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振り返る

「メル、メルリナ。」

「お父さん。どうしたの?」

二日ぶりに帰ってきた父親が家の前で呼んでいる。それだけでメルリナは満面の笑顔を浮かべ、父親へと駆け寄っていく。それまで話をしていた近所に住む友達を一度振り返り、「ごめんね」「バイバイ」、8歳にして頼りない父親のおかげでしっかりとした子供へと成長していたメルリナは声をかけることを忘れない。けれど、それが終わって父親に飛びつく頃には、メルリナの頭の中は父親の事で一杯になっていた。


仕事が立て込んでいるのだと行って出て行った父親が、たった二日で帰ってきた。そういう時は決まってメルリナの小さな指が足りなくくらい帰ってこない父親の珍しい帰宅に、喜びを抑えられずにいた。


「お、お父さん?ど、どうしたんだ、メル。二日前までパパって呼んでてくれたのに!!?」

「だってぇ~ケン君がパパなんて軟弱な呼び方だって言うんだよ。皆も、お父さんとか親父って言ってるもん。パパなんて言う子いないよ。」

メルリナの体を抱きとめ、そのまま家へと入っていく父親は、メルリナの言葉に目に涙を湛えている。たった二日だけではあるが、見ない内にどんどんと成長していく娘に感動しながらも、ショックを受けて滲み出た涙だった。

「うぅぅ。そりゃあ、仕事が忙しいからって人に頼んで放っておく僕も悪いんだけどね。」

すまない、ナナリー。

天井を仰いで、亡き妻へ詫びる父の姿に、メルリナは少し申し訳なさを覚え、やっぱりパパって呼んだ方がいいのかな、そんな風に思い始めていた。

「まぁ、いい。今日は大切な話がメルリナにあるんだ。」

しばらくすると、目に浮かべていた涙を引っ込めた父親が、メルリナの体を椅子に座らせ、自分は椅子の前にしゃがみ込むことで、メルリナのことを見上げる体勢をとった。

「大切な話?」

普段、滅多に見る事のない父親の真剣な顔。メルリナは、何処からか怖いという思いが湧き上がってくるのを感じた。

「そう。いいかい、メル。よく聞くんだ。」

メルリナの頬を両手で包み込み、父親は合わせた目を決して逸らせないようにした。

「パパはちょっとお仕事で遠くに行かないといけなくなったんだ。長い間、家に帰ってこれないんだ。今までよりも、長い間なんだ。」


「分かった。いつもみたいに、お姉さん達と待ってればいいんだよね。大丈夫だよ。いっつもの事だもん。」


真剣な面持ちの父親。その言葉を息を飲んで聞いていたメルリナだったが、父親の話はメルリナが想像していたものよりも簡単で、メルリナにとって何てことの無いものだった。

二日、三日と家を留守にすることが多い父親。8歳になるメルリナと5歳になるアスラン。子供二人だけがいる家を近所に住む大人達は温かい目で見守り、何かと手助けしてくれていた。それも、これも、死んでしまったメルリナ達の母親が近所付き合いを大切にして、何かと世話を焼いていたからだった。学があった母ナナリーは、貧困が蔓延る街に生まれ育ち、この街で生きる以外の術を知らない人々に、字や算術、簡単ではあるが何かしらの知識を無償に近い代価で教えていた。そのおかげで、街の外で何かしらの仕事を成功させることが出来た人は何人も居た。その恩を忘れていない街の人々は、メルリナとアスランに優しい。一応、父親の事も役に立つ何かと認めているらしく、時々、本当に時々は父親への恩返しだという贈り物を貰うこともあった。


父親が長く不在にすると言っても、メルリナは不安になることはなかった。


「今度は何のお仕事?お姉さん達が言ってるみたいな、お金持ちのマダムのところにツバメっていう仕事をしにいくんの?」

「は?」

メルリナは父親が何をしているのか、知らない。前に聞いた時、「魔法使いだ!」と教えられていたのだが、本当なのか嘘なのか、メルリナには判断が出来なかった。だから、近所の人々が冗談交じりで教えてくれる話を素直に信じていた。

「お姉さん達が言ってたよ。それがお父さんのお仕事だって。お金持ちの人の傍にいて、お金持ちの願いを叶えてあげるんだって。」

それをツバメっていうんでしょ?

頬を両手で挟まれているまま。だから、メルリナのキラキラと輝く目は父親へと真っ直ぐに向けられていた。父親は、娘の口から飛び出たあまりな言葉に凍りついたまま、しばらくの間動くことはなかった。

「うん。違うからね、メル。お父さんは、世の為人の為に魔法を使う魔法使いなんだよ。だから、ツバメとか、そんな言葉は忘れなさい。」

絶対にあいつらシメる。そんな父親の呟きは、幸いな事にメルリナの耳には届かなかった。

「それで、怖い魔女をやっつけに行かないといけなくなったんだ、お父さんは。だから、お父さんが出掛けてる間の家をメルに任せてもいいかな。メルはお姉さんだから、大丈夫だよね。」

「うん。大丈夫だよ。私、姉さんだもん。お父さんなんて居なくても大丈夫だよ。旦那は仕事で留守がいいっでしょ。」

「うん。パパ、ちょっと傷ついちゃう。それと、余計なことは本当に覚えなくていいからね。」

こういう所もナナリーにそっくりだなぁ。

今度の父親の呟きは、メルリナの耳に届いた。

街の人達に好かれている母に似ていると言われて、メルリナは嬉しくなった。

「お留守番をしてくれるメルに、パパはお守りの魔法をかけようと思うんだ。」

ニコニコと笑顔になっているメルリナは、父親の言葉できょとんと目を開いた。

「魔法?」

魔法や魔術というものの存在は、メルリナは知っている。絵本でもよく出てくるし、近くに住んでいる皺くちゃの元兵士だという老人が昔の戦争の話をしてくるとよく出てくる。でも、そういうものを操る人は貴族とかお金持ちの傍にいるもので、庶民の為に使ってくれることはない。

だから、魔法使いだと名乗る父親を、メルリナは信じていなかった。

「そう魔法。メルリナが馬鹿な奴等から隠してくれる魔法をね、掛けようと思うんだ。」

「私だけ?」

メルリナの頭に浮かんだのは、弟アスランのことだった。

「もちろん、アスにもかけていくけど。メルのは特別製なんだよ。なんたって、メルは可愛い可愛い女の子なんだから。」

それは、よく父親がメルリナを抱き締めながら言う言葉だった。

そして、その後は決まって…

「本当にメルはナナリーに似ているね。うぅ、ナナリー。あんなに元気だったのに…」

グズグズと鼻を啜る父親は、メルリナの頬から手を放すと目頭を押さえた。


母が亡くなった時に3歳だったメルリナは、あまりはっきりと母の姿を覚えていない。それでも、父や人々が言うには、隅から隅まで母にそっくりなのだと言う。父の願いで腰の辺りまで真っ直ぐに伸びている淡栗色の髪も、目も、そして顔も。性格も片鱗が見え隠れするらしい。皆に暴走癖と妄想癖までは似てくれるなと言われるのだが、メルリナにはまだ理解することは出来なかった。

「アスは僕に似たからね。魔法を掛けても、その内勝手に解いちゃうだろうし。」

母との思い出から戻ってきた父親は、再びメルリナの頬に手を当てて、その顔を固定する。そして、メルリナと目を合わせる。その父親の濃い紫色の目は、淡い光を帯び始めていた。

アスランは父親に似た。顔はあまり似ていないが、その濃い紫色の目も、鳥の巣のようにグチャグチャに絡まってしまう赤い髪は、父親にそっくりだった。それをメルリナは、時々羨ましく思うことがあった。


「さぁ、魔法を掛けるよ。」


父親の声が遠くに聞こえた。

その声を発した父親の姿が、メルリナが見た父親の最期の姿だった。


真っ暗闇だけが映る光景の中で、メルリナは遠い父親の声を聞いていた。その声は遠い所で呟かれているような、何かに遮られているような、はっきりと言葉として聞こえはしなかった。




魔法使いに関わる全てを忘れなさい。

魔法使いに関わる事を聞いたのなら、その記憶を消してしまいなさい。

お前に魔法使いについて語る者がいたのなら、その者が邪な思いを持っていたのなら、災いがあるように。

お前が覚えている事が出来る魔法使いは、アスランだけ。アスランが離れてしまう事があるのなら、その時はまた、忘れてしまいなさい。


それじゃあね、メルリナ。お前達にまた会えるように、パパ頑張るよ。

新しい弟の事も、頼んだよ。



自分のベットで目覚めたメルリナは、自分の両隣を見て驚いた。

右には弟のアスランが。それはいい、普段も一緒に寝ることが多かった。

でも、左には…。


蜂蜜色のフワフワとした髪の、小さな子供が眠っていた。

アスランよりも小さな子供は、メルリナの知っている子供ではなかった。

でも、その眠っている顔は、どことなく父親に似ていることにメルリナは気づいてしまった。







「…ナ…メルリナ…」


「あっ…」

名前を呼ばれてメルリナは、幼い頃の記憶から戻る事になった。

久しぶりに見る、父親の姿。これまでずっと、思い出しても顔が真っ黒に塗りつぶされ、色の無い白黒の映像だった。それが、どうしてなのか、突然はっきりと父親の顔が見える、色のある映像が頭に甦ってきたのだった。


突然、どうして。


そんな風に考えようとしたが、それど頃ではない事も思い出した。


目の前で床に片膝を付いてメルリナの顔を覗き込む、その姿。

帰ってこないものだと思い、床に座って荷造りをしていたメルリナは彼が入ってきたことに気づくことが出来なかった。だからこそ、僅かな物音にようやく気づいて振り返った時には、胸の鼓動が止まるのではないかという程に驚いた。丁度、カバンに積めようとしていた、大切な香水の瓶を床に落としてしまったが、それを気に留めることも出来ないくらいに、メルリナは驚いた。

そして、そのまま甦った記憶へと潜る事で、その信じたくない現状から逃れていた。


現実に戻る事になったメルリナは、目の前の光景に違う意味でも驚いていた。


「ど、どうしたのですか、その顔は。」

なんとか取り繕い、メルリナは目の前にいるグレンに問い掛けた。


服は土などがついて汚れていた。

頭もボサボサ。

夜会の会場で別れた時には、きっちりとしていた姿からはかけ離れた姿だった。

何より驚いたのは、グレンの真っ赤に腫れあがった頬だった。

屋敷に帰りついた時のメルリナよりも酷い状態のそれに、メルリナの目は引き付けられていた。


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