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東晋の大将軍桓温の三度目の北伐が、兵站の維持に苦しみ、前燕の反撃に遭い、無念の撤退に終わった369年。この失敗は、桓温自身の帝位簒奪(力ずくで帝位を奪い取ること)という野望をも遠ざける結果となった。しかし、この戦の余波は、前燕の内部に、より深刻な亀裂を生み出していた。
前燕は、かつて軍事の天才と謳われた慕容恪の死後、その求心力を失いつつあった。若き皇帝慕容暐は、幼くして帝位に就き、重臣に頼らざるを得ない状況であったが、その重臣たちの間では、権力を巡る争いが激化していたのである。
この混沌とした状況の中、一人の男が、自らの命の危険を察知していた。その男こそ、鮮卑族の武将であり、後に後燕を建国することになる慕容垂であった。慕容垂は、類稀なる軍事の才と、危機を察知する能力に長けた策略家であった。彼は、前燕の内部で渦巻く陰謀の気配を敏感に感じ取っていた。特に、彼の才能を恐れる者たちが、彼を陥れようと画策していることを知っていた。
ある夜、慕容垂は、信頼する数名の部下を密かに集めた。
「もはや、この前燕に我らの居場所はない。権力に目が眩んだ者たちが、互いに潰し合うばかり。このままでは、我らは無為に命を落とすことになる。」
彼の声は静かであったが、その言葉には、決然とした覚悟が宿っていた。部下たちは、顔を見合わせ、主君の言葉に頷いた。
「では、どちらへ…?」
一人が尋ねた。慕容垂は、遠く西の空を指した。
「前秦の苻堅のもとへ向かう。あの男ならば、我らを受け入れ、その才を活かしてくれるであろう。」
当時の華北において、前秦は最も勢力を伸ばしている国であった。皇帝苻堅は、氐族出身でありながら、民族や出自にこだわらず賢才を登用する寛大な人物と知られていた。彼は、天下統一という壮大な理想を抱き、賢臣王猛の補佐のもと、内政を固め、国力を着実に増強していた。
慕容垂は、夜陰に紛れて前燕の都を脱出した。その道中は、幾多の困難を伴ったが、類稀な軍事の才と、危機察知能力を持つ彼にとって、それは乗り越えるべき試練でしかなかった。
数週間後、慕容垂一行は、前秦の都、長安に到着した。彼はすぐに苻堅への謁見を求めた。
謁見の間で、苻堅は、目の前に立つ慕容垂をじっと見つめた。その眼光は鋭く、しかしどこか人間的な情の深さを感じさせた。
「そなたが慕容垂か。前燕の柱であった慕容恪と並び称されるほどの才を持つと聞く。なぜ、この前秦へ?」
苻堅が問うた。慕容垂は、淀みなく答えた。
「前燕は、もはや腐敗し、賢者が容れられぬ国となりました。私は、陛下の寛大な御器量と、天下統一の御大志に惹かれ、馳せ参じました。願わくば、陛下の御ために、この身を捧げとうございます。」
慕容垂の言葉に、苻堅は満足そうに頷いた。彼は、慕容垂の才覚を高く評価し、すぐに彼を重用することにした。この日、前秦は、後に大いなる脅威となる男を、自らの陣営に迎え入れたのである。そして、この出会いが、華北の歴史を大きく動かすことになろうとは、この時の誰もが知る由もなかった。
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華北の広大な大地に、新たな覇者の影が色濃く差し始めたのは、西暦370年のことであった。氐族の君主であり、前秦の第三代皇帝である苻堅は、その寛大な心と壮大な理想を胸に抱き、中華統一の夢を現実のものとしようとしていた。民族や出自にこだわらず、賢い人材を登用する彼の姿勢は、多くの人々の心を掴んでいた。
「丞相よ、今こそ前燕を討つ時と見定めるが、いかがか?」 苻堅は、静かに問いかけた。彼の隣には、常に冷静沈着な王猛が控えていた。王猛は、奴隷という最底辺から身を起こし、丞相にまで上り詰めた稀代の賢臣である。彼は叩き上げの努力家であり、現実的で柔軟な思考の持ち主であった。 「陛下の御英断にございます。前燕は、慕容恪という柱を失い、内には権力闘争の火種を抱えております。今を措いて好機はございません。」 王猛の言葉には、確固たる自信が宿っていた。
王猛率いる前秦の大軍は、怒涛の勢いで前燕の領土へと雪崩込んだ。その進撃は、まさに嵐のようであった。前燕の都、鄴は、かつて華北東部の覇者として君臨した国の心臓部であったが、今はその輝きを失いつつあった。
都の城壁の上から、前燕の皇帝、慕容暐は、押し寄せる前秦の軍勢を茫然と見つめていた。慕容暐は、幼くして帝位に就き、常に重臣たちの影に隠れてきた若き君主であった。彼には、かつて前燕の軍事的な勢いを支えた叔父、慕容恪のような才覚も、父慕容儁のような覇気もなかった。 「陛下、もはやこれまでかと…」 側近の一人が、力なく告げた。城内はすでに混乱の極みにあり、兵士たちの士気は地に落ちていた。かつて、東晋の桓温の大攻勢さえ退けた前燕の軍は、もはや見る影もなかった。慕容垂のような傑出した将が前秦に亡命したことも、前燕の運命を決定づけていた。
王猛は、冷静かつ迅速に鄴の攻略を進めた。彼の指揮のもと、前秦軍は圧倒的な力で城門を打ち破り、都へと雪崩込んだ。抵抗はほとんど意味をなさず、前燕の命運は尽きていた。
慕容暐は、もはや抗う術がないことを悟り、降伏を決意した。彼の降伏をもって、337年に鮮卑族の慕容氏が遼東で建国して以来、華北東部に確固たる勢力を築き上げてきた前燕は、その歴史に幕を閉じた。
この劇的な勝利により、前秦は華北の大部分をその支配下に置くことになった。かつて群雄が割拠し、血で血を洗う争いが繰り広げられた中原の地は、今や苻堅の旗のもとに集約されつつあった。統一への道は、大きく前進したのである。
翌371年、前燕を滅ぼした前秦は、その広大な旧領を完全に吸収し、名実ともに華北における最大勢力としての地位を確立した。新たな領土からは、豊かな物資と兵力が前秦にもたらされ、その国力はさらに充実していった。
長江の南、建康(現在の南京)に都を置く東晋の朝廷では、前秦の急激な拡大が、大きな警戒をもって受け止められていた。東晋とは、西晋が滅んだ後、司馬睿が江南の地で再興した漢民族の王朝である。 「北の異民族が、ここまで強大になるとは…」 重臣の一人が、顔を曇らせてつぶやいた。 東晋は、北伐(北の異民族を討伐すること)は常に困難を極め、その国力は華北の大国には及ばなかった。 「有効な対抗策が、見当たらぬ…」 別の重臣が、嘆息した。 彼らは、北からの脅威が日増しに高まるのを、ただ見守るしかなかった。華北の統一者として君臨する前秦の、次なる一手を恐れながら。
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西暦372年、華北の地は、前秦という巨大な帝国の支配のもと、かつてない安定を享受していた。その中心には、前秦の第三代皇帝、苻堅の絶大な信頼を得て、内政と軍事の両面で実権を握る一人の男がいた。彼こそが、丞相の王猛である。奴隷という最底辺から身を起こし、その才覚と現実的な思考で国家を支え上げた稀代の賢臣は、日々、国家の安定と発展に貢献していた。
長安の宮殿の一室で、苻堅は王猛と向かい合っていた。 「丞相のおかげで、民は安んじ、兵は強うなった。華北は今、一つの意志のもとに動いている。」 苻堅の言葉には、心からの感謝と、天下統一への確固たる決意が滲んでいた。彼は民族や出自に囚われず、賢い者を重用する寛大な君主であった。 王猛は、深々(ふかぶか)と頭を下げた。 「陛下の御威光あってこそにございます。しかし、まだ道半ば。南には東晋が控えております。」
その頃、長江の南に位置する東晋では、新たな時代の幕開けが告げられていた。孝武帝が即位し、元号は「太元」と改められた。この新たな元号には、混迷する時代の中で、晋の再興と安定への願いが込められていた。しかし、華北の地で、前秦が日に日に勢力を増しているという報せは、建康(現在の南京)の朝廷に重い影を落としていた。
西暦373年、前秦は、その強大な力をさらに南へと伸ばし始めた。東晋との国境付近では、軍事行動が活発化し、特に蜀(現在の四川省一帯)方面への圧力が強められた。蜀は、山々(やまやま)に囲まれた要衝であり、一度手にすれば、東晋の喉元に刃を突きつけることができる戦略的な拠点であった。
東晋の朝廷は、この動きを看過することはできなかった。 「前秦が蜀を狙っておる。益州(蜀の主要な地域)方面の防衛を、早急に強化せねばならぬ。」 重臣の一人が、焦りの色を滲ませて言った。 彼らは、かつて桓温が成漢を滅ぼし、一時的に回復した蜀の重要性を誰よりも理解していた。前秦の南下は、東晋にとって、単なる国境の緊張以上の、存亡に関わる脅威となりつつあった。
王猛の指揮のもと、前秦の軍勢は、着実に南へと進んでいた。彼らは、ただ武力で押し進むだけでなく、占領した土地の民を安んじ、秩序を回復させることで、支配を盤石なものにしていった。 「丞相の治世は、まさに天下の模範でございます。」 ある将軍が、王猛に賛辞を送った。 王猛は静かに答えた。 「これらはすべて、陛下の御心あってこそ。我々(われわれ)は、ただその御心を実現するのみ。」 彼の言葉には、謙虚さの中にも、確固たる信念が宿っていた。前秦の勢いは、まさに破竹の勢いであった。一方の東晋は、迫りくる嵐に対し、防衛線を固めることしかできなかった。華北の覇者と江南の守護者、二つの大国の運命は、今まさに交錯しようとしていた。