第4章 揺れるバランス
1節:昇進の話と、ざらつく心
月曜日の朝。
出社してすぐ、上司の田島課長に呼び止められた。
「朝倉、少しいいか? 来期のチーム編成の件だ。」
資料室に入ると、課長が資料を差し出した。
「次のプロジェクト、リーダーをやってみないか。」
思わず言葉を失う。
「……私が、ですか?」
「そうだ。成瀬も推薦してた。」
その名前を聞いた瞬間、胸の奥が少しだけ温かくなった。
でも同時に、何かがざらつく。
「ありがとうございます。少し、考えさせてください。」
課長が出ていったあと、
ガラス窓に映る自分の顔を見た。
“昇進”――社会的には喜ぶべきこと。
でも、“今の私”はそれを素直に受け止められなかった。
2節:飲み会の夜と、不意の告白
その日の夜、チームの打ち上げがあった。
仕事終わりのビル街、居酒屋のネオンが滲む。
里奈が酔った勢いで笑う。
「成瀬さん、朝倉さんのこと信頼してるんですよね!」
「えっ!?」
成瀬はグラスを持ったまま、一瞬だけ視線を逸らした。
「……信頼はしてます。仕事上、ですけど。」
“仕事上”――
たったその一言で、心が少し冷えた。
でも、酔いのせいか、
私は自分でも驚くほど正直に言っていた。
「……仕事だけ、なんですか?」
一瞬、場の空気が止まる。
里奈が目を丸くし、成瀬がグラスを置く音が響く。
「……その答え、今はまだ出せません。」
成瀬の声は静かだった。
でも、その静けさが逆に苦しかった。
3節:ひとりの夜、心のバランスが崩れる
帰り道。
夜風が冷たい。
スマホを握る手が震える。
LINEを開いて、閉じて、また開く。
「ごめんなさい、さっきのこと――」
打っては消す。
家に着いても、心のざわめきは止まらなかった。
洗面所の鏡に映る自分。
疲れて、少し泣きはらした目。
「何してるんだろう、私……」
仕事を頑張ることが“正しい”と思っていた。
でも、その“正しさ”が、
誰かを遠ざけてきたのかもしれない。
4節:すれ違いと決意
翌日。
オフィスで成瀬と目が合った。
お互い、何も言わずに軽く会釈をする。
その沈黙が、いつもより重かった。
午後の会議で、成瀬が言う。
「この件、朝倉さんに任せます。彼女がリーダーになるのが自然です。」
私は驚いて顔を上げた。
「……ありがとうございます。」
会議後、廊下ですれ違いざま、彼が小さく言った。
「ちゃんとやれる人だと思ってます。」
その言葉が嬉しかった。
でも、それ以上に、
“距離を置こうとしている”気配が伝わってきた。
5節:小さな覚悟
夜。
美咲は机の上の企画書を見つめながら、
小さく息を吐いた。
「もう、誰かの正解を待つのはやめよう。」
コーヒーを淹れ直しながら、
朝の失敗を思い出した。
こぼしたコーヒーの跡、誤送信したハート。
全部、“完璧じゃない自分”の証。
“できる女”じゃなくてもいい。
“正しい答え”が見つからなくてもいい。
私は、私のやり方で進めばいい。
そう思った瞬間、
Slackの通知が鳴った。
成瀬智也:「今夜、少し話せますか?」
画面の光が、
まるで未来を照らす灯りのように見えた。




