最後の魔法
城の西側から、中庭を通って、東側に行く。中庭の植物も今はもうなく、外はもう夕闇だった。城全体、時戻しの魔法で、元の姿に戻っていた。東の棟の上に行くために通る王の間は、ただの白い空間になってる。
「ここで、ナターシャが、やられた」
あのすさまじい地鳴りのような爆発音で、よく城が持ちこたえたな、とジェイドは改めてリリス戦の凄まじさを実感する。城全体、シミカドル化していたおかげできっと壊れなかったのだろう。爆弾を守るためにメリッサが防御魔法をかけたのだ。
「え」
ナターシャがやられるなんて、アレクシスは信じられなかった。あれは人間じゃない。吸血鬼である。
「なんだかんだ世話になったからさ・・・ちょっときついわ」
それはアレクシスも同じだった。自分の好みのタイプではないけれど、ナターシャはアレクシスが好みのタイプだったらしくて、やたら世話を焼かれた記憶がある。あと、あれが上手かった。ユズには内緒の話だ。それで女は愛されていると感じるし、幸せな気分になるから、アレクは好きな子がいるなら、その子にはとびっきり優しくしてあげなよ、なんてアドバイスもされた。それまでセックスなんてただ男の欲を沈めるための行為だと思っていたアレクシスには目から鱗だった。ユズに嫌いと言われたときに、そう言って彼女に慰めてもらったことはアレクシスには黒歴史なのだが、ナターシャが死んだと聞かされれば、思い出さないわけにもいかなかった。
ふう、とジェイドは息を吐き出して、王の間を抜け、階段を上っていく。アレクシスは何も言葉が出てこなくて、ただ無言でついていった。
その城下を一望できる部屋にやっぱりベリアルはいた。国王の格好で、国王らしくそこから城下を見下ろしているのだ。
「心臓が滅びてしまったな、契約は切れた。」
ベリアルがジェイドを振り向いて、そういう。アレクシスは一応剣を抜いたが、ジェイドは制して首を振った。
「契約が切れたら、お前、わざわざ斬られなくても魔界へ帰れるんだろう?」
「ああ、もうこの肉体の魂は冥界へ置いて来ているから。わざわざ加護で救済する必要はない。」
ジェイドは悪魔のことは調べつくしたから、それは分かる。なぜ、待っていてくれたのか。ジェイドにはありがたいことなのだが。
「この身体の持ち主から伝言があるのだ。お前の兄に会わせてくれないか。」
「・・・エルの兄貴に?」
ベリアルは頷いた。
エルドラドがそこに来れたのは深夜も回った時間帯だった。
「忙しいから、手短に。」
外見は兄のはずなのに塩対応である。
「二人で話したい」
「・・・そしたら成仏してくれ」
ジェイドはアレクシスといったん部屋を出される。ジェイドは自分の部屋がここだ、とアレクシスを案内した。
「なんつーか、本しかねえのな、根暗」
「うるさい、どうせ陽キャには根暗の趣味は分からない。これなんかおもしろいぞ、ロビンソン・クルーソーの伝記。サバイバルに役立つ。」
「で、これからどうするんだ。」
「・・・お前には、心の猶予みたいなものがないのか。物事をすぐに解決したがるところは良くないぞ、過程にも意味があるものだろう。」
ジェイドは漠然とこれからを想像し、ため息が出る。
「聖獣の加護で、国を復興できるところまではしてもらって・・・たぶんそのために悪魔の核をもらう必要があるんだよ。ベリアルが勝手に帰らないでいてくれたのは兄貴と話したいのもあったろうが、大方はそのためだ。」
この旅をして、今、終結しようとしている状況を鑑みて、おそらく聖獣とはただで人間を助けてくれるわけではなく、加護を集めさせ、召喚させ、悪魔の核を代償にいろんな願いを叶えてくれるのだと、ジェイドは感じた。
ただ、聖獣たちはジェイドのことは悪魔関係なく助けてくれるとは言っていたから、悪魔の核云々はもしかしたら不要なのかもしれないし、リリスのものをタマモが持っているから、ベリアルのものはなくても大丈夫な気はする。だけどベリアルを倒すためにジェイドは旅に出て、聖獣から加護をもらったのだから、ちゃんと目的を果たして終わりにしたい。
コンコンと部屋のドアがノックされて、エルドラドが顔をのぞかせた。
「終わったのか」
「ああ、俺も立ち会う」
ジェイドは頷いた。アレクシスと顔を見合わせてリビングに向かう。向かい合えば、自ずと過ごしてきた日々が思い出された。五歳で両親が亡くなって、親代わりに育ててくれた兄との思い出が走馬灯のように浮かんでは消えていく。騎士道精神が強くて、そこはユズときっと話が合ったのではなかったかなんて、もしも・・・兄が生きていて、自分がユズを連れてきたら、きっと喜んでくれただろうか。その当たり前は、あの日に奪われてしまった。そして、今、やっとそれを取り戻せるのだ。国民もジェイドも、きっと兄も待ち望んだことだったろう。
「右から袈裟懸けに行く。」
アレクシスが指示する。この場に情もなにもない彼がいてくれたことは正直助かる。ジェイドのウラヌスの剣をアレクシスは一緒に持って、それなりの強さで剣を振りぬいた。ズシャリと確かな手ごたえがあって、兄が倒れていく。エルドラドは後ろからそれを支えてた。傷口から、悪魔の瘴気が飛び出した。
『やっと魔界へ帰れる・・・ありがとう』
消えていくのと同時にコロンと転がったのは、翡翠色の核だった。悪魔には色があるのだろうか。エルドラドは血止めの魔法を施して、兄をそっと王の寝室のベッドに横たえた。
「さて、ジェイド。これは植物人間だ。しばらく俺が預かる。」
「・・・内臓とか使うってことか」
エルドラドの研究は移植術だ。使えるものは使っていい、と伝言でも受けたのだろう、とジェイドは察した。
「・・・肉体の完全な死をもって、輪廻の渦に行けるらしい。」
エルドラドは意味深に言う。
「復興は、明日から着手しよう。お前もアレクくんも少し休んでくれ」
「ユズは?」
「ああ、無事だよ。まだ眠ってる。西の二階の手前の部屋にいる。」
城の内部は少し修復したようだ。エルドラドはそう言って自分は今日は兄のそばにいると言って、ジェイドたちを追い出した。
ユズの様子を見に行けば、オニキスとリンファがいた。ユズは聞いていたとおり眠っているようだ。
「おお、来たか。代わってくれ。」
「え、別にいいですけど・・・」
「リンファ、俺の腕は今怪我しているな、治してくれ」
「はあ?小さい注射針くらいもう塞がってるでしょ。ジェイドもアレクくんも休んできていいのよ、ユズちゃんは私が見てるから」
リンファ、オニキス殿はきっとリンファと二人になりたいんだよ、とジェイドはため息をつく。リンファはそういうのは鈍いのが可愛いところでもあるのだが、きっとオニキスは気が長い方ではないと思うし、ユズと同じように口下手ではあるのだが、気持ちを抑え込もうとはしないので、ジェイドは助け舟を出した。
「リンファ!ジークの様子も気になるだろ!お前、オニキス殿と地下都市メビウス国境のほうに行った方がいい。」
「明日でいい「なら、休もう!隣の部屋はちょっとよくないから、三つくらい開けて、使ってくれ。さーオニキス殿、こちらですー」
ジェイドはリンファを部屋から追い出して、オニキスと一緒にだいぶ離れた部屋に押しやって、さっさとユズの寝ている部屋に戻った。
「・・・あの人がオニキス様の思い人か・・・」
アレクシスも気づいたようだった。
彼もさすがに疲弊していたのか、うとうとと椅子に腰かけて眠っていた。
「もーいいだろ、三人で寝よう」
どういう状況なのかジェイドも理解不能だが、ベッドをちょっと広くして、アレクシスを真ん中にして、彼の隣に横たわる。すぐに眠気が来て、夢も見ないでぐっすりと眠った。
一番早く起きたのはアレクシスだった。目を開ければ腕の中で安らかに眠っているユズの顔があって、状況を整理した。自分は椅子で寝たはずだ。無意識とはいえ、勝手に触って抱き寄せているなんて、あってはならないことである。背中側で、もぞもぞと人の気配があり、アレクシスはユズを起こさないように自分の腕から彼女の頭を布団におろした。いや、いっそ起こせばいいのかとも考えたが、叫ばれそうだ。もう自分が叫びたいくらいの衝撃だった。後ろ側に目線をやればジェイドもこっちを見て寝ている。
「は?・・・え?」
こいつとユズに挟まれて寝ていたのか?アレクシスはとても混乱した。人と一緒に寝るだなんて芸当は、自分が繊細なのか、警戒心が強いのか滅多にないことだ。あのアルベルトとユズとキングベッドに寝たときは、アルベルトがそういう魔法を使ったようで、夢を見ずに眠れていし、距離もこんなに近くはなかった。だからたぶん、自分は相当疲れていたのだろう。いや言い訳にはならない。この状況は今すぐ打破したくはある。挟まれていて、どっちも熟睡していて、アレクシスは構わずジェイドをベッドから落とし、自分はそこから抜け出した。頭を冷やしたいからそのまま部屋から出る。城の間取りは分からなかったが、一階にいけば、アルベルトとエルドラドがいた。
「アレク、早起きだな」
「アレク君、風呂湧かしたから、ぜひ入ってくれ。着替えもあるし、食べ物も飲み物も一通り用意している。」
「あ、お気遣い、ありがとうございます。」
「ジェイドはまだ寝ていたか?」
「はい」
「寝坊助だな、小さいころからそうなんだ」
「エル、まだ朝の四時だ。寝坊とは言えないだろう?」
二人はジュリアナを偲んで献杯をしていたようだった。これからも魔術師協会の仕事の割り振りなどの方面も忙しくなると思えば、ウィザードランドの法務系の呼び出しに応じてなどいられないし、朝四時でも寝てなどいられない。
「アレク、風呂が終わったらお前も手伝ってくれ」
「アル、お前、俺を本当に側近かなんかだと思ってんだろ」
「違うのか?」
アルベルトは目を丸くして驚いて、悪戯っぽく笑った。
ジェイドはユズのいい匂いがするな、とベッドの中で彼女にぴたりとくっつく。アレクシスがいなくなったのが悪いよな、と責任転嫁して、また眠って朝日の光に目が覚めても、布団からは出ずにぼーっとしていた。ふと隣から目線を感じて、寝ぼけているユズと目が合う。
「おはよ」
「・・・ジェイド?」
「うん」
ユズはここがどこかも状況もよく分からず、目をぐしぐしとこすってベッドから身体を起こす。
「水飲むか」
寝台の横のテーブルに水差しがあって、それからコップに水を注いでユズに渡した。ユズはそれを一気飲みして、冷たい水に目が覚めていく。
「メリッサは!?」
「今はもうウィザードランドに行ったと思う。」
「・・・あの悪魔は?」
「アレクと倒した。」
ユズはジェイドと一緒に斬ってくれと頼まれていたのに、約束を守れなかった。
「じゃあ・・・終わったってこと?」
「戦争は、終わったのかな。今日から復興に着手するって。・・・」
ユズはジェイドと向き合って、また喉が渇いて行くのを感じた。ジェイドもきっと同じことを考えている。
「少し散歩をしようか。」
ジェイドは提案した。ユズは頷いて、下の階に降りていく。
エルドラドとオニキスが食卓を囲んでいた。
「兄貴、俺、ユズと散歩してくる。」
「ジェイド」
エルドラドはジェイドを呼び止めた。ジェイドはいつものように振り返る。兄はなんだか泣き出しそうだ。
「大丈夫だよ、すぐ戻るから」
「なあ、やっぱり」
オニキスも苦い顔でユズとジェイドを見つめた。
「大丈夫です。俺に任せてください。」
ジェイドはおいで、とユズの背を押して、だけどなるべくゆっくり城内を歩いた。
「西は王妃の間って言われてて、女性王族が嫁ぐまで暮らしたり、あと親族が泊まったりするとこだよ。」
「リンファさんからちょっと聞いた。」
「西は東に比べたらなんかアットホームな家みたいだよな、俺も母が生きてた頃はこっちで暮らしてた。」
ジェイドは上の兄とは15歳離れていて、生まれた当時から五歳まではここで母とエルドラドと母の侍従たちと穏やかに暮らしていた。五歳のときに父と母が亡くなってからは都合が良いからと言ってフェイトが東にジェイドの拠点も移した。フェイトの妻でありカサブランカの母は政務に積極的な女性で、それでジェイドの母とはあまりそりが合わなくて、西にはあまり近寄らなかったのだ。東の居室に部屋があったため引っ越しも面倒だと西への移動は断っていた。
「ユーフェミア王妃はアルテミシアの王女で、ウィリアム殿下の伯母にあたる方だったんだよ、彼女も弓術に優れていて、あと頭もすごくいい人だったんだ。カサブランカを妊娠しても相変わらずくるくる忙しく働いていてね、それが良くなかったのか、早産で、母体は助からなかった。それでエルの兄貴が医療魔法に興味を持って研究もすごい熱心にやって、世界貢献して、大魔法使いになったっていう裏話もある。」
ジェイドの家族の話をユズはなんとなく聞いていた。ジェイドが話したいのだろう、と思う。
渡り廊下を通って東に行き、大広間は五万人ほど収容できるくらいの広さだった。
「ここで普段は役所仕事をしていた。それぞれパーテーションがあってさ。何かお祝いとかなったらそれをとっぱらって、パーティー会場になる。」
あの5月7日も、二日後の自分の誕生日のため、ここはパーティーの準備をしていた気がする。
「王座はこの奥。」
「昨日、壊しちゃったとこ?」
「うん修復したらしいけど・・・」
王の間は王座もなく、ただの真っ白な部屋だった。
「ここに来れば、ナターシャを思い出してしまうな」
言われてユズは初めてナターシャがいなくなったことに気づいた。笑って手を振ってくれたから。またどこかで会えるんじゃないか、と漠然と思っていたのに。
「セド、大丈夫だったのか?」
「・・・セド、今どこにいるんだろ」
呼んでみるけど、来てはくれない。ユズもジェイドもセドリックと契約しているわけではないのだ。ユズはなんとなく、セドリックとナターシャが初めて会ったという雪山にいるのではないかと思った。ナターシャのことは会えないのは悲しいけれど、ナターシャが一生懸命生きて恋をして、散っていったことがユズにはかっこよく、そして愛おしく思う。自分も見習いたいと思うほどだ。ナターシャに恥ずかしくないように生きていきたい。
気持ちに区切りをつけて、進んで行く。
階段を最上階まであがって、広いリビングに出た。ウラヌスタリアの全貌が窓いっぱいに広がっている。家屋が崩れて、更地のようになって、ここからまた始めなければいけない。
「命があれば・・・なんとかなる」
ジェイドは自分の胸のあたりを押さえて、そういった。
「・・・ありがとな、ユズ。」
ユズは首を振った。今ここに生きていられるのは、ユズ一人が協力したからではないし、人を集めたのはジェイドの力だ、と思うのだ。
「俺は、・・・生きたい。この国の行く末を見届けて、ユズと一緒に年を取って死にたい。」
だけどそれは叶わないことだとも理解していた。これは最後に言うわがままのようなもので、ユズに聞いてほしいと思ったのだ。
「結婚式にオーダーメイドのウェディングドレスを着てほしい。二人でまたダンスして、三回続けて踊りたい。新婚旅行でまたジュピタルを一周したい。子どもは五人くらいほしい。アレクシスをウラヌスタリアに連れてきて、近衛騎士になってほしい。国が落ち着いたら、また世界を旅して、いろんなことを知りたい。無人島でキャンプしてサバイバルして、料理つくって、また一緒に火をゆっくり眺めたい。病気しても健康でもいつでもお前のそばにいて、俺はやっぱりお前の目を見て死にたいから・・・ユズは俺よりちょっとだけ長生きしてほしい」
これが滂沱というのだろうか、目が溶けてしまうのではないかと思うくらい、涙が落ちていく。でもユズだってジェイドをずっと見ていたい。滲む視界が邪魔で仕方がない。
「ユズ、ありがとう。俺、こんなにお前を好きになれて、それだけは幸せだ。」
ユズはこんなときに言葉が出てこなくなる自分の思考回路が憎かった。
ジェイドは深呼吸して、ユズの涙を指で掬って、ゆっくりと唇にキスをして、離れる。
ウラヌスの剣を小刀にして、ユズに握らせた。
意味はわかった。これでジェイドの心臓を肉体的に終わらせるのだ。
「いい・・・の?ジェイド、お別れ、言わなきゃ、いけない人、いるでしょ」
「お前に言えれば別に良い」
そんな淡白な話ではないと思うのだ。だけど身近な人だからこそ、こういうことは言いづらいところもあるのは何となくわかるけれど、大事な話である。気恥ずかしいとかじゃなくて。
「アレクは?」
「もう言った。また会えたけど。一昨日言ってたわ」
「で、でも」
「ユズは、優しいよな。だけどな、勢いとかタイミングとか、俺はそういうのも大事だと思うんだよ。」
それは確かにジェイドには必要な要因なのだろう。ジェイドのことだ、ジェイドが決めるべきで、ユズが躊躇すべきことじゃない。だけどカタカタと剣を持つ手が震える。さらりと右耳のピアスを撫でられて、ジェイドは大人びた笑みをユズに向けてくれた。
「これはきっと、先延ばしにすることじゃないんだよ。お前ができないって言うなら」
「で、できる」
ユズは勝ち気にジェイドを睨む。ジェイドを助けると決めた。この行為が、ジェイドの魂を、救うことになるのだと言い聞かせる。この時が来ることは覚悟していたじゃないか。それを先延ばしにして、こうしてこの気持ちを抱えたままずるずるとジェイドと生きるのは、なんだか違う気も、ユズはしていた。でも手の震えは止まらない。心と体を別にしてしまえたら楽なのに。彼を、終わらせてしまうのが、怖い。誰よりも自分が自分を責めると思う。もう二度と会えなくなることが、怖い。本当に、一緒に死んでしまいたいほど、恐ろしくて、苦しくて、震えが止まらない。
「で、できるの・・・できるのよ」
ユズは小さく呟いて、手の震えを止めようとする。だって自分じゃない誰かに、ジェイドを渡したくない。そんな独占欲もあるのに。
ユズ、と優しく呼ばれる。そっと手を重ねられた。
「最後に、俺の魔法にかかってくれないか。」
「ど、うやって?」
「聖獣に願う。」
ジェイドはユズの左手の翡翠の指輪にキスをした。指輪から眩しい光が出て、二人を柔らかく包んでいった。
ユズは、馬車の中にいた。
今日はマリカのデビュタントで、マリカがユズを連れていくと言ったから、朝からドレスを着せるためにメイドはユズを追いかけて、風呂に入れたりマッサージしたり、髪を解かして整えたりと大忙しだった。マリカはだけどユズを置いて、婚約者のエルヴィンと一緒に行くと言うから、ユズは一人で馬車に乗っていたのだ。きなれない水色の、前がミドル丈で、後ろがふんわり広がっている可愛いドレスだ。白いヒールの靴は普段から履いていないから、歩きにくい。ユズは狭所での戦い方についての本を読んで、この馬車がまさに狭所であることに気づいた。相手に向かって交叉の位置に立って、回し蹴りをする。
「お嬢様―?馬車内で暴れないでください?」
「なぜだ、暇なんだ、いいだろ」
ユズは窓から顔を出して、御者を見た。
「動くとあぶねえっすから」
ユズは不服そうに窓から顔を出したまま外を見た。そういえば外に出ることなんてめったにない。森の中をゆっくり馬車が通っていく。
「あ、ヨーゼフ、あのきのこは毒よ」
「お嬢様、きのこなんて知ってましたっけ?」
そういえばなぜ、知っているのだろうか、ユズはヨーゼフを見て首を傾げた。
「あの鳥は、ルリビタキ」
「鳥なんて、ミニグリフォンぐらいしかオニキス様は知らないっすよ?」
「あはは」
「お嬢様、今日は機嫌が良いんですね、やっぱりデビュタント、楽しみですか」
そんなわけない。憂鬱だ、とさっきまでは思っていた。着なれないドレスを着て、履きなれない靴を履いて、しかも社交界に出るのは社交的ではないユズには苦行であることに違いなかった。家にいて養成所の騎士たちと剣を打ち合っていたい。
「ねえ、ヨーゼフ・・・私、結婚しても剣できるかしら」
「・・・普通のお嬢様は剣はしないものですよ。」
それは、分かっている。だから、今日デビューしてしまえばきっと、ユズは普通の令嬢にならなくてはいけない、ということなのだ。誰かに見初められて、婚約者が決まって、成人すれば結婚して、子どもを産んで、それがユズに敷かれたレールだった。だから憂鬱でしかたがない。
馬車は会場についた。
「グリフォン家からの令嬢はマリカ様お一人ということでしたが、飛び入りですか?」
受付の人はつんけんと対応した。見学ならあとで呼ぶので、会場の外で待っていろと入れてもらえなかった。庭園を一人で歩いていれば薔薇園の薔薇が香しかった。そういえば薔薇の季節である。アマリリスに蘭、シクラメン・・・この館の庭園はさすが王家の管轄というべきか、華やかで大振りに咲き誇る花が多い。少し薄暗くなった庭の花は見事にライトアップされていて、男女のペアが散歩がてらそれを愛でていた。一人でいるのはユズくらいで、普通は誰かパートナーがいるべきなのだろう。普通パートナーがいない子女には兄弟が来てくれるらしいのだが、オニキスはどうしても仕事の都合がつかずに一緒に来てくれなかった。オニキスはユズやマリカを可愛がってくれてはいるが、結局仕事人間だし、武人だから社交界は好んで出ようとはしない。
「ユズ!」
マリカの声が聞こえて、ユズは振り向く。
「マリカ。あ、エルヴィン、お久しぶり」
「やあユズ、今日は見違えたね」
「エルヴィン様!でしょ」
マリカは自分の婚約者を妹が呼び捨てするのは失礼だ、とユズを叱る。今日もマリカはとてもきれいだ、とユズは目を細める。マリカはユズの婚約者を見つけないと、と張り切っているようだ。マリカとエルヴィンと一緒だともう受付もしないで顔パスだった。エルヴィンはスタンシャイン大公家の令息だからだ。
「たとえばエルヴィンのお友達でフリーな人はいないの?」
マリカがエルヴィンに聞いている。ユズは二人の会話には全く興味を示さずに優雅な宮廷音楽に揺れる男女のペアを眺めていた。マリカから飲み物をもらって、おいしいと微笑めば、マリカはなんでこんなに可愛い妹がもてないはずがない、と思って、エルヴィンと踊るように促す。
「ダンスの特訓の成果が見たいわ」
「ええええ」
ユズはそれはエルヴィンに申し訳なさ過ぎて、なんとしても辞退しようと試みたが、共犯のようで、エルヴィンにダンスホールに連れ出されてしまう。エルヴィンは緊張してがちがちにステップを踏むユズに優しく声はかけてくれるけどきっと苦笑いだし、ユズはエルヴィンの顔が見れなくて、足元だけ見ていた。
なんとか足は踏まないで一曲終えたものの、緊張しすぎて眩暈がする。
「ユズ、とってもへたくそだったわ、もっと練習しなきゃね、次は」
マリカはヴィアンカの婚約者だという男を紹介する。ユズはまた踊らされるなんて御免だと静かにフェードアウトした。
どの令嬢もユズのように浮かない顔をしている人はいなくて、今日という日が楽しみで来たのだろう。ダンスに興じる人、話に花を咲かせる人、和やかな雰囲気だ。マリカが幸せならユズはそれでいい。壁の花なんて表現されるが、ユズは花になんかなれない、きっと蕾、いや苗、むしろ根っこで結構だ。
会場の扉が開く。入ってきたのはカウボーイハットで顔を隠した男たちだった。恰好が、ドレスやタキシードという正装からは外れていて、きっと呼ばれた人ではないだろうことはすぐに想像できた。しかも手には拳銃を持っていて、銃口はすぐに火を噴いた。
シャンデリアが割れて、会場に戦慄が走って、悲鳴に銃声にあの和やかで華やかなパーティー会場はあっというまに惨状に変わっていった。ユズはすぐにマリカを探した。そしてそうするべきと分かって状況把握した。こんなことは初めてのはずなのに、なぜか冷静に、カウボーイハットの盗賊の数や、銃を持っている人数、あとの武器は剣やその辺の棒切れであることを認識する。
どうやら貴族令嬢、令息を捕らえるのが目的らしく、歯向かわなければ命までは取らないようだ。裏口も固められていて、逃げ場がなくて逃げ惑う人々がいる中、そばの窓をたたき割る。
「ユズ!」
呼ばれて振り返るが、マリカじゃなくて幼馴染のヴィアンカだ。婚約者が先に逃げたらしい。
「クズ男だったんだろ、あきらめろ!」
ユズは厳しく言って、泣いているヴィアンカの手を引きつつもマリカを探した。窓からヨーゼフがユズを見つけた。
「ユズ様!早くお逃げを」
ユズはヨーゼフにヴィアンカを渡して、自分はマリカを探すから、お前は外から攻めろと指示した。ヨーゼフがなんやかんや言っていたが後は聞こえない。麻袋をかぶせられてまとめられている令嬢たちのところへユズは食用ナイフを持って向かっていった。
どこの女だと聞かれたが、名乗らなければ、剣を振りかぶってきたので、避けて右ストレートを打ち込むグリフォンの加護のせいか、男は数メートル飛ばされて倒れた。麻袋から令嬢を開放するが、マリカはいない。ユズは会場を見渡す。入り口側の一角に令息令嬢が集められている。エルヴィンが前に出ていく。そしてカウボーイハットの男がエルヴィンに拳銃を向けた。ヒールのついた白い靴をユズはドンピシャで拳銃にぶつけた。十数メートルあつ距離を一気に詰めて、その腕を掴んで背負い投げをする。
ドォンと男は床に打ち付けられて伸びていた。それがまとめ役だったのか、手下は呆気に取られて見ていた。令嬢が背負い投げなんてするはずがない。こいつはきっと令嬢に扮した女騎士か何かだ、そういう理解で、ユズに向かってくる。武器を取ろうしたがみぞおちに一発、首への手套、そして羽交い絞めというようにユズはあっという間に野盗を伸ばしていった。
「エルヴィン、怪我は!?」
「・・・ああ、うん、大丈夫だ。」
エルヴィンは正直ユズに見惚れていた。
「マリカは?」
マリカは後ろの方から出てきて、涙ぐんでユズに抱き着いた。マリカが無事でユズもほっとした。
「そこのお嬢さん、腕が立つんだな、手合わせを願おうか」
この声はなんだか知っている気がした。顔まですっぽり隠れるフード付きのローブを着ている。一瞬間、ズシンとのしかかるような何かを感じる。空気が一気に変わった。
ユズは、ピクリと腕を動かし、男と対峙した。
「ユズ!エルヴィンが」
この男は、魔法使いだ・・・ユズは会ったことはないけれど、今この男はこの会場全体に精神系の魔法をかけている。ユズとマリカはグリフォンの加護があるので、精神系の魔法は効かないのだ。ジュピタルには魔素がない・・・だからこの規模の魔法を使える魔法使いとなると、相当手練れである。
「お嬢さんたちはもしかして姉妹か?」
ユズは眠ってしまったエルヴィンを支えているマリカを庇うように前に出た。近くに転がっているオンボロの剣を手繰り寄せる。
「マリカに手ェ出したら殺すぞ」
「なら勝負しようぜ、お嬢さん」
自分が勝ったらマリカを連れて行く、そしてユズが勝ったらユズを連れて行くとどうにもユズにはメリットがない条件だった。しかし魔法がかけられている。解いてもらうためには、その条件を飲むしかない。男は別にマリカでもユズでもどっちでもいいと言う。どちらかを連れて行くことが目的のようだった。
「殺すつもりで行く」
「いい心意気だな。俺は――――」
耳鳴りがして、聞こえない。でも名乗らないといけないとユズは思った。名乗り合って戦う。それは正式な決闘の作法で、ユズは憧れていた。
「ユズ、・・・グリフォン。」
ユズと手合わせしてくれるのはアレクシスしかいなかったし、アレクシスとはもう五年会ってない。だから自分の力量がどう通用するのかユズは計りかねていた。力負けするかと思ったけど互角に渡り合えている。これで互角なら、本気でいけばもしかしたら力で勝てるかもしれない。しかしこの剣ではきっとグリフォンの加護は耐えられないことも予感していた。ユズが攻めて、相手が防戦している。
相手はユズがこんなものなのか、と見極めているようだった。他の魔法を警戒しているなら、もう使えないから、もっと本気で来いと言う。
接近戦から相手が足を払って、剣がドレスの袖を切り裂く。ユズは後退して、野盗を踏んずけて転がった。足は素足だったから皿が割れた破片やとがった石を踏んでいるせいで流血していた。だけど、痛くない。剣を交えていることにユズは興奮していた。
「ユズ!」
マリカが男のすぐ横にいた。動くな、というけれど、男の口元が笑みを作る。
「人を殺したことはないって面だな」
そりゃあ、ない。剣を人相手に取ったのは初めてだ。なんならグリフォン領から出たのも初めてだった。男はマリカを引き寄せた。そしてマリカの首に剣を当てる。
「今、こいつを殺せば、お前は俺を殺せるか」
ユズの中のグリフォンの血が滾った。考えるよりも身体が先に動く。剣をシャンデリアに投げて、それを落とす。男がシャンデリアを避け、他の人に危害が行かないように魔法をかけた、それは明らかな隙だった。
男の剣を素手で掴んで、マリカから引きはがす。血が出るのは構わなかった。そのまま男の腕ごとてこの原理で捻り上げて剣を落とさせた。内またで背中を床に叩き込もうとしたが、相手は踏みとどまり、帯刀していた小刀を左手で振り上げた。ユズの右に流していた髪の毛が落ちる。相手の刃物を奪えば勝てる。ユズは回し蹴りで左手を狙った。男は躱して小刀を振り上げた。ドレスのすそが大きく破れる。ばしっと男の左手を右手で掴んだ。
―――あれ、
ユズはこの場面を知っているような気がした。ローブのフードから見える薄い唇も、見たことがあるような気がする。ユズの目から一粒、涙が流れて行った。
男はユズの後方を見て、ユズを引き寄せ、ぐいっと反転した。そうすれば、彼の左手のナイフがユズの右手と一緒に彼の胸の真ん中に食い込んでしまうのに。呻きながら、反転した後方に見えたのは、拳銃を構えている野盗で、立て続けに二発、こちらに撃ち込んできた。男の身体に銃弾が穿たれた反動がある。そのせいで、さらに小刀が食い込んでいく感覚にユズはぞわりとした。
手が、血で濡れていく。男はユズの頬を手の付いた手で撫でる。私は、知っている、この綺麗な翡翠色の目を。
「ど・・・して」
「ここ、で・・・初めて、殺された。最後も、ユズが良い。」
覆いかぶさるように倒れる彼のフードが外れて、魔法がぷつりと切れた。
「お願い、私を・・・・」
ユズは動かなくなったジェイドをそっと横たえて、胸に刺さっている小刀になっていたウラヌスの剣を抜いて、願う。
「ジェイドのところに連れて行って。」
願っても、聖獣が叶えられることと、叶えられないことがあるだろう。きっとユズの願いは叶えられないものだ。
彼は、ちゃんとユズとさよならをしてくれた。でも、ユズは全然、ジェイドを失う覚悟なんてできてない。
ジェイドの傷はもうふさがっていて、まるで眠っているみたいだった。夢の続きなら、ジェイドは生き返って、あれは本当に驚いたっけ。
持ったままだった小刀が淡く光っている。緑色に、紫色に、黒色に、赤色に、黄色に・・・さっき起きたばかりなのに、ユズは急激に眠くなって、ジェイドの胸の上に突っ伏した。まだ、ちょっと温かい。あなたと一緒にずっと長い、夢を見ていたのだ・・・。たとえこの結末が待っていても、あの出会いを、後悔することはない。




