表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/6

第3章 効率の悪い感情たち

1節:資料の中の“理想と現実”


木曜の朝。

会社の会議室には、ホワイトボードの前で立つ私と、無表情な成瀬。

共同プレゼンのリハーサル中だ。


「――で、この部分の結論をもう少し短くできますか?」

成瀬が冷静に言う。


「でも、それだとデータの流れが伝わらないと思うんです。」


「数字より印象が大事です。クライアントは“感情”では動きません。」


“感情”という単語に、心のどこかがチクリとした。

私は小さく息を吸い、なるべく平静を装う。

「……はい。でも、少し考えさせてください。」


会議室の窓から射す朝日が、ガラス越しに揺れていた。

理屈ではわかっている。

でも、なんでだろう。

“正しいだけ”の会話が、こんなに苦しいなんて。


2節:ランチの誘い、そして“沈黙”


昼。

社内食堂で、里奈がハンバーグ定食を前に言った。

「美咲さん、最近ちょっとピリピリしてません?」

「え、そう?」

「成瀬さんと話してる時、表情が怖いです」


「……いや、怖くしてるつもりはないんだけど」

「恋の裏返しかもですね!」

「やめてよ、そういうの」


笑いながら否定するけれど、

その瞬間、なぜか胸の奥が熱くなる。


スマホを見ると、Slackの通知。


成瀬智也:「午後の修正案、相談できますか」


まるでタイミングを計ったようだった。

私は深呼吸して返信を打つ。


「はい、会議室Dで」


午後2時。

資料を挟んで向かい合う二人。

いつも通りの距離。

なのに、どこか息が詰まる。


「ここ、修正しておきました」

成瀬が淡々と画面を差し出す。

そこには、私の書いた文章がほぼ全部削られていた。


「……これ、私の意図とは違います」

思わず声が強くなる。


「意図よりも、効果を優先しました。」


「でも、これは“人”に伝える資料ですよね?」


成瀬の眉が少しだけ動いた。

「朝倉さん、“感情”を入れると伝わると、まだ思ってますか?」


「……はい。少なくとも、無機質な数字だけでは心は動かないと思ってます。」


会議室の空気が一気に冷たくなる。

沈黙の中で、互いの視線がぶつかった。


3節:言葉がこぼれた夜


その日の帰り道。

私は残業で最後のひとりになっていた。

誰もいないオフィスで、修正された資料を開く。


“正しすぎる”言葉が並ぶ。

でも、そこに自分の“温度”はない。


マウスを握る手が震える。

私はつい、メッセージを打っていた。


「成瀬さん、あの資料、少しだけ戻していいですか?」


送信ボタンを押す直前に、ためらった。

(……いや、やめよう)

そう思った瞬間、Enterキーが勝手に反応した。


送信済。

「うわぁぁぁ!」


自分の声がオフィスに響いた。

その3分後、Slackに通知が来る。


「いいと思います。戻しましょう。」


思わず、息を飲む。

返信が、いつもより少しだけ柔らかかった。


4節:すれ違いの中の“優しさ”


翌朝、出社すると、成瀬がすでに会議室で資料を直していた。

「昨日の件、僕の方こそ、押しすぎました。」

「いえ、私の方こそ……すみません。」


沈黙が流れる。

画面に映るグラフ。

修正箇所の端に、小さなメモが残されていた。


“この部分の語り、あなたの文の方が伝わる気がします。”


――“あなたの文”。


その言葉を見た瞬間、

なぜか涙が出そうになった。


「……ありがとうございます」

やっとそれだけ言えた。


成瀬が少しだけ笑う。

「やっぱり、効率悪いですね、僕たち。」


「でも、それが“人間”なんじゃないですか?」


笑い合う二人の間に、

やっとほんの少し、柔らかな空気が流れた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ