お兄様とお義姉様の婚約破棄から始まる私の恋。
今日は私の成人の誕生日会。
そんな日に、私からお義姉様を奪うの?
「ノッテルーナ公爵家と、ジョナルータ大公家の婚約を、この場をもって破棄させて頂きたい」
私の目の前には金髪金目のお兄様と、その婚約者である銀髪銀目のお義姉様。
深く頭をさげるお兄様、ソーレ=ジョナルータ。
頭を下げる先はお義姉様、セラータ=ノッテルーナ。
お二人ともとても美しくて、並び立つ様はまさに金の太陽と銀の月。
私の自慢のお兄様とお義姉様。
大好きなお兄様が、大好きなお義姉様と結婚なさったら、名実共に、誰彼憚らず、お義姉様とお呼びできる。
私は、それで十分だったのに。
それなのに、お兄様は今、私からお義姉様を奪う。
「お兄様、何をおっしゃっていらっしゃるか、ご理解しておいでですか?!
お義姉様との婚約を破棄するなんて、考え直してくださいませっ!」
どうしても考え直して欲しくて、お兄様の腕に掴みかかるけど、騎士として訓練を続けているお兄様は、辞書以上に重いものを持ったことのない私の腕ではビクともしない。
そんな私達に近付くお義姉様の足音。
お兄様の腕を掴む私の肩に、優しく触れるのはお義姉様のレースの扇。
私と忍んでお買い物に行った際に、色違いのお揃いで買ったもの。
そう、あの時に、初めて【お義姉様】と呼ばせて頂いた。
血の繋がったお姉様はいないから、初めて口にする言葉で、片言になってしまったけど、お義姉様はとても優しく笑ってくださった。
私のお義姉様は、お義姉様以外あり得ない。
考えたくもないの。
最近、お兄様に近付く、庶民の女がいることは知っているわ。
無責任な言葉ばかり吐くあの女が同じ苗字になるなんて、考えたくもない。
「ステラ様、気をお沈めになって。
ソーレ様、理由をお聞きしてよろしいかしら?
理由遺憾によってはわたくし、身を退かせて頂きますわ」
私を優しい笑顔で抑えた後の、お義姉様の顔は、まるで凪いだ湖のよう。
鏡のように外界の全てを映す代わりに、自らの中を全く晒さない。
どれだけ深いのか、どんな魚がいるのか、何も、わからない。
「私は、この家を出る。
オンブラ辺境伯の元に行く。
辺境伯の養子となれるように書類は整えた。
次期大公位は弟のルーチェに譲る形になるだろう」
「養子として大公家をお出になるのですか?」
「あぁ……いや、まだその予定であると言うだけだが……ほぼ決定事項だ」
お兄様が、そこまで入れ込んでしまうほどの何が、あの女にはあるのでしょうか。
お義姉様はレースの扇を引き、口元を隠して逡巡なさっているようです。
やはり、そのお顔からは何も読み取れません。
いつもの穏やかな色の欠片も見当たりません。
「お兄様……あの女の為なの?
あの女と結婚したいが為に、この家に生まれた責任も義務も恩も、何もかも捨てていくの?」
「……違う、そうではない……違うんだ……俺は、愛してはいけない人を愛してしまったんだ……だから、離れて、忘れたいんだ……」
堪え切れずに問いかけても、お兄様からの返事は的を射ていない、漠然としたもので、愛してはいけない人なんて、位が違いすぎる方と言うことなら、あの女が当てはまるけれど、何か、違うような気がします。
「何を勘違いなさったのかわかりませんが、貴方とわたくしは、婚約なんてしておりませんから、破棄も出来ませんわね」
「え……?」
「婚約は、ジョナルータ大公家とノッテルーナ公爵家のもの。
家名こそあれ、個の名前は無いでしょう?」
お兄様も私も、お義姉様の言葉に呆気に取られてしまっています。
けれど、確かに、ノッテルーナ公爵家とジョナルータ大公家は、婚約を交わしているのです。
では、ノッテルーナ公爵家の誰と、ジョナルータ大公家の誰が婚約したと言うのでしょう。
「あの……お義姉様?」
「ステラ様にお義姉様と呼ばれる苦痛も、今日で最後ですわね」
「そ、そんな……苦痛、だったのなら、嫌と、おっしゃってくださったら、私……」
穏やかに笑ってくださった裏で、苦痛を抱えていらっしゃったなんて……私、どうしたらよいのかしら。
ああ、お化粧を崩してはいけないから、泣いては駄目……でも、視界が歪んで来たわ。
お義姉様の顔も、よく見えない。
「勘違いなさらないで、ステラ様。
わたくしが、貴方を嫌いだから苦痛なのではないのです」
「あの……意味が、よく、わからないのですけれど……嫌いだから、苦痛なのでは?」
堪えた涙は鼻の方に移って、声を濁らせる。
これでは泣いているのだと、丸わかりだわ。
けれど、わからないことは聞かなければわからない。
涙が鼻に引いて少し戻った視界で捉えたお義姉様は、いつもの優しく穏やかな笑顔に苦笑を混じらせていらっしゃった。
「わたくしのこの姿が悪いのです。
けれど、どうしても……今日この日まで、この姿でなければならなかった……」
「?」
「ステラ様、わたくしは貴女にわたくしの誕生日をお教えしませんでした。
覚えておいででしょうか、新年の日、今年こそはわたくしの誕生日を祝いたいからと、問うてくださったけれど、わたくしは、答えなかった」
えぇ、覚えています。
あれは、今年の新年の王宮参りの日。
今年こそお義姉様の誕生日をお祝いしたくて、年の早い内にお聞きしたのに、お義姉様は、私が成人を迎えたら教えると……そう、今日は、私の成人の誕生日。
「わたくしが誕生日をお教え出来なかった理由の一つに、わたくしの家、ノッテルーナ家が関係して参りますので、まずはそこからお話ししましょう」
ぱちりと閉じられた扇の音を皮切りに、お義姉様は静かに、さらさらと、まるで寝物語のような話を語り出されました。
「古来よりノッテルーナ家は、王家に縁のある御方の影としての役割を果たして参りました。
ノッテルーナの血を引くものは皆、王の血筋に生まれる御方の数年前の同じ日に生まれ、その同じ日に生まれた御方の影として、その御方が成人を無事にお迎えになる日まで陰日向無く生きるのです。
防ぐものは様々、運命の不幸、他者から寄せられる呪詛、侵略を試みる他国の脅威などの全ての災厄からとなります。
ノッテルーナ家に短命な者がよく出るのは、それらを身代わりに受けるが故とも言えましょう。
わたくしも例外ではなく、わたくしの誕生日を告げてしまえば、どこで誰が聞き、漏れ、王の血筋を脅かすとも知れぬからです……わたくしが死ねば、わたくしが守る御方は災厄に対して野晒しと言っても過言ではありませんから。
子供は総じて弱いもの、小さな切り傷で死に至り、微かな呪詛で大病になり、戦になれば人質となる。
それらから守るための最後の砦、とでも言いましょうか。
例えば……ソーレ様、貴方の影は、わたくしの姉、セーラです」
「……セーラが、俺の影?
では、あの病は……」
「えぇ、姉が抱える心臓の病は五年前に受けた呪詛からくるもの。
その呪詛は、ソーレ様に向けられたものでした。
けれど、それらから守ることこそが我ら一族の務め。
姉は貴方の影としての務めを果たし、今は我が家で穏やかに過ごしております」
「いや、待て……そなた、今……セーラが、姉だと……女だと?
そなたの兄では……セーラは、男では、無いのか?」
「守る御方の性別に合わせて、我ら一族は性別を偽ります。
姉は女ですが、守る御方であるソーレ様が男であったため、男装し小姓として側におりました」
「……セーラは、どうしている?」
「日がな一日、我が家の書庫で、国政やら経済やらの数字だらけの書物に囲まれ、それはそれは楽しげに過ごしております」
「ははっ、セーラらしいな」
「付け加えるなら、姉は心臓を患いましたが、戦闘などの激し過ぎる動きが出来なくなっただけであって、歩けますし、少しだけであれば走れますし、早駆けしなければ馬も乗れますし、普通の生活には何ら支障ありません。
姉は女としての教養も全て修めておりますし、家族の贔屓目を差し置いても頭が良いので、僭越ながら次期大公閣下の妻候補となっても全く問題無いと考えていたのですが……ソーレ様が辺境伯の元へ向かわれるのであるなら、要らぬ情報でしたね」
「…………俺は……大分、遠回りをしてしまったらしい。
ステラ、俺は行くところが出来た!!
父上に伝えておいてくれ!」
「え?……あ、なんと、お伝えすれば……行ってしまった……」
二人の話をただ、驚き続けて聞いていた中での急な私への振りに、慌てる間もなく、お兄様は、部屋を出て行かれてしまいました。
見上げれば、お義姉様……いえ、セラータ様が扇で口元を隠し、しかし確かに穏やかに笑っていらっしゃいます。
「ステラ様に、本当のお義姉様が出来るでしょうね、きっと……いえ、確実に」
とても嬉しそうな色を含む声。
どこか楽しげな音も混じって、いつになく上機嫌であることが伺えます。
「あの……この流れだと、あの庶民の女ではなく、セラータ様のお兄様……いえ、お姉様であるセーラ様が、お兄様が愛してしまった人になるのですけど……そうなのですか?」
「姉は、ソーレ様に初めてお会いしたその日から、ステラ様がご存知の通り、それはもう完璧に男装していましたから、ソーレ様にしてみれば男を愛してしまったと、そう気に病んでしまったのだと、わたくしは考えます」
ああ、お兄様……位違いの方でも、既婚の方でも、亡くなられた方でもなく、同性の方を愛してしまったと、そう考えておられたのですね。
良かった……いえ、よくありません。
それでは、結局、セラータ様は私のお義姉様になってくださらない……いえ、セーラ様の妹でいらっしゃるのだから、お姉様にはなるのかしら。
でも、それでは、私が安心できない。
いつか、セラータ様が嫁いで行かれたら、私は、私は……。
お義姉様で我慢するって、お兄様とお義姉様の御子も叔母として愛するんだって覚悟したのに、これでは、覚悟のし損だわ。
あぁ、でも、セーラ様は、セラータ様にそっくりで、もう少し柔らかなお顔立ちだったから、それはそれで……はっ、待ってステラ、落ち着くのよ、今はセラータ様が私から離れて行ってしまわないような案を考えなくては……何か、無いの……何か……
「……ら様?……ステラ様?」
「はいぃっ!」
少し考え込んでしまっていたようで、セラータ様の声に気づくのが遅れてしまった。
セラータ様のお顔がすぐ目の前にあって、睫毛の一本一本まで見える。
お美しいセラータ様のお顔。
目はアイラインを引かずとも切れ長。
肌は白粉を少し乗せただけなのに十分白く美しい。
唇も薄めで、私の無駄にぷっくりし過ぎたものとは大違い。
初めて会った時から憧れ、焦がれ続けた銀の月。
「あまり、見つめられると、照れるのだけど……」
「あ、ごめんなさい……やっぱり、いつ見ても、セラータ様はお綺麗で大好きだなぁって……思って……」
私、何を言っているのかしら。
大好きだなんて……セラータ様は女の方なのに。
だから、お義姉様で我慢するって、決めたのに……あぁ、また涙が溢れてくる。
「泣かないで、わたしの可愛い星。
わたしは姉にはなれないけれど、もっと近しい存在にはなれるから、そうすれば離れ離れにはならない。
わたしと離れ難くて、泣いてしまうなんて……本当に、愛しいステラ」
「い、愛しいって……あ、え?」
セラータ様の口から次々と囁かれる声は、いつもの声より低くて、初めて呼ばれる呼び捨てられた私の名前は、耳から入ると私の首筋を擽るようにして体へ入り込み、いとも簡単に、腰を砕いた。
背筋をぞわぞわと小気味好く刺激して、立って居られずセラータ様に腕を伸ばすと、セラータ様は、読んでいらっしゃったかのように私を横に抱き上げる。
セラータ様の顔が先程から近くて……いえ、近過ぎて、心臓がどこかに飛んで行きそう。
大きな硝子の窓辺に誂えたソファに座らされる。
セラータ様が離れていくのが寂しいけれど、セラータ様は私のすぐ目の前で床に膝を折った。
膨らんだドレスの中だからわからない人にはわからないかもしれないけれど、セラータ様は遊びでよくお姫様遊びに付き合ってくださったから、私にはわかる。
本当に、お姫様に仕える騎士様みたい。
ドレスだけど、そんなことは些末な問題で、私には関係無い。
「先程の話には続きがあります。
今日はステラ様の成人のお誕生日ですね。
よって、わたしも誰彼憚かることなく誕生日を明かせるようになりました。
この意味がおわかりになりますか?」
先程から、セラータ様から語られている話から考えれば、全くもって造作も無い思考式。
「セラータ様が、私の影である、と言うことですか?」
「えぇ、ステラ様。
わたしは、貴女の影です。
そして、今日、わたしは貴方の影ではなくなりました。
故に、私は、ずっと貴方についてきた一つの嘘を、謝らなくてはならない」
なんとなく、予想はできている。
けど、ぬか喜びになってはいけないから、だから敢えて何も考えない。
なのてずるい女なの、私は。
「わたしは、女ではありません。
姉と同様、護るべき御方の性別に合わせて、自らの性を偽り、今日まで貴女に仕えて参りました」
その一言で、私の悩みは、全部吹き飛んでしまった。
もう、たった一つのことしか考えられない。
「お願いです、セラータ様……私を、セラータ様の妻にしてください」
もっとずるいことに、男性が乞う前に、女性の方が妻にして欲しいと乞うなんて、お兄様がいたらはしたないと窘められるかもしれません。
案の定、セラータ様はそれはもう目を見開いて私を見つめてくる。
でも、抑えきれなかったのだから、許して欲しい。
「ああ、もう……妻請いの言葉を色々考えてきたのに……せっかちさんですね」
言いながら苦笑いするセラータ様のお顔は、やっぱりお美しいけれど、丸っ切り女性、とは言えないお顔に変わっていて。
何時いかなる時も手袋をつけて晒さない手を、素手を差し出してくる。
「手は、とっても男性らしいのですね」
その手に自らの手を乗せるとさらにわかる、骨張った指。
ゆるく握られた指先は、兄の手に似た武骨な感じが強い。
「えぇ、肩やら喉やらはあまりわからないように成長出来たのですが、手だけはやはり武器を触るせいか骨張ってしまって……隠すしかありませんでした」
「ふふっ、セラータ様にも、そんな悩みがおありだったのですね」
「悩みなら、たくさんありましたよ」
笑ってしまった私に対して、セラータ様はため息を吐きながら戯けてみせる。
「一緒に風呂に入ろうと言われた時は自らの欲望と葛藤しました。
一緒に寝ようと言われた時はこのお姫様どうしてくれようかと考えてしまいました。
最近だと、お義姉様と呼ばれた時は衝撃で一週間くらいは眠れませんでした。
……影になってから昨日までずっと、わたしが貴女を守って死んだ後、誰が貴女を娶るのかと、本当に気が気じゃなかった」
言葉を重ねるたびに、セラータ様の顔からは笑みが消え、真剣味を帯びていかれて、最後には、私の指に唇を落としていらっしゃいました。
「でも、今日からは、この柔らかな指も、溢れそうな瞳も、熟れたさくらんぼのような唇も……髪の一筋まで、わたしのもの」
指に口付けたまま語られる熱い言葉。
ソファーに腰掛けているのに、これ以上腰が砕けたら、立てなくなってしまう。
「愛しています、ステラ=ジョナルータ。
わたしの……セラータ=ノッテルーナの、妻となって頂けますか?」
「喜んで、お受けいたします」
応えれば、もう大分前から限界だった目から、幾筋もの涙が頬を伝い落ちていく。
今日だけは、良いでしょう?ダメ?
隣に腰掛けたセラータ様を目だけで見上げてみると、困ったような笑顔。
男性らしい手が頬を撫でて涙を拭っていく。
「わたしのお星様は、昔から泣き虫さんでしたね。
そして、おねだりの才は天下一だ」
「今日だけ、です……ね?」
「仕方ありませんね」
瞼に触れる唇は、擽ったさを覚えるほどに優しく。
近付いた肩へ両腕を伸ばして抱きつくと、セラータ様の腕は私の腰を抱き締める。
「あの婚約は、貴女と私のだったのですか?
それとも、お兄様と、セーラ様の?」
「さぁ、どちらでしょうね……ですが、どちらも、にはなりましたね」
「もう……それは結果論でしょう?」
「結果が全てですよ、ステラ様。
どんなおとぎ話も童話も、最後はめでたしめでたしで終わると、相場は決まっていますから」
「お姫様は王子様と幸せに暮らしました?」
「この場合は……お姫様は騎士と、王子様は女騎士と、それぞれ幸せになりました……ですかね?」
「えぇ……そうですね」
幸せ過ぎる結末を聞いて、私の胸はいっぱいです。
話している間、ずっと降ってくるセラータ様からの甘いキスの雨で、溶けてしまいそう。
「わたしのお姫様、あなたの騎士から誓いの口付けを贈らせて頂いてもよろしいだろうか?」
「どうぞ、よしなに」
答えて、私は目を閉じる。
視界がなくなっても怖くない。
目を開けなくとも、気配が近付くのがわかる。
ゆっくりと触れた唇は、柔らかくて、でも少し冷たくて、小さな音を立てて離れた。
私が大好きなお義姉様は、私のお義姉様にはなってくださらなかったけれど、私は今、とても幸せです。
大公位は世襲制ではなかったような気がしますが、公爵よりも上であるような気がしたため使用しました。下調べ等は特にしておりません。なんちゃって貴族です、ふんわり読んで頂けたらありがたいです。
名前の意味(全てなんちゃってイタリア語)
ソーレ(太陽)
ステラ(星、本当はステッラ?)
セーラ(夕方)
セラータ(宵)
ジョナルータ(昼)
ノッテルーナ(夜、月)
オンブラ(影)
オンブラ辺境伯は、男色癖があると言う裏設定がありました……。
もしも、兄姉夫婦か弟妹夫婦での小話などのご希望がございましたら、感想でその旨を一言頂けると励みになるかもしれません。
最後に、拙作に最後までお付き合いくださり、誠にありがとうございました。