幸福な夢
とうとうこの日が来てしまった。クソ姫に無理矢理身代わりとして異世界に飛ばされてから約5ヶ月。今日は私の婚約者と顔合わせの日だ。
相手は今回集まった王太子達ではなく、別の大陸の王子様らしい。今まで名乗りを上げていなかった王子の急の参戦に、集まった王太子達はアッサリと戦線離脱した。大臣達からはくれぐれも失礼の無いようにと念を押されている。
皆が恐れる王子様とは一体どんな人なんだろうと思わないでもないが、考えたところで仕方がない。どうせ私に拒否権なんて無いんだから。
待っている間、ふと考えてしまうのは優しい笑顔の庭師のことばかり。こんな評判の悪い姫相手にも優しく話し掛けてくれたあの人は、今どうしているんだろうか。
彼と出会ったのは、人のいない場所を求めてさ迷った挙げ句迷い混んだ薬草園。そこで育てられているこの国特有の薬草の世話をしているという彼は、王太子達から逃げ回り、疲れている私に屈託なく話し掛けてくれた。
最初に話し掛けられた時は誰もいないと油断して、覚えたての魔術で風を操り音を散らしていたとはいえ、クソ姫に対する悪態を吐いている最中だったこともあり、思わず逃げてしまった。
その時にはもう知らない相手に罵られる恐怖を嫌と言うほど学んでいたけど、気負いなく話し掛けてくれる彼にもしかしたら大丈夫なんじゃないかと期待するのを止められず、翌日も私は薬草園に足を運んだ。
彼は嫌がることなく私の訪問を受け入れ、敬語で話したりしないで欲しいという私の我儘も受け入れてくれた。何気無い会話に飢えていた私はその事がとても嬉しくて、本来なら一人を選ぶために王太子達と過ごさなければいけない時間を彼と共に過ごすようになっていた。
この薬草園にいる間は絶対に他の誰も近付かないのが不思議で1度彼に聞いてみたら、ここは特殊な薬草を育てている場所だから許可の無い人は入れないと言われた。じゃあ私は不法侵入者!?と驚いて立ち上がろうとしたら、君はこの国のお姫様じゃないかと笑われてしまったのも、今では良い思い出だ。
このままずっと続くと思われた平和な時間は呆気なく終わりを告げた。いつまで待っても誰も選ばない私に業を煮やした王様達が、最良と思われる相手をこちらで選んだから良く考えてくれと言ってきたのだ。
形式的には相手は姫本人が選ばなくてはならないので、あくまでも参考程度にという形を取っていたが、ほとんど確定という空気だった。
当然だ。彼と過ごす日々が楽しすぎて忘れかけていたが、私がこの国にいるのはその為なんだから。それでもギリギリまで待ってくれた王様達には感謝している。
王様達に最終宣告されて放心状態だった私だけど、習慣とは恐ろしいもので気が付けば薬草園に来ていた。いつも通り私が来たことに気が付いて作業の手を止めて笑い掛けてくれる彼に、いつも通りに笑い返そうとして、出来なかった。
こんな時になって気が付くなんて、自分でも馬鹿みたいだと思う。でも、自覚した想いを止めることは出来なくて、気が付いたら彼に抱きついて泣いていた。泣きじゃくる私を彼は優しく抱き締めて、頭を撫でながらきっと助けてあげると慰めてくれた。
もう、充分だと思った。それが到底実現不可能なことだとわかっていても、私のためにそこまで言ってくれるだけで嬉しかった。
どうにか泣き止んでから彼と別れて自室に戻った後は、目一杯泣いた。身体中の水分が出ていったんじゃないかと思うくらい泣いて、覚悟を決めた。
あの王様達が選んだ相手ならそこまで酷いことにはならないだろう。ほとんど覚えていない男に嫁ぐ決心を固めて挑んだ朝食の席で、私は今日1日自室で過ごすようにという王様達からの伝言を伝えられた。折角の決心が空振りになったことに若干拍子抜けしつつ、言いつけ通り部屋で過ごした。
翌日も同様に自室でゆっくり過ごしていたが、夕刻になり王様の私室に呼び出された。私が何時までも逃げ回っていたせいで何か大変な事が起こったのかと恐る恐る訪ねたその部屋で、衝撃の事実を教えられた。
何と、今までこちらに無関心だった別大陸の強国の王子が急に私の婿として名乗りを挙げたらしい。相手はこの国は勿論、求婚して来ている各国が束になっても敵わないほどで、名乗りを挙げた王子本人も、一筋縄では行かない曲者とのこと。
何故か少しほっとした顔の王様に、彼の参戦で他の国の王太子達は諦めて帰ったから、その王子様と結婚するように言われた。思いっきり寝耳に水な話だけど、この国としてはとても有難い話らしい。
まず、この王様の直系の子どもはお姫様しかいない。しかし、生まれた直後から嫁ぐのが当然という状況で、お姫様は後継者から除外されていた。お姫様の後、後継者に恵まれなかった王様は、血の近い公爵家から養子を取ることは決まっていたけどその候補は3人いて、その3人はどれも甲乙付けがたく、それぞれに派閥ができて水面下の争いは凄いことになっていたらしい。
そこに降って湧いたこの縁談。相手は自国の王位継承権を破棄しているのでこの国に婿入りしてくれる。本人もとても優秀な人な上、これで直系の血筋は保たれるので内心はどうであれこの国の誰も文句は付けられない。
そして強国と繋がりが出来るので周りの国に対する牽制にもなるし、今回の件を表向き円満に片付けられる。良いことずくめだ。
そんな諸々の事情もあるし、私としてはもう唯一人の人ではないなら誰でも一緒という思いもあったので、この縁談は滞りなく進められた。
多少の不安はあるが、脳裏に浮かぶあの人の優しい笑顔が私に勇気をくれる。そんな穏やかな気持ちで相手の王子様を待っている私に、相手の到着を告げる先触れが届いた。
機嫌を損ねればこの国ごと潰せる相手だと、散々大臣達に脅されているので不作法は見せられない。私に出来る限り丁寧な仕草で頭を下げて挨拶をする。
「この度は・・・・」
口上を述べようとしたとたんに噴き出す音が聞こえた。え、何?そんな思わず笑っちゃうような失敗した?
無言で狼狽えながら相手の言葉を待つ私に、この場で聞こえるはずの無い声が聞こえた。
「そんなに畏まらなくて良いんだよ?僕のお姫様」
信じられなくて、礼儀も忘れて相手の顔を凝視してしまう。いつもボサボサで簡単に纏められているだけだった髪が綺麗に撫で付けられている。動きやすさを重視した土だらけの作業着姿とはまるで印象の違う、一目で上等とわかる服。だけど、優しく見詰める青い瞳は紛れもなく記憶にあるあの人そのままで・・・・。
「どうして・・?」
馬鹿みたいに口を開けて見詰めることしか出来ない私の手を取って口付けながら、悪戯が成功した子どものような顔で笑う庭師だった筈の人は、私の目を見つめながらこう言った。
「きっと助けてあげるって言ったでしょ?僕のお姫様」
彼の声を聞き漏らしたくないのに、自分の心臓の音が邪魔をする。彼の顔をもっと良く見たいのに、視界が滲んでしまうのを止められない。それならばと彼の体に抱き付けば、それ以上の力で抱き締め返してくれた。
「僕と結婚してくれる?」
いつかと同じ様に泣きじゃくる私を抱き締めて、私が落ち着くのを待ってから彼が私の耳元で囁いた言葉に、何度も何度も頷いた。
ああ、これが夢ならばもう2度と目覚めたくなんて無い。彼の腕の中で幸福感に包まれながら、物語のお姫様のように幸せなキスをした。