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机上の時空論  作者: 御法 度
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サブリミナル

 

 昔々、クーロンという名の科学者がいました。彼の助手・サタデーは、彼自身のクローン・・・・人間でした。

「クーロンの法則、のクーロンだよね。物理学者の」

「そうね。シャルル=ド=クーロン。化学で習ったクーロンりょくも彼にちなんだ名前よ」

『Coulomb's clone』、略称「クークロ」は、クローン人間とそのオリジナルとのドラマチックな関係性を描いた物語だ。クローン人間が自我を持ち、逃避行の中で自己を模索していくお話。

 ストーリーの終盤で、クローン人間・サタデーはオリジナル(つまりクーロン博士)を守るため、自ら死を選ぶ。でもそれは、遺伝子レベルで自死を禁止されたクローン人間の、本能に抗う行為と同義で、すなわち人間性の獲得を意味していたのだった……という結末に至るのだけど、そこでサタデーにかけられた言葉が「喜べ。君は人間だ」だったのだ!

「なかなか洒落てるわよね」

 またサタデーが良いキャラしてるの、これが! 名前以外は理想のキャラクターだ。

「苺、嬉しそう」

「べ、別にそんなことないわよ!」

 1週間経った金曜日、私は少し早めに賑わう教室を出ていた。昼休みもまだ半分ほど残っている時刻だ。4階まで来ると、さっきまでの喧噪が嘘のように、静謐な空間が広がっていた。だから、廊下を歩きながらでも気にせずお新ちゃんと会話していた。

「ほら、一番乗りだ!」

「わざわざ言わなくてもいいわよ」

 私とお新ちゃんの他に、例の第4講義室には誰もいなかった。急かしてくるお新ちゃんをうっとうしく思いながらも、私は胸の高鳴りを抑えられなかった。早足で教室の隅まで向かい、その机の上を確認する。

 文字が増えていたのを見た時、私はほっとした。

 ああ。良かった。ちゃんと返事を書いてくれていた。

 私が先週書いたのは題名と、それから違う本の一節だった。クークロほどマニアックじゃないけど、私が好きなSFの台詞。いわゆる名言というやつだ。

『ところで、あなたが読んでいるこの本にも――』

「苺は昔から、こういう遊びが好きだったよね」

 兄はよくなぞなぞを出してくれた。私はそれが好きで、何度もせがんだ。新進気鋭の作家だった兄は、執筆と学業の両立で忙しかったから、私に本を渡した。それがきっかけだった。SFとの出会いは、私の世界を何倍にも広げた。

 机に落書きをしながら、ふとそんなことを思い出した。いわばクイズ。誰かさんが書いたセリフの答えと、次の問題を出したのだ。

 その人は私の遊び心に付き合ってくれた。

『「サブリミナル」 ジューン・K・ツツーイ』

 ご名答だ。ちゃんと作者名まで添えている。私は顔も知らない誰かさんに、心の中で拍手を送った。

 私が書いた台詞は、この『サブリミナル』屈指の名シーンで発せられたものだった。

 ある男が出版した本、という体で物語は綴られていく。サブリミナル効果についての技術について。

「サブリミナル効果って?」

(潜在意識に働きかける作用、みたいなものよ。

 例えばCMに、目では認識できないようなごくごく短いシーンを割り込ませるのよ。マスクを付けた男を大写しにしたり。すると観ている人は、意味がなくてもマスクを買いたくなるわけ)

「へえ。上手くいくのかな」

(まあ、私の説明は下手だけど、本で読むと信じてしまいそうになるんだから)

 それは、SFの醍醐味でもある。

『サブリミナル』は、このサブリミナル効果を応用した男の独白が綴られる。本に印刷された文字が、ぼんやり見るとあるメッセージになっているのだ。そうなるように計算しつくして文章を書く。

 筆者は、この画期的な発明により成功を納めるが、手広く、派手に稼ぎすぎた。損害を与えた裏社会の人間に、愛する家族を皆殺しにされるのだ。

『あなたがこの本が読む頃には、私は黄泉の国民となっているだろう』

 絶望した筆者は、もうこの世界に未練はないと言い切る。自らの最期を仄めかせた彼は、最後にこんな一文で長い独り語りを締めくくった。

『ところで、あなたが読んでいるこの本にも――』

「うわあ、後味悪いね」

(ふふ。筆者がかけた暗示は、まさか……っていうオチね)

 筆者のツツーイ先生(ちなみに日本人よ)は別に対して有名じゃない。だからますます私は謎の相手に舌を巻いた。そんな所も抑えている辺り、彼はかなりSFに詳しいようだった。

 こうして、奇妙な文通が始まった。

 金曜の物理の時間、私は誰かさんの答えと新たな問題をこっそり確認し、返事を書く。そして次の金曜日も。題名当てクイズみたいなものだ。

「相手がどこの誰かも分からないのに、苺は怖くないの?」

 ううん。不思議と、そういうことはなかった。

 確かに名前も顔も分からないけど、少なくともこの高校の人間には間違いない。おそらく生徒だろう。インターネットでもあるまいし、そんな大事にはならないと思ったのだ。

 もっとも、匿名の人間とのやり取りを楽しむ気持ちが、なかったとは言い切れない。

(それに、SF好きな人に限って悪い人はいないよ)

「そうかなあ」

 そうだよ!

 私はこの人物に密かに名前を付けることにした。その名も「クーロン君」。

 彼との出会いが、私の人生を大きく変えることになるのだった。

 まずそれは、2月の第1週に起きた。






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