ひとりぼっちお化けのつる子ちゃん
「もう知らない! ママなんていなくなっちゃえ!」
母親にそう叫んで家を飛び出したのは今年小学生になったばかりの裕太。
それは妹のおやつが自分のよりも多かったというとても些細な喧嘩でした。
裕太は目に涙を浮かべながら走りました。
「どうしていつも妹ばっか優しくすんだよ!」
お兄ちゃんなんだから我慢しなさい──
そんな母親の言葉が裕太の頭に響きます。
「みんないなくなっちゃえばいいんだ!」
◇
「……ここどこ?」
裕太の目の前にはただただ真っ暗な景色が延々と広がっていました。
ついさっきまで見えていた道や建物はどこにもなく、空も地面も真っ暗で何もありません。
「う、うぅ……」
裕太が困ったように辺りを歩き回っていると、どこからか女の子の呻き声のようなものが聞こえてきました。
「誰かいるの?」
「うぅ……」
自分以外に人がいることに安心した裕太は、急いでその声のする方へと走りました。
そこにいたのは暗闇の中でぼんやりと淡い光を放つ女の子でした。
赤い着物を来た自分と同じくらいの年齢であろう女の子が膝を抱えてうずくまっています。
「大丈夫? どうしたの?」
裕太が心配そうに声をかけると、着物の女の子は顔を上げて裕太の方を見上げました。
「だ……れ……?」
長い黒髪に桜の花のかんざしを挿した女の子。
まん丸の大きな目に涙を浮かべて女の子は裕太に不思議そうに尋ねました。
「おれは裕太! きみは?」
「……つる子」
「えーと、つる子ちゃんはここで何してるの? 迷子?」
つる子ちゃんは首を横に振りました。
「そっか。実はおれ気づいたらここにいたんだけど、つる子ちゃんはここがどこだか知ってる?」
「……うん」
小さく頷くつる子ちゃん。
「ここは真ん中……」
「真ん中?」
「裕太くんのいた世界と死んだ人達が行く世界の真ん中」
裕太はつる子ちゃんの言うことにいまいち納得ができません。
「それってどういうこと?」
「……幽霊。ここは幽霊の世界なの」
「──!」
幽霊──思わずその言葉に裕太は驚いてしまいます。
「え、そ、それっておれ死んじゃったってこと!?」
「……多分」
途端に怖くなってくる裕太。
死んでしまった。
何も分からず、気づいたら死んでいた。
「──そんなわけない! おれは死んでない!」
裕太は走りました。
この場所から逃げ出すために必死になって走りました。
しかしどこまで行っても何もありません。
あるのは暗闇。
「出口なんてないよ」
「わっ──!」
気付くといつの間にかすぐ後ろにつる子ちゃんが立っていました。
「わたしもうここにずっともいるもん……ここに出口なんてないんだよ……」
そう言うつる子ちゃんの顔はどこか寂しく、儚げなものでした。
裕太は泣きました。
大声で泣き叫びました。
けれど何も起きません。
それからいくら時間が経ったでしょうか。
真っ暗なこの場所に裕太とつる子ちゃんは二人して無言でじっと座っていました。
「お腹……減った……」
ママの作ったハンバーグが食べたい。
裕太がそう思った時でした。
突然目の前にお皿に乗ったハンバーグが現れたのです。
「──!?」
突然現れたそれに驚く裕太。
「つ、つるこちゃん! これって!」
「ここは欲しいと思ったものが何でも出てくるの」
「す、すげぇ」
裕太はつる子ちゃんの言葉を聞き、今度は大好きなお菓子を頭の中で欲しいと願ってみます。
すると目の前にたくさんのお菓子が現れました。
「でた!」
裕太はハンバーグとお菓子をバクバク勢い良く食べました。
つる子ちゃんも裕太の出したお菓子を一つ取ると、それを口に運びます。
「つる子ちゃんはどうして死んじゃったの?」
裕太は気になっていたことをつる子ちゃんに聞いてみました。
「覚えてない……もうずっと前のことだから……」
つる子ちゃんは相変わらずそっけなく答えます。
「そっか……寂しくなかったの?」
「別に……もう慣れちゃったし……」
裕太は考えました。
常に悲しそうな顔のつる子ちゃんを元気付けてあげたいと。
「……そうだ! ここにおれたちの世界を作ろうよ!」
「世界……?」
「うん! すっごい楽しい世界!」
「……興味ない……どうせ何をしても変わらないもん……」
「そんなことないよ! 欲しいものがなんでも出てくるならすっごい楽しい世界が作れるって!」
裕太はさっそく願いました。
それと同時に二人の周りに現れる玩具。
ラジコンにゲームに人形にカード。
どれも裕太が前から欲しいと思っていたものです。
「……なにこれ?」
つる子ちゃんはそれらを物珍しそうな顔で眺め、裕太に尋ねました。
「おもちゃ! これで一緒に遊ぼう!」
裕太は車のラジコンのコントローラーを手に取ると、慣れた手付きでそれを動かしました。
「ひゃっ──!」
突然動き出した車の玩具につる子ちゃんは声を出して驚きます。
「う、動いた!」
「つる子ちゃんラジコン知らないの?」
「う、うん」
「じゃあもしかしてこれとかこれも」
裕太は次々と玩具を手に取りつる子ちゃんに見せましたが、つる子ちゃんはそのどれも知らないと言いました。
「じゃあおれが教えてあげる!」
裕太はつる子ちゃんに色々な玩具やゲームを出してはその遊び方を教えました。
つる子ちゃんは相変わらず無表情でしたが、それでも裕太の出す玩具に興味があったようで、一緒になって遊びました。
暫く遊んだ後、裕太はつる子ちゃんに言いました。
「もっとすごいもの教えてあげようか?」
「もっとすごいもの?」
「うん!」
裕太は願いました。
自分が大好きで、よく両親に連れて行ってもらった場所を──
「綺麗……」
それは遊園地でした。
メリーゴーランド、ジェットスター、コーヒーカップ、観覧車、様々な遊具が放つ眩い光が真っ暗な空間を照らします。
「行こう!」
裕太はつる子ちゃんの手を引くと、遊園地の中へと入って行きました。
つる子ちゃんはメリーゴーランドで馬が動かないことに不思議な顔をしていました。
つる子ちゃんはジェットスターで可愛らしい悲鳴を上げていました。
つる子ちゃんはコーヒーカップで目を回してフラフラしていました。
つる子ちゃんは観覧車から見える遊園地の光に目を奪われていました。
そんなつる子ちゃんに裕太は満足しました。
まだ笑ってはくれないけど、最初に会った頃よりも元気になっていっているのが分かります。
「あー、疲れた!」
遊園地のベンチに腰掛け、ソフトクリームを食べる裕太とつる子ちゃん。
「裕太くんは心配……じゃないの……?」
「心配に決まってるじゃん! でも今は楽しい! つる子ちゃんは?」
「……わたしも……楽しいかも……」
「よかった!」
満面の笑みで笑う裕太。
そんな裕太につる子ちゃんは自然と微笑んでいました。
「あっ、笑った!」
「え……」
「今つる子ちゃん笑った! やった!」
思わず自分の頬に手を当てるつる子ちゃん。
「笑った……そっか……これが笑うってことだったんだ……」
「よし! それじゃあもっと遊ぼう!」
それから二人は色々な物を作りました。
太陽と月。
空と雲と星。
山と海と森。
大きなお城に大きな家。
もうそこには最初にあった真っ暗な場所などどこにもありません。
光に溢れ、二人の笑い声が常に響き合っていました。
しかしどれだけ色々な物を作ろうと、生きているものだけは出てきませんでした。
動物園には動物はいません。
水族館には魚はいません。
町に人はいません。
それでも二人は楽しかったのです。
自分達だけの世界で裕太とつる子はいっぱいいっぱい遊びました。
どれほどの時が流れたのでしょうか。
ある時つる子ちゃんが言いました。
「わたし……ここから出る方法分かったんだ」
「えっ、ほんとに!」
「うん……」
それを聞いて裕太は喜びました。
ママとパパ、妹に会えると。
「ならさっそく帰ろうよ! ここは楽しいけどやっぱり元の世界に帰りたいし!」
「うん……でもね、帰るのは裕太くんだけだよ……」
「何言ってるのつる子ちゃん! 一緒に帰ろうよ!」
「ダメだよ……だってわたしもう死んじゃってるもん……」
つる子ちゃんの顔は最初に裕太と出会った頃と同じような悲しい顔をしていました。
「わたし気づいたの。裕太くんをここに連れてきたのはわたしなんだって。元々この世界はわたしが作り出したものだったんだって」
「どういうこと? つる子ちゃんが言ってる意味がわからないよ!」
「最初に裕太くんがここに来た時のこと覚えてる? あの時は今と違ってこんなに明るくない……ううん……明かりなんて全く無い空間だったってこと」
「……うん」
裕太は思い出します。
最初につる子ちゃんと出会ったあの場所を。
真っ暗で何もない空虚な空間の事を。
「この場所は欲しいものなら願えば何でも出てくる。でもね、わたしの本当に欲しいものはどんなに願っても出てこなかった」
「本当に欲しいもの……?」
「うん。だからわたしは真っ暗で何も無い場所を願った。一人で何も考えずにいられる場所を」
裕太にはつる子ちゃんの言っていることがよく分かりませんでした。
でも、このままでは彼女はいなくなってしまう、そんな気がしてならなかったのです。
「でもやっぱり寂しかった。一人は寂しかった。わたしが本当に欲しかったのは友達……だからかな……わたしは裕太くんをここに無意識に呼んじゃったの……」
「だからなんだよ! おれとつる子ちゃんはもう友達だろ! 本当に欲しいものが手に入ったんだから後は帰るだけじゃんか!」
「言ったでしょ、わたしはもう死んでるって。ここは死んだ私が作り出した場所、だからわたしがここからいなくなれば裕太くんも元の世界に帰れるの」
「嫌だよ! つる子ちゃんも一緒じゃなきゃいやだ!」
「ありがとう。裕太くんが作ってくれたものすごく楽しかった。そのおかげでわたしは天国に行ける」
「なんだよそれ! おれはただつる子ちゃんに笑って欲しかっただけなのに! だったらこんな世界いらないよ!!!」
裕太の言葉とともに今まで作り上げたものが静かに消えていきました。
空も海も町も遊園地も全てが消え、残ったのは真っ暗な空間だけ。
「裕太くん……最後にこれあげる」
つる子ちゃんは涙をこらえる裕太の手を取り、その手の平に頭に挿した桜のかんざしをそっと置きました。
「これはわたしが生きてる時に持ってた唯一のもの。だから大切にしてね」
「つる子ちゃん……」
つる子ちゃんは笑いました。
それは裕太が見た中で一番の笑顔でした。
◇
「ここは……」
裕太が目を覚ましたのはベッドの上でした。
「裕太!!!」
「マ……マ……?」
自分の名前を呼ぶ母親。
辺りを見渡してみるとどうやらここは病院のようでした。
「どうしておれこんなところに? つる子ちゃんは……?」
「あんた一昨日車に轢かれてずっと昏睡状態だったのよ! ほんと心配したんだから!」
一昨日──。
裕太はそれを聞いて不思議に思いました。
つる子ちゃんと一緒に過ごしたあの場所での出来事はたった二日間なわけがありません。
まるで何年も一緒に過ごしたような感覚だったからです。
「夢だったのかな……」
「お兄ちゃん!!!」
つる子ちゃんと過ごしたあの場所は夢だったのか、裕太がそんなことを考えていると妹が裕太に抱きついてきました。
「おかしいっぱい食べちゃってごめんなさい! お兄ちゃん!」
そんな妹の頭を裕太は優しく撫でます。
「怒ってないよ。お兄ちゃんだからがまんしないとな」
「ありがとう……今度はちゃんとはんぶんこにしようね!」
その無邪気な笑顔に思わず笑ってしまう裕太。
「ねぇねぇお兄ちゃん、それなぁに?」
妹はベッドの横を指さしました。
そこには桜の花のかんざしが置いてありました。
「つる子ちゃん……」
「すっごいきれい! それお兄ちゃんのなの?」
妹の質問に裕太は答えます。
「うん。これはお兄ちゃんの大切な友達にもらった大切な物なんだ」
つる子ちゃんが無事に天国に行けたのか。
それは誰にも分かりません。
でも、それでも裕太は思います。
つる子ちゃんは幸せになってくれたのだと。
本当に欲しいものを手に入れたのだと。
だって最後に見たつる子ちゃんの笑顔は最高に輝いていたのですから。