人機境界
木ノ下と話しながら,歩道と機道を分ける白線を踏み越える.アンドロイドを始めとしたロボットは,人間に比べてかなり重い.安全と危険の境界を跨ぎ,例のアンドロイドへ近づいていく.
アンドロイドの背中で,白衣と対比するような深い藍色の髪が,風に静かに揺られている.どうやら,女性を模しているようで,思ったよりも華奢で小柄だった.代わりに異音も臭いもしない.店長が人形と評したのも,分かる気がした.人間に近いはずなのに,遠い.
木ノ下が片膝をついて,アンドロイドへ声を掛ける.
「あのぉ,大丈夫ですか?」
アンドロイドは一瞬の沈黙の後に,明瞭な機械音声を発した.
「ありがとうございます.しかし,心配はありません.どうかお気になさらないでください」
取り付く島もない様子だが,木ノ下はなんとか説得しようとする.
「ですけど,電磁嵐が起きようとしているんです.避難しないと,危ないです!」
「大丈夫です.私は人間よりもずっと頑丈な仕組みなので.小指をタンスにぶつけるということはありません.家の中で靴を履いているタイプなのです」
「えっ?」
木ノ下は困惑した様子で唇に指を近づける.そして,アンドロイドは僅かに身じろぎをして,小さく悲鳴を上げた.
「痛いっ.ええと,失礼しました.つまり,私は電磁嵐の中でも問題ありません.特別にチューニングされ,十分な対策を施されています」
「そ,そうなんですね.こちらこそ,すみませんでした」
「いいえ,謝らないでください.あなたはお優しい方です.ご心配をおかけして申し訳ありません」
木ノ下がアンドロイドを見やりながら,ゆっくりと立ち上がった.彼女にできることはもうない.
僕は,せめてもの思いやりとして,一つだけ質問をすることにした.
「良ければ,そちらの所属している連絡先に事態を伝えようか?」
アンドロイドは即答する.
「問題ありません.マスターは全ての事態を把握しています.マスターは今,私と運命共同体ですから」
アンドロイドは突然『咳き払いをした』.
「すみません.私はあまり会話が上手くありません.言葉の使い方が間違っていたら,どうかご容赦ください」
最後は,消え入るような声だった.
それきり会話を打ち切ってしまったアンドロイドを置いて,僕は木ノ下と共にその場から立ち去った.
アンドロイドとの会話に違和感を覚えたことは,一度や二度ではない.
だけど,今回はなにか,ありそうな違和感だった.つまり単語の意味や助詞の使い方などの単純な理由ではなく,僕らの知らないような複雑で繊細な理由を想起させる.
ただ今は,そこに踏み込む気がなかった.他人を助けてやれる力がなければ,親切は自己満足に過ぎない.我ながら,便利な逃げ口上だ.




