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灼熱の時代:五胡十六国時代記⑩

東晋(とうしん)大将軍(たいしょうぐん)桓温(かんおん)の三度目の北伐(ほくばつ)が、兵站(へいたん)維持(いじ)に苦しみ、前燕(ぜんえん)反撃(はんげき)()い、無念(むねん)撤退(てったい)に終わった369年。この失敗は、桓温(かんおん)自身の帝位簒奪(ていいさんだつ)(力ずくで帝位を奪い取ること)という野望(やぼう)をも遠ざける結果となった。しかし、この(いくさ)余波(よは)は、前燕(ぜんえん)の内部に、より深刻(しんこく)亀裂(きれつ)を生み出していた。


前燕(ぜんえん)は、かつて軍事(ぐんじ)天才(てんさい)(うた)われた慕容恪(ぼようかく)の死後、その求心力(きゅうしんりょく)を失いつつあった。若き皇帝(こうてい)慕容暐(ぼよう い)は、幼くして帝位(ていい)()き、重臣(じゅうしん)(たよ)らざるを()ない状況(じょうきょう)であったが、その重臣(じゅうしん)たちの間では、権力(けんりょく)(めぐ)(あらそ)いが激化(げきか)していたのである。


この混沌(こんとん)とした状況(じょうきょう)の中、一人の男が、自らの(いのち)危険(きけん)察知(さっち)していた。その男こそ、鮮卑族(せんぴぞく)武将(ぶしょう)であり、後に後燕(こうえん)建国(けんこく)することになる慕容垂(ぼようすい)であった。慕容垂(ぼようすい)は、類稀(たぐいまれ)なる軍事(ぐんじ)(さい)と、危機(きき)察知(さっち)する能力(のうりょく)()けた策略家(さくりゃくか)であった。彼は、前燕(ぜんえん)内部(ないぶ)渦巻(うずま)陰謀(いんぼう)気配(けはい)敏感(びんかん)に感じ()っていた。特に、彼の才能(さいのう)(おそ)れる者たちが、彼を(おとしい)れようと画策(かくさく)していることを知っていた。


ある夜、慕容垂(ぼようすい)は、信頼(しんらい)する数名(すうめい)部下(ぶか)(ひそ)かに(あつ)めた。


「もはや、この前燕(ぜんえん)(われ)らの居場所(いばしょ)はない。権力(けんりょく)に目が(くら)んだ者たちが、(たが)いに(つぶ)()うばかり。このままでは、我らは無為(むい)(いのち)(おと)とすことになる。」


彼の声は静かであったが、その言葉には、決然(けつぜん)とした覚悟(かくご)宿(やど)っていた。部下(ぶか)たちは、顔を見合(みあ)わせ、主君(しゅくん)の言葉に(うなず)いた。


「では、どちらへ…?」


一人が(たず)ねた。慕容垂(ぼようすい)は、遠く西(にし)(そら)()した。


前秦(ぜんしん)苻堅(ふけん)のもとへ向かう。あの(おとこ)ならば、我らを受け入れ、その(さい)()かしてくれるであろう。」


当時(とうじ)華北(かほく)において、前秦(ぜんしん)は最も勢力(せいりょく)()ばしている国であった。皇帝(こうてい)苻堅(ふけん)は、氐族(ていぞく)出身(しゅっしん)でありながら、民族(みんぞく)出自(しゅつじ)にこだわらず賢才(けんさい)登用(とうよう)する寛大(かんだい)人物(じんぶつ)と知られていた。彼は、天下統一(てんかとういつ)という壮大(そうだい)理想(りそう)(いだ)き、賢臣(けんしん)王猛(おうもう)補佐(ほさ)のもと、内政(ないせい)(かた)め、国力(こくりょく)着実(ちゃくじつ)増強(ぞうきょう)していた。


慕容垂(ぼようすい)は、夜陰(やいん)(まぎ)れて前燕(ぜんえん)(みやこ)脱出(だっしゅつ)した。その道中(どうちゅう)は、幾多(いくた)困難(こんなん)(ともな)ったが、類稀(たぐいまれ)軍事(ぐんじ)(さい)と、危機察知能力(ききさっちのうりょく)を持つ彼にとって、それは乗り()えるべき試練(しれん)でしかなかった。


数週間後、慕容垂(ぼようすい)一行(いっこう)は、前秦(ぜんしん)の都、長安(ちょうあん)到着(とうちゃく)した。彼はすぐに苻堅(ふけん)への謁見(えっけん)(もと)めた。


謁見(えっけん)()で、苻堅(ふけん)は、目の前に立つ慕容垂(ぼようすい)をじっと見つめた。その眼光(がんこう)(するど)く、しかしどこか人間的(にんげんてき)(じょう)(ふか)さを感じさせた。


「そなたが慕容垂(ぼようすい)か。前燕(ぜんえん)(はしら)であった慕容恪(ぼようかく)と並び(ならびしょう)されるほどの(さい)を持つと()く。なぜ、この前秦(ぜんしん)へ?」


苻堅(ふけん)()うた。慕容垂(ぼようすい)は、(よど)みなく(こた)えた。


前燕(ぜんえん)は、もはや腐敗(ふはい)し、賢者(けんじゃ)()れられぬ(くに)となりました。私は、陛下(へいか)寛大(かんだい)御器量(おんきりょう)と、天下統一(てんかとういつ)御大志(おんたいし)()かれ、()(さん)じました。(ねが)わくば、陛下の(おん)ために、この()(ささ)げとうございます。」


慕容垂(ぼようすい)の言葉に、苻堅(ふけん)満足(まんぞく)そうに(うなず)いた。彼は、慕容垂(ぼようすい)才覚(さいかく)を高く評価(ひょうか)し、すぐに彼を重用(じゅうよう)することにした。この日、前秦(ぜんしん)は、後に大いなる脅威(きょうい)となる男を、自らの陣営(じんえい)に迎え入れたのである。そして、この出会いが、華北(かほく)歴史(れきし)を大きく動かすことになろうとは、この時の誰もが知る(よし)もなかった。



華北かほくの広大な大地に、新たな覇者はしゃの影が色濃くし始めたのは、西暦370年のことであった。氐族ていぞく君主くんしゅであり、前秦ぜんしん第三代皇帝こうていである苻堅ふけんは、その寛大かんだいな心と壮大そうだい理想りそうを胸にいだき、中華ちゅうか統一とういつゆめ現実げんじつのものとしようとしていた。民族みんぞく出自しゅつじにこだわらず、かしこ人材じんざい登用とうようする彼の姿勢しせいは、多くの人々の心をつかんでいた。


丞相しょうじょうよ、今こそ前燕ぜんえんとき見定みさだめるが、いかがか?」 苻堅ふけんは、しずかに問いかけた。彼のとなりには、常に冷静沈着れいせいちんちゃく王猛おうもうひかえていた。王猛おうもうは、奴隷どれいという最底辺さいていへんからこし、丞相しょうじょうにまでのぼめた稀代きだい賢臣けんしんである。かれたたげの努力家どりょくかであり、現実げんじつてき柔軟じゅうなん思考しこうぬしであった。 「陛下へいか御英断ごえいだんにございます。前燕ぜんえんは、慕容恪ぼようかくというはしらうしない、うちには権力闘争けんりょくとうそう火種ひだねかかえております。いまいて好機こうきはございません。」 王猛おうもう言葉ことばには、確固かっこたる自信じしん宿やどっていた。


王猛おうもうひきいる前秦ぜんしん大軍たいぐんは、怒涛どとういきおいで前燕ぜんえん領土りょうどへと雪崩なだれんだ。その進撃しんげきは、まさにあらしのようであった。前燕ぜんえんみやこぎょうは、かつて華北かほく東部とうぶ覇者はしゃとして君臨くんりんしたくに心臓部しんぞうぶであったが、いまはそのかがやきをうしないつつあった。


みやこ城壁じょうへきうえから、前燕ぜんえん皇帝こうてい慕容暐ぼよう いは、せる前秦ぜんしん軍勢ぐんぜい茫然ぼうぜんつめていた。慕容暐ぼよう いは、おさなくして帝位ていいき、常に重臣じゅうしんたちのかげかくれてきたわか君主くんしゅであった。かれには、かつて前燕ぜんえん軍事ぐんじてきいきおいをささえた叔父おじ慕容恪ぼようかくのような才覚さいかくも、ちち慕容儁ぼようしゅんのような覇気はきもなかった。 「陛下へいか、もはやこれまでかと…」 側近そっきん一人ひとりが、ちからなくげた。城内じょうないはすでに混乱こんらんきわみにあり、兵士へいしたちの士気しきちていた。かつて、東晋とうしん桓温かんおん大攻勢だいこうせいさえ退しりぞけた前燕ぜんえんぐんは、もはやかげもなかった。慕容垂ぼようすいのような傑出けっしゅつしたしょう前秦ぜんしん亡命ぼうめいしたことも、前燕ぜんえん運命うんめい決定けっていづけていた。


王猛おうもうは、冷静れいせいかつ迅速じんそくぎょう攻略こうりゃくすすめた。かれ指揮しきのもと、前秦ぜんしんぐん圧倒的あっとうてきちから城門じょうもんやぶり、みやこへと雪崩なだれんだ。抵抗ていこうはほとんど意味いみをなさず、前燕ぜんえん命運めいうんきていた。


慕容暐ぼよう いは、もはやあらがすべがないことをさとり、降伏こうふく決意けついした。かれ降伏こうふくをもって、337ねん鮮卑族せんぴぞく慕容ぼよう遼東りょうとう建国けんこくして以来いらい華北かほく東部とうぶ確固かっこたる勢力せいりょくきずげてきた前燕ぜんえんは、その歴史れきしまくじた。


この劇的げきてき勝利しょうりにより、前秦ぜんしん華北かほく大部分だいぶぶんをその支配下しはいかくことになった。かつて群雄ぐんゆう割拠かっきょし、あらあらそいがひろげられた中原ちゅうげんは、いま苻堅ふけんはたのもとに集約しゅうやくされつつあった。統一とういつへのみちは、おおきく前進ぜんしんしたのである。


よく371ねん前燕ぜんえんほろぼした前秦ぜんしんは、その広大こうだい旧領きゅうりょう完全かんぜん吸収きゅうしゅうし、名実めいじつともに華北かほくにおける最大勢力さいだいせいりょくとしての地位ちい確立かくりつした。新たな領土りょうどからは、ゆたかな物資ぶっし兵力へいりょく前秦ぜんしんにもたらされ、その国力こくりょくはさらに充実じゅうじつしていった。


長江ちょうこうみなみ建康けんこう現在げんざい南京なんきん)にみやこ東晋とうしん朝廷ちょうていでは、前秦ぜんしん急激きゅうげき拡大かくだいが、おおきな警戒けいかいをもってめられていた。東晋とうしんとは、西晋せいしんほろんだあと司馬睿しば えい江南こうなん再興さいこうした漢民族かんみんぞく王朝おうちょうである。 「きた異民族いみんぞくが、ここまで強大きょうだいになるとは…」 重臣じゅうしん一人ひとりが、かおくもらせてつぶやいた。 東晋とうしんは、北伐ほくばつきた異民族いみんぞく討伐とうばつすること)は常に困難こんなんきわめ、その国力こくりょく華北かほく大国たいこくにはおよばなかった。 「有効ゆうこう対抗策たいこうさくが、見当みあたらぬ…」 べつ重臣じゅうしんが、嘆息たんそくした。 かれらは、きたからの脅威きょうい日増ひましにたかまるのを、ただ見守みまもるしかなかった。華北かほく統一者とういつしゃとして君臨くんりんする前秦ぜんしんの、つぎなる一手いっておそれながら。



西暦372年、華北かほくは、前秦ぜんしんという巨大きょだい帝国ていこく支配しはいのもと、かつてない安定あんてい享受きょうじゅしていた。その中心ちゅうしんには、前秦ぜんしん第三代皇帝こうてい苻堅ふけん絶大ぜつだい信頼しんらいて、内政ないせい軍事ぐんじ両面りょうめん実権じっけんにぎる一人のおとこがいた。かれこそが、丞相しょうじょう王猛おうもうである。奴隷どれいという最底辺さいていへんからこし、その才覚さいかく現実げんじつてき思考しこう国家こっかささげた稀代きだい賢臣けんしんは、々、国家こっか安定あんてい発展はってん貢献こうけんしていた。


長安ちょうあん宮殿きゅうでん一室いっしつで、苻堅ふけん王猛おうもうかいっていた。 「丞相しょうじょうのおかげで、たみやすんじ、へいつようなった。華北かほくいまひとつの意志いしのもとにうごいている。」 苻堅ふけん言葉ことばには、こころからの感謝かんしゃと、天下てんか統一とういつへの確固かっこたる決意けついにじんでいた。かれ民族みんぞく出自しゅつじとらわれず、かしこもの重用ちょうようする寛大かんだい君主くんしゅであった。 王猛おうもうは、深々(ふかぶか)とあたまげた。 「陛下へいか御威光ごいこうあってこそにございます。しかし、まだ道半みちなかば。みなみには東晋とうしんひかえております。」


そのころ長江ちょうこうみなみ位置いちする東晋とうしんでは、あらたな時代じだい幕開まくあけがげられていた。孝武帝こうぶてい即位そくいし、元号げんごうは「太元たいげん」とあらためられた。このあらたな元号げんごうには、混迷こんめいする時代じだいなかで、しん再興さいこう安定あんていへのねがいがめられていた。しかし、華北かほくで、前秦ぜんしんに日に勢力せいりょくしているというほうせは、建康けんこう現在げんざい南京なんきん)の朝廷ちょうていおもかげとしていた。


西暦373年、前秦ぜんしんは、その強大きょうだいちからをさらにみなみへとばしはじめた。東晋とうしんとの国境こっきょう付近ふきんでは、軍事行動ぐんじこうどう活発化かっぱつかし、とくしょく現在げんざい四川省しせんしょう一帯いったい方面ほうめんへの圧力あつりょくつよめられた。しょくは、山々(やまやま)にかこまれた要衝ようしょうであり、一度いちどにすれば、東晋とうしん喉元のどもとやいばきつけることができる戦略せんりゃくてき拠点きょてんであった。


東晋とうしん朝廷ちょうていは、このうごきを看過かんかすることはできなかった。 「前秦ぜんしんしょくねらっておる。益州えきしゅうしょく主要しゅよう地域ちいき方面ほうめん防衛ぼうえいを、早急そうきゅう強化きょうかせねばならぬ。」 重臣じゅうしん一人ひとりが、あせりのいろにじませてった。 かれらは、かつて桓温かんおん成漢せいかんほろぼし、一時的いちじてき回復かいふくしたしょく重要性じゅうようせいだれよりも理解りかいしていた。前秦ぜんしん南下なんかは、東晋とうしんにとって、たんなる国境こっきょう緊張きんちょう以上いじょうの、存亡そんぼうかかわる脅威きょういとなりつつあった。


王猛おうもう指揮しきのもと、前秦ぜんしん軍勢ぐんぜいは、着実ちゃくじつみなみへとすすんでいた。かれらは、ただ武力ぶりょくすすむだけでなく、占領せんりょうした土地とちたみやすんじ、秩序ちつじょ回復かいふくさせることで、支配しはい盤石ばんじゃくなものにしていった。 「丞相しょうじょう治世ちせいは、まさに天下てんか模範もはんでございます。」 ある将軍しょうぐんが、王猛おうもう賛辞さんじおくった。 王猛おうもうしずかにこたえた。 「これらはすべて、陛下へいか御心みこころあってこそ。我々(われわれ)は、ただその御心みこころ実現じつげんするのみ。」 かれ言葉ことばには、謙虚けんきょさのなかにも、確固かっこたる信念しんねん宿やどっていた。前秦ぜんしんいきおいは、まさに破竹はちくいきおいであった。一方いっぽう東晋とうしんは、せまりくるあらしたいし、防衛線ぼうえいせんかためることしかできなかった。華北かほく覇者はしゃ江南こうなん守護者しゅごしゃふたつの大国たいこく運命うんめいは、いままさに交錯こうさくしようとしていた。

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