灼熱の時代:五胡十六国時代記⑫
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西暦三八四年。淝水の戦いの大敗は、前秦の皇帝、苻堅が築き上げた広大な統一帝国を、一夜にして砂上の楼閣へと変えた。かつては天下に冠たる威容を誇った前秦の求心力は地に落ち、その支配下にあった各地の民族や将軍たちは、長きにわたる抑圧からの解放を求め、一斉に独立の狼煙を上げたのである。
北方の地では、鮮卑族の英傑、慕容垂が「後燕」を建国した。彼はかつて前燕の皇族でありながら、権力闘争に敗れて苻堅のもとに亡命した過去を持つ。淝水の戦いでは、苻堅の無謀な南下には反対しつつも、忠実に彼を護衛し、九死に一生を得た。しかし、その胸中には、故郷の再興と自らの野望が燃え盛っていた。 「もはや、苻堅陛下の天下は終わった。今こそ、我ら慕容氏が再び立ち上がる時だ」 慕容垂は、その冷静沈着な瞳の奥に、類稀なる軍事の才と危機察知能力を光らせていた。彼の言葉には、長年の雌伏を破る決意が宿っていた。
一方、長安近郊では、慕容垂の甥にあたる慕容沖が「西燕」を名乗って決起した。彼はかつて苻堅の寵愛を受けた美貌の少年であったが、その心には一族の滅亡に対する深い復讐心が渦巻いていた。 「苻堅め……我ら一族の恨み、この長安で晴らしてくれる!」 彼の声は、若さゆえの激情と、積み重なった怨嗟に満ちていた。慕容沖は、その美しさとは裏腹に、極めて苛烈な運命を辿る人物となるだろう。
関中、現在の陝西省中部にあたる地域では、羌族の姚萇が「後秦」を建国した。彼もまた、かつては苻堅に仕える将軍の一人であった。しかし、淝水の戦いの混乱に乗じ、その野心に火が付いた。 「天は我に味方した。この機を逃す手はない」 姚萇の言葉には、野心深く、機に乗じて行動する冷徹な現実主義者の面が強く表れていた。主君を裏切ってでも目的を達成しようとする非情さこそが、乱世を生き抜く彼の術だった。
さらに西方、現在の甘粛省南部では、鮮卑族の乞伏国仁が「西秦」を建国した。彼は自らの部族の利益を追求する実直な指導者であり、大国の狭間で一族の存続と発展に尽力しようとしていた。 「我らは我らの地で、我らの国を築く。誰にも邪魔はさせぬ」 その言葉は、独立心が強く、自らの部族を守り抜こうとする彼の決意の表れであった。
かつて華北を統一し、天下に覇を唱えようとした前秦は、まるで巨大な氷塊が熱によって溶けるように、次々と分裂していった。かつての忠臣たちは、今や新たな国家の旗を掲げ、互いに牽制し、あるいは争い合う群雄へと変貌していたのである。
そして西暦三八五年。前秦の混乱はさらに深まった。 大敗を喫し、わずかな供を連れて北へ逃れた苻堅は、かつての理想に燃える面影は失せ、疲弊しきっていた。彼は、信頼していたはずの姚萇によって捕らえられるという、無残な運命を辿る。 「姚萇よ、なぜだ……」 苻堅は、かつて寛大で理想主義的であった自身の統治が、このような結末を迎えるとは夢にも思わなかっただろう。彼の言葉には、裏切りへの驚きと、深い絶望が滲んでいた。
姚萇は、冷徹な表情で苻堅を見据えた。 「もはや、あなたの時代は終わったのです、陛下。この乱世に、感傷は不要」 そして、その手によって、苻堅は非業の死を遂げた。かつて中国統一の夢を抱き、賢臣王猛と共に国を栄えさせた英主は、自らの過信と時代の波に飲まれ、志半ばで命を落としたのである。
苻堅の死は、前秦の瓦解を決定的なものとした。残された前秦の勢力は、もはや求心力を失い、各地で細々と命脈を保つのみとなった。華北は再び、混沌とした分裂の時代へと逆戻りしたのである。
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西暦三八六年、華北は、まさに血と砂塵にまみれた混沌の渦中にあった。かつて氐族の苻堅が築き上げ、一時的に中国の統一を夢見た前秦の栄華は、かの「淝水の戦い」での大敗によって脆くも崩れ去っていた。その残骸からは、後燕を建国した慕容垂や、後秦を興した姚萇など、新たな野心家たちが次々と独立を宣言し、「群雄割拠」と呼ばれる時代は、再びその苛烈な牙を剥き出しにしていたのである。
そんな荒れ狂う嵐の中、北の辺境に、一人の若き指導者がいた。彼の名は拓跋珪。北方の遊牧民である鮮卑族の拓跋部の血を引く彼は、まだ若年でありながら、その瞳には、乱世を切り開き、新たな秩序を築く者だけが持つ、鋭い光が宿っていた。彼は類まれな勇敢さと果断な決断力を兼ね備えた軍事指導者であり、その才はすでに部族の誰もが認めるところであった。
しかし、拓跋珪には、もう一つ、胸に秘めた悲願があった。それは、かつて祖父である拓跋什翼犍が築き上げ、一時的に栄えながらも、戦乱の中でその形を失っていた「代」という名の国を、この手で再興することであった。彼の心には、失われた祖国への強い郷愁と、それを再び輝かせたいという熱い思いが燃え盛っていた。
ある日のこと、拓跋珪は、部族の中心地である盛楽に、重臣たちを集めた。緊張した面持ちで彼を見守る臣下たちの前で、拓跋珪は静かに、しかし、その言葉の一つ一つに力を込めて語りかけた。
「我々(われわれ)の部族は、長きにわたり苦難を耐え忍んできた。故郷を追われ、流浪の民として、いつ果てるとも知れぬ戦乱の中を生き抜いてきたのだ。しかし、今こそ、その苦難に終止符を打つ時が来たのだ!」
彼の言葉は、集まった者たちの心に深く響いた。彼らの顔には、希望と決意の光が灯り、ざわめきが起こった。
「かつての『代』は、もはや過去の遺物ではない。我々(われわれ)は、それを単に再興するのではない。新たな時代を築き、この北の地に、揺るぎない礎を築くため、今、立ち上がるのだ!」
重臣の一人が、感極まった声で叫んだ。 「殿のお言葉のままに!我々(われわれ)は、殿と共に、どこまでも!」
その声に呼応するように、集まった者たちの間から、賛同と忠誠を示す(しめす)歓声が響き渡った。その歓声の中、拓跋珪は、まっすぐに天を仰いだ。そして、その力強い声が、盛楽の空に高らかに響き渡った。
「今日より、この国を『北魏』と改称する!我々(われわれ)の新たな歴史は、今、ここから始まるのだ!」
その宣言は、北の空に、新たな時代の幕開けを告げる雷鳴のように響き渡った。
北魏の建国は、単なる一族の再興ではなかった。それは、後の中国史において、「南北朝時代」と呼ばれる激動の時代の、北朝の礎となる、歴史的な一歩であった。拓跋珪は、この日、自らの手で、混沌の中から秩序を生み出し、北方の地に、確固たる基盤を築き始めたのである。彼の治世の後半には、猜疑心が強まり、残虐な行為も目立つようになるが、この建国がなければ、その後の華北統一という偉業も、北魏の繁栄もなかったであろう。荒れ果てた大地に、再び希望の光が差し始めた瞬間であった。
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387年、華北 (かほく) の大地 (だいち) は、まるで嵐 (あらし) の後 (あと) のように荒 (あ) れ果 (は) てていた。
かつて広大 (こうだい) な帝国 (ていこく) を築 (きず) き上 (あ) げた前秦 (ぜんしん) は、淝水 (ひすい) の戦い (ひすいのたたかい) の大敗 (たいはい) から立ち直 (なお) れずにいたのだ。
皇帝 (こうてい) 苻堅 (ふけん) は、民族 (みんぞく) の垣根 (かきね) を越 (こ) えて賢才 (けんさい) を登用 (とうよう) し、天下 (てんか) の統一 (とういつ) を夢見 (ゆめみ) た理想主義者 (りそうしゅぎしゃ) であったが、その夢は長江 (ちょうこう) のほとりで儚 (はかな) くも潰 (つい) え去 (さ) った。
「なぜだ…なぜ、この私が…」 長安 (ちょうあん) の宮殿 (きゅうでん) に響 (ひび) く、力 (ちから) のない声 (こえ)。かつては天下 (てんか) を睥睨 (へいげい) したその瞳 (ひとみ) には、今は深 (ふか) い絶望 (ぜつぼう) の色 (いろ) が宿 (やど) っていた。
各地 (かくち) では、前秦 (ぜんしん) の支配 (しはい) から逃 (のが) れようとする反乱 (はんらん) が頻発 (ひんぱつ) し、帝国 (ていこく) はまるで砂 (すな) の城 (しろ) のように急速 (きゅうそく) に瓦解 (がかい) していく。
瓦解 (がかい) とは、まるで崩 (くず) れ落ちるかのように、組織 (そしき) や体制 (たいせい) が急速 (きゅうそく) に崩壊 (ほうかい) することだ。苻堅 (ふけん) が築 (きず) き上 (あ) げた壮大 (そうだい) な統一 (とういつ) の夢 (ゆめ) は、今 (いま) や見る影 (かげ) もなく散 (ち) り散 (ぢ) りになろうとしていた。
一方 (いっぽう)、長江 (ちょうこう) の南 (みなみ)、江南 (こうなん) と呼 (よ) ばれる豊 (ゆた) かな地域 (ちいき) に位置 (いち) する東晋 (とうしん) は、奇跡的 (きせきてき) な勝利 (しょうり) に沸 (わ) き立 (た) っていた。
江南 (こうなん) とは、長江 (ちょうこう) の南側 (みなみがわ) の地域 (ちいき) を指す。彼 (かれ) らはこの勝利 (しょうり) により、長 (なが) らく安定 (あんてい) を保 (たも) ち、一時的 (いちじてき) には長江 (ちょうこう) 以北 (いほく) の一部 (いちぶ) を回復 (かいふく) するに至 (いた) った。
しかし、その喜 (よろこ) びの裏 (うら) には、深 (ふか) い慎重 (しんちょう) さがあった。 「華北 (かほく) の混乱 (こんらん) に、我々 (われわれ) が本格的 (ほんかくてき) に介入 (かいにゅう) する力 (ちから) はない…」
朝廷 (ちょうてい) の重臣 (じゅうしん) たちは、慎重 (しんちょう) に言葉 (ことば) を選 (えら) んだ。
華北 (かほく) とは、中国 (ちゅうごく) の北部 (ほくぶ) を指す広大 (こうだい) な地域 (ちいき) だ。
前秦 (ぜんしん) の瓦解 (がかい) は、新 (あら) たな群雄 (ぐんゆう) の台頭 (たいとう) を意味 (いみ) する。
彼 (かれ) らは、江南 (こうなん) の守 (まも) りを固 (かた) めることこそが、今 (いま) なすべきことだと考 (かんが) えていた。
その頃 (ころ)、華北 (かほく) の北東部 (ほくとうぶ) では、一 (ひと) 人 (り) の男 (おとこ) が着実 (ちゃくじつ) にその勢力 (せいりょく) を拡大 (かくだい) していた。その男 (おとこ) こそ、かつて前燕 (ぜんえん) の名将 (めいしょう) であり、苻堅 (ふけん) のもとでその才覚 (さいかく) を隠 (かく) していた慕容垂 (ぼよう すい) であった。
慕容垂 (ぼよう すい) は、類稀 (たぐいまれ) なる軍事 (ぐんじ) の才 (さい) と危機察知能力 (ききさっちのうりょく) に長 (た) けた策略家 (さくりゃくか) だ。彼は淝水 (ひすい) の戦い (たたかい) の混乱 (こんらん) に乗 (じょう) じ、前秦 (ぜんしん) から自立 (じりつ) し、後燕 (こうえん) を建国 (けんこく) した。
「今 (いま) こそ、我 (われ) ら慕容 (ぼよう) の家 (いえ) の再興 (さいこう) を果 (は) たす時 (とき)!」 慕容垂 (ぼよう すい) の言葉 (ことば) には、確固 (かっこ) たる決意 (けつい) が宿 (やど) っていた。
彼 (かれ) の指揮 (しき) のもと、後燕 (こうえん) の軍勢 (ぐんぜい) は、まるで嵐 (あらし) のように旧前秦 (きゅうぜんしん) の領土 (りょうど) を席巻 (せっけん) し、その勢力 (せいりょく) を着実 (ちゃくじつ) に広 (ひろ) げていった。
彼 (かれ) の目 (め) には、華北 (かほく) の新 (あら) たな覇者 (はしゃ) となる未来 (みらい) が見 (み) えていた。
そして、長安 (ちょうあん) を占拠 (せんきょ) していたもう一人 (ひとり) の慕容 (ぼよう) の血 (ち) を引 (ひ) く者 (もの) がいた。美貌 (びぼう) の持 (も) ち主 (ぬし) としても知 (し) られる慕容沖 (ぼよう しょう) である。
慕容沖 (ぼよう しょう) は、美貌 (びぼう) と野心 (やしん) を併 (あわ) せ持 (も) ち、極 (きわ) めて苛烈 (かれつ) な運命 (うんめい) を辿 (たど) った人物 (じんぶつ) だ。
彼は西燕 (せいえん) を率 (ひき) い、その勢力 (せいりょく) を保 (たも) っていた。
しかし、長安 (ちょうあん) の宮殿 (きゅうでん) の奥 (おく) では、不穏 (ふおん) な影 (かげ) が蠢 (うごめ) いていた。
「このままでは、我 (われ) らの天下 (てんか) は遠 (とお) のくばかり…」
西燕 (せいえん) の内部 (ないぶ) では、権力 (けんりょく) を巡 (めぐ) る内部対立 (ないぶたいりつ) が表面化 (ひょうめんか) し始 (はじ) めていた。
内部対立 (ないぶたいりつ) とは、組織 (そしき) や集団 (しゅうだん) の中 (なか) で、意見 (いけん) や利害 (りがい) が対立 (たいりつ) し、仲間割 (なかまわ) れが起 (お) こることだ。
慕容沖 (ぼよう しょう) の復讐心 (ふくしゅうしん) に燃 (も) える炎 (ほのお) は、その内側 (うちがわ) から崩 (くず) れ始 (はじ) めていた。
華北 (かほく) の地 (ち) は、淝水 (ひすい) の戦い (たたかい) が終 (お) わった後 (あと) も、新 (あら) たな混乱 (こんらん) の渦中 (かちゅう) にあった。




