お願いだから短編も見てくれ!
おそらくネット小説界隈にいる人の大半は、ほとんどが長編を見るであろう。壮大な冒険ファンタジーに一般文芸では見ることのないチート能力や内政チート等を駆使してハーレム物語を読者は読み進めるであろう。
先ず断っておくが、私はそういう作品を嫌いなわけではないことを言っておこう。
しかし、悲しいかな。そういった長編作品が大半を占める中、短編は日向者で一瞬の機会でしか巡り合えないのだから短編作家としては嘆き悲しいものである。
これはシステム上の関係性と、その機会の低さに関係する。
ここなろう小説以外でも短編作品は投稿されるが、短編のPV数が往々にして低い。なぜなら、なろうのシステム上、新作短編は十分に一度更新されるのでその間に新作が一気に来てしまえばあっという間にネットの海に消えてしまうのが落ちであろう。
特になろうはスマートフォン版では新作短編という表示が隠されてしまいその機会を益々減らしている。
実例を挙げると私の短編は、三十PVのうち実に二十五がパソコンからの閲覧と来ます。これはパソコン版では新着短編の一覧タイトルが表示されている恩恵が現れているからでしょう。
ですが、時代はすでにスマートフォンが主流であるというのに、この仕様は短編作家を衰退させる要因でしかないのです。
さて諸氏読者様方に置かれましては、それなら面白いと思えるタイトルや内容を書けば様であろうと言われるかもしれないでしょう。それはごもっともである。
しかし、高々百PVにも満たない数――ユニークアクセスならもっと少なくなるであろう人に感想や評価、ましてやレヴューされるなど天からの施しでありますでしょう。
幸いにも、いくつかの私の作品に評価してくれる神あるいは奇特な方が偶発的に私の短編作品を見つけただけでなく票を入れてくれましたのであります。
短編作品とは、まさに一期一会の出会い。なぜなら、長編作品なら新しい話を更新すれば見てくれる機会が間違いなく与えられますでしょう。しかし、短編はそうはいきません。例えるなら、長編は常に花を咲かせる樹木であり、短編は一度しか花を咲かせられない草花でしょう。
ですが、短編作品の素晴らしいところは終わりがあるところです。ほとんどの人気作やあなたのお気に入りの長編の中で終わりを迎えた作品はいくつあるでしょうか? 人気ランキングの中でいくつ終わりを迎えたものがあるでしょうか?
短編は必然的に終わりがあるものです。つまりそこから得られるものは終わりがあるという安心感です。いつまで引っ張り続けるのだという杞憂など毛頭ないのです。
考えてみてください。一般書籍で終わりのない作品などあるでしょうか?たいていの本は一冊か複数の本で物語を畳むでしょう。ネット小説の短編は終わりのある作品という安心感を提供できるのです。
短編作品は当たりはずれの差が大きいという方もおられますでしょうが、それは長編も同じでしょう。しかも長編と違いすぐに切り捨てることもできる利点もあり時間の浪費が少ないのであります。おまけに感情を揺さぶる強さも強弱はあるけれど勝に劣らないものも多くあります。
短編作品を思い浮かべるなら有名どころで、芥川龍之介の作品しかり、太宰治の『走れメロス』しかりと一万にも満たない作品ながらも心に響くことがありますでしょう。
コミック雑誌で出てきた読み切り漫画でも心に響くものはありませんでしたか?
長編は壮大な物語に対して短編の世界は小さい物語だと評する人もいます。ですが、コストパフォーマンスの良さは短編が圧倒的に良いのです。そう時間という天がすべての生物に与えた有限のものを抑える労力をです。
自分は、長編が書けない底辺短編作家のはしくれでありますが他の短編作家も見てごらんください。短編作品にこそ作品を見てもらう機会をSNS等で通じて見てもらってほしいと願っております。
4月25日のpv数は67その内パソコンが50も占めている。やはり、短編を見る人の大半はパソコンからという結果が見えてくるのではなかろうか?