狂気は続くよ どこまでも
階段って,上から見るとこんなにも高いものなのか―――――――――――――.
虹色の微弱な光が,視界の端から消えては現れて,そして,その数を増やしていく状況で,階段下の床は遥か下に見える.それは自分が目からでもなく,頭の中でもなく,更にその後ろから覗き込んでいるような感覚に陥いっているからだ.幽体離脱,この科学にまみれた世界で,明晰夢と表現される現象が起きている.それだけではない,階段の手すりを掴んだはずの指がぴくり,ぴくりと震えている.筋肉を直接ピンセットで抓まれるかのような鋭い痛みとそれに対する生体的反射がその原因か.
赤ん坊のように片足ずつ一段一段下っていく間,全身を隈なく襲う刺激によって思考が奪われていく.やがて,なにか曖昧なものとなった僕は,階段下の床に背中から滑り落ちた.銀色の砂嵐が目の前にぱあと広がり,肺から僕の中へと侵入してくる.よく見ると,砂粒の一つ一つが,鳥型の化け物で,肺胞を抓んでは潰しているではないか.肺からは血が溢れて,口から吹き零れる.
ああ.来るな.
僕は殺虫剤を吹き付けられた害虫のごとく,懸命に這いずって,逃れようとする.
どこが,前なのか,後ろなのか,地面なのか,空なのかも分からない.あたりを引っ掻き回して,空を切り,白い壁に爪を立てる.爪が割れて,血が出た.そこからも,血と一緒に無数の鳥型の化け物が現れた.
そして,そいつらは声を揃えて言った.
「ねえ,離してくれないかしら.白衣がそんなに珍しいことはないでしょう」
宥めるような,困ったような声音であった.
気づくと僕の手から,純白の布の上に深紅の無数の点を散らした,美しい模様が奥へと続いている.
その奥には,灰色がかった鋼鉄と橙色の生地を纏った,少女が立っていた.その手にはぎゅっと破れてしまった布が握られている。しかし驚くべきは彼女の身体が無数のケーブルと,骨格代わりの軸が頭部以外を覆い尽くしており,時折赤黒く焦げた『肌』が張り付いていることだ.あの流れるような黒髪がなければ,僕は例のアンドロイドだと気が付かなかっただろう.そして,彼女の唇からは紅い血が流れている.その今にも零れそうな涙を湛えた瞳もあまりにも,人間らしい.だけど彼女の首からつり下げられた眼鏡が,恭しく述べる.
「ご主人様,真平様の意識が回復したようです」
彼女は,手を叩いて喜んだ.
「よかった.真平さん,ようやく正気にもどったのね.お願いだから,手を離して.それは,とても大切なものなの」
そう言う彼女の額の皮膚の一部が剥げて,透明になっていた.そこから覗くピンク色のぶよぶよしたものが自意識を混乱の海へと突き落とし,正気でいられなくする.あれは,脳味噌じゃないのか―――!?
「夢だ,すべて,夢なんだ...」
思考を放棄して,彼女に謝った.
「ごめん,返すよ」
白衣と同時に意識を手放すと,安らかな解放感を得た.助けようとした相手もまた,化け物だったなんて笑えないし,必要ない.
次に目が覚めたら,全てが元に戻っていることをただ願っている..
こんな未来はまっぴらごめんだ.
世界観紹介(今回は事情説明)
電磁嵐は大きく2つの作用があります.
刺激作用(めくらみ,明暗の点滅、末梢神経への刺激)
熱作用(血中温度の上昇)です.
真平は幻覚じみたものを見ていますが,事故で精神的に不安定になっていたことが起因しています.眠ろうとしたとき,衣服の影や天井のしみが怪物に見えることがありませんか.それは深層意識で恐れているものの表出なのです.真平の場合は,鳥型の化け物でした.




