前夜
『そっか、デートはうまくいったんだね』
夜には、胃の調子はだいぶましになっていた。
私はお風呂の後、電話で弥生に報告をした。映画の話で盛り上がったこと。小学生の時に好きだった子が、小松君だったこと。お兄ちゃんの死の本当の経緯も、ちゃんと話した。
以前、誤魔化すような言い方をしたことを謝ったら、弥生は許してくれた。ずっと心苦しかったから、ちゃんと言えてよかった。
言わなかったのは、吐いたことくらいだ。心配させたくなかったから。それに、あの時のことを話しても、もう気分が悪くなったりはしなかった。
彼がいてくれるから。私は大丈夫でいられる。
「私、返事するよ。ちゃんと」
『そうしてあげて。あいつ、すごく気になってるみたいだし』
それから弥生は、しみじみといった感じでため息をついた。
『私も仲人を務めた甲斐があったってものよ……まあ、当の本人同士は最初から惹かれあっていたみたいだけど』
「……うん」
机の文通のことを言っているのだ。まさか私だって、こんな展開になるとは思っていなかった。
一月。私は慢性的に絶望していた。『死にたい』と机の左端に書いて、そこからすべては始まった。
次の週に、誰かの返事を見つけた。『喜べ、君は人間だ』。それは昔読んだ小説の一節で。私は再びSFにハマった。その人に付けたあだ名は、「クーロン君」。
二月。弥生たちが話しかけてきてくれた。だんだん学校が楽しくなって、弥生とは遊びにも行った。バレンタインには、小松君にチョコを贈って……うわ、今思えば、クーロン君には、ちゃんと本物のチョコも贈れていたんだね。今更ながら、机にチョコの絵を描いたことが恥ずかしくなってきた。
結局その返事は、見ることはできなかった。大掃除の時に消されてしまったから。なんて書いたんだろう。そのあとクーロン君の正体が小松君だったって分かったけど、確かめるのを忘れていた。でも、いっか。これから、どれだけでも話ができるんだから。
過去と現在は繋がっていた。小松君は、私の初恋の相手でもあった。彼は私の罪を背負ってくれると言ってくれた。
私は、もう一度、恋を知れた。
『にしても、苺が言ってた初恋の相手が、まさか京二だったなんてねー。運命的』
「ほんとにね」
なにか運命じみたものを感じてしまう。第4講義室で、同じ机に座っていたことといい、これを「縁がある」と言うのかもしれない。
「明日、小松君は英語の補習があるらしいの。そのあと、ちゃんと返事しようと思う」
『いいねえ。頑張って!
でもあいつ、今回も英語ダメだったんだ。昔からからっきしだからねえ』
「そうなんだ」
てっきり、英語は得意そうなイメージを持っていた。じゃあ、あれだ。小松君はSFを原書で読んだりはしないんだね。まあ、私もそこまで英語は得意じゃないけれど。
『確か補習は講義室でやるんだったかな』
ふと発した弥生の言葉に、私ははっとした。「講義室」という単語に、耳が鋭く反応したのだ。
「もしかして、第4講義室?」
『ううん、第2だけど』
……そっか、残念。もしあの講義室だったら、すごく運命的だな、って思ったのに。
「そうなんだ。ありがとう」
『じゃあ、本当にファイト! 私も明日は生徒会室にいると思うから、また遊びに来て』
「うん! また明日」
『じゃあねー』
電話を終えた後、明日に備え、早めにベッドに入ることにした。今日一日の疲れが、なんだか心地良い。
照明の消えた一人の部屋で、私は呟いた。
「ねえ、聞いてる」
返事はない。ついに、お新ちゃんは現れなくなった。以前言っていたように、私に友達ができたからなのか。心を支えてくれる友人がいる。筒井さん。そして、小松君。
私の、好きな人。
「お新ちゃんも、今まで私を守ってくれていたんだよね」
今は、たぶん現れる元気がないだけで。これまでと同じように、私を見守ってくれているんだと思う。この声は、ちゃんと届いているはずだ。
「ありがとう。おにいちゃん」
思ったよりも疲れていたのか、すぐに眠れそうだった。
目を閉じると、懐かしい人が、頭を撫でてくれた気がした。
そして、金曜日。3月6日。
思えばあの日も金曜日だった。全てが始まった日。
今日、一つの区切りがつき、そして、また始まるのだ。
「行ってきます」
私は希望を胸に、玄関を出た。




