表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
机上の時空論  作者: 御法 度
18/24

私が殺した

 

 ひとしきり盛り上がった後、ふとした瞬間に、目が合った。深い色の瞳。あまりじっくり見ることはなかったけれど、落ち着きがあるんだね。

 不思議な感覚だった。目の前に、何度も言葉を交わしたクーロン君がいる。弥生が言っていた通り小松君は、最近ニュースで聞かない日はないオリンピックの話題にも無頓着だった。クーロン君がSF以外の常識には疎いのは、机の文通でも感じていたことだ。

 あんまり見つめていたからか、不思議そうな顔をされた。ちょっと恥ずかしくなって、誤魔化すように質問してみる。

「ねえ、去年までの私って、どんな風に見えてた?」

 急な問いかけにも、小松君は丁寧に答えてくれた。

「そうだな。正直、あまり楽しそうじゃなかった」

「やっぱり……」

「以前の印象だからな?」

「うん。今は私、すごく楽しい」

 心からそう思える。それは弥生や、小松君――クーロン君のおかげ。

「自分の見方次第で、世界は変わるんだなって。なんだ、簡単だったんだ、って。まあ、コロンブスの卵じゃないけどね」

 すると、小松君はなぜか可笑しそうに笑った。

「あれ、変だった?」

「いや。やっぱりコロンブスが好きなのかなって」

「うーん、別に好きってほどではないけど……」

 そんなこと言ったことあったかな? 一瞬だけ気になったけど、すぐに違和感は消え去った。

 小松君は優しい人だ。どこか懐かしいような安心感もある。私の知っている誰かに、似ているような……。

 そこでも思い浮かんだのは、兄のことだった。今日は主張が激しい。でもその通りだった。そうだ。小松君はお兄ちゃんに似ているんだ。私が大好きだった人に。

 その時、私は確信した。

 小松君のことが、好きだ。

 会話に生じた少しの沈黙ののち、話題を探すように、小松君は、

「あのさ、机の、あれ」

 頬が熱を持つのが分かった。ちょ、ちょっと待って。それを今話すの!?

「待って」

 思えば、あそこで交わしたやり取りは歯の浮くような台詞ばかりだった。相手の顔が見えない気安さと、慣れない恋の高揚感のせいで、羞恥心が麻痺してしまっていた。文章にすると、どうしても恥ずかしい言葉遣いになってしまう。むしろそういった言い回しを選んで書いていたところがある。

 最初に「死にたい」なんてことを書いてしまった手前、決まりが悪いのもあった。あんな恥ずかしいことをよく書けたものだ。

『知りたい 君のこと』

 ああ、思い出すだけで死んでしまいそう。面と向かって話を持ち出されるのは、まだ早い。

「その話は……また今度」

「え、なんで?」

 もう! 小松君だってあんな歯の浮くようなことを書いていたくせに。平気なんだろうか。

「だって、恥ずかしい」

 それでようやく察したのか、小松も顔を赤くして頭をかいた。

「そっか。そうだよな」

 まあ、そんなやりとりにも、心は弾んでいたけれど。

 デートは、思った以上に楽しかった。まんざらでもなかった。頬がずっと熱くて、温室の蝶のようにふわふわと。

 帰り道。どちらからともなく手を繋ごうとする。私の左手と、彼の右手。お互いの腕時計が当たって、コツンと音を立てた。

 顔を見合わせて笑ってから、今度はゆっくり、だけどしっかり、手を繋いだ。痛いほどの存在を、左側に感じて。私は視線を上げられずに、靴の先ばかりを見つめてしまう。

 わずかに触れ合った指先から、彼の熱が伝わってきて。心の芯から暖まっていくような気がした。

「俺、好きだよ。星埜のこと」

 もう一度、彼はその言葉を口にしてくれた。立ち止まり、目が合う。今度は、不意打ちじゃない。十分に心構えはできていたはずだった。だけど。

 急に、言葉が出なくなった。半開きになった口が、すうっと渇いていく。返事はもちろん、頷くことすらできなかった。

『本当に良いのか?』

 私の中で、もう一人の私が責め立てる。お前はもう忘れたのか。忘れてなんかいない。平気なのか。全然、平気じゃない。

 ずっと閉じ込めていた気持ちだった。誰かを想うということ。それは周りが見えなくなる危険性を、常に孕んでいて――。

 金縛りに遭ったみたいになった私の中を、あの日の光景が駆け巡った。

『苺!』

 どくん。

 私は。

 私は、恋に浮かれて。周りが見えなくなって。お兄ちゃんが、叫んで止めるのも聞かずに。あの子に向かっていって。


 とても、酸っぱい臭いがする。

 気付いた時には、道端にしゃがみこんでいた。身体中のパーツがバラバラに飛んでいきそう。私は胃の中のものを、次々と吐き出していた。呼吸が早い。喉がヒリヒリする。さっき食べたケーキ。映画館で飲んだソーダ。それらがドロドロと、汚く――。

 醜い。

 私そのものだ。薄汚れた人間。

 今日の素敵な体験も、全部、側溝に流れていくような気がした。

 小松君は、ぎこちない手つきで、背中をさすってくれていた。私は彼の目を見られなかった。心の準備ができているなんて、とんだ思い上がりだった。

「大丈夫か」

「……ごめんなさい。小松君は悪くないの」

 悪いのは、ただひたすら私で。

「6年前の、今くらいの時期にね」

 小松君は黙って耳を傾けてくれた。こんなにも優しい彼に、感謝の言葉も言えずに、私は。

 そうやって罪を吐き出すことしかできなかった。

 忘れもしない。2014年の、3月8日。土曜日。

 その日、私は。

「私、お兄ちゃんを殺したの」

 ついに、誰にも言わなかったことを、告白した。






評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ