第5章 それでも、好きという言葉
1節:夜のカフェ、再び
Slackの通知を見てから30分後。
美咲は会社近くのカフェにいた。
雨は降っていないのに、
なぜか街灯が滲んで見えた。
ガラス越しに、成瀬が入ってくる。
ノートPCも資料も持っていない。
彼が手にしていたのは、ただの折りたたみ傘だけだった。
「すみません、急に。」
「いえ……あの、仕事の話ですか?」
「半分、そうです。半分は……違います。」
彼はカップを手に取り、少し黙ってから言った。
「今度のプロジェクト、僕はチームを離れます。」
「……え?」
「次期システム統合案件。別部署に異動します。」
言葉が出なかった。
聞きたくなかった。
でも、言わなきゃいけない。
「おめでとうございます。成瀬さんなら、きっと……」
「ありがとうございます。」
彼の笑顔は、どこか寂しげだった。
2節:沈黙の中の“本音”
二人の間に、スチーム音だけが流れる。
店内のBGMは静かなピアノ。
「朝倉さん、最初に会ったとき、僕はあなたを“非効率”だと思いました。」
「……ですよね。」
少し笑って返す。
「でも、今は思います。
効率的に生きるより、
誰かの気持ちをちゃんと受け止める方が、
ずっと難しいし、大切だって。」
彼はカップを置いて、ゆっくりこちらを見た。
「あなたを見て、そう思うようになりました。」
その言葉に、胸が震えた。
でも、美咲は笑って言う。
「それ、褒め言葉ですか?」
「ええ。たぶん、僕なりの最大限の。」
3節:伝えられない言葉
沈黙がまた戻ってくる。
お互い、何かを言いかけて、言えない。
(今なら、言えるかもしれない。)
心の中でそう思った瞬間、成瀬が立ち上がった。
「……行きますね。明日から新しいチームの準備があるので。」
「……はい。」
その背中を見送りながら、
美咲の喉の奥で、言葉が渦を巻いた。
「……成瀬さん!」
思わず声が出た。
彼が振り返る。
「ありがとうございました。」
その瞬間、喉まで出かかった言葉――
“好きです”――は、
空気の中に溶けて消えた。
4節:静かな翌朝
翌朝。
オフィスに行くと、成瀬の席がもう片付けられていた。
モニターの端に、付箋が一枚。
「資料のテンプレート、あなた仕様で残しておきました。
――効率悪くても、美咲さんらしく。」
見た瞬間、
涙があふれた。
完璧じゃない日々。
誤送信、こぼしたコーヒー、
噛み合わない会話。
でも、それら全部が、
彼との“現実”だった。
5節:それでも前を向く
昼休み。
屋上で風に当たりながら、
スマホを見つめる。
“新しいメッセージ”の通知が光っていた。
成瀬智也:「チーム、正式に始まりました。頑張ってください。」
短い文章。
でも、その文字列の中に、
確かな“想い”が宿っていた。
美咲は、
スマホの画面を見つめたまま、
指を止めてから、打った。
「ありがとうございます。
成瀬さんも、“効率よく”幸せになってくださいね。」
送信ボタンを押した瞬間、
心の中に、静かな風が吹いた。




