02. 証明, 実証, 展開
埠頭から帰宅した日も、それ以降も、俺のテンションは高かった。
いままでの鬱屈した生活に比べれば、躁状態とも言える程度だった。
「"死に躁"、ってか。はは」
酒を煽りつつ、必要な情報をネットで収集しながらそう呟く。
気分はよく、脳はクリアなままだった。
*
必要なことをネットで調べ、久々に計算を行ううちに、
GBOの方針が概ね固まってきた。
つまるところ、水中に沈んで腐敗していくうちに生じる体内のガスで体が膨らんでも、
海面に浮かばない重さ・結び方で、丈夫な紐で重りを体に結びつけて海に沈めばいいわけだ。
ボートで沖に出る必要なさそうだ。むしろ発見に繋がる可能性が高まる。
あの突堤の先でそのまま水没すればよさそうだ。
紐は、海水で腐食しないタイプのものがいいだろう。
植物性のものより化学繊維で作られたものの方がいいはずだ。
重りが若干むずかしい。
身近で容易に手に入るもので言えば、レンガかコンクリートブロックがいいだろう。
レンガは軽いし結んだ紐から抜け落ちることが予想される。
それよりは、コンクリートブロックは重いし、
穴に紐を通し固く結べば体から離れることもあるまい。
しかし、コンクリートブロックも1つ1つは十分な重さがあるとは言えない。
具体的な重量は分からないが、いくつ必要になるかも分からない。
仕方ない、他にも調べるべきことはある。ここからは実地検証だ。
*
休日、俺はホームセンターに出向いて売り場を巡った。
化学繊維でできた丈夫なロープは当然売られていた。
これはさすがにないかと思っていたが、伸縮式の10mまで測れる測量ポールもあった。
妙な組み合わせだが、そのポールとコンクリートブロック2つと、
怪しまれぬよう、念のため、園芸用の土のパックを購入した。
それらを自宅に運びこみ、土のパックはそのままゴミ袋へ突っ込んだ。
体重計で体重を計り、そののち、コンクリートブロックを持った状態で再び体重計に乗る。
その差からブロックの重さが分かる。思っていたほどの重量ではない。
どうしたものか。これでは結構の数のブロックが必要になってしまう。
ひとしきり考えてみるが、いい案は思い浮かばない。まあおいおい考えていこう。
その後、日の高いうちに埠頭へと向かう。
昼間に埠頭に足を運ぶのは初めてだ。
釣り人とかいたら面倒くせえなと思っていたが、夜間同様に埠頭に人の気配は無い。
例の突堤までたどり着き、海中を観察しつつ先端まで歩いていく。
天候や日射の条件に依るかも知れないが、突堤の上から海底までの様子は伺えないことを確認する。
その晩、酒と測量ポールを持って埠頭まで歩いていく。
突堤の先端で測量ポールを伸ばし、海へ沈めていく。
10mまで伸ばしきっても、ポールは海底に届かない。
いいだろう。それなりにも深さはあるようだ。
ポールを引き戻し、突堤の基部に建つコンテナのシャッターの前に転がしておいた。
その後は突堤の先で酒を飲みつつ、GBOについて考察を進めた。
*
様々なことに、ケリをつけておきたかった。
*
もちろん、GBO決行後も会社には出社していた。
俺は外面は割とよく、会社では常にテンション高めに振舞っていた。
しかし、死ぬことを決めてからは、いつに増して躁的だったと思う。
社内規定を読み直し、退職届の受理は提出から1ヶ月後であることを確認する。
そのほか、退社までに必要な手続きを確認する。問題ないだろう。
そうして、勤めている会社に退職する旨を伝えた。
小さな会議室で上司と会話をする。
「どうしてまた。うちに不満がある?」
「いえ、研究の道に戻ろうかなと思いまして」
「ほー、伝手とかあるの?」
「いや、そのあたりも未定で、正直いまから行く先を決めます。
まあ賃金もそれなりにいただいてましたし、
貯蓄もあるので1年くらいはぷらぷらするかも知れません。
とりあえずインドあたりに3か月くらい行こうかなとか思ってて。
あのあたりの地域は学生時代から興味もありましたし」
はは、と上司は笑って答える。
「惜しいな、君ほんと有能だから居てほしいんだけど、
退職を希望されたら会社として受けざるを得ない。
規定通り、少なくとも残り1ヶ月は居てもらって、
引き継ぎとかしてもらうことになる。
インドに行くなら連絡とかも付きにくくなるのかな。
なおさら完全に引き継ぎしてもらわないといけないけど、それはいいよね?
「もちろんですよ」
「まあ、君の頑張りもあって、例のプロジェクトもそろそろ終わりそうだし、
ちょうどいいタイミングといえばちょうどいいタイミングか。
……ほんとさー、あんまりしつこく言うと、
この時代パワハラとか言われちゃうんだけど、うちに残る気ないの?」
「すみません、やはり、僕の人生、やりたいようにやってみたいと思って」
「……わかった。やむなしだな。残り1ヶ月の付き合いになってしまうが、
これまで君は本当によくやってくれた。ありがとう、心から礼を言う」
「そこまで言ってもらえると僕としても幸いです」
とっさにインドを旅するというウソをついたが、
この設定はいいかも知れない。
ただぶらぶらしているというよりも、不在の説得力がある。
GBOは進行した。
これで残りの約1ヶ月が俺の人生の最期だ。
*
両親にも連絡しておく。
だいたいこういう連絡は母に伝えていたので、今回も母に電話する。
何回かのコール音ののち、通話が繋がる。
「もしもし、久しぶりじゃない」
「ああ、しばらくそっち帰ってなかったね」
「なんかあった? お金の無心?」
「いや、金はあるよ。今の会社、けっこう金払いよくて、貯金も貯まった」
「ふーん、いい会社に就けたのね」
「それで、そのいい会社なんだけど、辞めることにした」
母が絶句したのが伝わってくる。
「ほんとにいい会社なんだけどさ、やっぱ俺、やりたいことやりたくてさ。
研究の道に戻ろうかと思って」
「……わかった」
母は、ほう、とため息をつく。
「まあこの時代、1つの会社に終身雇用って感じでもなくなってきてるしね。
いいよ、あなたの好きなようにしなさい。
でも、次の就職先とか決まってるの?」
「いや、ぜんぜん決まってない」
「……まあ、貯金はあるのね? ならいい、
あなたのやりたいことをやってちょうだい」
「ありがとう、貯金は十分にある」
「わかった。どっかで1回顔見せに帰っておいで」
「いやー、とりあえず3ヶ月くらいふらふら海外とか旅しようかと思ってて。
ちょっと連絡とか取れなくなるかも知れない。まあ、それが終わったら帰るよ」
「そっか、待ってるよ。……お父さんにも伝えておくから」
「お願いします。それじゃあ、また」
「はいはい、またね」
通話を切ったスマホの画面を眺める。
久々に聞いたお袋の声に少し心が揺れるが、決意は揺らがない。
これでまた1つ、GBOは進行した。
*
たしか、賃貸の契約の中に、1ヶ月以上 部屋を空ける場合は連絡を入れる、という条文があったはずだ。
文書を取り出して読んでみると、やはり間違いなかった。
アパートを借りている不動産屋に電話をかける。
「どうも、そちらでアパートを借りています渡辺と申します。
ちょっとご連絡があり電話しました」
「はい、渡辺様、申し訳ありません、アパート名を教えていただけますか?」
俺は、アパートの名前と号室を伝える。
「ありがとうございます。どのようなご用件ですか?」
「実は、1ヶ月後くらいから、数カ月ほど部屋を空けようと思いまして。
解約というわけではなくて、そのうち戻ってきます」
「なるほど、承知いたしました。
……失礼ですが、何かお部屋に不備があるとか、そういうためですか?」
「いえいえ、いろいろあってしばらく旅でもしようかと思って」
「なるほど、わかりました。
申し訳ありませんが、ご不在のあいだもお家賃は必要になりますよ?」
「あ、そのあたりは大丈夫です。きちんと口座にお金を入れておきますので」
「承知いたしました。そういうことなら特に問題はありません」
「ありがとうございました。それでは失礼します」
「はい、ご連絡ありがとうございました。失礼します」
まあ戻ってくることはないが。
電気や水道などのインフラ系の業者への連絡は特に必要ないだろう。
住居をこのままにしておけば、役所関係の手続きも特に必要ないはずだ。
GBOは進行していく。
*
家賃や各種インフラ系の引き落としに使っている口座に、
別口で貯めていた金をすべて移す。
使い道もなく貯めていた金だが、こういう役に立つとはな。
いくらかの万札だけ財布に突っ込んだ。
*
ある程度は身辺整理をしようかと思ったが、旅に出る設定で通してきたため、
むしろ部屋はそのままの方がいいかと考え直した。
ただし、PCや外付けHDD等、後から確認されたくない物品はある。
これらの廃棄は面倒かと思われたが、ネットで検索すると、
この手の機器を送れば引き受けてリサイクルに業者があると知る。
その業者のウェブサイトを眺め、全くその通りなのかは怪しいが、
内部のデータを確認することはないと謳っていることを確認する。
まあ完全にぶち壊してから送りつける方が安全かもな。
GBO決行前にこの業者に送ってしまおう。
*
これで対外的な準備は概ね整った。
俺の不在を不審に思う人間は居ない。
もともとSNSなんぞも使ってないし、退社後は、数カ月間、
俺に連絡を取ってくる人間は居ないだろう。
仮に連絡を取ってきたとしても、インド旅行設定で、
連絡が取れないことには納得するはずだ。
*
そういう対外的な準備を進めつつ、会社あがりの夜に俺はGBOを遂行していく。
コンクリートブロックを埠頭に運んだり、ロープを結ぶ練習をしたり、
浮力の計算に間違いがないかをチェックしたりした。
できれば、最後に、満月を見ながら酒を飲みたかった。
退社する日と月齢を見比べ、条件の揃う日付を確認する。
いいだろう、さすがに当日の天気までは分からないが、
この日をGBOの決行日と定める。
*
退社日となった。
各種の書類の手続きは済ませ、引き継ぎも完全に終わらせた。
PCの引き取り準備も終わらせ、机の上やロッカー、袖机の荷物も整理し、持ち帰る準備をする。
人が一人消えていく。
「けっこう簡単なものなんだな」
小さくつぶやいて荷物をかばんに詰めていく。
定時になった。部長と目を合わせて、オフィスを出る。
「壮行会とかしてあげたいんだけどな。君も忙しいだろうし、よしとしてくれ」
「これだけ見送ってもらえれば十分ですよ。ありがとうございます」
エレベータに向かいながら最後の会話をする。
「それじゃあ、上手くやってくれ。今生の別れということもないだろう。
いつかまた一緒に仕事ができると嬉しい」
「そうですね、僕も、ぜひまたご一緒に仕事ができれば嬉しいです」
「うん、またこのあたりに帰ってきたら連絡してくれ。個人的にでも飲もう」
「ぜひ。僕がインドで野垂れ死なないことを祈っててください」
「はは、祈っておこう」
そう言うと、上司はエレベータの下りボタンを押す。
「本当にありがとう。君の人生が上手くいくことを願っている」
「ありがとうございます。僕も、5年間置いてくれたこの会社の発展を祈っています」
エレベータがやってきた。上司に目配せして乗り込む。
「それじゃあまた」
「はい、またいつかどこかで」
エレベータの扉が閉まるまで深々と礼をした。
エレベータには監視カメラも付いているだろうから、まだ油断はできない。
念のため、いつもの会社のテンションのままでアパートまで歩く。
部屋の扉を開け、中に入り、鍵を閉める。
引きちぎる勢いでスーツとシャツを脱ぎ捨てる。
これでようやく終わった。流しの下からウイスキーを取り出し、原液のままコップ1杯ぶんほど飲み下す。
今生の別れだし、俺の人生はもう終わりだ。
*
残るは1週間弱、「残りの人生を楽しむ」なんて気持ちは無い。
その夜も、いつも通りウイスキーを飲みつつ、ロープを巻く練習を続けた。
*
とにかくすべてが愉快だった。
しかし、それは生に向かうものではなく、死に向かう悦びだった。