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周囲の音が足音を攫っていく。
ざわざわと雑多な会話が飛び交う中を、アウロニスが先頭を切って歩く。
俯ていて、その足取りはゆっくりだ。
ウォルターとレイフも、ゆっくりその後についていっている。
最後尾で、その様子を眺めながら、空を見上げた。
雲間から、顔を覗かせている太陽に目を細める。
「何なんだよ、あいつら」
アウロニスだ。
人が疎らになった広い道で声を出す。
「同感だな。ここまで怒りを感じたのは、久しぶりだ」
ウォルターが不機嫌そうな声で虚空を睨みつけている。
レイフも拳を握っていた。
「……あんなの親じゃない」
足を止めて、こちらに顔を向ける。
「あの人たちは、シリウスの親なんかじゃない!」
強い口調に、目を丸くする。
アウロニスとウォルターもこちらを振り向いていた。
3人の目が怒りに震えている。
あの場でも目でずっと怒ってくれていた。
それが、たまらなく―――
「……親だなんて思ったことはない」
誰かに聞かせたいわけじゃなかった。
ただ、口から出ただけ。
独白。
その言葉がふさわしい。
「あの人たちは……俺に、俺たちに、何も与えてはくれなかった。食事も、衣服も、寝床も、愛情も、名前も。何も」
空気が凪いでいる。
視界には地面が広がっているのに、映し出されるのは、何もなかった頃の日常だ。
年季の入った家の隅で、邪魔にならないようにひたすら息をひそめて蹲っていたあの頃。
家人が居なくなってから、食べ物や飲み物を探して歩き回っていたあの頃。
衣服は大人のボロボロになった服を勝手に着て、使わなくなった薄い毛布を1枚体に被せて寝たあの頃。
何も考えずに、ただ虚空だけを見つめていたあの頃。
でもそこに光が差したのは、弟が来てから。
放置されて泣きじゃくる弟をかわいそうに思って、必死に無い知恵を絞って食事を与えた。
排泄も、衣服も、できる限り、家人のいない隙に、いろんなものを見繕った。
何も考えなかった日常が、何かを守ろうとする日常に変わった。
「……俺にとって家族は弟だけだったよ。弟のためなら何だってできた。一日中働いてたって、殴られたって、我慢できた。どれだけ侮辱されたって、平気だった。それくらいには大事だった」
弟と過ごしてきた日々は辛い中の希望だった。
この希望だけは絶対に手放したくなかった。
「でも、子供にはあの環境は厳しい。俺は耐えられたけど、弟は徐々に衰弱していった」
咳をよくするようになった。
熱が下がらなくなってきた。
起き上がるのも辛そうにする日が増えた。
―――大丈夫だよ、お兄ちゃん。
眉を下げて辛そうに気丈に振る舞う弟の手は震えていた。
「……どうしたら良いのか、分からなくなって……だから、甘い話に乗ったんだ」
「……甘い、話?」
レイフの不安そうな声が鼓膜を揺さぶる。
「……マルタが、声をかけてきたんだよ」
人の好さそうな表情をして、こちらに手を差し伸べてきたマルタを思い出す。
「マルタ研究所……1年半前に人体実験をしていたと摘発された施設、だな」
ウォルターは良く知っている。
かなり話題に上がっていたはずだから、レイフとアウロニスも知っているだろう。
「そう、実験内容も全部聞いた。その上で、衣食住と弟には手を出さない条件に、研究所に行ったんだ。弟と一緒に」
だからこれは俺の意思、俺が選んだ道だ。
「あの人たちが売ったんじゃない。俺が、自分で、自分を売ったんだよ」
それが一番最善だと、あの時は思っていた。
それ以外を知らなかった。
あの時の限界が、この選択肢だった。
自嘲気味に笑う。
「……でも、結局、守れもせずに、こんな体になって、生き延びて。笑っちゃうよな」
あの地獄からは抜け出した。
弟も一時期元気だった。
研究所にいた間は、つかの間の幸せを感じていた。
だから、油断していた。
弟を研究材料に使われるだなんて、裏切られるだなんて思わなかった。
「……研究所に居たときはそれなりに幸せだったよ、友達もできたし、弟も良く笑ってた。元気になって、走り回ってた。だから、後悔はしてない。……でも、他の選択肢を選んでいれば、弟はもっと長生きしてたかもしれないなとは考える」
だから、重ねた。
最後の弟と同じくらいの背丈の、少女に。
未来が続けばいいなと、弟にはできなかったことを、血のつながりしかない少女に託した。
「……似てたな、本当に……シエルに」
ぼそりと呟く。
その名前を知っているのは、俺とあいつだけ。
「……シリウスは、もういいの?」
もういい、その言葉を噛みしめる。
「……うん、もうここには来ない」
二度と。
「最後に一発くらい殴れば良かったぜ」
「それはそれで問題だがな。脅しくらいしておいても良かったかもしれないな」
「物騒だねぇ、2人とも」
アウロニスが喋り出して、空気が弛緩する。
顔を上げて、レイフたちに目を向ければ、レイフがにっこりと笑った。
「お腹空いたね、シリウス。ごはん食べに行こう!おいしいお店知ってるんだよ」
手が差し伸べられる。
アウロニスもウォルターも、何も言わない。
ただ、瞳だけがこちらに訴える。
―――行こう。
隣にいる存在がたまらなく―――嬉しい。
レイフの手をぎゅっと握り返した。




