赤の女王仮説
ビルやデパート,コンビニの扉にはロックがかかり,内部の住人を閉じ込め守る.同時に外部に存在するほとんどの機器は誤動作を防ぐために電源が切れ,沈黙する,TV,信号,次世代路面電車,ドローンその全てが不能となる.もしこの街を監視している人がいるなら,電磁嵐は街にぽっかりと空いた黒い穴に見えることだろう.その強力な電磁波は,街に取り付けられた監視カメラを不能にし,空気中を移動する電波を妨害する.上空は雲に覆われ,衛星からの画像もあてにならない.つまり,電磁嵐が存在する間,その周囲は無法地帯になる.最も問題となっているのは,外から鳴り響く轟音の主だろう.僕は,窓から外を覗き込む.車道には,自動運転が失われたため,脇に寄って停止する車がちらほら見受けられる.それを,甲高いモーター音を鳴り響かせながら,あっという間に追い越していく車がいた.僕の視界にいたのは2秒にも満たない,時速200Kmは出てるだろう,あれは自殺行為だと思うが,運転手はそうは思わない.運転手は運転狂の人間かアンドロイドだと相場が決まっている.特にアンドロイドの場合は自発的に行っているわけではない,金持ちあるいは犯罪者の命令に従っているのだ.例えると精巧なジオラマの街を車で走らせ爽快な気分に浸るか,どこかにぶつけてしまって終わらせるかはリモコンで操っている彼ら次第だ.刹那的で危険な快楽をもたらすこの行為が,電磁嵐の最も大きな被害を引き起こすことがままある.運が悪く車が建物に突っ込み,死んでしまった人間がどれほどいるだろうか.自動運転が安全を生み出したというのに,一部の人間が自動運転を外して事故を起こす.国が自動運転を強要し,運転する楽しみを奪ったことが悪いのか.あるいは,電磁嵐に対応した車を作った会社が悪いのか.僕は椅子に座って,目を瞑る.ただ電磁嵐が通り過ぎるまで,そうすることしかできないのだ.
いつの間にか,うとうとしていた.ぼんやりとした意識下で幸せに浸っていたのを,死者すら目覚めそうな爆音が破った.無理やり意識を覚醒させられるが,鼓膜が麻痺して,ふらふらしながら立ち上がる.
「いったい,なにが...」
目の前に現れたなにか赤色のものが上下に揺れながら,なにかを言うが,聞き取ることができない,よく見ると,木ノ下が血の気が失せた表情で.僕を指さしている.自分の身になにか,起きているのか.身体をざっと見回すと,窓ガラスの破片がいくつか突き刺さっていた.赤いどろりとした血が,腕を伝っていく.意識すると同時にじわじわと刺すような痛みが僕を襲った.振り返ると背後にあったはずの窓が,粉々に砕けている.それもそのはずで,目の前の車道でもくもくと黒煙をあげる大小さまざな残骸が散乱していた.ひしゃげたホイールから辛うじて車と分かる程度だ.辺りを見回すと,それを眺めているのは,僕以外に二体存在していた.一体は,二対の異常なほど滑らかな純白の翼を背中にもち,腹にヒトを何人も抱えられそうな巨大な鉤爪と僕の胴体よりも太いミサイルをいくつも備えた化け物だ,頭部には黒く区切られいくつもの層を持った丸いレンズが前後左右に4箇所ついている.そのレンズの一つが僕に向けられて,絞られた.そして,もう一体僕は白衣が斑に赤く染まった例のアンドロイドだ.爆発の衝撃で、この店の壁に叩き付けられてしまっている.そのアンドロイドもまた,化け物をに釘つけになっている,鳥型の化け物が支配する空間は息苦しかった,原始的な恐怖が胃から湧き上がってくる.恐らく,車を破壊したのはこの化け物だ,その気になれば,ヒトなど微塵も残さず殺せるだろう.化け物は僕たちを見た後,音もなく翼を広げ,轟音と共に空へ飛び去った.その動作があまりにも洗練されていたから,あっけにとられていた.しかし,木ノ下が僕の腕を掴むことで,ようやく我を取り戻す.
「大丈夫ですか!?早く,ち,血を止めないとだめで,ス!だメ.は や く」
顔をしかめた木ノ下は頭を抱えて,悲痛な声を漏らす.恐らく,ここでは最も危険な状態にある一人だろう.電磁嵐から僕らを守っていた窓はもはや失われた.彼女の頭部に存在するICチップが,強力な電磁波に晒されているのだ.長くいればいるほど,あらぬる危険が増大する.その場でへたり込みそうな彼女に肩を貸し,くぐもりながらも声を張り上げる.
「店長,いますか!木ノ下を二階へ運ぶのを手伝ってください!」
「解っとる!だから,少し待てっ!」
それからしばらくして,台所から顔を出した店長はひどい有様だった.爆発の際,頭をひどくぶつけたらしく額からどくどくと血を流している.それをなんとかお手拭きで抑えているが,僕なんかよりずっと重傷だった.ただ店長も僕も,ICチップを埋め込んでいない人間だ.そのことが,今だけは良い方にでている.二人でふらつきながら,木ノ下をゆっくりと二階へ運ぶ.階段を一歩ずつ上るたびに,頭痛とめくらみが意識を奈落の底へ落そうとする.それに全身が熱い.それはアドレナリンだけのせいではない.血中温度が実際に上昇しているのだ.電磁嵐は確実に身体を蝕んでいる。二階に到達した僕らは,一番近くに部屋になだれ込むようにして入る.その部屋は埃臭くて何年も使われてないようだった.木ノ下をその場に寝かせて.後ろ手に扉を閉める.壁に寄りかかるように腰をついた店長へ知識をたぐり寄せ、伝える.
「店長,頭部の傷はできるだけ強く抑えて下さい.周りの住人が通報してくれるかもしれませんし,電話は一階です.ここで安静にしてください。多分,電磁嵐が済むまで,救急車も来ません.」
僕は店長に背を向けて,扉に手をかけた.店長が唸るように呟いた.
「真平,どこへ行くつもりだ.てめえが言ったことも分からねえのか」
「店前にいたアンドロイドを覚えてますか?」
「馬鹿か.人形のために命なんざ張るもんじゃねえ」
そう.僕もそのつもりだ.だけど,僕がさっき見たのは『白衣が斑に赤く染まったアンドロイド』なのだ.
アンドロイドに,血なんて流れていない.
「あれ,人間だったんです.僕が勝手に勘違い,してたんです」
どういう理由があったか分からないけれど,あいつは人間であの場で動けないでいた.それが助ける理由にならないはずが,ない.
「待て,それなら俺も行く」
僕は笑って,首を振った.
「店長,全然,力が入ってなかったです.多分,僕一人の方が,上手く,いく」
初めてかもしれない,店長にこんな口を利くなんて.あとで,説教されるだろう.そうだ,あとがあるなら説教なんていくらでも受けてやる.僕は一呼吸置いて,扉を開いた.電磁嵐なんて,糞くらえだ.それを生み出したアンドロイドはもっと糞だ.でも一番嫌になるのは,それら全てを生み出したのが僕ら人間だということなんだ.僕は店長の静止の言葉を振り切り,電磁嵐へ飛び込んだ.
ようやく起承転結の起でした.
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