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灼熱の時代:五胡十六国時代記⑲

429年。北方の草原を吹きすさぶ風は、まるで時代のうねりを告げるように冷たく鋭かった。

北魏ほくぎの皇帝・拓跋燾たくばつ とうは、その風のただ中にあった。

彼は鮮卑せんぴ族の血を引く若き覇者で、剛毅な眼差しと決断力で知られていた。

即位以来、彼の目には常に北方の強敵――柔然じゅうぜんの影が焼き付いていた。


柔然は草原に根ざす遊牧国家であり、機動力に優れた騎馬軍団を誇った。その矢の雨と突撃は、一度始まれば大河の氾濫のように止めがたい。北魏にとっては、国境を脅かす最も大きな外患であった。


「皇帝陛下、柔然は再び辺境を侵しております」

側近が告げる声は重苦しく響いた。


拓跋燾たくばつ とうは静かに頷き、広げられた戦図に目を落とした。

「もはや防衛では終わらぬ。彼らを討ち、草原に北魏の威を示すべき時だ」


その声には若さゆえの激情ではなく、冷徹な決意があった。


大軍が動き出した。甲冑のきらめき、馬蹄の轟きは、草原に雷鳴のように響き渡った。

柔然の戦士たちは矢を放ち、疾風のごとき突撃で応じた。

しかし、北魏の軍はすでに鍛え上げられていた。隊列は乱れず、兵士たちは一糸乱れぬ動きで敵を押し返した。


戦場の中央で、拓跋燾は自ら馬を駆り、旗を掲げた。

その姿は兵士たちの心を奮い立たせる。


「柔然を恐れるな! 我らのほこは天の意志である!」


叫び声がこだまし、魏軍の士気は炎のごとく燃え上がった。


激戦の末、柔然はついに大敗を喫した。

草原を駆けて散り散りに逃げる彼らの影は、北方を覆っていた脅威の一時的な終焉を告げていた。


勝利ののち、将軍たちは皇帝に拝謁した。

「陛下、この勝利により北魏の北境は安泰にございましょう」


だが、拓跋燾は静かに首を振った。

「いや、安泰などという言葉はない。草原は尽きぬ。今日退けても、明日にはまた新たな敵が興る。大事なのは、我らが決して退かぬ心だ」


その言葉には、草原の民を知り尽くした者の覚悟がにじんでいた。


北魏の兵士たちは凱旋し、都の民は歓声をあげた。しかし拓跋燾の胸中には、勝利の喜びと同じくらいの重さで、未来への警戒があった。

柔然を退けた今こそ、国を固め、さらに大きな脅威に備えなければならない――そう確信していたのである。


この429年の勝利は、確かに北魏の版図を守り、皇帝の威名を高めた。

だが、それはあくまでも「一時的な」平和にすぎなかった。

歴史の歯車は止まることなく回り続け、やがて北魏と柔然は再び刃を交えることになる。


それでも、この時の拓跋燾の決断と勇気は、北魏を一つにまとめ、さらなる時代への礎を築いたのだった。


――草原を駆け抜けた勝利の風は、やがて中華全土を揺るがす北魏の歩みを象徴する一陣の風となった。



長きにわたり群雄が割拠した五胡十六国ごこじゅうろっこくの世も、ついに終焉を迎えようとしていた。


西暦四三六年、北の強国である北魏ほくぎは、最後まで抗った北燕ほくえんを攻め滅ぼした。

北燕は鮮卑せんぴ族の一派・慕容氏ぼようしが建てた国で、華北かほくの東北にしぶとく根を張っていた。

だが、その兵力はもはや北魏の大軍には及ばなかった。


戦の報を受け、北魏の都・平城へいじょうでは群臣が集まっていた。

「ついに北燕は倒れました。鮮卑の余燼よじんも消えましょう」

声を張り上げたのは文武兼備で知られる大臣、崔浩さいこうである。彼は漢族の知識人でありながら、鮮卑の国家である北魏に仕えていた。


主君である太武帝(たいぶてい、拓跋燾〈たくばつとう〉)は、まだ壮年の猛将だった。

鮮卑拓跋部たくばつぶの血を引く彼は、強靭な肉体と鋭い眼光を持ち、しばしば戦場で自ら軍を指揮した。

「これで東の敵はなくなった。残るは西の北涼ほくりょうよ」


北涼は河西回廊(かせいかいろう、シルクロードの要衝)を支配し、交易で富を得ていた。

だが、国力は衰えており、魏の進撃を防ぐ術は乏しかった。


そして三年後、西暦四三九年。太武帝はついに西へと大軍を発した。

涼州りょうしゅうの地を制せば、天下は一つとなろう」

その言葉どおり、北魏の軍は雪崩のように河西へ進軍した。

北涼の君主・沮渠牧犍そきょぼくけんは抵抗を試みたが、兵は次々と降伏し、ついに降るしかなかった。


洛陽らくよう長安ちょうあんに避難していた学者や僧侶たちは、この報を聞いて深い感慨に沈んだ。

「百余年にわたり続いた乱世が、ここで閉じるのか……」


かつて三〇四年、匈奴きょうど劉淵りゅうえんが漢〈前趙〉を建ててから始まった五胡十六国時代。

匈奴・けつ・鮮卑・ていきょうの諸族が華北を奪い合い、漢民族の王朝・しんは南へ退いて東晋とうしんを立てた。その混乱は一世紀以上も続き、人々は安定を夢見ながら戦火に翻弄され続けた。


だが、この四三九年をもって、華北の地はついに北魏の旗の下に統一されたのである。


「これで五胡十六国の乱世は終わった」

崔浩は静かに言い、都の人々もまた深くうなずいた。


しかし、これが平穏の到来を意味するわけではなかった。

華北の統一と引き換えに、南にはなお東晋から発展したそうが健在であり、中国は北魏と南朝とに分かれて対峙することになる。


こうして、乱世の果てに新たな時代――南北朝なんぼくちょうが幕を開けたのである。


その夜、平城の宮殿で太武帝は静かに星空を仰いだ。

「我が北魏は天命を得た。だが、天命とは移ろうもの……」


歴史は流れ、再び血と策謀の渦が始まろうとしていた。


――五胡十六国の終焉は、同時に新たなる戦乱の序章でもあったのだ。




黄河こうがの流れは幾度となく国を呑み込み、また新たな王朝を育んだ。

五胡十六国ごこじゅうろっこくの時代は、その奔流のように乱世の嵐を吹き荒らした一世紀であった。


304年、匈奴きょうど劉淵りゅうえんが漢(前趙・ぜんちょう)を建てた時から、この動乱の幕は上がった。

華北かほくは漢民族と胡族(こぞく、異民族)とが入り乱れ、権力の座はめまぐるしく入れ替わった。都が落ちるたびに炎は空を焦がし、城壁は血に染まった。


「天下は一つにまとまらぬものか……」

東晋とうしんの名将、桓温かんおんは北伐に敗れ、洛陽らくようの廃墟に立ち尽くしてそう嘆いたと伝わる。

彼は蜀(しょく、四川)を平定し、晋の威信を掲げようとしたが、兵糧不足と戦線の長さにより夢は潰えた。


やがて関中(かんちゅう、中国西北部)には苻堅ふけんが現れた。

彼は氐族ていぞくの王でありながら、賢臣・王猛おうもうを登用して前秦ぜんしんの国を築き上げた。

苻堅は寛大にして聡明、胡族と漢人を分け隔てなく用い、広大な華北を統一へと導いた。


「民のために、戦は終わらせねばならぬ」

苻堅の声は深く、力強かった。だが彼の理想は、淝水ひすいの戦いで打ち砕かれる。

38万の大軍をもって東晋を攻めたが、数万の晋軍に大敗。大河のほとりで潰走する兵の叫びが、乱世の頂点とその崩壊を告げた。


この敗北の後、前秦の威信は音を立てて崩れ、慕容垂ぼようすい後燕ごえんを、姚萇ようちょう後秦ごしんを、さらに拓跋珪たくばつけい北魏ほくぎを建て、群雄は再び割拠した。


歴史家はこの時代を「五胡十六国」と総称する。だが実際には、国号を掲げてはすぐ滅びる小国は数えきれぬほどあった。

匈奴、けつ鮮卑せんぴていきょう――この「五胡」と呼ばれた異民族たちは、ただ侵略するだけではなく、漢文化を取り込み、新たな王朝を築いた。彼らの興亡は、のちの北魏や隋唐へと繋がる土壌となった。


「乱世に散った命は無駄ではないのか」

ある老人は黄河の岸でそう問いかけたという。だが歴史は答えぬ。戦火に焼かれた都の跡にも、やがて稲穂は揺れ、子らは再び笑う。


五胡十六国の終焉は、混沌の終わりではなく、次なる秩序への序章であった。

乱世に育まれた北魏がやがて中国北方を安定させ、南北朝の時代が訪れる。

激動の世紀は、民の血と涙を礎として、新しい中国の形を築いていったのである。


――こうして、五胡十六国の歴史は幕を閉じた。だがその乱世が残した記憶は、後世に「胡漢融合こかんゆうごう」という言葉となって生き続ける。

民族の対立は、やがて共存と統合の道を切り開く。

まさにそれこそが、この乱世が人々に残した最大の遺産であった。

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