前編
愛結美の死から1年が経ち、聡史は子供たちを連れて実家に戻った。
愛結美の分も、子供たちを育てようと頑張っていた聡史だったが、やはり仕事をしながら小さい子供たちを一人で育てるのには無理があり、実家の両親や愛結美の両親の薦めもあって、子供たちが手を離れるまでは実家で面倒を見て貰おうと決めた。
『聡史さんにはまだ長い人生がある。愛結美の分も頑張ろうとしてくれるのは嬉しいけど、あまり無理はしないで下さい。この人と思う人がいたら、その人と結婚してくれても構いません。あなたには、あなたの人生があるんですから…』
愛結美の両親にそう云われたが、聡史は誰とも結婚する気はなかった。
『俺の妻は、愛結美だけで充分過ぎます』
『でも…愛結美はきっと、あなたの幸せを望んでますよ』
『だったら、このままでいいんです。俺は、充分幸せですから』
その言葉通り、聡史は両親の手を借りて、一人で二人の女の子を立派に育て上げた。
聡史が実家に戻って以来、七菜子は一度も連絡を取っていない。
『元気でね』
それが、聡史と七菜子が交した最後の会話だった。
それから数ヵ月が過ぎた頃、七菜子は街で偶然恵里に再会した。
恵里は、小さい男の子を連れて買い物していて、昔と変わらない態度で、七菜子に声をかけてきた。
『久し振り!愛結美とはまだツルんでんの?愛結美元気?』
『愛結美は…』
七菜子は少し迷ったが、あまりにもしつこく聞いてくるので、正直に打ち明けた。
『嘘でしょ?』
『本当…』
『本当なの?』
『うん』
恵里は言葉を失っていた。
あの愛結美が…
恵里は思い出していた。
高校時代、七菜子を愛結美に取られた気がして、その嫉妬から、学校中に嘘の噂を広めた事を。
『私がお墓参りしても、平気かなぁ…』
『愛結美の?』
『うん…愛結美、嫌がるかなぁ…』
『昔の事なら、大丈夫だよ…愛結美、もう気にしてなかったし』
恵里は変わっていた。
あれほど、人に媚びた態度を取りながら、本当は見下してるような人間だったのに…
今の恵里からは、昔のいやらしさを一切感じない。
高校時代からこうだったら、愛結美は恵里を嫌わなかったかもしれないのに…
『一周忌は過ぎちゃったけど、連れてってあげようか?』
『本当?じゃあ、私予定開けとく』
数日後、七菜子は恵里を、愛結美の眠るお墓まで連れて行ってあげた。
恵里はお墓に花と線香を供えると、手を合わせて小さな声で呟いていた。
『ごめんね、愛結美…』
恵里は変わった…
七菜子は、恵里の背中に微笑んでいた。
恵里はゆっくり立ち上がると、コンビニの袋から冷えた缶ビールを取り出し、1つはプルトップを開けてお墓に置き、1つは七菜子に渡した。
『愛結美と呑もう!』
二人は缶ビールを開けて乾杯した。
愛結美がいなくなったからではなく、恵里はきっと、ずっと悔やんでいたのかもしれない…
もしもあの時、恵里が今のように素直になっていたら、もしかしたら、もっと違っていたかもしれないのに…
『愛結美って、変な奴だったよね…』
『最高だったけどね…』
『愛結美…生きてたら許してくれたかな…私の事、何か云ってた?』
『何にも…愛結美は、いつも明日しか見てなかったから…あの時の事も、愛結美は本当は、少しも気にしてなかったんだよ』
『そうなんだ…』
恵里の目に、うっすらと涙が滲んでいた。
『恵里が、もっと素直な気持ちで愛結美に話し掛けてたら、愛結美だって、あんなに恵里を拒まなかったかもしれないよ…』
『そう…だよね…私、何であんなにひねくれてたんだろう…話し掛けると逃げる愛結美が面白くて、でももっといろんな反応が見たくて…七菜子を愛結美に取られた気がして…出来る事なら、戻ってやり直したい位だよ』
『大丈夫…愛結美は聞いてるよ、きっと』
恵里がそっと涙を拭った。
『判ってるよね、愛結美…』
七菜子が恵里の供えたビールを手に取り、墓石の前の地面に静かに流すと、恵里は自分の缶ビールを墓石に軽く当てて、『乾杯』と云った。
『今度はいい酒持って来るからね』
『恵里、あんた愛結美が天国でベロ酔いしたらどうするのよ…愛結美お酒弱いんだから』
『じゃあ…そこそこの酒持って来るからね』
二人は愛結美のお墓に語りかけながら、ビールを呑んで愛結美の思い出話に花を咲かせた。
次の命日に、七菜子が愛結美の墓前を訪れると、そこには綺麗な百合の花と、高そうなワインが供えられていた。
恵里だ…忘れてなかったんだ…
七菜子はクスリと笑って、恵里の花の中に自分の花を加え、愛結美の好きだった果物を供えた。
5年後、旦那の転勤が決まり、七菜子たちは神戸に引っ越して行った。
愛結美の墓参りは出来なくなってしまったが、きっと愛結美はちゃんと見ている…
そんな気がしていた。
生前、愛結美は大きな心の支えだった…
今は、強い励みを感じる…
愛結美が見ている…
そう思うと、七菜子はどんな事も頑張れた。