいなうめきを発する小松君。そう、確か下の名前は京二だった。中学が別なのであまりよく知らない。それより痛そうだったけど、大丈夫なんだろうか。
それから私たちは色々な話をした。呆気にとられている間に、懐に入り込まれた感じだ。筒井さんは話し上手であり、聞き上手だった。私もだんだん舌が回るようになっていた。小松君も、むすっとした見た目ほどは怖い人じゃないようだった。
「星埜さんってよく読書してるよね。どんなの読んでるの?」
「えと、今は『スリップリープ』」
この前、クーロン君が勧めてくれた本だ。昔に読んだことがあったんだけど、読み返している。
内容は、いわゆるタイムスリップSFだ。時間に翻弄される男を描く。
すっかり妻に愛想を尽かした男が、結婚の事実ごと抹消しようと、タイムスリップをする。結婚する前の自分の心を変えさせるためだ。しかし、過去で会った自分は、彼が未来から来たことを覚えていた。それはタイムリープ、つまり現在の意識が過去の身体に移された結果だった。タイムスリップ(身体ごと移動)とタイムリープ(意識のみ移動)が同時に起きていたのだ。
意識は同じなので、現代の自分と過去の自分は当初の目的通り、共同作戦を誓う。しかし、若い身体と初々しい妻を手に入れたリーパーは、気変わりを起こし、スリッパーを裏切る。そこからは騙し騙されの、スリルあふれる展開が繰り広げられる。
「へえー、ちょっとスパイものっぽいんだ」
「そう。硬派なものもいいけど、ファンタジーっぽいふわっとしたものとか、恋愛とか、色々な要素と絡めやすいのもSFのいいところなの」
夢中になって話すと、二人がきょとんとした。あ、まずい。これではオタク丸出しだ。
「そんなに話すところ初めて見た」
小松君がぽつりと言う。
「星埜さん……」
「な、なに」
真顔で詰め寄ってきた筒井さんに、私は警戒を強める。
「一所懸命お話する姿も可愛い……」
と、その整った顔がだらしなく緩んだ。え?
やめろ、と小松君が顔をしかめ、彼女を私から引き剥がした。え、と。どうやら、引かれずに済んだらしい。
いくつかおすすめの本を教えた後、予鈴が鳴った。
「今度探してみる。感想言うよ」
筒井さんはそう言って、名残惜しそうに去って行った。
「こういうのもいいんじゃない?」
お新ちゃんはいつになく楽しげな様子だった。そういえば、今までずっと黙っていたな。
(私なんかに話しかけるなんて、どうしてだろう)
「不思議でもないさ。機会は今までにもあったんだ」
今にも笑い出しそうな、そんな底抜けに明るい声音だった。
「明るくなったからだよ、苺が」
私はそんなに変わったのだろうか? そうかもしれない。話しかけやすくなるくらいには。
きっかけは、彼のおかげだろう。クーロン君。彼との文通が、内面にばかり向いていた私の心を、徐々に外向きに変えていった。