お新ちゃん
土曜日。私は部屋でひとり、先週のことを振り返っていた。クーロン君の正体がまさかの小松君で、しかも私のことを好きだった、というまさかの衝撃展開。「敵を知れば~」なんて思っていた自分が馬鹿みたいに思えてくる。敵どころか、私は自分のことすらちゃんと分かっていなかった。あんなに取り乱してしまうなんて。
とはいえ、もう一周回って、私の心は安定していた。案外、びっくりし尽くしたのが良かったのかもしれない。
返事はとりあえず保留ということで、小松君とはいつも通り接している。試験の間の休み時間に弥生と三人で、次の教科の内容を確認しあったり。おかげでお新ちゃんの助けは借りずに、前半の試験は無事終えることができた。
そう。お新ちゃんはあれから、現れてくれなくなった。
声が聞こえないだけじゃない。存在も全く感じない。こんなことは今まで一度もなかった。酷くけんかしたときも、必ずお休みの言葉はかけてくれたのに。
ずっと予感はしていた。変化が訪れた2月3日から。明らかに、弥生や小松君と話すようになってから、お新ちゃんの出現頻度は減っている。
もしかしたら。お新ちゃんは。
消えてしまったのではないか。
「残念でした。僕はまだいるよ、苺」
「……ばか。どうしてずっと無視してたの」
「ごめんね。最近、とても眠いんだ」
お新ちゃんの声は、眠気を堪えているかのように、本当に弱々しかった。
「苺は、次の段階に進んでもいいんだ。友達が出来た。素敵なボーイフレンドも」
「そ、それはまだだよ。返事してないし」
「うわー、焦れったいこと」
「うっさい!」
「はは、元気みたいで安心したよ。
もう分かっているんだろ? 僕は君が作り上げた幻覚。ふふ、いわばクローンだ」
「何言ってんのよ」
お新ちゃんが自分を幻覚と認めるなんて。そんな弱音を吐くなんて、初めてのことだった。焦っている自分に気が付く。
「もう僕がいなくても大丈夫だね。試験が終わったら、デートに行くんだろ?」
机の上には、チケットが置いてある。いつか福引で当てたペアチケット。小松君がいない時に、弥生がこっそり譲ってくれたのだ。
『これで京二と行ってきなよ。』
『いいの?』
『いいの! もとからそのつもりだったし。それに、あいつ原作知ってるみたいだったよ。苺にも観て欲しそうにしてた』
『ふうん。じゃあハズレはないね』
クーロン君のおすすめだもん。
『あれ、なんか怪しい反応……もしかして私の知らないところで、京二と仲良くなったりしてる?』
『え、あ、うん』
むしろ、文通のことは知らなかったのか。そういえば、生徒会室にお邪魔した時、弥生は私と第4講義室の関係について知らない様子だった。小松君、黙ってくれていたんだ。
私は弥生に1月からの経緯を話した。彼とどういう風に知り合ったか。私を変えてくれたか。「クーロン君」って呼んでることは言わなかったけど。
『くっそー、あのやろう、隠していやがったな。今度とっちめなきゃ』
酷い言葉遣いだった。弥生ったら、本当に小松君をリンチしそうな勢いだったから、「ほどほどにしてあげてね」と、私は苦笑いしたのだった。黙っていたのは、私も同じだし。やっぱり恥ずかしいよね。
『じゃあ、苺に免じて許す。
とにかく、はい。楽しんでくるのよ』
弥生はチケットを手渡してくれた。……とまあ、こんなことがあったのだ。
「弥生ちゃんは本当にいい子だね」
「そうよ。私にはもったいないくらい」
「もっと自分を誇ればいいのに。
まあ、僕はまだいなくなったりしないよ。少なくとも、君が恋を掴むまではね。じゃあ、もう寝るよ……」
最後は消え入りそうな声だった。
お新ちゃんがいなくなる。
白状すると、私は動揺していた。
当たり前だったことは、こんなにも呆気なく、当たり前じゃなくなる。
そして、そのことを寂しく思う自分に、気付いてしまった。
非日常もいつか日常になる。でも結局それは、異常でしかなくて。
「……お兄ちゃん」
その呟きは、一人の部屋に虚しく響いた。
そして3月4日。無事に学期末試験は終わって。
帰り際、私は彼を呼び止めた。
「小松君。映画に付き合ってください」
チケットを差し出すと、彼は目をぱちくりさせたのだった。




