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南燕の都、広固の城壁は、東晋の大軍に囲まれていた。
城を包囲する軍勢は、まるで黒い波のように広がり、その威容は、城内に籠る者たちの心を蝕んでいった。
かつて後燕の皇帝慕容垂の弟として、その勢力を支えた慕容徳は、兄の死後、青州の地に南燕を建国した。
彼は野心を抱き、独立を試みたものの、時勢を見極める戦略眼には限界があった。
彼の築いた国は、強大な東晋の波に抗うにはあまりにも脆弱だったのだ。
城内では、兵士たちの疲弊が色濃く、食料も尽きかけていた。
飢餓と絶望が、日を追うごとに人々の顔に刻まれていく。
「陛下、もはやこれまでかと……城壁はもたず、兵の士気も尽き果てました」
老いた将軍が、震える声で慕容徳に告げた。慕容徳は、玉座に座りながらも、その顔には諦めと、そして何よりも深い悔恨が交錯していた。
「まさか、この慕容徳が、江南の晋の手に落ちるとは……兄上ならば、この窮地をどう凌がれたであろうか……」
彼の脳裏には、兄慕容垂が華北に築いた栄光の記憶が鮮明に蘇っていた。
しかし、今やその輝きは遠い過去の幻となっていた。
東晋の陣営では、総帥の劉裕が静かに広固の城を見据えていた。劉裕は、東晋末期に現れた稀代の英雄である。
武勇と政治手腕を兼ね備え、冷徹な決断力と天下を統一する並外れた野心を持っていた。彼の目には、南燕の滅亡は、ただ次なる目標への通過点に過ぎなかった。
「城は間もなく落ちよう。慕容徳も、もはや抗う術はなかろう」
劉裕の声には、一切の感情が籠っていなかった。彼は、自らの目標達成のためには、いかなる犠牲も厭わない、徹底した行動をとる人物であった。
そして、410年、広固は陥落し、南燕は東晋によって滅ぼされた。
慕容徳は捕らえられ、その野心はここに潰えた。華北の地に、また一つ、異民族が築いた王朝が消え去った瞬間だった。
南燕を滅ぼした劉裕の勢いは、止まることを知らなかった。
彼の次なる目標は、遠く巴蜀の地、すなわち現在の四川省に存在する西蜀政権であった。
西蜀は、かつて前秦の将軍であった譙縦が、淝水の戦いでの前秦の敗北に乗じて自立し、樹立した政権である。
この地は、峻厳な山々(やまやま)に囲まれ、まさに「蜀の道は険し」と謳われる難攻不落の要害であった。譙縦は、この地形を利して、東晋からの独立を保っていた。
「巴蜀の地は、天下の要衝。ここを制せずして、真の統一はありえぬ」
劉裕は、幕僚たちに語った。
その眼には、次なる戦への冷徹な決意が宿っていた。彼は自らの目標達成のためには、いかなる犠牲も厭わない人物であった。
彼の辞書に「不可能」という文字はなかった。
413年、劉裕は、精鋭を率いて西蜀への遠征を開始した。
険しい山々(やまやま)と深い谷に阻まれながらも、東晋軍は着実に進軍した。
道なき道を拓き、難所を越え、その進撃はまさに嵐のようであった。
譙縦は、自らの築いた政権を守るべく、必死に抵抗を試みた。
山岳の地形を活かした防衛線を張り、東晋軍の進撃を食止めようとした。
しかし、劉裕の指揮する東晋軍の猛攻の前には、その抵抗も虚しく、次々(つぎつぎ)と要衝が落とされていった。
西蜀の都、成都が包囲された時、譙縦は、もはやこれまでと悟った。
城内は混乱を極め、兵たちは戦意を喪失していた。
「まさか、この短期間で、この成都まで追い詰められるとは……」
彼は、自らの無力を嘆いた。劉裕の軍事力と、その目標達成への執念は、彼の想像を遥かに超えていたのである。
そして、413年、西蜀政権は滅亡し、譙縦は自害した。
巴蜀の地は、再び東晋の支配下に置かれることとなった。
劉裕は、着実にその勢力を拡大し、天下の覇権を握るべく、その歩みを加速させていった。五胡十六国時代の混乱の中で、彼の存在は、まさに一筋の光であり、同時に次なる時代の幕開けを告げる嵐でもあった。
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西暦四百十三年の夏、華北の荒野に、新たな帝都の鼓動が響き渡ろうとしていた。
匈奴鉄弗部の血を引く男、赫連勃勃が、自らの王朝「夏」の都となる統万城の建設に着手したのである。彼は、その苛烈な気性と、一度決めたら決して揺るがぬ意志で、乱世を駆け上がってきた稀代の英雄であった。
統万城の建設は、まさに赫連勃勃その人の残忍な性格を映し出すかのようであった。
城壁を築く石は、少しでも傾いていれば、容赦なく打ち壊された。そして、その責任を負う担当者は、容赦なく斬り殺されたと伝えられている。
ある日、建設現場の視察に訪れた赫連勃勃は、わずかに傾いた石を見つけるや否や、その場で激怒した。
「これを見よ! この歪みはなんだ! わが統万城は、千代に渡り不朽の都となるのだぞ。このような欠陥を許すわけにはいかぬ!」
彼の声は、乾いた風に乗って、広大な建設現場に響き渡った。監督を務めていた将軍の一人が、震える声で進み出た。
「陛下、申し訳ございません。すぐに修復させます。」
赫連勃勃は、冷たい眼差しで将軍を見据えた。 「修復だと? 貴様の命で償うのだ。この統万城は、血と汗と、そして厳しい規律の上に築かれるのだ。誰であろうと、わが意に背く者は許さぬ。」
その言葉の直後、将軍は兵士によって引き立てられ、その場で処刑された。血の匂いが、砂塵の舞う空に混じり、周囲の者たちは恐怖に震えながら、黙々(もくもく)と作業を続けた。
このような苛烈な手法によって、統万城の城壁は、驚くべき速さで、そして何よりも堅固に築き上げられていった。「堅固」とは、非常に丈夫で壊れにくいことを意味する。完成した城壁は、まさに難攻不落の要塞と呼ぶに相応しいものであった。その白く輝く壁は、遠くから見れば、まるで砂漠に現れた幻の都のようでもあった。
この年、赫連勃勃は、自らの治世の新たな節目として、元号を「鳳翔」と改元した。
「元号」とは、中国や日本などで使われていた、年を表す名称のことである。
「改元」とは、その年号を新しいものに変えることだ。
鳳が空を翔るがごとく、夏の国が飛躍することを願う、赫連勃勃の強い意志が込められていた。
統万城の完成と、新しい元号「鳳翔」は、彼の野望が現実のものとなりつつあることを、天下に知らしめる象徴となったのである。
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西暦四百十六年。中原は、相も変わらず混沌の渦中にあった。
五胡十六国の時代、覇権を巡る争いは激しさを増し、日ごとに勢力図は塗り替えられていく。
この乱世にあって、二つの巨大な野望が、それぞれの地で静かに、しかし確かな胎動を始めていた。
江南の地、東晋では、稀代の英雄、劉裕がその才幹を遺憾なく発揮していた。
彼は武勇と政治手腕を兼ね備え、冷徹な決断力と天下統一への並外れた野心を胸に秘めていた。
この年、劉裕はついに、北方の強国である後秦に対する大攻勢を開始した。大攻勢とは、大規模な軍事行動を指す。
「今こそ、晋の栄光を取り戻す時ぞ!」
彼の号令一下、東晋の大軍は長江を渡り、後秦の領土へと雪崩込んだ。
劉裕の軍は破竹の勢い(いきおい)で進撃し、瞬く間に後秦の根幹を揺るがした。後秦は、かつての栄光も今は見る影もなく、劉裕の猛攻の前に滅亡寸前の状態に陥っていた。滅亡寸前とは、まさに滅びる直前のことである。
劉裕は、この機を逃さず、東晋の版図、すなわち支配する領土を大きく広げようとしていた。
その頃、北方の砂漠地帯では、匈奴鉄弗部の赫連勃勃が、その残虐な性格とは裏腹に、類まれな才を発揮していた。彼は捕虜を虐殺し、築城の際には少しでも傾いた石があれば担当者を殺すなど、極めて厳酷な統治で知られていたが、その強烈なリーダーシップと軍事力は疑いようがなかった。赫連勃勃は、自らの絶対的な自信と支配欲を満たすため、常に機会を窺っていた。
「劉裕め、後秦に食らいついたか。愚かな。その隙こそ、我が夏の糧となる!」
赫連勃勃は、東晋の劉裕が後秦に大攻勢を開始したという報を聞きつけるや否や、すぐさま行動を起こした。
彼は、滅亡寸前の後秦の西方の地を狙い定めた。
西方の地とは、後秦の西側に位置する領土のことである。劉裕が後秦の東方に戦力を集中させる中、赫連勃勃は手薄になった西側から侵攻し、次々と要地を奪い取っていった。
彼の狙いは明確だった。後秦の混乱に乗じて勢力を拡大し、いずれ来るであろう東晋との対決に備えるためである。対決に備えるとは、戦いに向けて準備を整えることだ。
東晋の劉裕が中原の覇者を目指して突き進むその陰で、赫連勃勃は虎視眈々(こしたんたん)と自らの牙を研ぎ澄ませていた。
二つの巨大な野望が、まるで磁石のように引き合い、やがて来るであろう激突の予兆を、この四百十六年の風が運んでいた。