snapped
は? なに言ってるの?
私は、頭をがんと殴られたような衝撃を受けた。コロンブス? どうやったら、これをそう読めるのか――。
いや。違う。改めて、黒板に書いたばかりの文字を見る。そのまま読めば、そうとれないこともない。ローマ字っぽく読めば、「コロンブス」とも……。
耳鳴りが、五月蠅い。
小松君の様子からは、冗談を言っているようには思えない。なんだか、悪い夢でも見ているみたいだった。
デートの時、コロンブスがどうとかって言っていたのは、こういうことだったのか。
「あれ? でも、『クローネ』って『卵』って意味じゃないよな……」
「小松君。これはね、『クーロンズ・クローン』って読むの」
「そうなの? はは、恥ずかしいな。英語って苦手なんだよ。俺、てっきり、」
「もう一ついい」
自分でもびっくりするくらい、低い声が出た。急に、小松君との間に距離ができてしまったような感覚に陥る。
「なに」
目の前にいるはずの人は、怪訝そうに顔を歪めた。いや、私には、歪んだように見えただけかもしれない。
「机の落書きこと」
「それがどうかした」
「……小松君が書いたんじゃなかったの?」
急に彼は高笑いした。怪物が哄笑したようにしか思えないのは、なぜだろう。
「何言ってんだよ。星埜が、小説書いていたんだろ?」
立ちくらみがしたけど、膝に力を入れて、必死にこらえる。小説? 私が?
「台詞というか、ポエムみたいなのが、いっぱい書いてあったからさ。それで俺、星埜のこと思い出せたんだ。昔、小説家になりたいって言ってた子がいたなあって」
幼い私は、好きな子に夢を語っていたりしたのだろうか。そうかもしれない。あの頃の私は無邪気で、悩みなんて何にもなくて、どうしようもない馬鹿だったから。もう覚えていないから、どうでもいいけど。
「完成したらさ、今度読ませてよ」
「小松君、私に告白してくれた日、机を見て『俺だ』って言ったよね。あれはどういうこと?」
「えっと、そんなこと言ったかな」
「言ったよ!」
ほとんど叫んでいた私の剣幕に、小松君は気圧されたようだった。
「ああ、そうだった。あの時も言ったけど、落書きを消したのは俺だよ」
「は?」
消した? 消したって、まさか。バレンタインの翌週、無残に消された文字を見つけたのを思い出す。
ああ、そんな。
酷い思い違いをしていた。あの時、文通の相手が小松君かどうかを聞いたつもりだった。けれど、私は机を指さしただけだった。この人は、机の落書きを消したことを咎められたと勘違いしたのだ。あの謝罪の意味が、ようやく腑に落ちた。
大掃除の時、第4講義室の担当はうちのクラスだったのか。班が違うから知らなかった。調べようともしなかった。小松君はそこに割り当てられていた。
あのやりとりを消したのは、あなただったの。
「そんな、どうして」
「うちの班のやつに見られそうだったから……星埜が嫌がると思って。茶化すような奴もいたし」
分からない。その理屈だと、自分が見るのは構わないってこと? 覗き見する権利があると?
「……とっても、雑な拭き方だった」
「仕方ないよ、慌ててたんだから。
そもそも、星埜が落書きしてたんだろ」
どうして。そんなことを言うんだ。分からない。思考が追いつかない。どうして私は責められているの?
返事をする気力すら湧かなかった。もう、どうでも良かった。落書きしたとか、誰が消したとか。所詮は、終わったことだ。
そんなことよりも。
じゃあ、いったい。
クーロン君は誰なんだ。
「……あなたじゃない」
堪らなくなって、私は教室を飛び出した。呼び止める声が聞こえた気がしたけど、どうだか。ただ、追いかけてくる足音は、いつまでも経っても響いてこなかった。
1階に降りて、私はある部屋の前で立ち止まる。そうだ。ここで、確かめることがある。
生徒会室。
扉を開けると、知らない男子が一人だけ。学年章から察するに、1年生か。慌てたように、いじっていたスマホをポケットにしまった。見られたらまずいものでも見てたのかな。外見もあまり真面目なようには見えない。
「こんにちは。弥生の頼みで書類を取りに来たの。場所は分かるから」
「ああ、会長の。もう少しで戻ってくると思いますよ」
聞いてもいないことを教えてくれた彼に微笑みかけてから、この間の記憶を頼りにファイルを探す。部活の活動場所が書かれたプリント。
あそこには、あの時は気に留めなかったけど、過去の記録も残っていたはずだ。
「先輩って、少し前に整理を手伝ってくれた方ですよね。ありがとうございました」
沈黙が気まずいのか、1年君はどうでもいいことを話かけてくる。構うなって伝えた方が良かったのかな?
「いいのよ」
棚に目をやったまま言葉だけを返す。ただし本心からの言葉だった。おかげで、真実を知れそうだから。
第4講義室。今は使われていない教室。
だけど昔は。どこかの部活が、使っていたんじゃないか。その痕跡は残っていた。
もどかしくて、ファイルごと持ち出すことにした。だけど、男の子は見逃さなかった。
「ちょっと、そういうわけにはいきません」
舌打ちしたい気分だった。変なところで真面目ぶるなよ。
すると、背後から足音が響いてきた。弥生が戻ってきたんだろう。この1年生だけならどうとでもなっただろうけど、生徒会長を誤魔化すのは骨が折れそうだ。
私は一旦フォルダを置き、両手で制服の前を握って――広げた。
パチン。
スナップボタンだから、簡単に、はだけられる。
「な、あなた」
「あれ、苺? いらっしゃい」
私は振り返り、ちょうど部屋に入ってきた弥生の胸に飛び込んだ。小さく悲鳴を上げた彼女は、すぐに「異変」に気付いた。
「佐藤、あんたなにを」
「違います、俺はなにも!」
そのまま逃げるように、私は生徒会室を飛び出した。フォルダをしっかりと抱き抱えて。
ありがと、佐藤君。
行方をくらます時間稼ぎくらいには、なってくれるかな。




