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その建物は、平民にしては割と大きい家屋だった。


裕福とまではいかなくても、それなりには稼いでいそうな外観をしている。


それを一番に感じ取ったのは、ウォルターだった。


「良い家だな」


話しかけてきているのは分かった。


しかし、それに応えることはできない。


知らないから。


玄関の扉を見上げる。


何もかもが違う。


色も匂いも空気も。


知らない家だ。


無意識に詰めていた息を吐き出す。


それに気づいたレイフが下から覗き込んできた。


「どうしたの?シリウス」


「大丈夫」


首を振れば、それ以上聞いてはこなかった。


3段だけある階段をゆっくり上って、扉の前に立つ。


後ろには3人が居る。


その存在を背中で再確認して、扉を3回、ノックした。


タッタッタッ


軽快な軽い足音が中から聞こえる。


大人ではないその足音に、事前に知っていたから驚きはしなかった。


扉の前で足音は止まり、ゆっくりと扉が開かれた。


「はーい!」


明るい声と一緒に顔が見えてくる。


息をのんだ。


―――お兄ちゃん


似ている。


違うのは髪の長さだけ。


「だーれ?」


唇が震えるのをぎゅっと抑える。


しゃがみ込んで、少女の目線に合わせた。


微笑む。


「……お母さんかお父さん、いる?」


少女はじっと瞳を合わせていたが、暫くしてこくりと頷き、中に戻っていく。


その背中を眺めて、目を細めた。


胸に広がる気持ちには、蓋をしなければならない。


少女は、別人なのだから。


「今のもしかして、妹?」


レイフの声には反応しない。


「結構似てたな。……というか、お前、そんな顔するんだな」


アウロニスの声にも今は対抗する余裕もない。


拳を握る。


「中には入らないのか?」


ウォルターのその声にも返す言葉はなかった。


流石に異様な空気を察したのか、3人が口を噤む。


じっと、待った。


「お待たせしましたー!どなたですかー?」


女の声が扉の向こうから聞こえる。


―――子供って本当に、面倒ね


同じ、声。


ガチャリと空いた扉から出てきたのは、エプロンを身に着けた中年の女性だった。


黒髪、黄色い瞳。


笑顔でこちらを見下ろしている。


「あら、どうしたのかしら。道にでも迷っちゃったかしら?」


顔は見えているはずなのに、そんな言葉を発する女に、目線を外す。


「奥の子たちも、この辺の子じゃないわね。どうしたの?」


そう言って、レイフたちに話しかける女。


後ろから戸惑いの空気を感じる。


「え……と、シリウスの……お母さんじゃ……」


レイフの恐る恐るという声に、女はきょとんとしている。


「シリウス?……どの子のことかしら……ごめんなさい、ちょっと知らないわね」


本当に困った声だ。


そうだ、当たり前だ。


知るわけない。


名前を女が、知るわけがないのだ。


「……どういうことだ?」


アウロニスの呟きは虚空へと消えていく。


「おい、どうしたんだ?」


家の中から更に声が聞こえた。


男の声。


―――どうにかなんねーのか?コレ


これも同じ。


胃のあたりがぐっと重くなる。


そして一気に記憶が脳を覆いつくした。


空腹感、倦怠感、寒さ、痛み、虚無、息をするのも辛かった空気。


それと同時に、弟の体温、弟の笑顔、弟の声も思い出す。


―――お兄ちゃん、見て!僕の作った花冠!これ、お兄ちゃんにあげる!


大丈夫。


きちんと守れた。


だから胸を張れ。


息を大きく吸い込んで、扉から顔を出した男の顔をしっかり見た。


茶髪に、蒼い瞳。


自分と同じ、蒼い瞳。


目が合った。


「……どうしたんだ?この子たち」


「それがね……シリウスっていう子のお母さんを探してるそうなの。知らない?」


「いやあ、知らないな」


男がこちらにまた顔を向ける。


「もし、迷子なら一緒に探してあげよう。特徴とか分かるかい?」


まるで別人だな。


レイフたちはどうしたらいいのか分からないのか、視線だけを感じる。


口を開いた。


「……覚えてませんか?」


男と女は怪訝そうに顔を向けてくる。


構わず、続けた。


「俺は……あなたたちの息子です」


後ろから息をのむ音が聞こえる。


目の前の男と女は目を瞬かせた。


「息子……?私たちの子は、アイリスだけで……」


「そうだよ。僕、何か勘違いをしているんじゃ……」


男は喋りながら徐々に目線が下がっていく。


声も小さくなり、考えこむために黙ってしまう。


女はそれを訝しげに覗き込んだ。


「あなた?どうしたの?」


男はゆっくりと口を開いた。


「……もしかして、あの、研究所に売った……?」


「……え?」


男が顔をゆっくりと上げていく。


また目が合って、その唇が震え出した。


「……な、何で……」


女は口を押さえている。


瞳が揺れていた。


ああ、やっと思い出したか。


その二人の様子を見ても、怒りや悲しみなど浮かんでこない。


ただ、虚無だけが襲ってくる。


でも、レイフたちにはさっきの言葉、聞こえていたかなと場違いなことを考えてしまった。


「に、逃げ出してきたのか!それで、俺たちに復讐をしに来たんだな!」


男の怒鳴り散らす声が鼓膜を揺さぶる。


女は体を折り、ただ震えて謝り続けているだけだった。


訂正はしておいた方が良さそうだ。


「違います。ご存じないみたいですが、マルタ研究所は、1年半ほど前に摘発されています。俺は今、騎士団預かりです」


淡々と口にすると、全員が言葉を失う。


男が更に続けた。


「じゃあ……俺たちを捕まえに来たのか?……お前を売った俺たちを……」


女はその言葉に体をビクつかせ、膝をついて頭を下げた。


「ごめんなさい!本当にごめんなさい!私たちがしたことは許されないことだと分かっています!あなたの、子供の育て方を知らなかっただけなんです!時間が経って、ようやく悪いことをしてきたと本気で思ってます!だから、どうか……どうか!!お許しください!!娘がいるんです!!お願いします!!」


男も同じ態勢を取って、声を張り上げる。


「悪かった!若気の至りだったんだ!俺もまだ大人になりきれてなかった!でも今は違う、やっと親としての責任を感じ始めているんだ!頼む!娘と一緒に居させてくれ!」


風が髪を撫でる。


それと一緒に、心から何かが抜けたような気がした。


「……あんたら、何言ってんだ?」


その声はアウロニスだった。


ああ、本当にデリカシーのない男だ。


「あんたら、親の自覚がどうのこうの言ってるけど、目の前に居るシリウスもてめえらの子供だろうが!!」


「アウロニス」


「いい加減にしろよ!!ふざけんのも大概にしろ!!売った?子供の育て方を知らなかった?てめえらに子供を育てる資格なんかねえよ!!」


「アウロニス、落ち着け」


隣にまで来ていたアウロニスの肩に手を置いてやると、やっとこちらを見る。


その顔は、たくさんの感情が入り混じった、複雑な顔。


「……お前は何とも思わないのかよ」


その目をじっと見返した。


「……もう、終わったことだ」


顔を上げている男と女の方に顔を向ける。


頭は嫌になるくらい冴えていた。


「……捕まえに来たわけでもありません」


「じゃあ……何しに……」


男と女の眼前に書類を突き出す。


「バルタザール伯爵が俺の後見人になるために必要な書類で、親権者の同意が必要なので、サインをいただきにきました。それともう一つ、今後二度と関わらないという誓約書にもサインをください」


男と女は書類をじっと眺めた後、こちらを見上げる。


「……それだけか?」


「はい、それだけです」


「……捕まえに来たわけじゃないのね?」


「……はい」


あからさまに男と女がほっと胸を撫でおろしているのを見て、アウロニスの機嫌が悪くなる。


後ろからの二対の鋭い視線も、男と女を射抜いているが、全く気付いていないようで、男がサインを書き始めた。


アウロニスが口を開こうとしているので、口を手で覆ってやる。


「……っ」


「何も言うな」


耳元で言えば、観念したように力を緩める。


手を離してやった。


「書いたぞ……これでいいか?」


「はい、ありがとうございます」


書類を確認して、しまい込む。


女が幾分か調子を取り戻したように話しかけてくる。


「……シリウスっていう名前は、このバルタザール伯爵様から頂いたの?いい名前ね」


ニコリと笑った女に、目を細める。


何も、言うな。


「……はい」


男が口を開く。


「貴族か……俺たちよりも幸せな人生になりそうで良かったよ」


眉を下げて笑う男に、目を伏せる。


何も、思うな。


そして女が一番触れてほしくない言葉を口にする。


「……そういえば、もう1人いたと思うのだけど……今、その子は元気にしてる?」


息が詰まる。


唇が震える。


拳を握る。


もう、終わったことだ。


「……弟は、もう居ません」


それ以上は、何も続かない。


続けない。


空気が張り詰めるのを感じて、深呼吸をする。


「……一つお願いを聞いてくださいませんか」


思ったよりか細くなった声に、男が頷く。


「な、なんでも、俺にできることなら……!」


あの時に、届かなかった願いは、今はきちんと届くんだと感じたことに、自嘲した。


最後の願いは届いて欲しかったんだな。


「……娘さん、アイリスと話をさせていただけませんか」


「アイリスと……?」


予想外だったのだろう、女がぼそりと呟く。


「はい……少しだけ、いい、ですか」


言葉が詰まったのは、断られることへの恐怖か。


「……いいんじゃないか?俺たちも一緒に見てれば」


「そう……よね。分かったわ。アイリス!少し出てきてくれる?」


女が奥に声をかけたのを見て、ほっとする。


少しだけ。


本当に、少しだけ。


「どうしたの?お母さん」


高い声が顔を出す。


「この人が、あなたと話がしたいんですって」


アイリスがこちらを見た。


その瞳は黄色。


弟と一緒。


一歩近づいてしゃがみ込む。


「お兄ちゃん、お母さんとお父さんイジメてたの?」


その言葉に、眉が自然と上がる。


思わず笑う。


「違うよ、少し話してただけ」


「じゃあ、もうイジメない?」


「……約束するよ」


「じゃあ、良いよ!お話ってなーに?」


あどけない笑顔は、やはり弟によく似ていた。


持ってきて、良かった。


重量のある小箱を取り出して、少女に渡す。


「これ、あげる」


「何コレ?」


「お金だよ」


「え!?本当!?」


嬉しいのか早速開けて、中身を確認している。


その中には小箱いっぱいに敷き詰められた金貨。


「お母さん!!見て!!金ぴか!いっぱい!」


「え……それは……」


こちらに目線で、本当に良いのかと確認してくる。


「……はい、俺が稼いだお金なので、気にしないでください」


喜んでいるアイリスに、また向き直る。


「それは、アイリスにあげる」


「私に!?やった!」


「だから、アイリス以外が勝手に使えないように、おまじないを一緒にかけよう」


「おまじない!?」


更に顔が綻ぶ。


それに口元が緩む。


「うん、おまじない。魔力って分かる?」


「分かるよ!この間、ちょこっと教えてもらった!!」


「じゃあ、ここに指をおいて、魔力を流し込んでみて」


「こう?」


小箱の中央に指を置かせる。


暫くすると、予め描いておいた魔法陣が光り、主人を認識した。


「できたよ、これでアイリス以外は、もう開けられないから」


アイリスが小箱を眺めて、口を開く。


「自由に使ってもいいの?」


「いいよ」


アイリスはぱっと顔を上げる。


「じゃあ、お母さんとお父さんにあげてもいい?」


その質問に一瞬息をのんだが、アイリスの顔を見ていると、自然と笑みが零れた。


「……もちろん、アイリスのお金だから、自由に使っていいよ」


「ありがとう、お兄ちゃん!!」


笑顔が重なる。


良かった、渡せた。


これでもう、心残りはない。


立ち上がり、女と男に一礼した。


「じゃあ、俺はこれで」


「ええ、本当にありがとう」


「良かったな、アイリス」


「うん!ばいばい!お兄ちゃん」


3人が並んでいるのをしっかり目に焼き付けて、レイフたちの方に体を向ける。


目は見れなかった。


「……行こう」


空にかかっていた雲から、太陽が覗いていた。



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