灼熱の時代:五胡十六国時代記①
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中華の天地は、常に動乱の波に洗われてきた。平和な時代もあれば、血と硝煙の匂いが満ちる時代もある。だが、304年という年は、その中でも特に深い混迷の淵へと、この広大な大地を突き落とすことになった。後に「五胡十六国時代」と呼ばれる、数多の民族と国家が興亡を繰り返す激動の幕開けである。
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北方の地には、古より強き騎馬民族として知られる匈奴がいた。その中に、ひときわ異彩を放つ男がいた。彼の名は、劉淵。西晋王朝(当時の中国を治めていた漢民族の王朝)の混乱、すなわち「八王の乱」(晋の皇族たちが互いに争った内乱)を冷静に見つめ、その機に乗じて自立を企てた、稀代の野心家である。
「晋は、もはや腐りきっておる。天命は我ら匈奴にある!」
劉淵は、臣下たちを前に、そう高らかに宣言した。彼の眼光は鋭く、その言葉には並々ならぬ決意が込められていた。彼はただの武人ではなかった。漢の国の文化や歴史にも深く通じ、自らを漢王朝(中国の古い王朝)の末裔(子孫のこと)だと名乗ることで、多くの漢人たちをも味方につけようとした。その戦略性は、当時の晋の愚かな皇帝たちには到底理解できるものではなかっただろう。
「陛下の御英断こそ、民を救う道にございます!」
居並ぶ臣下の一人が、深々と頭を下げた。劉淵は、漢の国号(国の名前)を「漢」(後に前趙と称される)と定め、新たな王朝の建国を宣言した。それは、ただの反乱ではなく、新たな時代の到来を告げる狼煙でもあった。彼の視線の先には、混迷を極める華北(中国北部のこと)の統一があった。
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時を同じくして、遠く南西の地、蜀の山々が連なる四川地方でも、時代のうねりが始まっていた。そこには、流浪の民(さまよい歩く人々)を救い、新たな安住の地を築こうとする、一人の男がいた。彼の名は、李雄。氐族(中国西部に住む民族の一つ)の出身でありながら、漢人、胡人(北方民族のこと)の区別なく、困窮する人々を導いた、穏健な指導者であった。
李雄の父が亡くなった後、行き場を失った流民たちが、彼の周りに集まってきた。食糧は尽き、寒さに震える人々を見て、李雄の胸には深い悲しみがこみ上げた。
「このままでは、皆、飢え死にしてしまう。何としても、この混乱を終わらせねばならぬ!」
李雄は、共に苦難を乗り越えてきた仲間たちに語りかけた。彼の言葉には、偽りのない真摯な響きがあった。彼は軍を率いて成都(四川省の主要都市)を占領し、自ら皇帝の位に就き、「成」(後に成漢と称される)という国を建てた。
彼は、道士(道教の修行者)の范長生という賢者を重用(重く用いること)し、民への負担を減らすため、租税(税金)を軽くする善政(良い政治)を敷いた。
「民が安心して暮らせてこそ、国は栄える。我らは、この地で新たな秩序を築くのだ。」
李雄の治世は、約30年間もの間、比較的安定した時代を築いた。彼の慎重かつ現実的な統治は、まさに乱世の中の一筋の光であった。
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北方の草原に響く匈奴の雄叫びと、南西の山々にこだまする氐族の安堵の声。同じ304年、中華大地の二つの異なる場所で、二つの新たな「国」が産声を上げた。これらは、後に「五胡十六国時代」と呼ばれる、約130年にもわたる群雄割拠(多くの英雄が各地で勢力を競い合うこと)の始まりであった。それぞれの指導者の個性と野心、そして民を思う心が、歴史の新たなページをめくったのである。
この激動の時代は、一体どこへ向かうのだろうか。
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かつて華やかであった都、洛陽は、311年の春、絶望の淵に沈んでいた。五胡十六国という激動の時代の幕開けからわずか7年。西晋王朝(漢民族が築いた国)の権威は地に落ち、混乱は極まっていた。北方の異民族である匈奴が建てた漢(後に前趙と改名する国)の軍勢が、まるで荒れ狂う波のように都を包囲していたのだ。
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城壁の上からは、炎上する市街の煙が天を覆い、飢えと病に苦しむ人々のうめき声が、どこからともなく聞こえてくる。西晋の第3代皇帝、懐帝は、痩せこけた顔で玉座に座っていた。彼は、国の内乱「八王の乱」(晋の皇族たちが互いに争った争い)によって既に疲弊しきっていた西晋を受け継いだ、悲劇の君主である。
「陛下……もはや、これまでと存じまする。」
側近の老臣が、震える声で告げた。その目には、涙が浮かんでいた。懐帝は、ただ静かに首を振る。彼には、もはや抗う力も、民を救う術も残されていなかった。
「朕の不徳の致すところ…民に申し訳ない。」
彼の言葉は、もはや帝としての威厳よりも、一人の人間としての諦念に満ちていた。城門が破られるのは時間の問題だった。
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その頃、漢の軍を率いていたのは、初代皇帝劉淵の子、劉聡であった。父劉淵は、数年前に漢を建国したばかりだが、その軍事力はすでに西晋を凌駕(抜きん出るほど優れていること)していた。劉聡は、父の野心を受け継ぎ、中華の支配を目論んでいた。
「総攻撃を開始せよ! 晋の都を、我らが手中に収める時が来た!」
劉聡の号令とともに、数万の兵士たちが洛陽の城内へと雪崩れ込んだ。彼らは、飢えと疲労で戦意を失った晋の兵士たちを容赦なく蹴散らし、あっという間に宮城へと迫った。
宮殿の中は、すでに地獄絵図と化していた。女官や宦官(皇帝に仕える役人のこと)たちが、悲鳴を上げながら逃げ惑い、兵士たちの怒号と剣戟(刀や剣がぶつかり合う音)が響き渡る。
劉聡が率いる精鋭部隊が、ついに懐帝のいる広間へと踏み込んだ。懐帝は、もはや逃げることもせず、ただ静かに敵兵を見つめていた。その顔には、恐怖よりも、深い悲しみが宿っていた。
「貴様が晋の皇帝か!」
劉聡は、馬上で堂々と懐帝を見下ろした。その声には、勝利者の冷徹な響きがあった。
懐帝は、ゆっくりと立ち上がった。その体は震えていたが、最後の意地を見せるかのように、かすれた声で答えた。
「然り。朕が晋の皇帝、司馬熾(懐帝の本名)である。」
劉聡は、フンと鼻を鳴らし、配下に命じた。
「捕らえよ。丁重に扱え。まだ、利用価値はある。」
懐帝は、屈辱にまみれた目で劉聡を睨んだが、抵抗する力はなかった。兵士たちに取り囲まれ、彼は無残にも玉座から引きずり下ろされた。
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洛陽陥落。それは、西晋王朝の実質的な滅亡を意味していた。中華を統一していた漢民族の王朝は、その権威を失い、北の地は完全に異民族の手に落ちたのだ。
この出来事は、「永嘉の乱」と呼ばれ、後世にまでその悲劇性が語り継がれることになる。洛陽の街は破壊され、多くの民が虐殺され、あるいは奴隷として連れ去られた。
中華の歴史は、この日を境に大きく動き出す。血と涙で綴られる新たな物語が、ここから始まったのである。
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長安の落日
313年、荒れ果てた長安の都は、飢餓と疫病の影に覆われていた。かつては漢の繁栄を象徴する壮麗な都も、今はわずかな西晋の臣下と民が身を寄せ合う、か細い希望の砦に過ぎなかった。
西晋の第4代皇帝、愍帝は、弱々しい光を放つ宮殿の一室にいた。彼は、二年前に漢(後に前趙と改名する北方民族の国)によって洛陽を陥落させられ、捕虜となった懐帝の後を継いで、この長安で即位したばかりの若き皇帝であった。しかし、その顔には、すでに運命の重さが刻まれていた。
「陛下、もはや食料も尽きかけ、兵士たちの士気も底を尽きております。」
痩せ細った顔の老臣が、絞り出すような声で報告した。その声には、絶望の色がにじんでいた。愍帝は、何も言わず、ただ虚空を見つめた。彼の心は、すでに諦め(あきらめ)の中にあった。先代の懐帝と同様、彼もまた、乱世の荒波に翻弄される悲運の君主であった。自らの力ではどうすることもできない、圧倒的な現実がそこにあった。
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長安を取り囲む漢(前趙)の軍勢は、その数を増し、威容を誇っていた。指揮を執るのは、洛陽を陥落させた劉聡、そしてその腹心(心から信頼する家臣のこと)、劉曜であった。劉曜は、漢の初代皇帝劉淵の一族で、軍事的な才能に長け、その武勇は敵からも恐れられていた。
「晋の残党も、よくぞここまで粘ったものだ。」
劉曜は、馬上で長安の城壁を見上げながら、冷ややかに呟いた。
「しかし、もはや終わりは近い。晋の時代は、完全に終わるのだ。」
彼の言葉には、勝利への確信が満ちていた。漢(前趙)の兵士たちは、その言葉に呼応するかのように、雄叫び(おたけび)を上げた。
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数日後、城門はついに破られた。飢えと疲弊で立ち尽くす西晋の兵士たちは、為す術もなく漢(前趙)の猛攻に晒された。血の匂いと悲鳴が、長安の街を覆う。
愍帝は、最後の瞬間まで宮殿に留まった。もはや逃れる場所も、逃れる意味もなかった。劉曜が率いる漢(前趙)の精鋭部隊が、広間へと乱入してきた時、愍帝は、震える手で衣の皺を伸ばし、わずかながら残る帝としての尊厳を保とうとした。
劉曜は、冷徹な目で愍帝を見据えた。
「貴様が、晋の愍帝か。」
愍帝は、顔を上げ、小さく頷いた。その目には、諦め(あきらめ)と、わずかながら残る悲壮な覚悟が宿っていた。
「然り。朕が晋の皇帝、司馬鄴(愍帝の本名)である。」
劉曜は、一瞬、その瞳の奥に、かつての漢王朝の末裔を名乗る自らの運命と、目の前の若き皇帝の悲劇を重ねたのかもしれない。しかし、彼の顔に浮かんだのは、ただ冷酷な勝利者の表情だった。
「捕らえよ。」
その一言で、愍帝は漢(前趙)の兵士たちに取り押さえられた。彼の抵抗は、あまりにも無力であった。
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長安の陥落をもって、西晋王朝は完全に滅亡した。313年、この年、中華の統一を謳歌した漢民族の王朝は、その歴史に幕を下ろしたのである。
この後、愍帝は翌年、劉聡によって殺害される。そして、華北(中国の北部)は、北方異民族が次々と国を建て、互いに争い合う「五胡十六国時代」という大混乱の時代へと突入していく。
しかし、西晋の皇族の一人である司馬睿は、混乱を避けて江南(長江より南の地域)へと逃れ、建康(現在の南京)で東晋を建国する。漢民族の文化と血脈(先祖から代々受け継がれていくもの)は、かろうじて南の地で受け継がれ、中華の歴史は、北と南に分かれて進んでいくこととなるのである。




