表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
16/19

灼熱の時代:五胡十六国時代記⑯

南燕なんえんみやこ広固こうこ城壁じょうへきは、東晋とうしん大軍たいぐんに囲まれていた。

しろ包囲ほういする軍勢ぐんぜいは、まるでくろなみのように広がり、その威容いようは、城内じょうないこもものたちのこころむしばんでいった。

かつて後燕こうえん皇帝こうてい慕容垂ぼようすいの弟として、その勢力せいりょくささえた慕容徳ぼようとくは、あに死後しご青州せいしゅう南燕なんえん建国けんこくした。

彼は野心やしんいだき、独立どくりつこころみたものの、時勢じせい見極みきわめる戦略眼せんりゃくがんには限界げんかいがあった。

かれきずいたくには、強大きょうだい東晋とうしんなみあらがうにはあまりにも脆弱ぜいじゃくだったのだ。


城内じょうないでは、兵士へいしたちの疲弊ひへい色濃いろこく、食料しょくりょうきかけていた。

飢餓きが絶望ぜつぼうが、うごとにひと々のかおきざまれていく。

陛下へいか、もはやこれまでかと……城壁じょうへきはもたず、へい士気しきてました」

いた将軍しょうぐんが、ふるえるこえ慕容徳ぼようとくげた。慕容徳ぼようとくは、玉座ぎょくざすわりながらも、そのかおにはあきらめと、そしてなによりもふか悔恨かいこん交錯こうさくしていた。

「まさか、この慕容徳ぼようとくが、江南こうなんしんの手に落ちるとは……あにうえならば、この窮地きゅうちをどうしのがれたであろうか……」

彼の脳裏のうりには、あに慕容垂ぼようすい華北かほくきずいた栄光えいこう記憶きおく鮮明せんめいよみがえっていた。

しかし、いまやそのかがやきはとお過去かこまぼろしとなっていた。


東晋とうしん陣営じんえいでは、総帥そうすい劉裕りゅうゆうしずかに広固こうこしろ見据みすえていた。劉裕りゅうゆうは、東晋とうしん末期まっきあらわれた稀代きたい英雄えいゆうである。

武勇ぶゆう政治手腕せいじしゅわんそなえ、冷徹れいてつ決断力けつだんりょく天下てんか統一とういつする並外なみはずれた野心やしんっていた。かれには、南燕なんえん滅亡めつぼうは、ただつぎなる目標もくひょうへの通過点つうかてんぎなかった。

しろもなくちよう。慕容徳ぼようとくも、もはやあらがすべはなかろう」

劉裕りゅうゆうこえには、一切いっさい感情かんじょうこもっていなかった。かれは、みずからの目標もくひょう達成たっせいのためには、いかなる犠牲ぎせいいとわない、徹底てっていした行動こうどうをとる人物じんぶつであった。


そして、410年、広固こうこ陥落かんらくし、南燕なんえん東晋とうしんによってほろぼされた。

慕容徳ぼようとくらえられ、その野心やしんはここについえた。華北かほくに、また一つ、異民族いみんぞくきずいた王朝おうちょうった瞬間しゅんかんだった。


南燕なんえんほろぼした劉裕りゅうゆういきおいは、まることをらなかった。

かれつぎなる目標もくひょうは、とお巴蜀はしょく、すなわち現在げんざい四川省しせんしょう存在そんざいする西蜀政権せいしょくせいけんであった。

西蜀せいしょくは、かつて前秦ぜんしん将軍しょうぐんであった譙縦しょうしょうが、淝水ひすいたたかいでの前秦ぜんしん敗北はいぼくじょうじて自立じりつし、樹立じゅりつした政権せいけんである。

このは、峻厳しゅんげんな山々(やまやま)にかこまれ、まさに「しょくみちけわし」とうたわれる難攻不落なんこうふらく要害ようがいであった。譙縦しょうしょうは、この地形ちけいして、東晋とうしんからの独立どくりつたもっていた。


巴蜀はしょくは、天下てんか要衝ようしょう。ここをせいせずして、まこと統一とういつはありえぬ」

劉裕りゅうゆうは、幕僚ばくりょうたちにかたった。

そのまなこには、つぎなるいくさへの冷徹れいてつ決意けつい宿やどっていた。かれみずからの目標もくひょう達成たっせいのためには、いかなる犠牲ぎせいいとわない人物じんぶつであった。

かれ辞書じしょに「不可能ふかのう」という文字もじはなかった。


413年、劉裕りゅうゆうは、精鋭せいえいひきいて西蜀せいしょくへの遠征えんせい開始かいしした。

けわしい山々(やまやま)とふかたにはばまれながらも、東晋とうしんぐん着実ちゃくじつ進軍しんぐんした。

みちなきみちひらき、難所なんしょえ、その進撃しんげきはまさにあらしのようであった。

譙縦しょうしょうは、みずからのきずいた政権せいけんまもるべく、必死ひっし抵抗ていこうこころみた。

山岳さんがく地形ちけいかした防衛線ぼうえいせんり、東晋軍とうしんぐん進撃しんげきくいめようとした。

しかし、劉裕りゅうゆう指揮しきする東晋軍とうしんぐん猛攻もうこうまえには、その抵抗ていこうむなしく、次々(つぎつぎ)と要衝ようしょうとされていった。


西蜀せいしょくみやこ成都せいと包囲ほういされたとき譙縦しょうしょうは、もはやこれまでとさとった。

城内じょうない混乱こんらんきわめ、へいたちは戦意せんい喪失そうしつしていた。

「まさか、この短期間たんきかんで、この成都せいとまでめられるとは……」

かれは、みずからの無力むりょくなげいた。劉裕りゅうゆう軍事力ぐんじりょくと、その目標もくひょう達成たっせいへの執念しゅうねんは、かれ想像そうぞうはるかにえていたのである。


そして、413年、西蜀せいしょく政権せいけん滅亡めつぼうし、譙縦しょうしょう自害じがいした。

巴蜀はしょくは、ふたた東晋とうしん支配下しはいかかれることとなった。

劉裕りゅうゆうは、着実ちゃくじつにその勢力せいりょく拡大かくだいし、天下てんか覇権はけんにぎるべく、そのあゆみを加速かそくさせていった。五胡十六国時代ごこじゅうろっこくじだい混乱こんらんなかで、かれ存在そんざいは、まさに一筋ひとすじひかりであり、同時どうじつぎなる時代じだい幕開まくあけをげるあらしでもあった。



西暦四百十三年の夏、華北かほく荒野こうやに、新たな帝都ていと鼓動こどうが響き渡ろうとしていた。

匈奴鉄弗部きょうどてつふつぶの血を引く男、赫連勃勃かくれんぼつぼつが、自らの王朝「」のみやことなる統万城とうまんじょうの建設に着手ちゃくしゅしたのである。彼は、その苛烈かれつ気性きしょうと、一度決めたら決して揺るがぬ意志いしで、乱世らんせいを駆け上がってきた稀代きたい英雄えいゆうであった。


統万城とうまんじょうの建設は、まさに赫連勃勃かくれんぼつぼつその人の残忍ざんにんな性格をうつし出すかのようであった。

城壁じょうへきを築くいしは、少しでもかたむいていれば、容赦ようしゃなく打ちこわされた。そして、その責任せきにん担当者たんとうしゃは、容赦なくころされたと伝えられている。


ある日、建設現場けんせつげんば視察しさつおとずれた赫連勃勃かくれんぼつぼつは、わずかにかたむいたいしを見つけるやいなや、その激怒げきどした。


「これを見よ! このゆがみはなんだ! わが統万城とうまんじょうは、千代ちよわた不朽ふきゅうみやことなるのだぞ。このような欠陥けっかんゆるすわけにはいかぬ!」


彼の声は、かわいたかぜって、広大こうだい建設現場けんせつげんばに響きわたった。監督かんとくつとめていた将軍しょうぐん一人ひとりが、ふるえる声で進み出た。


陛下へいか、申しもうしわけございません。すぐに修復しゅうふくさせます。」


赫連勃勃かくれんぼつぼつは、つめたい眼差まなざしで将軍しょうぐん見据みすえた。 「修復しゅうふくだと? 貴様きさまいのちつぐなうのだ。この統万城とうまんじょうは、あせと、そしてきびしい規律きりつの上にきずかれるのだ。だれであろうと、わがそむものゆるさぬ。」


その言葉ことば直後ちょくご将軍しょうぐん兵士へいしによって引き立てられ、その処刑しょけいされた。においが、砂塵さじんそらじり、周囲しゅういものたちは恐怖きょうふふるえながら、黙々(もくもく)と作業さぎょうつづけた。


このような苛烈かれつ手法しゅほうによって、統万城とうまんじょう城壁じょうへきは、おどろくべきはやさで、そしてなによりも堅固けんごきずき上げられていった。「堅固けんご」とは、非常ひじょう丈夫じょうぶこわれにくいことを意味いみする。完成かんせいした城壁じょうへきは、まさに難攻不落なんこうふらく要塞ようさいぶに相応ふさわしいものであった。そのしろかがやかべは、とおくかられば、まるで砂漠さばくあらわれたまぼろしみやこのようでもあった。


この年、赫連勃勃かくれんぼつぼつは、自らの治世ちせいの新たな節目ふしめとして、元号げんごうを「鳳翔ほうしょう」と改元かいげんした。

元号げんごう」とは、中国ちゅうごく日本にほんなどで使つかわれていた、としあらわ名称めいしょうのことである。

改元かいげん」とは、その年号ねんごうあたらしいものにえることだ。

おおとりそらかけるがごとく、くに飛躍ひやくすることをねがう、赫連勃勃かくれんぼつぼつつよ意志いしめられていた。

統万城とうまんじょう完成かんせいと、あたらしい元号げんごう鳳翔ほうしょう」は、彼の野望やぼう現実げんじつのものとなりつつあることを、天下てんからしめる象徴しょうちょうとなったのである。



西暦四百十六年しひゃくじゅうろくねん中原ちゅうげんは、相も変わらず混沌こんとん渦中かちゅうにあった。

五胡十六国ごこじゅうろくこくの時代、覇権はけんを巡る争いは激しさを増し、日ごとに勢力図せいりょくずは塗り替えられていく。

この乱世らんせいにあって、二つの巨大な野望が、それぞれの地で静かに、しかし確かな胎動たいどうを始めていた。


江南こうなんの地、東晋とうしんでは、稀代きだい英雄えいゆう劉裕りゅうゆうがその才幹さいかん遺憾いかんなく発揮していた。

彼は武勇ぶゆう政治手腕せいじしゅわんを兼ね備え、冷徹れいてつ決断力けつだんりょく天下統一てんかとういつへの並外れた野心やしんを胸にめていた。

この年、劉裕りゅうゆうはついに、北方の強国きょうこくである後秦こうしんに対する大攻勢だいこうせいを開始した。大攻勢とは、大規模な軍事行動ぐんじこうどうを指す。


「今こそ、しん栄光えいこうを取り戻す時ぞ!」


彼の号令ごうれい一下いちか東晋とうしん大軍たいぐん長江ちょうこうを渡り、後秦こうしん領土りょうどへと雪崩なだれ込んだ。

劉裕りゅうゆうの軍は破竹はちくの勢い(いきおい)で進撃しんげきし、瞬くまたたくま後秦こうしん根幹こんかんを揺るがした。後秦こうしんは、かつての栄光えいこうも今は見る影もなく、劉裕りゅうゆう猛攻もうこうの前に滅亡寸前めつぼうすんぜんの状態におちいっていた。滅亡寸前とは、まさに滅びる直前ちょくぜんのことである。

劉裕りゅうゆうは、この機を逃さず、東晋とうしん版図はんと、すなわち支配しはいする領土りょうどを大きく広げようとしていた。


その頃、北方の砂漠さばく地帯ちたいでは、匈奴きょうど鉄弗部てつふつぶ赫連勃勃かくれんぼつぼつが、その残虐ざんぎゃく性格せいかくとは裏腹うらはらに、たぐいまれなさい発揮はっきしていた。彼は捕虜ほりょ虐殺ぎゃくさつし、築城ちくじょうの際には少しでもかたむいたいしがあれば担当者たんとうしゃころすなど、きわめて厳酷げんこく統治とうちで知られていたが、その強烈きょうれつなリーダーシップと軍事力ぐんじりょくうたがいようがなかった。赫連勃勃かくれんぼつぼつは、自らの絶対的ぜったいてき自信じしん支配欲しはいよくを満たすため、常に機会きかいうかがっていた。


劉裕りゅうゆうめ、後秦こうしんらいついたか。おろかな。そのすきこそ、我がかてとなる!」


赫連勃勃かくれんぼつぼつは、東晋とうしん劉裕りゅうゆう後秦こうしん大攻勢だいこうせいを開始したというほうを聞きつけるやいなや、すぐさま行動こうどうを起こした。

彼は、滅亡寸前めつぼうすんぜん後秦こうしん西方せいほうねらい定めた。

西方せいほうとは、後秦こうしん西側にしがわ位置いちする領土りょうどのことである。劉裕りゅうゆう後秦こうしん東方とうほう戦力せんりょく集中しゅうちゅうさせる中、赫連勃勃かくれんぼつぼつ手薄てうすになった西側にしがわから侵攻しんこうし、次々と要地ようちうばっていった。


彼のねらいは明確めいかくだった。後秦こうしん混乱こんらんじょうじて勢力せいりょく拡大かくだいし、いずれ来るであろう東晋とうしんとの対決たいけつそなえるためである。対決たいけつそなえるとは、たたかいにけて準備じゅんびととのえることだ。


東晋とうしん劉裕りゅうゆう中原ちゅうげん覇者はしゃを目指して突き進むそのかげで、赫連勃勃かくれんぼつぼつは虎視眈々(こしたんたん)と自らのきばませていた。

二つの巨大な野望が、まるで磁石じしゃくのように引きひきあい、やがて来るであろう激突げきとつ予兆よちょうを、この四百十六年しひゃくじゅうろくねんかぜはこんでいた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ