鬼と悪魔
時間になってもセドリックは迎えに来ないから、一行は試合会場に足を運んだ。今日は会場は分かれずにスタジアムで準々決勝からだ。ジェイドは4試合目。セドリックが来なかったら一人で立ち回らないといけない。
「物理はだめなの、私がエントリーとかできないの!?」
できないらしい。ユズは落ち込んで観客席に収まった。また柵の間からジェイドの手を握る。
「ジェイド、ここまで来たらきっと地味でも勝てれば良いと思う」
「えっとユズまで地味って言うの?俺泣くよ?」
「ファーストキスではないけど、優勝したらキスしてあげよう」
「キスは安売りしないでくださいね、・・・ユズって、あのときのこと覚えてる?」
ユズは首をかしげて、ジェイドを見つめた。覚えていないとキラキラ光る琥珀色の瞳が言っている。
「ファーストキスじゃなければ、安売りしてもいいものでしょう、ただの粘膜接触ってやつでしょう」
「ちがうちがう、ちがうわ、もう根本がおかしい。アレク!」
「俺には何も聞かないでくれ」
アレクシスは目をそらす。
「昨日からどうした!?」
そして準決勝。お題は治癒魔法。これはジェイドが得意な魔法だった。人体や動物ではなく、枯れはてた草花を治癒するようだ。ただの治癒だけでなく水魔法や土魔法も駆使しなければいけない高位のお題である。ジェイドは見事に花を蘇らせ、ついでにジャングル級にまで植物を増やし、おまけに会場中に色とりどりの花びらまで散らせてやった。
後攻の妖術使いは、治癒魔法は不得手だったらしく、枯れた草花を得意の炎魔法で消し炭にして勝敗はついた。
準決勝のお題は赤ちゃんを笑わせた方が勝ち、というものだった。先攻後攻なく、母親から離されて泣きじゃくっている赤ちゃんが二人、おのおのに宛がわれる。
一歳くらいだろうか、人見知りマックスな赤ちゃんは知らない男であるジェイド相手にかなり拒絶を示していた。相手は女性の妖術使いだ。女性は慣れたように赤ん坊を抱き寄せるが、こっちもかなり赤ん坊は手強く、ヒステリックに泣きじゃくっていた。
まずは、安心させてやらねばならない。泣いている状態から気をそらす何かが必要だ。ジェイドは風車を拵えて、くるくる回して見せた。ジェイドの顔はアレクシスほど整っていないし、親しみやすいのは赤ん坊には好かれるようだ。赤ちゃんはそれに少し興味を持ったようである。風魔法をつかって、紙吹雪もひらひらと散らしてやる。敵の妖術使いの赤ん坊もこっちへ来てその魔法に魅入る。
笑わせるまではいかないようだ。興味は持ってくれている。あとは何の要素があればいいのだろうか。ジェイドは考えた。赤ちゃんのためのグッズは用意されているので、その中から人形を選ぶ。人形の髪が風に吹かれて、スポーンと飛んで行った。赤ん坊ではなく会場中が笑っていた。それにつられて、赤ちゃんは笑った。もう一回やろうか、とジェイドは人形に髪をかぶせた。そして風が吹いてスポーンと飛んでいく。頭からびっくりおもちゃのようなものも出てくる。キャラキャラと赤ちゃんは笑い転げた。ジェイドは面白くなって、次はーとまたおもちゃを探し始める。
「もう勝敗はつきましたので、控室に戻って」
審査員はにべもなく言った。赤ちゃんたちも強制送還だった。
決勝の前に昼食休憩ということだ。セドリックはやっぱり姿が見えない。アレクシスがアカデミーのほうにも行ったが、セドリックは今日は来ていない、魔法比べに出るから有休を取っている、と言われた。
「決勝戦は攻撃魔法って決まってんだよな」
アレクシスは現実を叩きつけた。
「・・・苦手なんだよな、攻撃・・・」
ジェイドはため息をつく。決勝まで来た実力者が攻撃を繰り出すのが、観戦者には受けがいいからだ。
「でもジェイド、これに勝てば優勝だよ!今日はお祝いにケーキを食べようか!」
「気が早いだろ、ジェイド、酒はワインでいいか」
「アレク、お前もか。攻撃は苦手だっつってんだよ」
「攻めが最大の防御だよ、ジェイド。」
ユズは常勝者のセリフを言う。
「グリフォン理論を押し付けないでいただけますか」
「どうせこれで術式使い切っても構わねえんだから、最初に派手なのをどーんともってこい。細かくちまちまいくのは性に合わねえ」
「お前の性に合わないのは関係ないからな!」
ユズもアレクシスも大概おおざっぱである。こういう戦闘論は息が合うようだった。ユズやアレクシスはたぶん将軍クラスの腕前からの意見を言っているので、ジェイドには参考にはならない。しかも彼らは武力のみで戦う猛者である。魔法の戦いとはまた違うだろう。
「まあ、でも派手にな・・・地味を脱却するには・・・」
グリフォンの使者たちのおおざっぱなアドバイスを聞いて昼食を終えたジェイドは控室に入った。
「よお、ジェイド。いよいよ決勝だな」
「セド・・・どこに行ってたんだ。得意分野だったから勝ち抜けられたが・・・」
セドリックが控室でくつろいでいた。ジェイドは別に気にしていなかったように自然に話しかけた。
「治癒と赤子が得意なのか?」
「・・・あとはサバイバル系とか料理とか」
「いろんな特技があるんだな。どうする、決勝は辞退、とかでもいいんだぞ。」
これは、何の提案なのだろうか。辞退したら、魔力は取らない・・・ぐらいの警告なのだろうか。ジェイドはゴクリ、と唾をのむ。
「優勝しないと妖狐の加護がもらえないだろ。ここまで来たら最後まで戦うのが、相手にも礼儀だろうし。」
「相手がもういないってなったら?」
セドリックは何を言っているのだろうか。
「相手も純魔法使いだったみたいでな。」
ニコリと綺麗な顔で彼は微笑んだ。ジェイドは後ずさる。
「食った、のか」
「お前も食い時だな」
セドリックの影が大きく動く。髪の毛が黒色から銀色に変わって、この世のものとは思えない美しい男がそこにいた。セドリックの影が膨れ上がり、影の目が光って、角がある。ウラヌスの剣を構える。鬼の対策はしてきた。豆だ。
「豆は効かん。お前も意外に抜けてるから、俺は結構好きだったぞ。ユズちゃんには負けるが。」
「私を呼んだか、呼んだな!ジェイドに手を出すな!」
ユズが飛び出てきて、思い切り豆を投げた。水のシールドがそれを防ぐ。防いだが彼女の投げる力は相当で、軽い銃弾くらいの威力がありそうな豆の勢いだった。水によって威力を幾分か落として、豆はセドリックに届いた。ちょっと嫌そうにセドリックは豆のついたところを手で払う。
「ユズちゃん」
今日も可愛いね、とセドリックは笑顔でユズに挨拶をした。
「ジェイドを食ったら、セドなんか海苔に巻いて食ってやるからな!」
いつもユズはジェイドが食べられてから助けるという。食べられる前に助けてほしい、切実に。
「ユズちゃんに食われるなら喜んで」
「ちょっと気持ち悪いな!」
ユズははっきりそう言って、鬼と対峙した。
「昨日はナターシャが先を急いて失敗しちまったらしいが、アレクはよくナターシャの支配に打ち勝ったよな。グリフォンの加護ってそういうのもあるのか?ジェイドを食って、加護を全部貰って、そのあとで結婚しようか。グリフォンと妖の掛け合わせなら、タマモに勝てる気がする。」
「私と結婚してもグリフォンと結婚できるわけじゃないと思う。あとセドとは結婚しないし、セドの子どもは産まない。だって私、あなたを愛してない」
「あー・・・大丈夫大丈夫。愛がなくても結婚は出来るし、子作りもできる。」
「え!?」
ユズは驚いた。その驚きにセドリックは、可愛いから愛することはできるかもしれん・・・とちょっと本気で考えた。人間は寿命が短いから、妖にしない限り、供に居られる時間は限られる。
会場の方で、悲鳴が聞こえる。外を見れば、鬼の集団が観客を襲おうとしている。アレクシスが四方八方ぶった斬り、退路を確保していた。狐耳の女の美しい妖たちが避難誘導を手伝っているようだ。
「ユズちゃんが俺と来てくれるなら、会場の鬼たちを撤退させよう。ジェイドは選べ。加護、もといその剣を俺に献上するか、俺に食われて死ぬか」
「・・・死んでもユズと、剣は渡さない」
ジェイドはユズの後ろに庇われていながらそんなことを言った。
ユズはこんなときだけど少しきゅんとした。愛はきっと大切だ。結婚においても、子作りにおいても。ユズはそんな頓珍漢なことを考え、セドリックが繰り出す妖術を次々と斬り伏せていく。ドラゴンたちがやったようにジェイドもセレスの剣に魔法術式をぶつけてみた。そしたら剣は炎をまとったり、氷をまとったりでき、威力も数段に上がるようだった。
ユズはセドリックのすぐ近くまで来て、剣を振りかぶってぶつける。素手で止められて、じりじりと押される。傷もつかない、これが鬼か・・・ユズは間近で見たその力に感動に近いものを覚える。いったん間合いをとって、次を仕掛けた。袈裟懸けに切り込んで、セドリックは避ける。髪がはらはら散って、頬に傷がついたけどすぐに治っていく。剣は素手で止めることができるし、あっちこっちから妖術が飛んできた。
「どうしよ、全然歯が立たない!」
「ユズ、すっごく嬉しそうに言ってるけど、それってかなり一大事だと思う!」
セドリックはユズが遊びたいなら、付き合ってやっている感じで、命のやり取りのような緊張感はないのだが、ジェイドは焦っていた。グリフォンの加護をもってしても鬼に敵わないなんてことはあるのだろうか。
『普通はないかな・・・あいつは普通じゃない』
ミニグリフォンはジェイドと一緒で少し焦っている。そうだ、外でアレクシスの剣は鬼に通用しているのだ。それでも鬼は強いらしく、一騎当千の実力でも五分で、複数相手には苦戦しているようにも見える。
ユズの繰り出す剣技を受ける一方でセドリックは攻撃に転じてはいない。いつでも、仕留められる、状況なのだ。
「普通じゃないって」
『普通の鬼ではない・・・混じっている、ように見える』
セドリックの本当の正体をグリフォンも見破れないようだった。
「お前たち聖獣を欺くような性質をもってるやつなんて、悪魔ぐらいだろ」
『!ジェイド、お前は本当に頭がよいのだな』
「感心している場合か!グリフォンってほんっとグリフォンだよな!!」
ジェイドは初めて聖獣に切れた。武力に特化しているというグリフォンは戦いのことは考えられるけれど、それ以外はてんでだめだ。だから西のタマモはそれを補うために重宝されているのだ。グリフォン侯爵が西へよく赴くのはそのためでもある。
『鬼が悪魔と契約してしまったのなら、分が悪いな・・・妖の大半がタマモよりは鬼につくかもしれん』
それは、西の辺境の危機になるのではないか・・・冷汗が出る。
「ユズちゃん、そろそろ遊ぶのはやめにしようか」
セドリックはユズの手首を掴んで、動きを止めた。ユズはだいぶ息が上がって、だけど抵抗しようと押しても引いてもびくともしない。力で、制圧される側に今いる。彼は結婚も子作りも愛など関係ないと言ってしまえる人で、そこにはやはりユズの意志など加味されないのだろう。「力」とは、そういう一面を持つのだ。救う力もあれば、奪う力もある。
「ユズを、離してもらおうか」
ユズの手を掴む、セドリックの手をジェイドが掴む。
「非力な人間に何ができる。」
ジェイドは、意表を突くことは可能だと、にやりと笑む。決勝戦に取っておいた、とっておきの魔法だ。セドリックに白い粉をかける。力が緩んだ瞬間にユズを引き寄せて、白い粉に蒸せているセドリックに向かって着火したマッチを投げた。
「逃げるぞ!」
ユズを半ば抱えて、会場の外が丸見えの控室の窓を魔法で壊した。ドガン!!と控室を根源にあたり一帯大爆発が起こる。爆風の中から飛び出てきたジェイドとユズにアレクシスはギョッとする。
「大丈夫か」
「派手だったろ」
ジェイドはちょっと白かったし、焦げていた。格好はつかない。ユズはぱちくりして爆発を見つめていた。もう火災案件である。
「これって、小麦粉・・・」
「粉塵爆発ってやつだ・・・とりあえずセドから離れて、策を練る必要があるだろ。辺境伯の屋敷に退避しよう」
アレクシスが大方の避難は済ませてくれていたから、爆発の被害はスタジアムだけでおさまるだろう。転移魔法を使って、移動する。これは魔力消費が大きいが、四の五の言ってられない状況だった。
***
屋敷に行くと、すぐに応接の間に通された。
「思ったより、大変なことになったわねぇ・・・」
タマモは全然大変じゃなさそうに呑気に話している。
「あの子はね、千年前から生きているのよ。なんなら、悪魔を憎んでいるはずなんだけど、どうしてあっち側にいっちゃったのかしら。」
「利用価値があるということでは。」
タマモの側近なのか、これまた秀麗な容姿の男がいた。金髪に赤い目をしている。
「彼が鬼の棟梁よ。」
「お初お目にかかります。今回は我が一族がご迷惑をおかけしております。」
鬼にも派閥があって、棟梁がタマモについているのなら、全面戦争は避けられるということだ。
「ねえ、ナリヒラ。セドリックのことなんだけど追放すれば、悪魔の下るのか、はたまた下すのか。泳がせてもいいとは思うのよ。」
タマモは鬼の棟梁をナリヒラと呼んだ。
「いずれにせよ悪魔の手にかかったものをジュピタルに留めておくことはできない。やつの一族は絶やす。」
「お前も相当苛烈よね。」
「もう逃げに転じているだろう。追手はかけておく」
ナリヒラはユズに向き直る。
「グリフォンのお嬢さん、手首が型になってますね、私の子なんです、本当に本当に息子が申し訳ありません」
ユズの手首に触れて、痕を治してくれる。セドリックは彼のたくさんいる子供のうちの一人だという。容姿は美しいけれど、似ているのかそうでないのかユズには分からなかった。
「セドはね、私の後妻に恋をしてしまったんだ。千年前、その後妻と駆け落ちして、そのとき妻が悪魔に殺されてしまったんだよ。」
その話は、どこかで聞いたことがあったような気がした。セドリックがあの居酒屋で話した悲恋の話だ。
「千年前の悪魔って、今封印されている悪魔ってことですか」
ジェイドはすかさず聞いた。ナリヒラは頷く。
「百年前、魔法大戦に乗じて、封印をこじあけようとしたのもセドリックだ。」
封印はビクともしなかった。しかし、裏側に亀裂が入ってしまった。
「どうして、」
「あの悪魔を自分自身で殺したいから、と私には話したが。あの子の真意はわからない。隠すのがうまくてね」
「それなら、味方になってくれてもいいはずだ、悪魔を倒したいってところは同じってことでしょ」
ユズは単純にしか考えられなくて、眉をしかめた。
「そうよ、ユズ。もしかしたらセドは味方になってくれるかもしれないの。だから、様子を見るのが、妾は良いと思う。」
鬼には鬼の事情があるだろうが、タマモはそこには関与しないと言う。
「消えた魔法使いたちはどうするんですか。」
自分の姿を取り戻してほしいと言ったあの魔法使いをジェイドは気にかけた。
「・・・あの子たちもセドと一緒に行ったはずよ。鬼に魔力は必要ないの。あの子たちは悪魔と契約したセドに魔力を取られてしまったのね。鬼は自力で魔力を補充できないから。ジュピタルの外ではちゃんとあの子たちは重宝されるはず・・・いつか鬼の使役から解放してあげたいと思っているわ。そこまでは妾も責任を持ちましょう。」
タマモは静かにいった。自分の辺境で起きたことだ。それは深刻に受け止めているのだろう。
「決勝はできなんだが、そなたには知恵の加護をやるのにふさわしいと判断した。これを開いてみなさい。」
タマモはジェイドに一冊の古びた本を差し出した。くすんだ山吹色の表紙だった。
「読み切ったら加護をもらえるという仕組みだ」
「・・・え、これ、創造記?聖獣の起こりについて?え、これ、何語っすか」
「妖狐語。辞書もやろうか?」
「読み切るまでに死ぬわ!」
本を開いた瞬間、ウラヌスの剣が光って刃面にトパーズの宝石が埋め込まれたのは、剣を背負っているジェイドだけが気づいていなかった。ユズはアレクシスと顔を見合わせて、タマモはジェイドに意地悪をしているのだな、と肩をすくめた。
「ジェイド、聖獣の加護で何ができるのか、それに書いておる。セレスは頑張って読んだのだよ、あの子もグリフォンだからお前よりも勉強は苦手だったのが、努力していた。セレスはジュピタルで加護を使ったから、妾たちが外へ行くことはなかった。しかし、今回は全く違う土地へお前が望めば召喚されることになる。よく、読んでおいてほしい。知恵の加護を授けたのだ、多少は読めるはずだよ」
タマモは流し目でジェイドを見た。ずっと知りたかった、聖獣の加護を集めて何ができるのか。ジェイドはしぶしぶ頷き、今日からまた徹夜の日々を過ごすのか・・・とため息が出た。これはもう、ウラヌスタリアに向かいながら読み進めていくしかない。一刻も無駄にはできない。
ユズは自分もその本を読んでみたかった。何が書いてあるか、ユズにはきっと理解はできないのだろうが、聖獣の加護で、ジェイドを救える可能性があるのかもしれないとブライアンが言っていたことがあったからだ。だから、そのためなら勉強して、ユズだって読めるようになりたい。
「ユズ、こっちへおいで」
タマモがユズの顰め面を見かねて声をかける。奥の部屋にユズはタマモと二人になった。
「ユズに成人のお祝いをあげようね。」
「眼鏡?」
「これで狐の言葉が読めるわ」
字が読めたとしても内容が分からないかもしれないが、ありがたく受け取っておく。
「・・・酷なことを言うようだけど、悪魔に裂かれた魂を、元に戻す術はないのよ。ジェイドは受け入れているのでしょう?お前は普段は素直で、大概のことは受け入れられるくせに、それはどうしても難しい?」
タマモはユズに聞く。ユズは困ったように眉を寄せた。
人は死ぬということをユズは理解している。父だって、母だって、兄だって、姉だって、弟も、アレクシスも、須らく人は死ぬものだ。ユズだって例外ではない。妖のように半永久的に生きられるわけではないからこそ、その命を尊び、儚む。ジェイドの死も、受け入れなければならないのだ、とタマモは言うのだ。それは、ユズの今の状態では、やはり難しいことだと思った。
「・・・あの子の国に悪魔が現れたのは3年前の5月7日。あと、5か月を切ったわ。彼をなるべく早く、家族のもとへ帰してあげましょう。ユズも彼との過ごし方を考えなさい」
ユズは涙を零してしまわないように上を向いた。タマモがギュッとユズを抱きしめてあげた。
「彼が望めば妖にしてしまえるけれど・・・それはあの子は望まないことだから」
明日はトパーズが来るから、また屋敷に寄りなさい、とタマモが言う。ユズは一度頷いて、応接の間に戻った。もらった眼鏡をジェイドに渡した。ユズの知りたいことはタマモが教えてくれた。だから、もう読まなくてもいいのだ。受け入れなければならない。だけど、今はまだ、難しいのだ。たとえ涙が枯れて、血が流れようと。諦めようとすればするほど、私が、彼を好きな気持ちだけが大きくなっていく。小麦粉のように、爆発してしまえれば楽なのに・・・。
「ユズ!すげえ、これで読める!いいものもらったな!ありがとう」
「もっと褒めてもいいよ。あ、アレク、明日父上が来るって」
「・・・土下座して謝る。」
「えええ、アレクは一体何を・・・つうか俺もか?俺も土下座が必要か?」
ユズをあのデビュタントから連れ出して、もう半年以上経っているのだ。半年以上未婚の娘を連れまわして、危険なところを旅しているのだから、そりゃ土下座ものだろう。とりあえず寮から荷物やらを引き上げて、掃除をして、鍵を返却するところまで明日やらないといけない。魂が抜けてしまっているアレクシスを引っ張ってユズはジェイドに笑いかけた。ジェイドはやっぱり笑い返してくれる。胸がチクチクではなく、ズキズキと痛んだ。唇を噛みしめて前を向く。
外の空気は澄んだように冷たくて、月明かりに雪がちらちらと舞う夜のことだった。
***
翌日は、一か月ほどお世話になった寮を大掃除して、荷物を整理して、アカデミーに鍵を返却した。あれからセドリックは無断欠勤で、とアカデミー長は心配していた。爆発事故で行方不明、ということになっているようだ。
辺境伯の屋敷は奇しくも西の関門の前にあるから、その途中で寄ることができる。
辺境伯の屋敷の前にタマモはいたし、父もいた。
「ユズ、元気だったか。」
父はハグをしようと手を広げたけれど、ユズはすんと見つめ返しただけのおかしな構図だった。
「父上も元気そうでよかった。母上とマリカとオパールは息災ですか」
「ああ、みんなユズに会いたいと今回は付いてきたよ、中の方にいる。ユズ、丸かったほっぺがスタイリッシュになって、ますますオニキスに似てしまうぞ」
「それは、嫌ですね。もっと食べて肉をつけますね」
オニキスの扱いが聞いていて、可哀そうだった。オニキスの容姿はトパーズに似ているので、ユズは彼にも似ているのだが、そこは誰も言わないのが約束である。
「オニキスにもよろしく言っておくれ。王都からは東、南、西には軍備を補強して、ジュピタルの守りは万全にしておくから。」
「・・・北は?」
「北は魔の森があるから、一番鉄壁なんだよ。二度戻れないのは難点だけどね。」
「ラルフって意外に一番強いってこと?」
「あの蛇はただの引きこもりじゃ」
タマモは辛辣に言う。
「ちょ、熱っ!?剣が熱いって、タマモさん、ラルフの悪口言うのやめてください!」
ジェイドがウラヌスの剣を背中から取り出して、なだめていた。はたから見れば異様な光景だ。
「ジェイド君、初めましてといった方が良いのかな。ユズが世話をかけていませんか?」
「いいえ、グリフォン侯爵殿、私の武力がミジンコ並みなばかりに、ユズさん、およびアレクシスさんには大変お世話になっております。」
ジェイドは顔を引き締めて、もうほとんど直角に頭を下げた。
タマモは思う。グリフォンの武力と比べてはいけない。そこはもう天元を突破どころか振り切れている。彼も剣を抜けば、普通の軍人そこそこ戦えはするはずである。
「君はだって王族だろう、本来なら護衛騎士の一人や二人をともなっていなければいけないはずだった。難儀な旅だったろうと心労お察しいたします。このグリフォン侯爵家が少しでもお役に立てるなら、できる限りのご尽力は惜しみません。」
トパーズはユズの目の色と同じ瞳に慈愛を込めてジェイドを見た。
「タマモの屋敷で、これからユズの誕生パーティーをしようと思って、それくらいの時間を家族にいただけるだろうか」
「へ!?あ、今日!?今日誕生日ですか!?」
「誕生日は明日なんだ。せっかくだからってジェイド君の決勝戦に合わせてって家族で来ていたんだよ、とっても楽しく見させてもらった。」
「会場にいらっしゃってたんですか!?」
アレクシスはずっと気まずそうに黙っていたが思わず声を上げてしまった。
「エレインやマリカが会場の混雑は嫌だというから、映画館を貸し切りにしてみてたよ」
会場にはいなかった。あの爆発には巻き込まれていない、ということだ。アレクシスは安心した。
「・・・・私は、この家族の感覚が、ときどき理解できない」
ユズは肩を竦めてジェイドを見た。トパーズはとことん妻や娘の言うことを受け入れてしまうようだ。ユズはあまりそのようなわがままを言わないので、トパーズはユズを気にかけるようにはしていた。
「会場は爆発したので、お怪我があったらと思ったら・・・・」
アレクシスは単純にトパーズや家族を気にかけていた。
「ああ、爆発はすごかったし、お前もカッコよかったじゃないかー、ちなみにアレクのご両親も一緒に来たんだ!スタンシャイン大公家のエルヴィン様もユズの成人はぜひにお祝いしたいと!」
しかしトパーズは呑気なものだ。
「エルヴィンも来たってこと・・・ちょっと大げさすぎて引く」
「ユズ、とても大事なお祝いなんだから、俺は良かったと思う・・・ごめんな、俺が連れ出しちまったばっかりに、本当は王都でお祝いしたかったろうに・・・」
ジェイドは涙ぐんで感動している。
「別に・・・、出てきたことを後悔なんてしてないし、私があなたについて行くと決めたから。」
ユズはジェイドをちらりと見る。
お願い、これからも、最後までついて行かせてね・・・。言葉にならない思いを飲み込む。
「さ、ユズ行こう。」
ジェイドが笑いかけてユズの歩を辺境伯邸へ促した。




