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二人の間にあるものは

「ど、どうなさったのですか?」

驚きのあまり勝手に体が動き、腰を上げてメルリナはグレンに体を寄せていた。


驚きのあまり陥っていた混乱から少し覚め始めれば、目の前にいるグレンの状態が朧な状態だった時に見たよりも、一層酷いものだと気づく事が出来た。

まず、その纏っている服の汚れが酷いものだった。

砂埃に塗れ、群青色だった生地がまるで違う色に見える。

服の所々には生地が破れている部分さえあった。

そして、再びグレンの顔へと目を戻した。

グレンの赤く腫れあがり、左目をマトモに開く事が出来なくなっている。

真っ赤なその中心には、拳を受けたような痕が見受けられた。

暴力沙汰が日常茶飯事だった貧困街で暮らしていた頃の思い出に先程まで浸っていたメルリナにとって、それは懐かしいとさえ感じてしまう程見慣れたものだ。メルリナには、それが暴力に慣れた者によって付けられたものだと分かった。

数年前、今年4歳となった末の息子が生まれたばかりの頃に起こった、ある貴族の一派による反乱。それが起こった時でさえ、時折夜半に帰宅したり、屋敷の周囲を巡回している時に垣間見たグレンの姿でさえ、ここまでボロボロだった事は無かった。王都が大火に襲われそうになった時も、地震が起こった時も、身なりを整え、周囲に余裕の表情を見せ付けていた。


思わず、メルリナは手を伸ばしていた。

メルリナの手が伸びた先は、グレンの腫れ上がった頬。

恐る恐る触れば、やはりと言っていい程に熱く熱を持っていた。


ッツ


「申し訳ありません。」

腫れ上がった頬を震えた手でそっと触れられただけだが、グレンは頬から鈍い痛みを感じて顔を顰めた。これまではメルリナの下へ駆けつける事ばかりを考え、痛みを感じる余裕さえ無かった。

他人行儀にしか聞こえない、そんな言葉で謝ったメルリナが素早く引いてしまおうとした手をグレンは反射的に掴んでいた。

「ッ…グ、グレン様?」

何でしょうか。そう聞くメルリナに、何でもないのだと答えながらも、グレンはその手を離そうとはしなかった。いや、グレンはそれを意識してはいなかったのだ。全て、痛みに朦朧としている無意識に体が動いてしまっただけ。

メルリナに極力関わらぬように、そう主君である王や国仕えの魔術師達、義弟にあたるアスラン達に厳命されていたグレンにとって、霞掛かった意識の中で己の欲望に忠実に動いた結果だった。


4年間。積もりに積もったグレンの欲求は、重く圧し掛かっていた枷を失って暴走を始めようとしていた。


そうなってしまったのはグレンの自業自得だった。

「時が来るまで待て」そう言われていた。グレンとメルリナの結婚を猛烈に反対していたアスランでさえ、メルリナに施されている父親の魔法を解こうとしていた。父親の兄弟弟子であるという魔法使いを訪ねたり、行方知れずになっている父親の行方を捜したり。グレンと顔を合わせる度に嫌味を交じりながら経過を報告してくれていた。

グレンが周囲の警告を忘れてしまった事で、グレンはメルリナに愛を表現することが出来なくなってしまった。それは、千年を生きた魔法使いが愛する娘を守る為に施した魔法を軽んじた結果。その罰だとグレンは思っている。

本当に効果のある罰だ。

グレンを4年もの間、地獄のような苦しみに突き落とすことが出来たのだから。

流石だと感心さえする。

『愛を軽んじるものは愛によって苦しむがいい』

偶然にも出会う事が出来た魔法使いの協力を得て、メルリナを縛る魔法を解こうと試みた時。グレンの脳裏に、そんな言葉が響いた。後からグレンの記憶を読み取ったアスランによれば、それは薄れた記憶にある父親の声と同じだと言っていた。

メルリナに掛けられた守りの魔法の中に潜んでいた、もう一つの魔法。それをグレンが解き放った事で、父親の行方を探り当てる手掛かりを掴むことが出来たとアスランが言っていた事だけが僅かな心の慰めになっていた。魔法使いが見つかれば、それだけを心の支えでグレンは己を律し続けていたのだ。


本当に、どうしてこんな魔法にしたのか。

恨み言を何度、グレンが口に上らせた事か。


魔法使い それに関する事に関わっただけで、聞いただけで、記憶を失ってしまうメルリナ。そのせいで、彼女が悲しみ、苦しんでしまう事がグレンには耐えられなかった。だからといって、事を荒立て周囲を大きく巻き込むような事になったグレンの愚行が許される訳ではない。それでも、子供達が生まれた事を喜び、子供達を幸せそうに抱き締めている自分の事さえも忘れてしまう、そんな自分を"政略結婚"なんて言葉で受け入れて寂しそうに笑っているメルリナの姿を見過ごすことは出来なかった。


言い訳ばかりが頭を過ぎっていく。

その事実に、グレンは小さく笑うしかなかった。






「グレン様?痛むのですか?」

グレンが笑ったつもりだった表情。しかし、それを間近で見ていたメルリナは痛みに顔を歪めているのだと感じていた。

誰かを呼ぼう。声を張り上げずとも呼べば駆けつけられる位置に控えているであろう侍女か侍従を呼んで、グレンの手当てをしてもらおうとメルリナが口を開きかけた。

「いや、いいんだ。大丈夫だ。」

腰を上げ、グレンに手を掴まれたままで動き辛さを覚えながら、メルリナは立ち上がろうとした。けれど、それはグレンによって阻まれてしまった。

グレンの手の温もりが移り始めていたメルリナの腕が引かれ、バランスを崩しかけたメルリナの体を、メルリナを見上げる形となっていたグレンが腕を回して抱き抱える。腰を上げ立ち上がり掛けていたメルリナの腰元にグレンの頭が押し当てられる、そんな体勢になっていた。目を丸め、今までされた事も無い行為に声も無く口を開け閉めして、メルリナは顔を真っ赤も染めていた。

グレンの顔が自分の体にくっつき、顔を見られなくて済んで良かったと思える程の落ち着きを取り戻せるまでに少し時間がかかってしまった。


「グレン、様?」

「大丈夫だ。少し、転んだだけなんだ。」

「転んだ?」


そんな嘘が通じると思うのか。

羞恥で赤く染まっていたメルリナの顔が、別の意味で再び赤く染め上がっていく。

それは、怒り。


「いつもそうですよね、グレン様は!何があったのかと聞いても、何も仰っては下さらない。確かに、私なんかに教えても何にもならないかも知れない。でも、怪我している貴方を心配することも許しては下さらないんですか。いくら、いくら愛なんて無い、恩人の遺言にあったから行なった結婚だと言っても、夫婦じゃないですか。なのに、なのに…」


もう出て行くのだ。他人になるのだと思えば、メルリナの口は勝手に開く。暴走するような、暴発した怒りのせいで、言葉は纏まらない。

今までの生活で感じていたことを、貴族の女としての言葉ではなく、メルリナ自身の言葉として吐き出されたいった。

メルリナの言葉は止まらない。

息をする暇も許さず、涙が溢れて霞んでいく視界を拭うことも許さず、ただただ不満や愚痴、苦しみや悲しみをありのまま、ただ思いつくがままに吐き出していった。

メルリナのぼやけた視界の中で、グレンはただジッとメルリナを見上げているだけだった。


「…もう、いいのです。」

ありったけの、心に渦巻いていた全てを吐き出し終わったメルリナは、ポツリと呟くことで言葉を終わらせた。ゼェゼェと肩が上下に動くのを止められなかった。

「もう、終わらせましょう。これまで、お世話になりました。遺言にあった義務は果たしましたでしょう?そんな事は無いとは思いますが、あの子達が跡継ぎになれぬ場合もあるかもとアスランが遺言書に施されていた魔法を解いてくれました。でも、その心配は必要無い事です。あの子達は幼いながらも優秀ですもの。あまり関わることのない母親が居なくなっても気にならないでしょうし。

だから、私は出て行く事にしました。」

そこで、ようやくグレンの顔色が変わったのだが、その目をグレンから部屋の外、子供達の部屋がある方角へと向けていたメルリナは気づくことが無かった。


「お幸せになって下さいな、グレン様。…せ、セレネ様とお幸せになって下さい。これまで、私などのせいで、本当に申し訳ありませんでした。」

気丈に振舞おうと、グレンによって囲われたまま凛を背筋を伸ばそうとしているメルリナ。唇を引き伸ばし、表情を引き締めているように見せようとしているが、その目からボロボロと流れ落ちて止まらない大粒の涙がそれを全て台無しにしていた。


「違う!違うんだ!メルリナ、話があるんだ。どうか聞いて欲しい!!誤解なんだ!」

グレンは立ち上がり、そして今度はメルリナの顔が自分の肩に当たるように、片手を背中に、片手をメルリナの頭に優しく回して、その体を強く抱き締めた。

「メルリナ。俺が本当に愛しているのは…」


バァァンッ


屋敷自体を震わせるような、大きな音が辺りに響き渡った。

その音はグレンの声を遮ってしまった。

だが、それにも動揺することなく、諦めることなく、グレンはただメルリナに届く事のない何度も起こる音によって遮られる言葉を口にし続けた。




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