変心
店長はというと,主人を失ったような虚ろな目でキッチンに立っていた.
店長の妻はすでに他界しており,彼を支えるものはこのラーメン屋を除けばほとんどない.
その店も時間を経るたびに劣化している.かつては,美しい木目であっただろう木枠は黒く濁り脆化した.それに伴って,嵌め込まれた窓が振動し,耳障りな音を立てている.徐々に,風が強くなっているのがわかる.気づけば,外を出歩いている者はいなくなっている.
ただ,先ほどの一体のアンドロイドだけが取り残されている.ぴくりとも動かず両腕を組み,顏を突っ伏していた,はためく白衣に包まれたそれの所有者は,回収が間に合わなかったときそれなりの代償を支払うことになるだろう.だが,それでも人が死ぬよりもはるかに安いのは確かだった.
「まっぴんさん,あの子どうしたんでしょうか」
木ノ下が,いつの間にか隣に立っていた.右手にはタブレット型のPAIが握られている.
「朝からずっとあそこで蹲っているんだ.今のところ,誰も回収しにきていない」
「電磁嵐が来たら,死んでしまいますよね」
「死ぬって…壊れるだけだよ」
木ノ下は,ぶんぶんと首を振った.
「同じことですよ!アンドロイドだって痛いと感じるんですから.今だけでも,店内へ避難させてもいいですか?」
後半の台詞は,店長に向けられていた.一瞬で意識が覚醒した店長は一拍置いて,目を見開いて言う,
「だめだ.たわけた人形なんざにここの敷居を跨がせてたまるか」
店長のアンドロイド嫌いは筋金入りで,その恩恵で僕と木ノ下は店員として働ける.
だから,店長の意思を汲んでやる必要があった.
「実は,その人形が倒れている場所が店前なんです,もしボロボロの人形の残骸があると,客が嫌がると思いますから,移動させます」
店長から返事はない.この沈黙は肯定と受け取るべきだろう.
「木ノ下,行こう.もうそろそろ,電磁嵐が起きてもおかしくない時間帯なんだろう」
「あっ,あ,はい」
僕と木ノ下が,扉から外へでる.
「裏口なら,アンドロイドを置いてもすぐにはばれないだろう.さっさと移動させよう」
「...はい,ありがとうございます」
感謝の言葉を述べた後.木ノ下がまじまじと僕の顔を見つめている.
「どうしたの」
「いえ,なんでもありません.ただちょっとだけ,気になったんです」
「なにが?」
「店長がアンドロイドが嫌いな理由って,知ってますか?」
「いいや.大方アンドロイドに慣れていないから,不気味の谷へ落ちたと思ってる....木ノ下は知っているの?」
「いえ,なにも.でも私は店長に断られていた時点で諦めていました.だから,まっぴんさんが提案してくれたとき驚いたんです」
「もしかして余計なことをした?」
「そういうのじゃなくて!なんか,変な感じです」
わちゃわちゃ両手を振る木ノ下は微笑ましかった.たぶん,それだけで,手助けしたかいがあったと思えるほどには.




