序章・壱
およそ三年ぶりの投稿です。この三年間色々書いてはいたのですが、書き貯めようとしてはモチベーション続かなくなり投稿もせずにお蔵入りを繰り返してました。自分にはあまり書き貯めるのモチベーションが続かなくなるととりあえず投稿をすることにしました。感想などいただけるとモチベーションに繋がると思いますので、良いなと思ったら感想をよろしくお願いします。
一之瀬丈太郎は風魔の流れを汲む忍者の末裔である。江戸の世も終わり、明治、大正、昭和、平成と時代も移ろい今や令和の時代となり忍の役目など等の昔に亡くなっていたが、忍の培ってきたその業は現代に至っても綿々と伝え遺されていた。
「それがまさに自分の命を救う、か。芸は身を助けるとは言うけど、まさか身につけた業がこうも役に立つ日が来ようとは思わなかったな」
薄暗い森の中で丈太郎は一人呟き、自分を探しているのだろう緑色の肌に不気味な顔を持つ小柄な人影達を見下ろしていた。
「どう考えても日本じゃないよな」
日本で、いや地球であんな連中を見かけるようことがあれば大騒ぎになるだろうと想像しながらこれからどうするかと思考する。
ファンタジー小説などに登場するようなステレオタイプなゴブリン(仮)達はそれぞれ木の棒や錆びた短剣などで武装しているのに対して彼の手元に誰の目から見ても武装と分かるような物はなく、ゴブリン(仮)達が確認できるだけでも二十体近くいるのに対して彼は一人だけ。
気配を殺して木の上で自分を探す様子を観察しながら懐に手を伸ばす。
「まともにやりあうのは馬鹿らしいな。戦闘は必要最低限にここを離脱するべきか。
できれば俺が出てきちまったところしっかりと調べたかったんだけどな。一応印は残してあるけど………」
はぁ、とため息を付いて身を隠した木の幹に背中を預けて記憶を数日前にまで遡らせた。
「実践に勝る鍛練は無し!!」
都内の小さな一戸建て住宅の狭い居間に呼び出された丈太郎は卓袱台を挟んで反対側で胡座をかいた父の第一声を聞いてため息を付いた。
一之瀬家は家系を遡れば風魔の一門の流れを汲む忍者の家系。現代に忍の業を伝え今なお研鑽を積む数少なき現代に生きる忍の家だ。
父一之瀬正太郎の職業はなんの役職もない一般の平社員だが。
「そうは言うけど忍の業の実践なんてどれも今じゃ犯罪行為なんですけど?」
腕を組み胸を張って言い切る父親に溜め息を溢しながらそう指摘し潜入工作に暗殺術、尾行技術、毒物、戦闘術と家に伝えられ彼自身も身に付けている業の数々に思いを巡らせ、こんなものを実践すれば速攻でお尋ね者だともう一度溜め息を溢す。
改めて考えてみれば自分の家系の物騒さに眉をしかめ正面の父親に視線を向ける。
「うむ」
そうだろうそうだろう言わんばかりに瞼を閉じて頷く姿に、うむ、じゃねぇよ!と突っ込みたくなるのを堪えて、代わりに冷たい視線を向けておく。
「いやぁ漫画だと忍者だのなんだのと世間に隠された業を継承するキャラは常識知らず育つことが多いからといつも冷や冷やしていたがさすが俺の息子、ちゃんと常識も持ち合わせていて安心したぞ」
「俺は漫画と現実を一緒に考える父親に軽く幻滅してますがね?」
小さい頃から忍の業を継承するため修行をしてきた身だが、幼い頃から同年代の子供達と同じように幼稚園か小学校、中学、高校、大学と通ってきたのだ。これで常識というものを身に付けられなかったらそいつの頭の中を一度疑うべきではないだろうかと内心で毒づき、大きく溜め息を吐いてあきれた様子を見せつける。
「まぁどれはともかくだ。お前の言うとおり現代において忍の業違法の塊なのは疑いようのない事実。実践などしようものなら速お縄になるのが関の山だ。だが実践されず口だけで伝えられる技術など時を重ね代を重ねる内に錆び付き形骸化していくのが定め。これを避けるためにも業の実践は各代の義務でもある」
真面目な表情される説明に丈太郎も頷き同意するが、それでも遥か過去より世の繁栄、平和の維持のために振るわれてきた忍の業を後世に伝えるために法を犯すなど本末転倒ではないかと言葉には出さずに視線で問いかける。
「二律背反と言う奴だな。俺も親父からこの話をされた時には同じように思ったもんだ。
だがな、我が家にはそれを克服する術がある。今日の話の本題はその術をお前に伝授することだ」
法律に引っかかるから実践できないと言うのにどうやって克服すると言うのか。傭兵として海外に行ってこいとでも言うつもりだろうかと訝しげな視線を父へと向けていると、正太郎は無言で一枚の用紙を取り出して丈太郎の前に置いた。
父子の視線が合い、目配せするのを見て丈太郎は折り畳まれた用紙を開く。
そこに書かれていたのは地方にあるとある地名とその周辺と思わしき下手くそな地図。この地図は親父が描いたものだなと断定して視線をあげる。
「荷物は最低限でそこに行け。必要なものは現地で調達できるようになっている」
「………なんの説明にもなってないんだけど?」
「する必要がない、と言いたいところだがこればかりは口で説明して理解できることではない。百聞は一見にしかず、とも少し違うがそのようなものだ。そこで何をすべきかもその場所で分かる。
これ以上俺から言えることはない」
口をへの字に結ぶ父親を見て本当にこれ以上の情報は得られないと判断して丈太郎は立ち上がった。下手くそな地図をポケットにしまい、ただ一言言ってくると告げて自室に戻り、必要最低限と思える荷物を用意して家を後にした。
都内から目的地までは特にトラブルもなかったが、幾つもの電車を乗り継ぎ、最寄りの駅からも数本のバスに乗車して最後は一人山登り。そうしてたどり着いたのは最低限の手入れのされた古い屋敷だった。一応この屋敷も周囲の土地も一之瀬家のものらしく、正直今住んでいる家の数倍は大きな屋敷に交通の便と家の広さにどっちに住む方がいい生活を送れたのだろうかと本気で悩んだ。
悩みながら鍵をピッキングして屋敷に足を踏み入れるが、屋敷内は家具一つ無いもぬけの殻だった。屋根裏や隠し部屋などを調べて見ても収穫はなく、必要なものはここにあると言う言葉は嘘だったのだろうかと心の中で父親をボコボコにしながら隠し地下室を発見する。
ここにも何も無ければ父親を吊るそうと心に決めて地下室に降りた丈太郎を眩い光が包み込み、気がつけば森の中に立っていた。
「本当に意味がわからんな。これあれか?よくネット小説にあるような異世界召喚類いか?」
『忍の業の実践』
脳裏に浮かぶ言葉に自然と手に力がこもる。
法律に縛られ業の実践できない現状を克服する術があると言った正太郎は、言葉で説明しても理解できないも言っていた。もしや父の言っていた術とはこの事ではないかと思い至る。もしもここが異世界なのだとしたら………、ここに日本の法律は及ばず実際に体験しなければ理解することも信じることもできないだろう。正太郎の言葉にぴったりと当てはまる。
「………とりあえずはそれを前提に動こう。ここが親父の言っていた『術』なのだとしたら間違いなく帰還手段は存在するはず。ならまずは焦らずに生存基盤を築き上げることだ」
そのためにもまずは敵性生物のいるこの森を抜けて現状の詳しい情報を集めるべきだと判断して懐からそれを取り出した。
「荷物の大半は屋敷に取り残されたけど、これだけでも残って良かったな」
それは一枚の手拭いだった。ただし全長10mもある手拭いだ。しかもこの手拭い、ただの手拭いではない。吸水性、保水性に発乾性という相反する性質を両立させ、破けず多少の伸縮性を持ち合わせるという、手拭いにしておくことがもったいないほどのオーバースペック手拭いだった。
丈太郎が聞いた話では彼の曾祖父の姉に当たる人が開発した特殊な素材を用いられておりその製法はもちろん、性能も存在すらも門外不出を定められている。もしも"もし"が存在しこの手拭いに用いられた技術の特許を申請していたならば今頃一之瀬家は巨万の富をその手にしていたことだろう。
「手拭いと、水筒代わりのペットボトルが二本。片方は水が満タンで一本は半分飲み終えてると。それと兵糧丸が少々、オイルライターが一つ、ファイスターターが三本、マグネシウムが一瓶、レンズが二枚」
腰のポシェットを開いて中身を確認して顎を撫でる。物資の少なさに頭を抱えたくなるが、頭を抱えたところで事態が好転するわけもないとため息をついて意識を切り替える。
「とりあえず兵糧丸があるし暫く餓死だけは免れそうだ」
兵糧丸とは日本に古くから伝わる携行保存食で国や地域によってその材料も製法も異なっており、彼が持っているものも家に伝わるものを長い時間を掛けて改良を続けてきたものだ。
材料どころか栄養素単位で緻密な計算を行って作られたこの兵糧丸は一粒で大人が接種する必要のある1日分の栄養素を三日分補え、二日は空腹を紛らわすことができる優れものだ。ただし食べて暫くは口の中が渋みを感じる上に味もお世辞にも美味しいとは言えない代物のため、これに頼ることがないよう生活基盤を確保することを心に誓った。
「無駄な戦闘は避けるべきだ、まず向かう方角を決めてひたすら真っ直ぐにそちらに向かうことにしよう」
そうと決めれば手拭いの片端に縛り目で団子を作り、そこに飲みかけの水を半分ほど吸わせて錘の代わりにする。
「ふんっ!」
水を吸って端の重くなった手拭いを二回し振り回して頭上に放ちより高い位置にある枝に巻き付ける。後はその手拭いを伝ってスルスルと木を登っていきもう一度繰り返す。そうやって樹上へと辿り着いて周囲を見回せば辺り一面の樹海が視界内に広がっていた。
「これは、広いな。さすがにアマゾンの密林ほど広くないとは思いたいけど、一面樹の海じゃないか」
ポシェットから二枚のレンズを取り出して掌を丸めて手筒を作り、その両端にレンズをはめて簡易の望遠鏡と成す。
「ちっ、無いよりはマシだけど、やっぱり見辛いな」
手製のなんちゃって望遠鏡に悪態を突きながら周囲を見回すと遠方に険しい山脈が見える。ちらりと頭上を見上げて太陽の位置を確認し、それがこの広大な森の東側にあると知る。
「東は無しだな。森から抜けて山に入るとか自殺志願者じゃないか」
調節の効かないなんちゃって望遠鏡に四苦八苦しながら森の中に視線を走らせている、木々の間にキラリと何かが瞬くのが見えた。なにかと思ってそちらに視線を向けて食い入るように睨み付けていると、そこで何かがキラキラと光を反射し続けているのが分かった。
「あれは、川か?」
朗報だった。丈太郎のいる場所から東側、山脈との中間付近よりこちら側に川らしきものがあることが確認できたのだ。
即座にその川を最初の目的地と決めてレンズをポシェットにしまいなおし、上ったときよりも素早く樹を中ほどまで降りていく。
「下にいたゴブリン(仮)達はもういないみたいだけど、下を歩けば遭遇する可能性は高くなる」
それはよろしくないと呟いて丈太郎は枝を蹴ってその身を宙に飛び出させる。
「よっと」
そして離れた場所にある枝を掴み、振り子のように身体を揺らして前方へと身体を投げ出し次の枝を掴む、また太目の枝に着地すればその衝撃にしなるのを利用してさらに遠くへと跳躍して、まるで猿がそうするかのように素早く枝か枝へと跳び移っていく。
「ふぅ、ちょい休憩」
が少しして太い枝の上に降り立つと幹に背を預けて一息つきながら肩を回し解す。
この移動方法、素早く飛び回るが如く移動することができる反面人体、特に肩や腕への負担が半端ないのだ。振り子運動を利用して跳び移る様子から対して力も用さず楽な様に見えるが、振り子運動中は自身の体重と振り子運動による遠心力によって腕は引っ張られ、生じる力が肩にのし掛かるのだ。しかも枝を掴んでから手を離すわずかな時間の間に次の枝を探しだして跳ぶ方向を調節しなくてならず、それが地味に精神を削る作業となる。
短期的な移動には良いかもしれないが長期的な移動として行うには効率が悪いことだろう。だが下を歩けば先のゴブリン(仮)に見つかる可能性が高くなる。さすがにそれは避けたいところだ。となると効率は悪くとも休憩を挟みつつ枝を伝って移動した方が安全だろう。
「しかし、本当にここは日本じゃ、いや地球じゃないんだな」
休憩しながら木の下を見下ろし見つけたのは二本の角を東部に生やした四つ足動物。その角はまるでファンタジー作品に出てくるユニコーンの角のような螺旋を描く角を生やしており、丈太郎が知る限りこんな動物が地球に存在するなど聞いたこともなかった。そしてそんな二本角動物の背後には猪を多少デフォルメしたような頭部を持つ毛むくじゃらの巨躯を小さく縮こませた存在だった。瞬時に脳裏に浮かぶ獣人という言葉が似合うこれまたファンタジー作品にでも出てきそうなその存在は周囲に溶け込む暗い色彩に染められた服を身に纏い、その手に持つ弓に矢をつがえて二本角を狙っている。
(くそ、何で気付かなかった。あの位置なら移動中でも気付けてたはずだ!
自分では落ち着いて行動してたつもりだけど、いきなりこんなところに放り出されてまだ冷静になれてなかったのか?)
自身の迂闊さに悪態を突き瞬時に周囲に視線を回し、音を立てずできる限り枝を揺らさずに頭上の枝に跳び移り生い茂る葉々の影に身を隠した。が、動揺が抜けきっていなかった成果わずかな揺れでこの葉が舞って地面に散っていく。低木の若芽を食んでいた二本角がそれを敏感に察して顔を上げて、弓矢を構える獣人に緊張が走る。
二本角が首を左右に振って周囲を見回す様子を見下ろしながら筒状に軽く握った拳を耳に付ける。獣人と二本角に視線を感づかれないようにするためにどちらかに焦点を当てることはせず、俯瞰して全体を把握できるように意識して努めながら耳に今必要な情報を得るために軽く握った拳の穴を周囲に向けてとにかく物音をかき集める。
やがて十秒ほどが過ぎたとところでようやく二本角が警戒を解いて再び新芽を食べようと首を下ろす動作を見せる。
警戒を解き意識が周囲から目の前のものへと移り視野が狭まるわずかな隙に獣人は動いた。
獣人の弓から矢が放たれ二本角の後頭部に突き刺さった。二本角は驚きに目を大きく見開くがそのまま全身の力が抜けていくかのように崩れ落ちる。
獲物を仕留めた獣人はゆっくりと立ち上がり、もう一本頭部に矢を打ち込んで生死を確かめた後ようやく二本角へと近づいていった。そして二射目の矢を獲物から引き抜くと素早くそれを弓につがえて丈太郎の隠れる枝へと構えた。
「ダレダ、其処ニ居ルノハ!」
獣人の口から吐き出されたのは日本語だった。訛ってはいるが聞き間違えようの無い日本語による誰何に驚いている暇は無い。矢を放たれても迎撃できるように手拭いを握りしめて、しかし動きを悟らせぬように息を殺す。隠れた葉々の間から先ほどと変わらぬ俯瞰した視点で見下ろしているが、その目に灯る光から何かまでは分からずともなにかがいることに確信があるように見受けられた。
下手には動けない。緊張から唾を飲み込みたくなりそうなのをこらえて手拭いを握る手に力を込める。
丈太郎は戦うつもりは無かった。一之瀬家の忍に取って重要なことは何かを問えば生き残ることと答えられる。忍とはすなわち草の者、その働きの九割は諜報活動と言っても良いい。情報を扱う上で必要なことは敵に漏らさず、味方には正確に確実に伝えることであり、そのためには生き残ることは必須である。故に命を落とす危険のある戦闘行為は愚策であり最終手段出なければならばい。ただし暗殺任務は除く。例え戦闘状態に陥っても第一に考えるべきは離脱であり敵の打倒では無いのだ。無益な殺生は敵の警戒を招きその後の活動に大きな支障をきたす。そのために忍には遁術、即ち逃亡のための術が沢山あるのだと。
丈太郎の視界の中で獣人の弓がさらに引き絞られた。つがえられた矢がいつ放たれてもおかしくはないと迎撃に意識を向けようとしたとき、丈太郎の耳が探していたものを聞き分けた。それは丈太郎にとってギリギリ聞こえる範囲で立てられた音であったがそんな事実はどうでも良い。獣人から意識を外さずにその音に集中して確りと記憶して、素早く音を立てず両手を組んで口に押し当てる。
『ピュルィルィルィルィルィルィルィルィルィルィルィ……………』
丈太郎が聞き取ったものと同じ鳴き声が彼の口から組んだ両手を通して発せられていた。
「………ショウシチョウ、か」
土遁・鶏鳴の術。土遁とは即ち地形などその地にあるものを利用して逃げるための術であり、鶏鳴の術は鳥や動物の鳴き真似にて敵の注意を逸らす術のことである。動物の鳴き声さえ再現できれば道具も何も要らず身一つで行える非常に難しいが有用な術だった。
この術が功を制し、獣人は構えていた弓を下ろした、が。
「ッ!違ウ!今ノ鳴キ声ハ番ノ間デ交ワサレルモノダ、返答ノ声ガ無イ!!」
僅かな間をおいて叫ぶとともに一度は下ろした弓を再び構え矢尻が丈太郎の潜む枝へと向けられた。
(ちっ、やっぱうまくいかないか)
鶏鳴の術の欠点は幾つもある。例えば習得の難しさがそうだ。特に一度聞いただけの鳴き声を練習もなしに即興で行うには、どうすればどのような音が奏でられるかを熟知していなければできないことだ。他にも術を掛ける相手が周囲に生息する生き物に詳しいと、其処にいないはずの鳴き真似をすれば簡単にばれてしまう。また今回のように真似した動物の生態に詳しければ、本当に僅かな違和感から看破されることになる。
相手の獣人は狩人のようだったため鶏鳴の術にかかる可能性は低いと踏んでいた丈太郎は、獣人が弓を構えようとするよりも早く動いていた。
先端の結び目に水を吸わせて重くした手拭いを振り回して広範囲に渡って木々の葉を散らして周囲に舞わせ、その勢いのままに相手の顔めがけて手拭いを放つ。
「ッ!?」
矢を放とうとした獣人の目にはそれが白い蛇が飛びかかってくるように映っていた。放った手拭いを巧みに操り蛇が身をくねらせるが如く動かして蛇と錯覚させて驚かせる陰遁・騙し蛇の術だ。しかも今回は事前に周囲に木の葉を散らして注意を散らす木の葉隠れの術を使用している。生き物は視界の端で動くものがあればどうしても注意が散ってしまいがちになる。そんな生き物の習性を利用した術にかかって注意の散らされた相手に騙し蛇の術は効果がてきめんだった。
矢を放とうしていた手でとっさに顔を庇おうとして矢は明後日の方向に飛んでいてしまう。
丈太郎は其処にさらに追い討ちをかける。手拭いを操り結び目に吸わせていた水を顔を庇った腕の隙間から目元に放つ。水遁・打ち飛沫の術だ。
「ヌァァァァッ!?」
不意打ちで目元に水を放たれてパニックを起こした獣人の悲鳴を聞きながら手拭いを手元に戻し、丈太郎は素早くその場を離脱し、後には悲鳴を上げて尻餅を付いた無傷の獣人が残された。
「…………コレ、ハ」
目元にかかった水を拭いとったオークの狩人アルネーロは、数は減ったが地面へと落ちていくこのは見て呟いた。
「西ノ長様ニ見セラレタ【木ノ葉隠レノ術】カ?」
立ち上がりながら散った木の葉の一枚を拾い上げてじっくりとそれを観察してから懐にしまう。
「参ラレタノカ、我ラノ祖霊ヲ救ッタ者ノ末裔ガ………、話ニ聞ク若様ガ………。
急ギ長老ニ伝エネバ」
仕留めた二本角へと視線を向けて僅かに逡巡すると腰に差していた鉈でその首に深い傷を入れ、傷口を下にして担ぎ上げ獲物の血が地面に滴るのも構わずに歩き始めた。
その様子を少し離れた場所から丈太郎が監視していることに気付かずに………。
「駄目だな、顔の作りが違いすぎて読唇が効かないわ」
散っていた木の葉を掴んだ獣人が何かを呟いている様子は確認できたものの、こうも距離が離れているとそれを聞き取ることはできなかった。鳥の鳴き声のような遠くまで響く高い音ならばこの距離でも聞き取ることができたのだが、さすがに訛りもある低い声をこの距離では特別な機材でも無い限り難しいだろう。丈太郎は読唇術の心得もあるのだが人間と同じように二本足でで立ち道具を操る操る相手であれど、あぁも顔の造りが違ってはそれも難しい。
環視する獣人が獲物を担いで去っていくのを見て思案する。このまま追跡するか、当初の予定通りに川を目指すか。
「………訛りはすごかったけど、あいつの話してたのは日本語だったな。考えてみれば少なくとも爺さんの代からこの世界と接触があったみたいなんだよな。なら、爺さん達が何をしたかは分からないけど言葉を含めて色々と伝わってる可能性はあるのか?」
彼らと父や祖父と交流があったとしてどれほど深さだったのか、またはそれが友好だったのか敵対していたのか………、日本語を喋っていた以上友好であったと思いたいところではあるがそんな希望的観測でもって行動するほど楽天的ではなかった。
「追跡、だな。少なくともあれのすんでいる場所と規模位は知っておきたい」
もし可能なようであるならコンタクトをとってみるのも手だと考えつつ、十分距離の離れた獣人を地面に垂らされた二本角の血を導として追跡を始めた。
この先になにが待っているのか、丈太郎は未だ知らず。