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貴族って、そういうものでしょ?

「酷いわ!グレン様を自由にしてあげて!!」


何を言ってるんだろう、この人。

貴族の結婚って、そういうものなのに。



フェルディナ侯爵夫人メルリナ・ディル・フェルディナは感情を見せない顔で、目の前で涙を浮かべて貴族の令嬢にあるまじき大きな声を上げるシシリナ伯爵令嬢ローズを見た。そして、ゆっくりとした動作で口元を扇で隠し、首を僅かに傾げて見せた。


理解できないことを言われたら、ボロを出さぬようにしなさい。

答える必要を感じない。この動作をして隠した口元に笑みを浮かべれば、周囲にいる観衆達は、貴女がそう言いたいのだと勝手に判断してくれます。


10歳になるまで礼儀も何もない貧困窟で育ったメルリナに教育を施した家庭教師バーニ先生の教えを、メルリナは正しく体現した。


パンッ‼


そうして得たのは、頬を打つ傷みと響き渡る破裂音。

ローズの白い手袋など必要としない、ほっそりとした手がメルリナの頬に一撃をもたらした。息を飲む夜会の出席者達。彼等の顔には、被害にあったメルリナを嘲笑する表情が溢れていた。

この場にいる貴族達の中にメルリナに同情する者、味方はいないと最初から分かっていた。けれど、実際にそれを突き付けられれば居心地は悪いし、少しだけ悲しくなった。

あぁ、どうしてこうなったんだろう。

こんな苦しみを味わうのなら、夜会に出なければ良かった。いくら、夫の付き合いでも重要な人が主催する夜会だからと言って、体調を崩したと言えば欠席も出来た。誰もメルリナのことなど望んでいないのだから、咎められるわけもない。


「メル」


「グレ…」

「グレン様‼」


ようやく騒ぎを聞きつけたのか、主催者であるアクロ公爵と共にメルリナの夫グレンが人垣を掻き分け姿を見せた。

名前を呼ばれ顔を向けたメルリナが「グレン様」と呼ぼうとしたが、それはローズによって遮られた。そして、ローズは勢いよく駆けグレンに抱きついたのだった。


銀の髪に翡翠の目。その整った涼しげな顔立ち。メルリナとの結婚前には求婚者が列をなしたと聞いている。身分も財産も、実力に人望、美しさにも恵まれているグレンは個人としても家としても、相手としては最良過ぎる人だった。

だというのに、グレンは縁談を断り続けてメルリナと結婚した。

それが多くの、娘持ちの貴族達には気に食わないのだろう。何度も何度もそれとなく皮肉られた。嫌がらせも受けた。

けれど、目の前のローズのように直接的なものは初めてだった。


だから、ついつい笑いが溢れてしまった。

もちろん、声を漏らして笑うなんてことはしない。

貴族の女が感情を露にするなんて、はしたないことだ。そう、バーニ先生に教わった。だから、メルリナはどんなにおかしくても、悲しくも、嬉しくても、ただ涼しげに前を見続けている。

そのせいなのか。

『氷結夫人』などと呼ばれているらしい。

愛無き結婚でグレンを縛り付けている、のだそうだ。

グレンの持つ地位と財産が目当てで、侯爵家の財産で散財の限りを尽くしているのだそう。

極めつけでいえば、グレンが結婚を約束していた恋人との仲を引き裂いて自分が妻に納まった。愛人を囲っている。なんていうものが衝撃的だった。


あぁ、駄目だわ。

笑ったりしたら駄目よ。

それにしても、噂話って怖いわ。

確かに、お金が目的の結婚だけど、フェルディナ侯爵家の財産が狙いなんじゃない。欲しいのは、実家にあたるテスラ公爵家の財産が欲しいのよ。

それに、別にグレン様を縛り付けて無いもの。

グレン様には何人もの恋人がいらっしゃる。私みたいな平凡極まりない、油断したら下品な素振り丸出しになるような女が愛を乞えるような人じゃないなんて、結婚前から分かってる。


メルリナは笑い出したいという気持ちを抑え込み、震える手をグッと堪えた。


「お騒がせ致しましたわ。どうしてかは理解出来ませんが、私が居てはローズ様のお気に触るようですから、私はこれで失礼させて頂きます。」


まぁ、この場にいる者達は、メルリナが居なくても誰も何とも思わないだろうけど。

こういう時の挨拶はしっかりと、とバーニ先生は言っていた。録な教育を受けられる環境で育つことが出来なかったメルリナには、結婚前に厳しい教えを施してくれた家庭教師バーニの言うことは絶対なのだと思っている。

夫の女性関係にも寛容に、とも言ってた。だから、メルリナは何も言わない。15歳でグレンに嫁ぎ、すでに三人の子供がいる。貴族の妻としての義務を果たしている。亡きテスラ公爵の遺言にある、テスラの財産を手に入れる為の条件も果たしている。ならば、目の前でローズがメルリナの夫であるグレンに色目を使おうが、愛を囁こうが寛容に余裕の表情を浮かべて立ち去るのが正しき姿なのだ。





「メルリナ‼」

「あら、グレン様。ローズ様はよろしいのですか?」

夜会の広間を後にして、玄関に向けて歩いていたメルリナの腕を掴み、後を追ってきたグレンはメルリナの足を止めさせた。

後を追ってきたこと、腕を掴まれたことに驚いたメルリナだったが、グレンに知られる前に笑顔を作り出した。

「何か、勘違いをしていないか?」

グレンの顔を見上げれば、その眉間には皺がくっきりと刻まれていた。

メルリナは、自分の勝手な行動がグレンの機嫌を悪くしたのかと不安に襲われた。

グレンが口にした問い掛けに、メルリナは心が傷んだ。けれど、それを顔に出したりはしない。


「何をですか?」

大丈夫。勘違いはしていません。私は、家の取り決めの為の妻。貴方が愛を与える恋人に危害を加えていい立場じゃないことくらい、分かっています。


固く結ばれたメルリナの表情に、グレンは息を呑んだ。

メルリナは気づいていないのかも知れない。自分がどんな表情をしているのか。

そして、何よりメルリナの頬にくっきりと浮かび上がった赤い手の痕が痛々しさを醸し出している。

「頬が赤い。」

グレンが僅かに目を逸らして言った言葉に、メルリナは自分の頬に手を触れた。

触れたことで、頬が僅かに腫れあがっていることを知った。

「まぁ。帰ったら冷やさないといけませんね。」

気づいていなかったが、痛みもある気がしてきた。

「彼女は何に怒ったんだ?」

しばらく人前には出れないわね。

少し嬉しげに呟いたメルリナ。元々、人付き合いは好きではないメルリナにとって、人前に出ないで済む口実は何であろうと嬉しく感じるものだった。

そんなメルリナにグレンは、ローズが頬を叩いた理由を聞いた。

「さぁ。私は聞かれた事に本当の事を答えただけですから。ローズ様は、その答えの何かが気に食わなかったのでしょうね。」


「何を聞かれたんだ。」


「貴方と私の結婚についてです。」

「は?」

「私達の結婚の理由とか生活とか、何だか色々と噂になっているようで聞かれました。私は、貴方の持っている財産が目当てで、愛人を囲って豪遊しているそうです。貴方と恋人の仲を引き裂いて高笑いをしているんだとも言われましたね。」

グレンは声も出ない。

内容にも驚いたが、それを淡々とグレンに教えるメルリナのことが分からなくなった。


「だから、答えてあげました。」

メルリナは顔色一つ変えずに、表情の無い顔でグレンを見た。

「"確かに間違ってはいないわね。政略結婚なんて、そんなものでしょう?"と」



「私はお爺様のご遺言の通りにしてテスラの財産を手に入れたかった。貴方は何かお爺様との約束がおありだったのでしょう?それを果たしたかった。それぞれの家を継ぐ子も生まれましたし、もう義務は果たしました。なので、どうかグレン様。ご自由になさって下さいな。」


メルリナは固まる夫を横目に、馬車に乗り会場を後にした。


馬車に揺られるメルリナの手は、不自然に震えていた。


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